どこまでも伸びる道
この国を出るにあたって、ファラシアたちはまず東西南北いずれに向かうのかを決めなければならなかった。
ドゥワナは、東方でタンケイとチャムスキー、西でグレイスターヌ、南でハンダ、北でウフタボルタと、接している。当然その国を越えた先にもまた別の国があるわけだけれども、ドゥワナを出るには、取り敢えずこれらの国のどこかには入らなければならない。
いずれの国にも足を運んだことのあるノアが、各々の国について薀蓄を述べる。
「タンケイとウフタボルタはある意味似ていて──やや排他的な国だな。地域によっては異国の者は迂闊に外を歩けないようなところもある。その反面、一度馴染んでしまえば非常に暮らしやすい所でもある。
チャムスキーは……そうだな、雑多な国、というよりは街といった感じだ。小さい国だが人口は多い。ほとんど娯楽施設のみで成り立っているような所で、国の収益は大部分が観光客の落とす金だ。はっきり言って、定住するには向かない。ただ、その分、全てを受け入れる国でもあるから、お前のように特殊な力を持つ者には良いかもしれん。
ハンダは、長閑な国だな。宗教が生活の全てを支配しており、目に見えぬ神が王と言っても良い。あそこでは魔道士は呪術師と呼ばれ、神の力を借り受けた者として特殊な地位にある。魔道士だと公言すれば下にも置かない扱いをされるから、普通の人間として暮らしたいのならば、魔力は一切隠さなければなるまい。
グレイスターヌは国土も広く、人種も様々だ。海に面しているから、他の大陸へ渡りたいのなら、この国へ向かうのが一番手っ取り早い。良くも悪くも『拘らない』国だから、出入りが最も容易だな。国籍を取ることも、他のどの国よりも簡単だ」
話し終えたノアは、後はお前の決めることだとばかりに口を噤む。
けれど、淡々と各国の特徴を述べられても、これまで外の国というものを想像すらしていなかったファラシアには、ドゥワナ以外にいる自分の姿など想像することすらできない。
「……えぇと、ノアはどの辺りがお薦めなのかな……?」
自分の事なのに自分で決められない情けなさを噛み締めて、ファラシアはおずおずと訊ねた。ノアは彼女に、いつもと変わらぬ生真面目な──心の内を読ませない顔を向ける。
「どの国も良い所ばかりではないし、悪い所ばかりでもない。それに私はどの国にも行ったことはあるが、そこで生活したことは無い。お前に『この国ならば薔薇色の人生を送れる』と言うことはできない」
と、素っ気ないばかりだ。
「そっか……」
ファラシアは他の同行者にもチラリと目を走らせた。ゼンは元より、カイルも黙って、ファラシアが決めるのを待っている。彼女の決定に全面的に従うと言わんばかりだけれども、これまで『協会』に命じられるままに行動してきたファラシアにとって、何かを自分で決定するというのは容易なことではなかった。
「言われたことをやれば良いっていうのは、実はとっても楽な生き方だったのね」
苦笑を浮かべてファラシアは言う。けれど、『楽だ』ということが『楽しい』ということではないということは、彼女自身、今ではよく解っていた。
自分の生きる道を自分で決める。
それはとても難しく苦しいことで、同時に、とても楽しいことだった。
「グレイスターヌに行ってみようかな。そこから始めて、色んな国を見て回るっていうのも、いいかもしれない。諸国遍歴って、やってみたかったんだ、本当は」
晴れやかな笑みを浮かべてファラシアは言う。カイルにもノアにも、その笑顔が心の底からのものであることは伝わっていた。
「僕は何処までも付いていくからね」
「お願いね」
にっこりと、ファラシアが吹っ切れた笑顔を向けると、カイルがポカンと目を丸くした。
「カイル? どうかした?」
ファラシアの声に、惚けていたカイルが正気に返る。
「いや、ファラシアがそんなふうに笑ってくれたのって、初めてだったから。思わず見惚れちゃったよ」
真顔でのカイルの言葉に、ファラシアは心持ち顔を赤らめる。
「いやね、しょっちゅう笑ってるじゃない」
「そうだけど……何か今までと違うんだ。うーん、うまく言えないな。何か……そう、光ってる感じ。眩しかったんだ。いつも、そんなふうに笑っていて欲しいな」
それこそ全開のカイルの笑顔に、ファラシアはどぎまぎする。『年下なのに』といういつもの言い訳は、もう随分前から利かなくなってきていた。
出会ったころからの約束を覆すことなく、カイルはずっとファラシアの傍にいてくれた。もちろんそれは、ノアとゼンも同じだ。
ノアは、常にファラシアとは一定の距離を保っているけれど、必ず傍にいてくれる。
ゼンは、大きな身体でファラシアを包み込んで、心を癒す温もりを与えてくれる。
――カイルは、その両者とは違っていた。
