褪せぬ記憶
ガルディアの宿屋でファラシアがカイルを持て余していたその頃、クリーゲルはイオザードと膝を突き合わせていた――ファラシア追跡の為に。
ディアン、ルーベリー、クリミアは、相向かいで地面に胡坐をかく二人を遠巻きにして見守っている。
イオザードがクリーゲルを相手に試みているのは、捜索の術だ。
ヒトである魔道士たちが使う術は、二つの系統に分類することができる。
一方は地水火風の四大元素を使う通常魔道であり、もう一方は追跡や転移などを行う特殊魔道だ。
通常魔道は周囲に満ちる四大元素の力を流用するようなもので、どの元素が得意か不得意かという差はあるものの、魔道士であればほとんどの者が操れる。一方、特殊魔道は個人の資質によるもので、使うことができる魔道士はごくごく限られていた。ファラシアやカリエステのような大魔道士でもない限り、多くの場合、使えるのは通常・特殊の両魔道のうち、二、三種がせいぜいだ。
今回、仮にも大魔道士の称号を与えられているファラシアの追跡隊に中級のイオザードやクリミアが組み込まれたのは、二人が特殊魔道を得意としているからである。クリミアは馬でも三日はかかる距離を一瞬にして移動することのできる遠隔転移の、そしてイオザードは人の心の中に残る気配を辿って人や物の在り処を察知する捜索の術に、それぞれ長けていた。
イオザードは両手をクリーゲルの額に翳し、両目を閉じる。
「できるだけ鮮明に、ファラシアのことを思い描いてくれ」
「鮮明に、ね……」
同じく瞑目し、クリーゲルが肩をすくめてつぶやいた。そして、イオザードに言われたとおり養い子のことを心に思い浮かべる。
捜索の術は、捜す対象をよく知るものにそれを想起させることでそこから生まれるつながりを追うものだ。対象への想いが強ければ強いほど、そのつながりは太く明確なものになる。
ファラシアのことを育てたクリーゲルならば、これ以上はないというほどの伝手になるはずだった。
が。
ややして、イオザードが目を開ける。
「……もう少し、最近のものは思い出せないのか? それは彼女が十にも満たない頃の姿だろう」
眉をひそめたイオザードに、クリーゲルは苦笑で返す。
「申し訳ないが、私の記憶に一番残っているのはあの頃の彼女なんだ。何しろファラシアは十を越えた頃には、もう、『協会』にしょっちゅう呼び出されていたし、私にしても、あの子がファルの称号を受けてすぐに旅に出てしまったしね。かれこれ二年以上も、あの子の顔すら見ていないよ」
「なら、仕方ないか……」
クリーゲルの弁明に小さく溜め息を吐き、気を取り直して再び目を閉じたイオザードだったが、数秒後には諦めたように目蓋を上げる。
「やはり駄目だ。せめて五年以内の記憶でなければ、ここまで完璧に掻き消されたファラシアの痕跡を追うことは難しい」
ため息をついたイオザードに、ディアンが歩み寄る。
「五年以内……もう少し頑張れませんか、イオザード?」
「ディアン、捜索の術の特性は解っているだろう? より正確を期すには、本当なら一年以内と言いたいところなんだがな。五年もあれば、容姿も性格も、下手をすれば魔力の傾向すら変わり得る」
腕を組んでディアンに答えるイオザードの顔は渋いものである。そんな彼に、爪の手入れをしていたクリミアがその心の内を充分に教えてくれる眼差しを送った。
「ちょっとぉ、イオザード。あんたがあの子の居場所を突き止めてくれなきゃ、あたしだって何にもできないんだからね。しっかりしてよ。あたしはあんたと一緒に役立たず呼ばわりされたくないわ」
言うだけ言って、再びクリミアは爪やすりを手にする。毎度のことながら、彼女の意見を気に留める者はいない。
持て余した沈黙の中、ルーベリーが口火を切った。
「俺は……三年前のあいつを知っている」
「ルーベリー?」
「三年前、俺を含む上級魔道士五人がてこずっていた魔物を、あいつはそれこそあっという間に片付けちまった。そん時にあいつを見た」
「だが、見たというだけでは、どれほどの手掛かりになるか……」
いま一つ自信無さそうにイオザードは言葉を濁らせたが、しばし考えた後、他に打つ手は無いと見て首を縦に振る。
「よし、ものは試しだ。やってみよう」
そう言うと、イオザードは先程のクリーゲルの時のようにルーベリーの前に腰を下ろすし、両手を彼の額に翳した。目を閉じ、ルーベリーの頭の中を不可視の触手で探っていく。
ひと月、ふた月、一年――二年。
様々な顔、出来事が、次から次へと現れては消えていく。
