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いつか叶う約束  作者: トウリン


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21/44

未練と迷いと

 意気揚々と弾むような足取りのカイルを先頭にしてガルディアの大門をくぐり抜け、街を取り囲む塀が見えなくなるかどうかというところまで足を進めたころだった。


 ふと、カイルが足を止める。


「カイル――?」

 彼に追いつきその顔を覗き込みかけて、ファラシアはハッと顔を上げた。そして、身体を強張らせて宙を凝視する。ほぼ同時に、彼女の右手でゼンが不機嫌そうな唸り声を上げた。

 緊張を走らせたファラシアたちに、一人何も気づかずにいるノアがいぶかしげな眼差しを向ける。

「どうした?」

「お客さんみたい」

 ファラシアに代わって答えたのはカイルで、彼の視線は一点に注がれていた。

 彼だけでなく、ゼンもファラシアも見つめるその先で大地が仄かな光を帯びる。と思った傍からその光は明確な形を取り始め、やがて精緻な紋様がそこに浮かび上がった。

 その円陣の紋様を読み解かなくても、ファラシアにはそれが何なのかが解る。

 転移の魔道、だ。

 ついに『協会』の追っ手に追いつかれたのだ。


 この状況は、いずれ必ず訪れる――それはファラシアにも判っていた。

 けれど、この術を完成させるためにはある条件が必須で、それが満たされることはないのではないだろうかと、心のどこかで彼女は期待していたのだと思う。その最後の欠片となるもの、つまりファラシアについての記憶を一番色濃く有する人は、きっと最後まで彼女の味方でいてくれると、そうであって欲しいと、願っていたから。


 一同が見守る中、円陣の中心に人影が生まれる。

 一つ、二つ――合計、五つ。


「来た……!」

 喉を引き攣らせてそう呟いたファラシアには、今にもそこに姿を現そうとしている追っ手の中に慕わしい人の気配が含まれていることをはっきりと感じ取っていた。

「ファー、逃げなくていいの?」

 あまり緊迫感の無い声でのカイルの問い掛けに、ファラシアは咄嗟に答えを返せない。

 逃げなければいけないということは解っていたけれど、クリーゲルの姿を一目見ておきたいという気持ちを黙らせておくこともできなかった。

(大丈夫、いざとなったら、すぐに転移で逃げられるし)

 ファラシアも、その魔道を用いることができる。彼女が操る他の魔道と同様に瞬時に発動させることが可能で、触れていさせすればノアやゼン、カイルたちを連れていくこともできる。

 魔方陣を必要とする追っ手の特殊魔道士を振り切ることなど、雑作もない。

 それは過信ではなく、単なる事実だ。至極明確な。


(これがカイルの言う驕りなのかな)

 脳裏をよぎった、昨晩ファラシアに突き付けられた少年の糾弾の言葉。

 彼女をそれを頭の奥に追いやり、輝きを放っている大地を見つめてその場にとどまった。

 きっとカイルには何か言いたいことがあったのだろうけれども、結局口をつぐんだままで肩をすくめ、彼女が見ているものに目を移す。

 と、二人の遣り取りの行方を窺っていたかのようにノアが動き、ファラシアの横に立った。次いでゼンが身を一振りして、本来の大きさに戻る。

 どちらも、臨戦態勢だった。


 ふと、ファラシアの胸に嫌な予感が閃く。

 何か、取り返しのつかないことが起きそうな、予感が。


 ――今すぐ、逃げるべきかもしれない。


 そんな考えが彼女の頭をよぎったけれど、その時には、もう遅かった。

 ファラシアたちの目の前で光の渦は見る見るうちに地面に吸い込まれていく。吸った息を吐き出すより早くその光が完全に消え失せた時、そこには人影が五つ佇んでいた。

 うち、三人はファラシアも面識がある人物だ。

 一人は、もちろんクリーゲル。彼女が慕ってやまない養い親。

 そして、ディアン・ソル・グレイシャと、ルーベリー・ソル・ダム。この二人は、幾度かの任務の際に顔を合わせたことがある上級魔導士だ。ファラシアは他の魔導士が対処しきれない事態に対して派遣されることが多々あって、ディアンとルーベリーとも、そういった状況で接点があった。ディアンが得意とするのは水系、そしてルーベリーは炎系だ。