ノアもゼンも物言わず、寄り添うだけ。確かに、ただそれだけでも、ファラシアが大いに慰められてきたのは揺るぎない事実。
けれどもカイルは、ふとした拍子に沈みこむファラシアを、時に笑わせ、時に叱咤し、時に怒らせた。そんな彼に、彼女は落ち込んでいることもできなくて、自然と顔が上を向いた。
無理やりついてきたはずのカイルは、いつしか、ファラシアの中に大きな位置を占めるようになっている。多分、もう、失うことができないくらいに。
自分は、間違いなくこの少年に友情以上のものを抱き始めている。ファラシアはそれを充分認識していたけれど、否定できない事実を受け入れることができないのは、やはりカイルの外見のせいかもしれない。
対応しきれない間を持て余してゼンの毛皮に手を伸ばしたファラシアを、カイルはあの大人びた笑みを浮かべて見詰める。その視線が何故か苦しくて、ファラシアはより一層深く顔をうつむけた。
居心地は悪いのに何故か壊す気になれないその空気を、ノアの冷静そのものの声が震わせる。
「行き先も決まったことだし、そろそろ出発しよう。ここはドゥワナでもかなり東の方だからな。西のグレイスターヌへ抜けるには、この国を横断するぐらいの気持ちで行かなければ」
突然目の前にぶら下げられた現実に、ファラシアはキョトンとノアを見詰めた。
これまで、仕事の時は先行している『協会』の魔道士が付けてくれる道標を目印に転移の術を使って移動することが多かったから、ファラシアの頭の中にはドゥワナの地理はほとんど入っていないと言ってもよい。馬で移動するのは知った場所――都とサウラの往復くらいで、そのサウラの村がドゥワナの何処ら辺に在るのかということさえ、気にしたことがなかった。
豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしているファラシアに、カイルが地面に簡単な地図を描いて説明する。
「ここが都。で、都の南の方に僕とファラシアが出会ったガルディアがある。このガルディアからほとんど真東に行った所に君の住んでいたサウラの村があって、これから行こうとしているグレイスターヌは、都を挟んで丁度サウラと正反対の方向なんだ」
「……じゃあ、わたしはよりにもよって、一番遠い所を選んじゃったっていう事?」
「まあ、そういうことになるかな」
気軽な自分の選択が実はかなり大変なものなのだと知らされ、ファラシアは呆然とする。
ただただ地面に描かれた地図を見詰めるばかりのファラシアの髪を、チョイチョイとカイルが引っ張った。顔を上げると、愉快そうな彼の眼差しが彼女の目を覗き込んでくる。
「いいじゃない。そこに行くまでの過程を楽しめば。この間はファラシアが力を使いさえしなければ大丈夫だって油断していたからあんなことになったけど、記憶を使った捜索の術って、回数を重ねる毎に不正確になっていくんじゃなかったっけ? これからは、ファラシアが力を使わなければ、そうそうあいつらに居場所を知られるってことは無いんじゃないかな。ちょっとぐらいゆっくり行っても大丈夫だよ」
そう言って、彼は、でも、力を使うのは厳禁だけどね、と念を押す。
「そうだけど、でも……」
「大丈夫、大丈夫。一つ一つ経験して、色々覚えていこうよ」
幼い子どもに言い聞かせるようなカイルの言葉に、確かに、本当に何も知らなかったのは自分の方なのかもしれないと、ファラシアは思う。『協会』の下にいた自分であった頃は、こんなふうには考えられなかった。
己が子どもであることを悟った時が、真に大人と成れた時だ、と言ったのは、いったい誰だったろう。
自分の未熟さを痛感したというのに、ファラシアの心は不思議と軽い。
今まで、単に並外れた魔力を持っているからというだけで、ファラシアは周囲から一人前のように扱われてきた──カイル程の年の頃からだ。
けれど、実際はどうだったのか。
言われるままに国内の各地へ赴き、『協会』の命じるままにその魔道力を行使してきた。この年になるまで、何かを決定する時、己の頭を使ったことはいったいどれ程あったことか。
ファラシアのそんな心を読んだかのように、立ち上がったカイルが朗らかに言う。
「遠回りでも何でも良い。ファーが自分で決めたって事が大事なんだ」
彼はニコリと笑い、そして、ファラシアに向けて真っ直ぐに手を伸ばした。彼女がそれに手をのせると、思った以上に強い力で、ギュッと握られる。
「行こう、ファー」
誘いにうなずき、ファラシアは立ち上がる。そうして、真っ直ぐに前を見つめた。
今、見渡す先に広がるのは、無限の可能性。
そこには不安もあるけれど、それよりも大きな希望がある。
二本の足でしっかりと踏み締めて、確かな大地が自分の下に存在する事が、初めて実感された。




