約束
目を開けて、入ってきたのは四つの顔。
クリーゲルとノアとカイルとゼン。
ボウッとしながらもその四つが同時に並んでいることに違和感を覚えて、ファラシアは眉をひそめる。
と、そのうちの一人、カイルがパッと顔を輝かせて歓声を上げた。
「ファー、良かった。気が付いたんだね」
覆い被さるようにして抱き付いてくるカイルを反射的に受け止めたファラシアだったけれども、とっさには自分の置かれている状況を思い出すことができなかった。
幾度か、目をしばたたかせ。
「カイル……? 何が──そうよ、師匠は!?」
唐突に覚醒した頭が、意識を失う直前の事態を復元する。首を廻らそうとして、ファラシアは自分の身体を支えている力強い手が誰のものなのかに気付いた。
パッと振り返り、そこに笑みを含んだ温かな焦げ茶の目を見る。
「よぅ」
そのたったの一言が、どうしようもなくファラシアの胸を締め付ける。
「師匠……わたし、間に合った……」
震える唇で、ようやくそれだけ言った。堪えきれず、大粒の涙が頬を転がり落ちる。
見慣れた微笑が、ファラシアを見下ろしている。二度とは見られないと思っていたその笑顔に、彼女の頬がしとどに濡れた。
「師匠……師匠……会いたかった、です……」
彼女を包み込んでいる腕の中で身をよじって向きを変え、錆臭いのも気にせず彼の長衣を握り締めた。
「おいおい、せっかくの再会に泣くんじゃねぇよ」
苦笑混じりにそう言って、クリーゲルがファラシアの涙を拭う。
「ごめんなさい……でも、止まらないんです」
「まったく、こいつは昔から、すぐにべそべそ泣きやがる。ああ、俺はクリーゲル・デル・ファーム。こいつの養い親兼師匠だ」
しゃくり上げるファラシアの背中を撫でながら、クリーゲルはカイルとノアに、仕方がない奴だろ、と目顔で言う。対するノアはいつも通りの無表情でクリーゲルに会釈を返し、カイルは時折見せるあの妙に大人びた顔で微笑みながら、何とか涙を止めようと四苦八苦しているファラシアを見つめていた。
「ファーは、僕たちの前じゃ、こんなふうには泣いてくれないんだよなぁ」
少々物足りなさそうにつぶやいたカイルに、クリーゲルが苦笑で返す。
「妬かないように。俺はこいつの父親みたいなもんだからな」
「うーん、僕も肉親扱いされるのはいやだから、まあ、いいか。あ、挨拶が遅れましたが、僕はカイルっていいます。ファラシアとは末永くお付き合いさせてもらおうかと……」
「ちょっと、カイル! また──」
泡を食って起き上がった拍子に立ちくらみを起こしたファラシアは、皆まで言い終えることができずにへたり込み、再びクリーゲルに抱き起こされる羽目となった。
「ファラシア、完全に治したわけじゃぁないんだから、あまり無理はするなよ。で、そちらの美人は?」
ファラシアの顔を覗き込んだクリーゲルは呆れたようにそう言うと、ノアへと視線を転じた。彼女はクリーゲルの眼を真っ直ぐに見つめ返して答える。
「私はノア──傭兵だ。訳あってファラシアに同道することになった」
「ノア──?」
彼女の名前を繰り返したクリーゲルが軽く首を傾げた
「それは本名かい? 貴女にはザルク地方の訛りがあるように思えるが」
クリーゲルの言葉に、ノアは特に気分を害した様子もなく答える。
「クリーゲル殿は耳が良い。確かに育ちはザルク地方だ。しかし、私はノア、それだけだ。名を偽ってもいない」
「へぇ……変わってはいるが、まあ、ヒトそれぞれだしな」
そう言って、クリーゲルは肩をすくめてうなずいた。二人だけで解り合っている会話に全く付いていけず、ファラシアはクリーゲルとノアを交互に見遣る。その視線に気付き、ノアが言葉を足した。
「お前の師匠は随分あちらこちらを回ったと見える。『ノア』とは、私が子どもの頃を過ごした地方では『否定』の意味を持つ。そういう言葉を名前に付ける親は珍しい、と彼は言いたいのだろう。──ああ、そうだ。クリーゲル殿はこういう石が採れる地域を知らないか?」
思い出したようにノアが取り出したのは、ファラシアの国では見たことのない、虹色をした美しい宝玉だった。小指の先ほどの小さなものだったが、信じられないほどの輝きを放っている。
「どれ、見せてくれるかい?」
クリーゲルは片手を伸ばしてノアが差し出すそれを取った。横から覗き込んだカイルが感嘆の声を上げる。
