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サウラでの日々

 ドゥワナの南、牧歌的な雰囲気が漂うサウラの村からやや離れた泉のほとり。

 そこに、小振りな、しかし頑丈な作りをした一軒家がポツンと建っている。周囲に民家は無く、豊かな自然が、そのままその家の庭となっていた。

 そこに住んでいるのは、ファラシア・ファル・ファーム。若干十六歳の少女である。その黒髪と黒瞳はこの国では見かけることがない。


 まだ自力で食い扶持を稼ぐこともできないうちに親とはぐれ、行き倒れ寸前のところで、この家の持ち主である魔道士に拾われた。彼の元で魔道を学んだファラシアは見る見るうちにその才能を露わにし、史上最年少の十三歳で、最高の魔道士の証であるファルの称号を受けることとなった。この記録は、恐らくこの先も塗り替えられることは無いであろう。


 そんな、国中に名を馳せた天才魔道士の彼女にも、泣きどころがある。


「何で、火が扱えないのかしら」

 ファラシアは目の前に立てられている、煙一筋すら立てていない蝋燭を見つめて深々と息を吐いた。先ほどから懸命に赤々と燃える炎を脳裏に描きながら念じているのというのに、蝋燭は、プスリとも言わない。


 ほとんどの魔道士は炎を操ることから始まる。ファラシアの師匠などは、七歳の頃に、決して小さいとはいえない池を、丸々一つ干上がらせたことがあるという話だ。程度の差こそあれ、他の力が使えるにも拘らず、火を点すことができないという魔道士はまずいない。


 まずたゆまず研鑽すれば、いつか必ず夢は叶うはずと、ファラシアも毎日欠かさず蝋燭と睨めっこをしているのだけれど、さっぱり実がならない。

 よほどその方向の才能がないらしい。

 しかし、そんなふうに多くの魔道士たちが易々と身につけることができる力に欠く一方で、ファラシアの水や冷気を操る力、大気を操る力は、並外れたものがあった。


 元々、ヒトでこの能力を持つ者は少ない。いたとしても、水を動かしたり、凍らせたりできる程度のものに過ぎない。しかし、ファラシアのそれは、天候を左右することでさえ可能であった。魔物の中でもそれほどの力を有するのは龍族ぐらいのものだといわれている。


「ああ、もう! やっぱり、だめ」

 集中し過ぎて、目の奥が痛くなってくる。諦めてファラシアは蝋燭を脇へやり、席を立った。窓から外を眺めつつ、凝った首を回す。

 見上げれば太陽はもう天辺まで昇っていて、気付かないうちに午前中いっぱいを炎の鍛錬に費やしてしまったていたようだ。


(そろそろ、サウラの村へ行かないと)

 ほ、と小さく息をついて窓際から離れると、ファラシアは身支度を始める。


 サウラはファラシアの家から歩いて一刻(約三十分)ほどのところにある村だ。彼女はそこで井戸や田畑の様子を見たり、医師のような役目を果たしたりして日用品を賄っている。食糧は自給自足で間に合っても、衣類などはそうもいかない。

 必要なものを鞄に詰め込んで外へ出ると、ヒト以外の存在の声も理解することができるファラシアの耳には、様々な声が飛び込んでくる。


 光を受けて謳う木々や花たち。

 仲間と戯れる動物たち。

 そして、精霊。

 騒々しくは無いが、確かにそれらは今この時を楽しんでいる。


 幼いころは、これは魔道士が皆持っている力かと思っていたけれど、師匠に言わせるとそうではないらしい。ファラシアが彼女に聞こえるものについて問うたとき、彼は少し困ったような顔をして、そのことは誰にも言わないようにと念を押してきた。出る杭は打たれるのが世の習わしだから、飛び抜けた魔力以外にもファラシアに特別なところがあると、不要なやっかみを買ってしまうから、と彼は言っていた。なので、彼女のこの力を知る者は、師匠の他にはいない。


 ファラシアは大きく息を吸い込み、吐き出す。

 この辺りの空気は澄んでいて、とても気持ちがいい。


「世は事も無しって感じよね。平和が一番だわ」

 穏やかな空気に浸りながら歌を口ずさみつつ、村へ向かう──途中擦れ違う、牧場に向かう人々に挨拶しながら。ファラシアのお陰でこの辺りに危険な魔物は現れず、いるのは自然に力を与える精霊たちぐらいだから、皆、のんびりしたものだ。


 村に着くと──正確には村の入り口で──リーラが手を揉みしだきながら待っていた。付き合いが長いので、村人の名前は全てファラシアの頭の中に入っている。彼女は二十をいくつか越えた年で、行商人をしている夫との間に娘が一人いる。


