寄り道
『協会』の本部がある都を避けて進むため、ファラシアたち一行はグルリと南方へ回るようにしてグレイスターヌとの国境を目指していた――徒歩で。
追われる身なのだから、転移の術を交えながらの移動の方が、早く、かつ安全に進めるに違いない。けれど、カイルはあくまでも『旅』をすることに拘った。
(多分、それって、わたしの為よね)
冬にも拘らずジリジリと照り付けてくる太陽の下を歩きながら、ファラシアは隣を行くカイルをチラリと見て独り言ちた。
任務であれほど国中を回りながら、呆れるほどにドゥワナのことを知らないファラシアに、離れる前にできるだけこの国を見せておこうと、カイルは思ってくれたのだろう。そんな彼の気持ちが、彼女は嬉しい。
この時期、ドゥワナの南部であるこの辺りは乾期でほとんど雨が降らない為、点在する水場を結びながらの旅が基本となる。水場は単に泉が有るだけの所から、人が集まりちょっとした街を形成している所まで様々だ。
ファラシアたちが次の休憩所に選んだのは、小さいながらも地図にその名を載せているキアの街だった。丘をあと一つ越えれば、その街影が見えてくる。
「キアは小さいが、豊かな水源を持っている。どんな旱魃の時も決して枯れることはないという」
以前にもキアを訪れたことがあるノアの言葉に、カイルが首を傾げた。
「豊かな水源? でも、ここらにそんなに太い水脈が走っている気配はしないけど。近くに河も無いし……何処からその水が来ているんだろう?」
「確かに、自然の水脈は無いわ……でも、これは……」
彼の疑問を受けて周囲を探ったファラシアは、つぶやいた。水の魔道を最も得意とする彼女は、カイルよりも敏感に、漂う水の気配を察知していた。
「何か判るの? ファーには」
眉をひそめているファラシアの表情に気付き、カイルが彼女の顔を覗き込んだ。ノアも無表情の中にわずかな好奇心を滲ませて振り返る。
「うん……」
うなずきながらも、ファラシア自身もその気配の正体をはっきりとは判断しかねていた。確かに何かの術がこの辺りの水を支配していることは判る。実際、かなりの力を持つ魔道士であれば、地下深くに眠る水脈から水を強制的に引き上げることは可能だし、ファラシアにもできる。けれど、その力は魔道士が施しているものとはどこか異なる気がしていた。
彼女がこの辺りに派遣されたことはない。
つまり、少なくとも、他の魔道士の手に負えないような魔物の被害を受けたことがないということだ。
(それどころか、この街のことを聞いたことも、ないのよね)
胸の中でつぶやいて、ファラシアは首をかしげる。
これだけの規模の街なら、多かれ少なかれ、魔物に狙われることがあるはずで、そうなると魔道士たちの口の端に上って、いくら彼らとあまり交流を持たないファラシアの耳にも入ることになる――はずだ。けれど、それがない。
(魔物に襲われたことがない、とか?)
