強者の理論
「で、その子どもがついてくることになった、と?」
いかがわしい宿の部屋で淡々とした口調でそう問うてきたとき、ノアの態度はいつもと変わらないように見えた。けれど残念ながら、それが本当に彼女の本心を反映しているものだと言い切れるほど、ファラシアとノアとの付き合いは長くない。
ファラシアは気持ち上目遣いで窺うように年上の傭兵を見る。
「何だか、こう、いつの間にか押し切られちゃって……」
えへ、とちょっと笑って見せたけれども、ノアの顔の筋肉はピクリとも動かない。
溜め息をつかれなかっただけ、良かったかもしれない。もしそうされていたら、この上なく居た堪れない気分になっただろうから。
ひたすら小さくなっているファラシアにそれ以上の弁明は不要だと考えたのか、ノアはファラシアからカイルへと向き直った。
「少年──」
「カイルだよ」
「──カイル。我々が追われる身だということはファラシアから聞いていると思うが、それでも同行するというのか? 相手はかなり面倒な奴らだが?」
「『協会』だろ? そんなのに追われているんじゃぁ、なおさら心配で離れてなんかいられないよ」
少年は、肩をすくめてかぶりを振った。
台詞と態度は、軽い。
ノアは微かに目をすがめてカイルを見つめた。彼の真意を見抜こうとする彼女の眼差しを、口元に淡い笑みを浮かべた少年は臆する素振りなど微塵も見せずに受け止める。
全ての元凶であるファラシアは二人の間に入り込むこともできず、所在無く寝台に腰掛けてゼンを抱き上げた。山猫は居心地良さそうにファラシアの膝の上で丸くなると、その場の空気などまるで気に留める様子もなく大きな欠伸を一つして目を閉じる。いかにも満足そうに喉を鳴らす音が彼女の膝に伝わってきて、人の気も知らないで、とファラシアは少しばかり意地悪をしたい気分になった。
彼女がそんなことを思っている間もノアとカイルは互いに目を逸らさないままで、短いが息詰まる無言の時が流れる。
そろそろ何か口を挟んだほうがいいのだろうかとファラシアが思い始めた時、不意に、カイルに注ぐノアの眼差しから射竦める光が消えた。
「……まぁ、いいだろう。お前の好きなようにすればいい。ただし、先に言っておくが、私はお前の面倒までは見ない。どのような状況でも、私は常にファラシアの安全を優先する」
「構わないよ、全然」
冷たいことこの上ないノアの台詞にすっきりとした笑顔で答えるカイルと、思わず膝の上のゼンを忘れて立ち上がってしまったファラシアの表情とは対照的だった。
てっきり、同行を諦めるようにノアが説得してくれると思ったのに。
はくはくと口を開け閉めしていたファラシアは、気持ちよく寝ていたところを床に落とされたゼンの抗議の声で我に返る。
「ごめんね、ゼン。でも、ノア……連れてくなんて、無理だよ」
「別に連れていくわけではないだろう。我々の方から一緒に来いとは一言も言っていない」
「そうだけど!」
ファラシアはやきもきしながら声を上げた。
カイルは子どもだ。どこまで深く考えているか、判ったものではない。
眉を逆立てたファラシアを、ノアはほんの少しも目の色を変えることなく見返してくる。
「彼は自分の行動の責任が取れないほどの子どもではない。私たちについてくることでどんな目に遭ったとしても、それはカイル自身が選択した結果だ」
「そんなこと言って! どこからどう見ても子どもでしょ!? 『協会』の方針次第では、命が危なくなるかもしれないのよ!?」
素っ気無いノアの物言いに思わず声を荒らげたファラシアだったけれども、そんな彼女を、のんびりとしたカイルの声が引き戻す。
「ファーだったら、『協会』の奴らなんて一捻りじゃないの?」
一瞬息を呑み、ファラシアはゆっくりとカイルに向き直った。
「カイル……何を……」
ほとんど恐る恐るというふうに訊ねたファラシアに、カイルはけろりと答える。
「ファーの力なら、魔道士が百人集まったって指先一つで捻り潰せるでしょ?」
まるで、彼女の魔力のほどを知っているかのような口ぶりだ。『協会』の方針に背いて追われることになったとは伝えたけれど、彼女が大魔道士であることまでは話していないというのに。
「そんな、こと――」
「ないって? ウソばっか」
カイルは嘲笑うといってもいいような調子で鼻を鳴らした。
「おおかた、力が強すぎて追われる羽目になったんだろ? まったく、人間ってのは心が狭いからなぁ。自分より優れているものの足を引っ張るのが大好きときているんだから」
そう言って、ヒョイと肩をすくめる。
ファラシアは、自分よりも頭半分は小さい少年をまじまじと見つめた。まだヒョロリと華奢で、顔だちも可愛らしいといってもいい。どこをとっても、無邪気な子どもそのものだ。
同じセリフも、ノアから出たのであれば何の違和感も抱かないだろう。けれど、年端もいかない少年の口から出たとなると、年長者の立場として、思わず溜め息を漏らしそうになる。にも拘らずファラシアの口からそれが零れなかったのは、カイルの目を見てしまったからだった。
ついさっきまで、屈託の欠片もなかったそこに浮かぶ、奇妙な光。
(カイル……?)
