厄介な敵
クリーゲルと別れた翌日、ドゥワナを後にする前に、最後にもう一度だけサウラの村に寄りたいと、ファラシアはノアに訴えた。どうしても、逢っておきたい人がいるから、と。
当然、ファラシアの故郷であるサウラには『協会』の手が回っているだろう。村に足を踏み入れる前に、追っ手に取り囲まれてしまうかもしれない。
だが、それがどんなに危険なことか重々承知の上で、やはりどうしてもリーラとカヤにだけは別れを告げておきたいのだと、ファラシアは両手を固く握り合わせてノアとカイルに懇願してきた。
彼女にしては相当渋い顔をしながらも、ノアはそれを受け入れた。ファラシアの望みをできる限り叶えることが、彼女の任務のうちの一つになっているから。
一方、カイルの方はと言えば、サウラの村の影がちらついてきた今になっても、未だに納得していない。
「ファーがどうしてもって言うからしょうがないけど、僕は、本当は反対なんだからね。いい? もしあいつらが来たら、今度はちゃんと闘うんだよ? 躊躇ったり、遠慮したりしないで」
サウラに近付くほどに増えてくるカイルの小言は、多分半分もファラシアの耳に届いていない。そんなものよりも、彼女は、一歩毎に近付いてくる懐かしい気配に気もそぞろなようだった。
「あっ、ほら、見えてきた」
そう言うなり走り出したファラシアの後を、猫ほどの大きさになったゼンが慌てて追いかける。残されたカイルとノアは、やれやれと言うように顔を見合わせた。故郷と呼べるほどのものを持たない二人には、ファラシアの喜びようが今一つ理解できない。
「なんだかなぁ」
カイルはぼやきつつ、周囲を警戒する。
サウラの近くまで転移の魔道で移動してからほぼ丸一日徒歩で移動しているが、幸いというか、不気味なことにというか、今のところ『協会』の追っ手の気配はない。転移の魔道は出発点で発動させるときには魔力を発散させるが、到着地点ではそれがない。そのため、ファラシアの力を察知されて追跡される危険はないはずだが、サウラの近くに見張りは残されているだろうと、ノアもカイルも予想していた。
しかし。
カイル同様、辺りの気配を探って軽く首を傾げていたノアが、微かに目をすがめて言う。
「追っ手はいないようだな」
「ま、普通は、戻るとは思わないよね」
肩をすくめたカイルはそう返して、ため息をついた。その眼は、軽い足取りのファラシアの背中に注がれている。
「なんかなぁ、もう、この間までの落ち込みようが嘘みたいだ。子どもみたいにはしゃいじゃってさ」
落ち込んでいるファラシアをずっと見てきたカイルにとって、彼女が喜んでいるのはとても嬉しいのだが、現在の状況を考えると、その能天気ぶりに呆れてしまうのもまた正直なところだ。
ファラシアが元気になったのは嬉しい。けれども、状況をわきまえてもう少し深刻になって欲しい。
「何だか、心配していた僕が馬鹿みたいだ」
複雑な心境を漏らすカイルの肩を、ノアが叩く。
「落ち込まれているよりはいいのだろう? それとも、延々、泣いてすがられていた方が良かったか?」
「そんなことはないけどさ」
年齢相当の少年らしく、カイルは口を尖らせる。相も変わらず無表情なノアの言葉は、それがからかう為のものなのか、それとも何の裏も無いものなのか判断するのは難しい。
カイルはトトッと数歩先に行き、クルリと振り返って後ろ向きに歩きながらノアを睨む。
「……ちぇ、意地悪だな、ノアは。判っているくせに」
そう言って、照れ隠しのようにカイルは高く晴れ渡った空を見上げた。翳りのない青空こそ、ファラシアに良く似合う。
「ちょっと、悔しいだけだよ。故郷とか何とか、そんな曖昧なものに負けちゃったってことがさ。でも、僕の励ましもちょっとは効いてたよ、きっと」
カイルは、願望半分、自信半分で、そう言った。
そこへ。
「ちょっとじゃないのよ?」
「え!?」
突然響いてきた予想外の声に、上を見ていたカイルは危うくひっくり返りそうになる。それを受け止めたのは、とっくに先に行ったと思っていたファラシアだった。そのまま後ろから両腕を少年の細い身体に回し、ギュゥと抱き締めてくる。