 残りの二人は、男性と女性だ。たった今まで手をつないでいたかのように寄り添っている彼らは、通常魔道の力は弱いようだけれども、どうやら特殊魔道の素質を持っているようだ。魔力の残滓から察するに、多分、女性の方が転移の魔道を用いたのだろう。となると、男性の方が追跡の術か何かを使ってファラシアの場所を特定したのかもしれない。どちらも顔に見覚えはある気がするけれど、名前までは知らなかった。


 転移の魔道の名残の風が落ち着くと同時に、その女性が大仰に息をつく。

「あまり手間を掛けさせないでよ」

 美人ではあるものの、なんともけばけばしい装いの彼女が小馬鹿にした口調で言った。

「クリミア」

 彼女の隣にいた男性が渋い声で名前を口にした。どうやら、それがその女性の名前らしい。

 クリミアは鼻を鳴らして彼を見返す。

「何よ、イオザード。あんただってもう逃げられたら困るでしょ?」

「そりゃそうだけど」

 イオザードと呼ばれた男性は何か言いたそうにしていたけれど、結局、あきらめたように口をつぐんだ。そんな彼に、クリミアはいっそうバカにしたような視線を投げる。

 どうも追っ手の中の紅一点は仲間たちにあまりいい印象を与えていないようだ。

 ディアンとルーベリー、そしてクリーゲルは、完全に彼女を無視して数歩進み出る。

 クリーゲルはクリミアたちの前に出たところで足を止めたディアンとルーベリーよりも二歩ほど前に出て、ファラシアに微笑みかける。


「ファラシア、一緒に帰ろうか」

「師匠……」

 クリーゲルの笑顔は、そこだけがポッカリと過去から持ち込まれたようだった。うなずいた先にあるものが永遠の牢獄だと知っていても、ファラシアは危うく首を縦に振りそうになる。

 それを拒む、あるいは振り切ろうとする気持ちが、彼女を後ずらせた。

 わずかとはいえ距離を取ったファラシアに、クリーゲルの笑みが微かに変わる。何がどう変わったかはうまく説明できないけれども、確かに、それまでの微笑とは何かが違った。


 養い親の表情の裏にあるものを読み取ろうとして眉をひそめたファラシアに、別の声がかけられる。

「ファラシア=ファーム。貴女は無許可脱会者として手配されています。速やかに『協会』に出頭してください。なお、他の方々も、ファラシア=ファームに加担すれば重違反者として罰せられます」

 クリーゲルの隣に立って宣告したのは、ディアンだ。その言葉の内容に、ファラシアは唇を噛む。ノアもカイルも、この国に未練はないと言う。けれど、ここを出ていくとしても、罪人として去るのとただの旅人として去るのとでは、話が全く違ってくる。

 頭では解っていたことだった。

 でも、実感は伴っていなかったかもしれない。

 それが急激に現実味を帯びる。


(やっぱり、ここで皆とは別れた方がいい……?)

 今なら、まだ彼らも大きな罪にはならないかもしれない。でも、実際に追っ手に歯向かえば言い逃れようが完全になくなる。

 ファラシアの中に微かな迷いが生じた。

 それに追い打ちをかけるようにして、再び呼びかけが。


「投降しなさい。今ならまだ他の者については配慮する」

 どう答えるかも定まらないうちに、ファラシアは口を開いた。いや、ほんの少し、気持ちは傾いていたかもしれない――追っ手たちの申し入れの側に。

「あ……」

 そのとき不意に、彼女の手が温かく柔らかなものに包み込まれる。

 ハッとそこに目を落とすと、カイルの両手が彼女のその手を握り締めているのが見て取れた。


『逃がさないからね』

 声に出さず、カイルが口だけでそう告げてきた。

 ファラシアはほんの一瞬の逡巡ののち、彼の手を握り返す。


 今さら迷うのは、もうやめよう。覚悟を決めて、今までの自分とは決別しなければ。


 その為には。


(もう、行った方がいい)