何だかヒヤリとしたものが押し寄せてきた気がして、ファラシアは両手を胸に引き寄せ握り合わせる。見つめる彼女を、カイルは軽く首をかしげて見返してきた。
(やっぱり、何か――)
何がどうおかしいのか、判らない。
けれど漂う、違和感のような、何か。
それは何なのだろうと戸惑い、ファラシアは気付く。
彼女に向けられたカイルの幼い顔付きの中で唯一つ年経ている、その眼差し。それが、少年らしからぬ彼の態度に対して、ファラシアに溜め息を吐かせることも、笑い飛ばさせることも、できなくさせていた。
二の句を継ぎかねているファラシアには構わずに、カイルは続ける。
「どうせくだらない奴らばっかりなんだろ? かかってきたら、さっさとやっちゃえばいいじゃないか」
呆れ混じりの声に彼女は目をしばたたかせ、そして睫毛を伏せた。
「そんな、簡単なことじゃないのよ」
「そうかな。ファーの力なら大抵の人間なら敵じゃないだろ」
「そういう意味じゃなくて……」
「何? 感情的に、できないって?」
揶揄するようなカイルの目に怯みながらも、ファラシアは慣れない国の言葉で説明するかのようなぎこちなさで、言い募った。
「わたしは──できることなら彼らと争いたくはないの」
「何でさ?」
「何故って……争う理由が無いからよ。戦うにはそれなりの理由というものが必要でしょう?」
「理由? あいつらを憎んでないの? 恨んでないの? 散々こき使った挙句、手に余ると思ったら殺しちゃおうって言うんだろ?」
ファラシアがかいつまんで話した彼女が『協会』に属するようになってからの経緯は、カイルの中ではそんなふうに受け止められてしまったらしい。
「そんな――恨むとか、憎むとか……そんなことは思っていないわ。わたしは……」
「へえ、ホントに?」
口ごもるファラシアにカイルが眉を上げ、次いで、にっこりと笑みを浮かべた。無邪気だけれども、温かみの欠けた笑みを。
「……まあ、そうかもね。ファーは強いから」
「わたしは、強くない。強くなんて、ない」
顔を伏せ、喉の奥でつぶやいたファラシアに、カイルは容赦なく続ける。
「そうかな。ファーのは強者の理論ってやつだよ。自分が強いってことを知っているからこそ、誰とも戦いたくないなんて、甘いことが言えるんじゃないのかな。あんなやつら、自分の敵じゃない、いつでもあしらえるからっていう気持ちがあるから、そんな余裕をかませるんだ。弱い者には、選択肢なんてないんだ。押し付けられたものを、受け入れるしか。選べるってことは、そうできるだけの力を持ってるってことだよ」
そうなのだろうか。
自分は、驕っているのだろうか。
「わたし……わたしは……」
「ファーは――」
反論をつむげずにいるファラシアに更に言葉を重ねようとしたカイルに、その時、待ったがかけられる。
「カイル」
無邪気な子どもの笑顔のままでファラシアを追い詰めていく少年を止めたのは、ノアだった。
「それぐらいにしておけ、カイル」
穏やかに制したノアの声で我に返ったように、カイルは瞬きを二、三度繰り返した。静かに注がれる彼女の視線がカイルの頭を急速に冷却していくのが、手に取るように判った。
「ああ、ノア……ありがとう」
彼自身がほっとしたようにノアへ向けてそう言い、ファラシアを見る。見開かれた彼女の眼に出合って、カイルはやや気まずそうに視線を逸らせた。
「ごめん、ファー。ちょっと言い過ぎちゃったな」
「カイル……」
しょげかえったカイルの謝罪は、本心からのものだというのが伝わってくる。けれど、それまでの彼の言葉にすっかり圧倒されていたファラシアは、どう応えるべきか、咄嗟には思い浮かばなかった。
「ねえ、ファー、怒っちゃった?」
おずおずとそう訊いて来るカイルは年相応に見える。その眼差しからは、先ほどの氷柱もかくやという冷たささ、鋭さは、完全に拭い去られていた。
「ファー?」
ためらうファラシアに、カイルはいよいよ不安そうな眼を向ける。それが意図して作ったものであるとは思えなかった。
ファラシアは気弱な笑みを浮かべる。
「ああ、いいえ、カイル。怒ってなんかないわ」
「ホントに?」
「ええ、本当に」
怒ってはいないけれども、少し、怖かった。
ファラシアのそんな心の揺らぎを知ってか知らずか、ホッとしたようにカイルは笑みを返してくる。
「良かった。一緒に行っちゃいけないって言われるかと思った」
「ちょっと待って、それとこれとは別の話よ」
慌てて首を振るファラシアに、カイルが悲しそうな顔をする。
「やっぱり、怒ってるんだ……」
「そういう訳じゃ──」
「じゃぁ、行っていいんだね」
パッと顔を輝かせるカイル。ファラシアは明らかに演技だと判っていてもほだされてしまう自分が情けなかった。
「お前の分が悪そうだ、ファラシア。諦めろ」
「ノア……」
ファラシアはがっくりと肩を落とし、寝台に腰を下ろす。その振動で目を覚ましたゼンが、話は終わったのかと言わんばかりに大きな欠伸を一つ漏らした。
取り敢えず、ファラシアに賛同してくれるものがこの場にいないことは間違いない。
かくして、二人と一匹だった一行は、更に一名増えることとなった。