そんな考えがファラシアの頭をよぎり、すぐさま彼女はそれを打ち消した。きっと、街独自で自衛手段を持っているのだろう。その自衛手段が同時に水脈も確保しているのかもしれない。
もしもそれが魔道士によるものであるならば、もぐりの者か、それとも、『協会』と繋がっているかということになる。後者だとすれば、キアに入るのはあまり得策とは言えない。
その不安を口にしたファラシアに、ノアは異を唱えた。
「だが、私が以前訪れた時も同じように豊富に水があったが、魔道士はいなかったぞ。水を護っている魔道士がいるのならば、少しは住人の口に上るのではないか?」
「ええ……わたしも、魔道士の力とは何かちょっと違う気がするんだけど……」
なかなかこれといった判断を下せない女性陣二人に、カイルが現実的な意見を挟む。
「でもさ、水も残り少なくなってきたし、そろそろ補充しないとだよ。ヒトには水が必要なんでしょ? この次の水場は随分先になるし、やっぱりキアに寄らないとまずいと思う。一か八かで行ってみようよ」
人間にとって、水分補給は食事よりも大事なことだ。ノアによれば、キアの次の水場はやや離れていて、徒歩では七日はかかるらしい。
「仕方が無いな、キアに入ろう。ファラシアは……そうだな、この布でも被っておけ。ガルディアのような大きな街であればそうでもないが、人の少ない所では、お前の黒髪黒瞳はそれだけでも目を引く。この辺りでは強い日差しを避ける為にこういう布を被ることは良くあることだ」
ノアが投げてよこした布を広げて、ファラシアは言われたとおりスッポリと頭から被る。
「どうかな、ちゃんと隠れてる?」
「隠れてはいるけど……それで周りは見えているの? 危なくない?」
心配そうなカイルの言葉ももっともで、目まで隠そうとしたファラシアは鼻先まで布を下ろしていた。そんな彼女にノアが手を伸ばす。
「もう少し上げても大丈夫だ。目の辺りが陰になっていれば、それ程色は目立たん。髪は束ねてまとめてしまった方が良い」
言いながら、器用な手付きでファラシアの黒髪を三つ編みにし、クルリと団子を作った。戦い一辺倒のように見えたノアの意外な一面に、カイルが驚きの声を上げる。
「へぇ、上手だねぇ」
「仕事で王宮やら貴族の家やらに潜入することもあったからな。そういう時は侍女に化けるのが一番だった」
「……って言うと、もしかして、ドレスも着たりとかしたの……?」
ほとんど恐る恐るという声で訊ねたカイルに、ノアは何故そんなことを訊くのかと言わんばかりの顔で返した。
「この格好で侍女の振りができるわけもあるまい。雇ってもらうことすらできん」
複雑な顔で沈黙したカイルに、ファラシアは笑いながら言う。
「でも、ノアは美人だし……似合うんじゃないかな?」
ただし、美人は美人でも、華奢な貴婦人などとは質の違う美しさではあるが。
「まぁ、いいか。──キアが見えてきた」
「あ、本当。ゼン、小さくなってくれる?」
その言葉に従って縮まったゼンを抱き上げ、ファラシアはもう一度被った布がきちんと髪や目を隠しているかを確認した。この一枚の布が、ドゥワナには無い目と髪の色だけではなく、異質である自分の存在全てを隠してくれるような気がする。
「大丈夫だよね……嫌な感じはしないし……」
半ば己に言い聞かせるようなファラシアの独白に、腕の中のゼンが何か言ったかというふうに顔を上げた。
「何でもないよ。何でも……」
微笑んで、ゼンの背を撫でる。
確かに嫌な感じはしないけれども、妙に胸が騒いだ。
佇んだままのファラシアに気付き、もうキアに向けて歩き出していたカイルが振り返る。
「ファー? 置いてっちゃうよ」
そう呼びかけてから、カイルはファラシアの曇り顔に目を留め、眉根を寄せた。
「どうしたの? やっぱり、心配? なんなら、ファーはどこかに隠れとく?」
彼女のもとに戻ってきて、目を覗き込みながらそう訊いてくれるカイルに、ファラシアはほんの少しだけためらってから小さくかぶりを振った。はっきりしないものに対する不安はあるけれど、それ以上に、二人と離れるのは、嫌だ。
目立たないように、力を使わないようにすれば、なんの問題もないはず。ファラシアは自分にそう言い聞かせた。
「ううん、行く」
それでもまだ心配そうにしているカイルに笑いかけファラシアは、片手を差し出す。彼は片方の眉を持ち上げて、彼女をまじまじとみつめた。
「大丈夫、だよ。行こう」
「……だね」
カイルは小さく息をつき、ファラシアの手を取る。小さな手は、彼女は不思議なほどの安心感を与えてくれて、作った彼女の笑顔は、自然と本物になった。
(この手があれば、大丈夫)
カイルと共に一歩を踏み出しながら、彼女は、心の中でそう呟いた。