 そう思いながら、ファラシアはもう一度クリーゲルに目を走らせた。

 今離れたら、きっともう二度と逢うことが叶わない。その思いが、彼女を引き留めた。

 そんなファラシアの隣で、淡々とした声が上がる。

「私はこの国に籍を置いていない。この国の法には縛られない。私には雇い主との契約の方が優先する。どのような条件にも応じない。私はファラシアの希望を最優先させる」

「ノア」

 ファラシアが小さな声で名前を口にすると、彼女は一瞬チラリと視線をよこし、そしてまた追っ手に対峙した。ノアからは、わずかな迷いも感じられない。


 五人もの魔道士を前にしてもまるで怯んだ様子も無く言ってのけるノアからは、当然のことながら、魔力の欠片も感じさせない。『協会』に楯突く凡人の不遜な態度に、クリミアが鼻の頭に皺を寄せた。

「ちょっと、あんた? 今、この場であたしたちに逆らうってことは、この国の全魔道士を敵に回すってことなのよ。そこのところが解って言ってるんでしょうね?」

 ディアンとルーベリーの後ろから発せられたクリミアの言葉に、しかし、ノアは鼻で嗤うことすら返さなかった──唯一の返事は、『無視』である。

 ただのヒトは無条件に魔道士を畏怖する。

 けれど、静かに佇むノアからは恐れも怯懦も感じられない。

 カイルに目を遣れば彼も似たり寄ったりで、浅い笑みを浮かべたその顔に緊迫感の欠片も見当たらなかった。


『協会』の権威を前にして一向に恐れ入る気配を見せない彼らに、ルーベリーが小さく溜め息を漏らした。

「仕方がねぇな。全員、連行だ」

 ルーベリーがバリバリと頭を掻きながら進み出る。

 ファラシアの記憶にあるものよりも強い魔力を感じるところをみると、きっと護符で力を増幅させているのだろう。

 一歩を踏み出した彼らから、ファラシアは怯んだように後ずさる。彼らの力を恐れたわけではない。彼らを傷つけることが、怖かった。


 ここまできても戦う意志を見せようとしないファラシアの前に、小型の弓矢を手にしたノアと背中の毛を逆立てたゼンが立った。

「待って、今、転移を……!?」

 言いかけて、ファラシアは愕然とする。反射的に我が身を見下ろした。


(力が、発動しない)

 身体に、そして内面に絡みつく不可視の鎖。

 いつの間にか、彼女の力を封じる結界が張られていたのだ。

 ファラシアはルーベリーとクリーゲルの陰に隠れるように立つディアンに目を走らせた。彼は半ば目を伏せ、護符を掲げて何かをつぶやいている。


(油断した)

 ファラシアは血がにじむほどに唇を噛み締めた。全て、彼女の弱さ、彼女の迷いのせいだ。


 ディアンが用いる水系の魔道は攻撃のための力としてはあまり有用ではない。その本領が発揮されるのは、治癒と防御だった。そして、強力な魔力を持つ者が操れば、防御の力は堅固な捕縛の力ともなる。

 ファラシアに加えゼンという強敵を前にして、真っ当に考えればディアンたちには万に一つも勝ち目は無い筈だということは明白だ。にも拘らず余裕に満ちた彼らの態度に、不審を覚えるべきだった。追っ手の狙いはファラシアを叩き伏せることではない――ただ捕らえることさえできれば良かったのだ。捕らえられれば、足止めさえできれば、あとは援軍を待てばいい。

 ディアンは確かに上級魔導士ではあるものの、そもそもの力はファラシアに遠く及ばない。けれど、彼の作る結界はかなり強固で、今はそれが護符で強化されていた。更に大きく足を引っ張っているのは、ファラシアの心の根底にわだかまる彼らを傷付けたくないという、無意識の抑制だろう。


(わたしの、バカ)


 自らの油断が招いた窮地に、ファラシアは血が滲むほどに唇を噛み締めた。


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