「待ってたわ、ファー。カヤが……うちの子が昨晩急に熱を出しちゃって……」

 言いながら、ファラシアの腕を掴んでぐいぐいと引っ張ってきた。ひっ詰めた髪の毛がかなり解れているところを見ると、昨夜は寝ていないのだろう。

「落ち着いて、リーラ」

 カヤはリーラの初めての子で、まだ三歳になったばかりだ。ファラシアにも良く懐いていて、彼女がサウラに来るたびまとわりついて離れない。

 リーラはよほどカヤのことが心配だったのだろう。宥めようとするファラシアの声はほとんど耳に入っていない。ほとんど引きずられるようにして、彼女は子ども部屋へと連れて行かれる。


 診てみると、熱はかなり高いものの、悪いものではなさそうだった。この年頃の子どもにはこういう唐突な発熱は良くある。

 ファラシアは子どもの小さな顔を包み込むようにして首筋に手を当て、身体の中に入ってしまった病の精霊を外に追い出す。同時に軽く冷気を送って、身体の熱を冷ますようにした。


 ほどなくして、苦しそうだった幼女の呼吸が穏やかになっていく。

 充分に寝息が落ち着いたところで、ファラシアは手を離した。完全に治してしまうと彼女の病気に対する抵抗力がいつまでも上がらないので、多少は残しておく必要がある。


「もう大丈夫よ。あと二、三日はおとなしくさせておいてね。水分をしっかり摂ること。それから、食べられそうだったら栄養のあるものを食べさせて」

「良かった……ありがとう。主人も明後日までは帰らないし、どうなることかと思って……」

 そう言うなりその場にへたり込みそうになるリーラに手を貸して、椅子に座らせる。

「それにしても、昨日の夜に連絡をくれればよかったのに。方法は教えてあったでしょう」

「ええ……でも、真夜中だったのよ」

「構わなかったのに」

「良くないわ。仮にも女の子が夜中に出歩くなんて。しかも、あなたは並み以上の器量をしているんだもの」

 軽く睨んでそう言ったリーラを、ファラシアは笑い飛ばす。


「大丈夫よ。ここいらにわたしの相手ができるようなものはいないでしょ。人間でも、それ以外でも」

「駄目よ、油断は禁物だわ」

「そんな心配……」

 いらないわ、と続けようとしたファラシアだったが、リーラの恐い眼差しに出会ってその言葉を喉の奥に呑み込んだ。

 先ほどまでの、カヤの容態を気遣っておろおろしていたリーラとはまるで違っている。

 年齢的にはリーラとは姉妹という程度なのだけれども、すでに出産を経験した彼女はファラシアにとって姉というよりは母親といった方がいい存在だった。


 母の記憶を留めていないファラシアは、リーラにこんなふうに言われるといつもくすぐったさを覚える。


「そう、ね。わたしもまた都での仕事が入ってるし、気を付けます」

 ファラシアは少しおどけてそう言ったが、それを聞いてリーラの顔が曇った。

「仕事って、今度は何?」

「いつもと同じ、魔物退治よ。何でも、ものすごく大きな『猫』が都で暴れているんですって」

「『猫』? そんなものを退治するのに、あなたが呼び出されたの? 他の……都に常駐している魔道士では駄目なの?」

「彼らが手こずっているそうなの。で、わたしに来いって、連絡が……」

「まあっ、お偉い都の魔道士様も、威張るばかりで役立たずなんだから!」

 両手を腰に当てて鼻息も荒く吐き出されたその言葉も、ファラシアの身を案じて為されたものだ。宥めるようにリーラに笑いかけ、ファラシアは腰を上げた。


「じゃ、わたしもそろそろ帰らないと。出発は明日なのよ。『協会』からの依頼は急な話だったから」

「あらぁ、そうだったの。じゃぁ、忙しいところをすまなかったわね」

 言いながら、ばたばたと忙しく周りにあったチーズやパンなどを包む。

「パンは良く焼き締めてあるから、日持ちすると思うわよ。都までじゃぁ、三日はかかるでしょ。持ってお行きよ」

「いつもありがとう、リーラ」

「それはこっちの台詞よ。あなたがいてくれて、大助かりだわ」

 そう言って笑うリーラから包みを受け取ろうとしたファラシアの胸を、ふと微かな予感がよぎる。


 本当に小さな――別れの、予感。


「どうしたの?」

 手を止めたファラシアに、リーラが怪訝な顔をする。取り繕うように微笑んで、ファラシアは再び手を伸ばした。

「何でもない。帰ってきたら、また寄るわ」

「そうね、そうしたら、ご馳走作ってあげるから」

「それを励みに頑張ることにしましょうか」

 笑って扉に手を掛けた。

 平凡だけれども温かなリーラの笑顔がファラシアを見送る。


 大丈夫、またこの笑顔に迎えてもらえる。


 胸の中に沈んだ不安を誤魔化して、ファラシアは自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。


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