「へえ、奇麗だねぇ。僕も結構あちこち行ってみたほうだけど、こんなの見たことないや」
「確かに見事なもんだ。だが、俺も初めて見るな。蛋白石に似ているが、あれよりももっと虹色が濃いな。これほどはっきり七色に輝いているものは、見たことがない」
「そうか……」
「それは何処で?」
クリーゲルが石を返しながら尋ねる。石を受け取ったノアは、再びそれを懐深くにしまい込む。素っ気無いその様子は、諦めているというより、たとえどんな答えが返ってきても諦めることができないから、というふうに見えた。
「これは、私の母が持っていた唯一の物らしい」
「らしい、と言うと──」
「ああ、母は死んだ。私を産んだときだと聞いている。だから、私の名前は母の最期を看取った村長が付けたものだ」
「へぇ、それで『ノア』って? 『お前は余所者』って、目一杯主張している名前だよね」
ノアの表情から察するに、肩をすくめたカイルの感想と彼女の胸中とは、あまり大きくは異なっていないようだった。
無遠慮な少年の脇腹を、ファラシアが小突く。時々、妙に『ヒト』というものに対して厳しい見方をするカイルに、彼女は今一歩、近付くことができない。
ファラシアはノアにだけでなくカイルにも何かを伝えたいような気がして、口を開く。
「違うわ、カイル。きっと、そうじゃないと思う」
「違うって、何が?」
きょとんとしたカイルにはチラリと視線を送っただけにして、ファラシアはノアの目を覗き込んだ。うまく言葉を選べるか不安を覚えながらも、ゆっくりと説明する。
「きっと……そう、村長さんは、ノアがその村に縛られることのないように、その名前をつけたんじゃないかな」
「縛られないように?」
微かに、ノアの眉根が寄った。いぶかしむような、問うような、そんな彼女の眼差しに促されてファラシアは言葉を足す。
「うん。自分を育ててくれたんだっていう義理なんかに雁字搦めにならないように、『お前は誰のものでもないんだよ』って、そういう気持ちで付けてくれたんじゃないのかな」
自分の言いたいことがちゃんと伝わっているかどうか自信がないまま、ファラシアはノアの腕に手を添えて言葉を尽くした。
この達観した女性が今更名前の意味などという些細なことを気にしているとは思えなかったけれど、それでも、カイルが言うような理由から命名されたのだとは思って欲しくなかった。
名前というものは、この世に生まれて最初に受け取る贈り物だと、ファラシアは思っている。ファラシアの名前はクリーゲルがつけてくれたもので、『光り輝くもの』という意味を持つ。黒髪黒目の彼女にどうしてそんな名前を付けたのかと尋ねても彼はただ笑うだけで答えを教えてはくれないけれども、クリーゲルがくれたこの名前は、彼女にとってかけがえのない宝物だ。
ファラシアの言葉を反芻しているように、ノアはしばし口を閉ざす。
そして。
「そういう取り方もあるかもしれないな」
軽く首を傾げて、その目に薄く新しい発見をした色を浮かべたノアがうなずく。完全に同意したというわけではないようだけれども、ファラシアの説を頭から否定する気持ちはないようだった。
「きっと、そうなんだと思うわ」
確信を持たせるように深くうなずいたファラシアに、カイルが心底呆れたといわんばかりに溜め息をつく。
「ファーはやっぱり甘いなぁ。そういうふうに人を信じてばかりいると、いつか泣かされる羽目になるよ」
可愛らしい夢ばかり思い描いている幼い子どもを見るような眼でのカイルの台詞に、クリーゲルは苦笑混じりに同意する。
「こいつは育ちが平和だったからな。もう、刷り込まれちまってる。十や二十の裏切りじゃぁ変わらんだろうよ」
そして、思い出したようにゼンを振り返った。
「ああ、そうだ、お前。言いそびれてしまっていたが、約束を守ってくれてありがとうな」
クリーゲルの言葉に、ゼンがうなずくようにゆっくりと瞬きをする。そして、若干申し訳なさそうに、しゃがれた声で小さく啼いた。
「気にするなよ。俺もちょっと距離を見誤った」
まるで言葉を交わし合っているかのような遣り取りだけれども、ファラシアはさっぱり訳が解からない。横を見ると、カイルとノアもいぶかしげな顔をしていた。
ファラシアは、首をかしげてクリーゲルの言葉を繰り返す。
「約束?」
眉根を寄せた彼女を、養い親は澄ました顔で見下ろしてきた。