どれもこれも、ありふれたことばかり。
数多の他人の記憶を覗き見てきたイオザードは、関係のない事柄を完全に無視することができた。意識の欠片もそちらには向けることもなく、突き進む。
ルーベリーの中を現在から過去へと遡っていくイオザードの前に、不意に、強烈な印象を放つ一つの像が現れた。隧道を通り抜けてきた者が日の光に目を眩ませるように、イオザードの頭の中は一瞬真っ白になる。
(これは――)
輝きは、じきに失せた。だが、イオザードの中には確かな手応えが残されている。
「凄い、な……」
その賞賛が向けられた先は、ルーベリーの中に残されていたファラシアの残像だ。
三年前に一度見ただけとは思えない鮮明さに、イオザードはそうつぶやかずにはいられなかった。
かつてルーベリーに深く刻み込まれたファラシアの魔道力は、三年の年月を経ても色褪せることはなく、今現在の彼女の居場所を真っ直ぐにイオザードに教えてくれていた──さながら一条の光の矢のように。
「ここから北東……人が多い。村、いや──もっと大きい、都市だな。ディアン、地図を貸してくれ」
一つ一つ確かめるようにつぶやいていたイオザードが、目を開いてディアンを振り返る。彼から受け取った地図の上を、イオザードの指が辿っていく。
「──ガルディア……ああ、ガルディアだ」
そう告げたイオザードの声は確信に満ちていた。
「間違いないんでしょうね?」
合計五人の転移を受け持つことになるクリミアが念を押す。一人や二人ならともかく、五人を転移するとなれば、魔力の消費も相応のものになる。一度行えば、恐らく三日は休息を必要とするだろう。これで捕らえることができなければ、また暫らくは無駄な時を過ごすことになってしまうので、慎重を極めなければならないというのは確かなことである。
ただし、果たしてクリミアに時間を惜しむ気があるのかどうかは、甚だ疑問であったが。
「今のところは、ガルディアにいる。それは間違いない」
断言するイオザードに、クリミアは爪やすりやら保湿油やらを背負い鞄の中に放り込む。
「だったら、ボケッとしてないで。丁度いいわ、ガルディアだったら、前にも行ったことがあるから繋ぎやすいし。さっさと捕まえないと逃げられるじゃない。野宿じゃ肌が荒れて仕方がないわ」
自分の荷物を片付け終わったクリミアは、男たちに天幕を畳むように指示を出す。ディアンとクリーゲルがそれを実行している間に、彼女は地面に転移の魔道を補助する為の魔方陣を描き付ける。
転移できる素質は持っていても、その魔道を発動するには相当量の魔力が必要だ。より高位の魔道士であれば己の魔力のみで事足りるのだが、クリミアのような中級程度では、自分自身を移動させるのにさえ、魔方陣で不足する分の魔力を補ってやらなければならない。魔力を増幅させるもう一つの手段として護符というものがあるが、如何せん、労力と時間さえかければいくらでも使える魔方陣と異なり、そちらの方は消耗品である上に非常に高価なものだった。
「あたしの方の準備はできたわよ」
最後の紋を描き込み、クリミアは立ち上がった。
「あんたたちがよければ、もう、いつでも出発できるわ」
自分の荷物を担ぎ上げて、自ら率先して魔方陣の中央に立つ。そして、苛々と足を踏みながら男たちを待った。
一行の中で一番優男なディアンが折り畳んだ天幕を背負い、クリーゲル、ルーベリー、イオザードは各々の荷物を手にした。
「皆、ちゃんと入った? 手とか足とかがはみ出てると、そこだけ置いてっちゃうわよ」
冗談にしてはあまり気持ちの良くないクリミアの台詞に、笑いは漏れなかった。受けを狙った筈がそうならず、クリミアはやや鼻白んだ様子になったが、気を取り直して転移の術を発動すべく、気を集中させる。
転移の術を行う時に思い描くのは、『扉』である。頭の中に扉を想像し、それを開くと行き先として望んだ場所があるということを念じるのだ。
クリミアの場合は、扉ではなく『門』を用いる。その為なのか、彼女には『扉』を鍵にする他の転移術者より、より多くの人数の、そしてより遠方への転移が可能であった。
「門よ……我らを遠き彼の地へ導く門よ。今開かれ、その距離を無に変えよ」
低い声での詠唱に従い、魔方陣が輝き始めた。同時に、魔道風が真下から吹き上げる。
一瞬後、魔方陣から巻き上がった螺旋状の光が五人を包み、その消褪と共に全てを消し去った──下生えや、小さな砂粒さえも。
後には、円く、磨き上げられた鏡のような地面だけが残されていた。




