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いつか叶う約束  作者: トウリン


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響き渡る絶望の声

 ノアはほんの一瞬ファラシアに目を遣った。

 現時点での主である彼女の望みは、追っ手を傷付けないことだ。

 だが、残念ながらその希望をかなえてやることはできなそうだった。


 剣と弓の使い手は、確かにそれなりに腕は立つが正直ノアの敵ではない。その気になれば、数太刀で終わりにすることができる。が、それも、『怪我をさせない』という条件が付いていなければ、の話だ。

 体力的な点からは、時間をかければこちらの方が有利だと思う。なかなかやれるといっても所詮は魔道士、戦闘を生業としているノアに敵うはずがない。技量的にも体力的にもノアが有利で、遠からず彼らの動きは鈍ってくるだろう。

 過信ではなくそう確信する彼女は、しかし、この戦闘が始まってからずっと妙な胸騒ぎを覚えていた。


 早くケリをつけた方がいい。


 戦士としての勘は終始ノアにそう訴えている。

 だが、目の前の敵の腕の一本を切り落としてでも戦力を削がなければ、結界を張っていると思しき男の元へ辿り着くこともままならない。そう見て取り、ノアは気合を入れ直す。


 数本の短剣を放って相手を牽制したノアは手に入れたその一瞬の間で剣を腰に戻し、両腕を一振りして籠手に仕込んだ刃を飛び出させた。彼女が最も得意とするその武器は、標的への接近を必要とするが、より正確且つ強力な攻撃が可能となる。

 地面を蹴って剣を携えた男との距離を一気に詰めたノアは、左方からの攻撃で虚を突き、そのまま同じ流れで右腕の刃で彼の左足を狙った。


 男が罵りの声を呟く。

「くそッ」


 半ばよろめきながら彼はとっさに飛び退くも、完全にはかわしきれていなかった。男の長衣の裾と少しばかりの腿の肉を引き裂く感触がノアの腕にも伝わってきたが、それが戦意を奪うには不十分なことも同時に判った。


「イオザード!」

 女の声が男の名を呼び、間髪入れずに矢がノアを襲う。それを打ち払ううち、男はノアと数歩分の距離をとっていた。

 両者共に不満な状況で舌打ちを漏らしたのは男の方だ。痛みは堪えることができても、失血による脱力は己で制御できるものではないだろう。ノアは男を一瞥し、べったりと濡れそぼり足にまとわりつく長衣から、出血の量を推し量る。長くはもたないはずだ。


 このまま一気に押し切ってやる。


 地を蹴り男へ迫るノアを、再び彼の背後から放たれた矢が牽制する。しかし、ノアは事も無くそれらを籠手で受け止め、代わりに、そちらに向き直ることなく短刀を投げ付けた。

 自分の放った矢がそのまま反射されたかのようなその返しに、女がとっさに手にした弓をかざすことで身を護ろうとしたのが視界の片隅に映る。女にとって幸運なことに盾としてはいささか心もとないそれが望んだ役目を果たしてくれたようだったが、ノアにとって幸運だったのはその当たり所だった。空気を震わせるような鋭い音と共が、闘いの喧騒の中でもはっきりとノアの耳に届く。


 次いで。


「切れちゃった……」

 女の小さなつぶやき声。

 が、彼女は即座に立ち直り、速やかに戦線復帰すべく新しい弦を取り出した。


 彼女があれを張り替える前に、片を着ける。

 ノアが拳を握り締めた時だった。


「クリーゲル、いったい何を……!」

 上擦ったその声は、ノアが対峙している二人が発したものではない。彼らも背後を振り向き、その出どころを見つめていた。

 戸惑いと驚愕が半々に含まれている声はゼンと闘っている男が放ったものだ。ノアもそちらを見たが、状況が今一つ掴めない。


 追っ手はノアとゼンとで挟み撃ちの形になっているから、必然的にゼンの相手――炎使いの魔道士はノアに背中を向けていた。その向こうに、ゼンが足を踏ん張っている。


 そこまでは、いい。


 が。


 魔道士とゼンを結ぶ直線上の丁度真ん中に、剣を手にしたファラシアの養い親クリーゲルが立っている。しかし、その構えはいかにも素人臭く、俊敏なゼンの動きに追い付くことができないことは一目瞭然だった。


「どけ、クリーゲル! そこに立たれちゃ、炎が撃てねぇ!」

 待機中の炎を両手の間に留めたまま、魔道士が吠えた。それを背中で聞き流すクリーゲルの表情を見ることができたのは、唯一彼の前に立つゼンだけだ。金色の目を輝かせている化け猫が目の前の闖入者をどのように思っているのかを察するのは、困難だった。


「ゼン、お願い、師匠を傷付けないで……!」

 攻撃態勢を崩さぬまま、長い尾を揺らすゼンに、ファラシアがほとんど悲鳴のような声で訴えた。その叫びにやや怯んだかのようにゼンが一歩後退ったが、それを追いかけるようにクリーゲルが数歩を踏み出した。


 ゼンであればほんのひと跳びで到達してしまうであろう程度まで縮まった、彼とクリーゲルとの距離。


「クリーゲル、邪魔だ! 退けと言っているだろう!?」

「師匠……師匠! 止めてください──下がっていてください!」

 異なる二つの口から発せられたその声量は、双方とも充分な筈だった。しかし、同僚の叱責も養い子の泣き声も、クリーゲルを退かせることはできなかった。


 業を煮やした魔道士が、苛立たしげに舌打ちをする。その心境を映したように、彼の手の中で炎の塊が火花を散らした。これ以上それを手の中に留めておくことはできそうにない。

 意を決したように魔道士が一歩横に動き、次の瞬間、一か八かでクリーゲルの前へ出ようと走り出す。下手をすればゼンの攻撃を喰らうことになるが、何もしないままでは事態を好転させることもできない。


 魔道士がクリーゲルとの距離を半分まで詰めた、その時だった。


 それまでためらうように足踏みしていたゼンの、突然の跳躍。

 魔道士の手から放たれた、炎弾。


 ゼンの爪が空気を裂いて振り下ろされるのと炎の弾が白銀の毛皮に触れるのとは、一呼吸分のずれがあっただけだった。


 肩から脇腹を真っ直ぐに切り裂かれくずおれるクリーゲル――そして、次の瞬間紅蓮の炎に包まれた、ゼン。

 それらを大きく見開いた目でつぶさに見ていたファラシアの喉から迸った悲鳴は、肉声だけではなかった。

「いやぁあ!!」

 

 その声が響き渡ると同時に、ノアの頭に、鋭い刃を突き立てられたかのような痛みが走る。


「クッ」

 思わず彼女は地に膝を突いたが、他の者も同じ衝撃を受けているのがその表情、強張った身体から見て取れた。

 そしてそれは同時に、五感を閉ざして結界の術にのみ全身全霊を尽くしていた魔道士にも同様の影響を及ぼしたようだった。

 誰一人指一本動かした者はいないというのに、薄い硝子が砕け散るような音があたりに響く。


「しまった……!」


 その声は、誰が発したものだったのか。


 刹那、周囲に激しい風が吹き荒れる。


 舞い上がる砂塵に、ノアはこらえきれずに目を閉じた。


 それは、長い時間ではなかった。

 多分、一度息を吸い、吐くほどの間程度。

 その一瞬ののち、服を、髪を、縦横無尽になぶっていた風が、ふつりと消え失せる。


 眉間にしわを寄せながらノアが再び目を開けた時、そこに見えてきたのは、ファラシアと、ゼンと、カイルと――そして、血に塗れ大地に横たわるクリーゲルの姿だった。


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