奇妙な少年
ノアが言ったとおり、夕餉の支度に賑わう通りでは、露店の品々を覗き込みながら歩くファラシアを見咎める者など誰一人としていなかった。人々は自分たちの生活に忙しく、いかにも旅行者然とした少女に気を留める暇などないらしい。
「ちょっと、ヒトに酔いそう」
人にぶつからずしては歩けない人込みに思わず呟いたファラシアだったけれども、決してそれが不快なわけではない。むしろ、心地良く楽しめるものだった。
任務で国中のあちらこちらに出向いたファラシアは、実は、大きな都市にはあまり足を踏み入れたことがない。何故なら、魔物の被害に遭うのはへき地が多いからだ。ゼンのように都市の真ん中に迷い込むことなど滅多になく、彼女が知る大都市と言えば『協会』本部がある都くらいなものだった。
このガルディアの空気は、サウラのものとも、都に渦巻いているものとも、違う。都の気はどこか粘つくものを含んでいて常に息苦しさを覚えていたのに対し、ここの気はもっとカラリとしている。活気に溢れるその空気は触れるだけで活力を分けてくれるような気がして、積極的に身を任せていたいとすら思えた。
(同じように、人が集まる場所なのに)
弾む足取りでただひたすら歩いていたファラシアの肩の上で、唐突にゼンが鋭い声を上げた。
「何?」
警告を与えるようなその声にビクリとファラシアが立ち止まると同時に、涼やかな呼びかけが。
「お姉さん、いいもん飼ってるね」
喧騒を衝いて彼女のもとに届いた高く澄んだ声は、男のものとも女のものともつかず。
キョロキョロと見回したファラシアだったけれど、なかなか発信源を見つけることができない。と、ゼンがじれったそうに彼女の髪を咥えて引っ張った。
「そうそう、こっちこっち。その猫賢いね。あ、もうちょっと視線を下げてよ」
声のとおりに眼を動かすファラシアの視界に入ってきたのは、人の流れから外れた細い路地に立つ、年の頃十かそこらの少年だった。
チョイチョイと手招きされるがままに彼に近寄ったファラシアは、困惑を含んだ中途半端な笑みを浮かべる。
「ええっと……?」
栗色の髪に栗色の瞳。
気持ちまなじりが吊り上がった大きな目が強い印象を残す。
とても整った顔立ちにも拘らず、それは少女と見まごうものではない――すでに『精悍』という表現が似合うものだ。
一度でも会ったことがあれば絶対に忘れられそうにないその容姿に、しかし、ファラシアは全く見覚えがない。
(もしかして、もっとずっと小さい頃に会ったとか?)
首を傾げるファラシアに、少年は人を喰ったような笑顔を向けた。
「もうちょっとこっちに来てよ。そこ、通行の邪魔だよ」
言われて、人々が迷惑げに自分を避けて行っていることに気が付き、ファラシアは少年が佇む路地に足を進める。手が届くほどの間近で見ても、やっぱり彼のことは記憶にない。
「どこかで会ったことがあるかな……?」
ニコニコと笑いかけている少年に、ファラシアはためらいがちにそう問うた。彼は瞬きを一つして、かぶりを振る。
「いや、初対面だけど。僕はカイル。お姉さんは?」
屈託無くそう言われて答えないわけにはいかなかった。訳が判らないまま、ファラシアは名乗る。
「ファラシア・ファームよ」
少年──カイルは、ファラシアの返事に、ふと怪訝な顔になって小首を傾げた。
「……? あれ? お姉さん、自覚なし?」
「何のこと?」
「ああ、いや……こういうのは、自分で気付いたほうがいいからなぁ」
ファラシアに聞かせる意図はあまり感じさせない声の低さで、カイルはブツブツとつぶやいた。
(その台詞、前にも言われた、な)
その相手は、人外もいいところだったけれど。
「そんなにわたしって人間離れしているかな……」
憮然としたファラシアのぼやきを気にしたふうもなく、カイルが彼女に手を伸ばす。
「ねえ、腹減ってない? 何か食べようよ」
返事をする間もなく手を取られ、ファラシアはそのままずるずると引き摺られるようにしてカイルに連れられていく。華奢な少年なのに予想外にその力は強くて、軽く引いたくらいでは、振りほどけない。
ゼンが咎めるように鼻づらで頬を突いてきたけれど、あれよあれよという間にことが進んでしまうので、ファラシアには対処しきれなかった。
「ファラシア……か、ファーって呼んでいいかな、いいよね?」
有無を言わさぬ勢いで、にっこり笑って少年はそう断言する。久しく聞いていなかったその呼び方に、ファラシアは、ふと離れてしまったサウラの事を思い出す。ふんわりと温かい、その記憶──呼び方一つで、ファラシアは抵抗しようとする気持ちを封じられてしまう。