「いやね。いくら何でも、村に帰れるっていうだけで全てがすっ飛んでいってしまうほど、わたしは単純じゃないわ。カイルがずっと元気付けようとしてくれていたから、村に着いたことをこんなに喜べるのよ」
屈託のない声でそう言ったファラシアの柔らかな身体の丸みを背中で感じ、カイルはまた別の思いを含んだ溜め息を零す。
「まったくね。こういうことを平気でしちゃうってことは、僕を一人前と見ていないからなんだよな」
小声でぼやいたカイルを、ファラシアが覗き込む。
「何て言ったの?」
「何でもないよ。ただ、ファラシアは子どもだなぁって」
そう言って笑ったカイルから、ファラシアは口を尖らせて離れる。
「カイルの方が子どもでしょう。……時々、凄く大人びているけど……でも、わたしの方が年上なのよ」
「そんなふうに拗ねるから、余計子どもっぽく見えるんだよ」
更に笑みを深くするカイルに、ファラシアはより一層頬を膨らませた。
「もう、知らない。一人で大人ぶって!」
ぷいと背を向け、村へと走り出す。やりすぎたかな、と思いながらも、ファラシアの背中を見送るカイルはクスクスと笑いを漏らす。そんな少年を、ノアは横目で見遣った。
「あいつは根が素直なのだから、あまりからかってやるな」
「う~ん、判っているんだけど、つい……」
そう言ったカイルは口元を手で覆い、やや反省の色を見せる。
「僕も、僕の種族のうちじゃぁ、まだまだ子どもの内に入るから、素直に愛情を示せないのかなぁ」
惚けるようにそう言うカイルに、ノアは特に何の合いの手も入れず、さらりと聞き流しただけだった。そんな彼女の顔を、カイルが覗き込む。
「ノアってさ、どこまで知ってるの?」
「どこまで、とは?」
「そう、そういう返しも、何かね。達観している感じ。色んな事を全てお見通しで、それを知らないふりしているっていうふうに見える。僕が何なのか、ファラシアが何なのか、本当は全部解っているんでしょ?」
訊ねるというよりも確かめるという口ぶりでそう言って、カイルは小首をかしげた。無邪気を装うその眼差しが、老獪な輝きを放つ。心の奥を見通そうとする彼のその視線を、ノアは泰然と受け止めた。
「お前が何なのか、か? 私は特殊な力を一切持たないただの人間に過ぎない。そして、ただの人間に物事を真に見抜くことなど、まずできん」
「そうやって、惚けるのは……」
ずるい。
そう言おうとしたカイルに構わず、ノアは続ける。
「だがな、ただの人間にも、物事を推察するということはできる。様々な経験も重ねてきたことだしな。だから、お前たちがどんな存在なのかということの、大体のあたりは付いている」
「じゃあ、解ってて、何で付いてくるの? ファラシアは『協会』の人間が全員でかかってきても負けないぐらい強いんだって事も判ってるんじゃないの? 本当は、あなたの助けなんて、必要ないんだって」
瞬きを一度して窺ってくるカイルに、ノアの眼が微かに陰った。
「『強さ』か。まあ、確かに、ある方面では強いかもしれん。だが、私にはファラシアは物知らずで弱い、ただの娘に見える」
「弱い? ファラシアが?」
まさかぁ、と笑い飛ばさんばかりの声を上げたカイルとは裏腹に、ノアの顔は深刻な色を帯びている。
「あの娘は、弱い。『孤独』という、化け物にな。その弱さ故に、彼女はとても危うい。このままでは、いつ暗い淵に転がり落ちるか判らん」
「『孤独』……」
カイルは立ち止まり、ノアの言葉を繰り返した。彼にうなずき、ノアは考え込むような口調で言う。
「あれは一番厄介なものだ。私やお前にはほとんど無害だが、ファラシアのような娘には、何よりも手強い相手になる」
そう言って、ノアはファラシアが走って行った──サウラの村へと視線を送る。そして、つぶやいた。
「何よりも、厄介な敵だ」
ノアの眼に滅多に浮かぶことのない案じる色に不安を覚え、つられるようにして、カイルは彼女の眼が向けられている方を見つめた。
その先にあるものは、こじんまりとした、のどかな村だ。
平和そのものの。
けれど、微かな翳がそこを覆っているような気がして、カイルは、ふと眉をひそめた。