カイルに連れて行かれたのは、さほど大きくはない大衆食堂だった。
「さあ、座って座って」
言われるがままに腰を下ろし、言われるがままに料理を注文する。
「あの、ね、わたしには何が何だか解らないんだけど……」
ようやく口を開く余裕ができたファラシアがそう切り出したのは、食後のお茶が届いた頃のことである。
「解らないって、何が?」
「だから、何で君がわたしに声を掛けてきたのか、とか……」
「そんなの、ファーを気に入ったからに決まっているじゃないか」
ケロリと言ってのけたカイルに、ファラシアはムッと眉根を寄せる。
「気に入ったって、でも、さっき会ったばかりでしょう? ていうか、ほとんど『見ただけ』じゃない」
「そう。これが一目惚れってものかな」
茶を啜りながらの惚けように、ファラシアは思わずこめかみを揉む。
「ふざけていないで……」
「ふざけてなんかいないよ、本気だよ」
とてもそうとは思えない口調と表情で言うカイルは、サウラという田舎の純朴な人々とぐらいしか会話らしい会話をしたことの無いファラシアには扱いかねる存在だった。
「そんなに渋い顔をしてないで、お茶でも飲んだら? 落ち着くよ」
「……」
溜め息を吐きつつ茶を口元に運んだのは、何もカイルに言われたからではない。
「ファーは何でガルディアに来たの?」
「何でって、言われても……観光、よ」
「へえ、観光、ね。じゃあ、そのうちガルディアを出て行くんだ」
「ええ、多分明日には」
「多分? 決まってないの?」
カイルに怪訝な顔をされ、ファラシアは言い繕った。
「あ、わたしには連れがいるのよ。その人が色々予定を決めているから……」
「連れ? 男の人?」
「違うわ、女の人」
「ふうん、良かった」
「……何が?」
「いや、虫付きかと思って」
子どもが何を言うかと、がっくりとファラシアの肩が落ちる。そんな彼女の心の内を見透かしたように、カイルが笑顔を作る。
「今、子どものくせにって、思っただろ」
「え……」
言い当てられ、咄嗟に返すことができなかった。
「言っておくけど、多分、ファーよりも僕の方が長く生きているよ。ファーは二十年も生きてないだろ?」
肩をすくめたカイルに、ファラシアはムッと唇を尖らせる。
「また、大人をからかって!」
「別に、からかっているわけじゃないんだけどな」
困ったように頬を掻くカイルは、どう見ても、その外見年齢以上とも以下とも思えなかった。子どもの悪ふざけなど軽くあしらってしまえばいいのだろうが、それができるようならそもそも苦労は無い。
台詞にも態度にも子どもらしさの欠片もない相手にほとほと疲れ果てたファラシアだったから、カイルの言ったことが耳に届くまで、しばしの時間を必要とした。
「え? 今、何て?」
「だから、ガルディアを出て行く時に僕も連れて行って欲しいなって」
「また、そんな……」
「冗談じゃないって。本気で言っているんだよ」
「お父さんやお母さんは? 心配するでしょう?」
「『親』なんていないって。ファーと同じで」
さらりと言われた台詞をファラシアは危うく聞き流しそうになる。
「そう……って、わたしと同じ? わたし、そんなこと言ってないわよね?」
「あれ、そうだっけ? まあ、でも、どうでもいいじゃない、そんなこと。それより返事は? あ、言っとくけど、駄目って言っても付いて行っちゃうよ、僕は」
いとも平然と、カイルが言った。
はなから選択権が無いと判っていて、どう答えればいいというのか。思わず食卓に突っ伏したファラシアを、カイルが愉快そうに、そして、ゼンが心配そうに、見る。
「わたしの、どこがそんなに気に入ったっていうの?」
顔を伏せたまま尋ねたファラシアには、その時カイルがどんな表情をしたのかを見ることはできなかった──それが浮かんだのは、ほんの一瞬であったから。
「……全部、だよ。誰かを好きになるのに、多分、時間なんて必要じゃないんだ」
その声の響きに、ファラシアの鼓動がどきりと一つ大きく打つ。変声期もまだ迎えていない高い声に含まれていたものは、何故か、グズっているファラシアを宥める時のクリーゲルの苦笑を思い出させた。
ふと、胸が苦しくなる。
「……マセガキ」
今度は火照った頬を隠す為に、顔を両腕の中に埋める。こんな子どもにどぎまぎしてしまう自分をどうしたらいいのか解らなかった。
まだ男らしさの欠片も無い手が、まるで幼子にするように、ファラシアの髪を撫でる。
そっちの方が子どものくせに、と胸の内でつぶやきながらも、ファラシアはその手を疎ましいとは思えなかった。




