追っ手たちの夜
ガスの村を出たファラシアを追って、もう七日が過ぎた。
掻き消えたような彼女の手掛かりはあれ以来さっぱり得られず、東西南北どちらへ向かうかも決めかねている状態だ。
その日も成果なく野営することとなったルーベリーたち四人の中に、積極的に『仲間』と会話をしようという者はいなかった。ルーベリーとイオザードは無言で揺らめく炎を見詰め、ディアンは皆の為に茶の用意をしている──唯一の女性であるクリミアは、黙々と『夜のお手入れ』にいそしんでいた。
ただ、パチパチと炎の爆ぜる音のみがその場を支配する。
そんな時。
「どうも、随分遅れてしまいまして」
闇の中から不意に響いたその声に、一同はビクリと跳び上がりそうになる。
「おや、驚かせてしまいましたか。すみませんね」
いま一つ謝罪の気持ちを感じさせない声でそう言いながら、焚火の光が届く所へと、一人の男が姿を現した。
「誰?」
緊張した声でのクリミアの問い掛けに、男はのんびりと笑顔で答える。
「クリーゲル・デル・ファーム。あなた方が追い掛けているファラシアの養い親ですよ。今のところ、あの子の手掛かりを掴んだのはこの隊だけのようでしてね。こちらに同行するように指示されました」
闖入者が自分たちの味方であることに明らかにホッとした様子で、四人がそれぞれに頬を緩めた。
「ああ、あなたが。待ちくたびれましたよ」
ディアンとルーベリーが互いに尻をずらし、クリーゲルが座れる場所を作ってやる。そこへ腰を下ろしたクリーゲルに、まず、ディアンが名乗った。
「私はディアン・ソル・グレイシャです。我々の力が足りず、ご足労願いまして」
差し出された右手を握り返し、クリーゲルは軽く眉を持ち上げた。
「グレイシャといえば、かなりの名門では? そんな方がソル──上級魔道士とは、ね」
「良くご存知ですね。まあ、それなりの家ではありますが、名門というほどではありません」
「そうですか? 『中央』のお偉方の中に同じ名を見た覚えがありますよ」
「ああ、確か伯父と従兄弟が何人か……私の父は商人ですが」
その父も、国で五指に入る納税者の一人のはずである。他人事のように言うディアンに、クリーゲルはこっそりと肩をすくめた。
引き続き、ルーベリーとイオザードが素っ気無く名を告げる。
「ルーベリー・ソル・ダムだ」
「イオザード・ミル・カルバム」
おざなりに会釈をする二人へ、クリーゲルは愛想良くにっこりと笑みを返した。
残りの一人を探して首を廻らせたクリーゲルの隣へ、ディアンとの間に割り込むように座り込んだのはクリミアである。
「あたしはクリミア・ミル・クィンよ」
クリーゲルの肩に手を掛け、クリミアは覗き込むように顔を寄せた。しな垂れかかってくる女性から心持ちクリーゲルが後退ったように見えたのは、決して気のせいではない。
「これは、どうも……」
やや口元を引きつらせ、クリーゲルが何とかそれだけ言う。
「へぇ、いい男じゃない。下級だってことを入れても、結構いい線いってるわ」
「そうですか……?」
ほとんど彼女の吐息が彼の唇にかかるほどの至近距離で言われ、クリーゲルは辛うじて笑みを返した。確かにクリミアは美人の域に入っているかもしれないが、如何せん、その強烈な香水の匂いはかなり辛いものがある。
「クリミア……クリーゲルさんが困っていますよ」
見かねたディアンが苦笑しながら出した助け舟だったが、クリミアの完全無視に会い、クリーゲルの元に辿り着くことができずに沈没する。
お世辞にも気立てがいいとは言えない、普段から同行者の神経を逆撫ですることの多い女性である。たとえ初対面の相手であろうとも、その言動は留まることを知らなかった。
「ねぇ、あんたがあの子を拾ったんでしょ?」
「あの子……? ああ、ファラシアのことですか」
「何よ、他にも拾ったことがあるって言うの? ええ、そうよ、あたし達が追っかけてる、あの子のこと」
媚びを含んだ笑みを浮かべながら、クリミアは続ける。
「あんたも大変ね。あんな化け物拾わなけりゃ、こんな面倒な目に会わなくても良かったのにさ」
「クリミア!」
ついに声を荒げて嗜めたのは、ディアンだった。ルーベリーとイオザードは、またか、というふうに肩をすくめただけである。
「何よ、ホントのことでしょ。龍に勝っちゃうなんて、人間とは言えないじゃない」
余計な口を挟まないでよ、と言わんばかりの目付きでそっぽを向くクリミアに、四人の中では一番穏やかなディアンも、流石に堪忍袋の緒が切れかけた。一気に険悪な空気が流れそうになるのを、クリーゲルの声が止める。
「ディアンさん、構いませんよ」
「しかし……」
言い募ろうとしたディアンだったが、クリミアからクリーゲルに視線を移しかけて、ふと身体を強張らせる。
その微かな空気の変化に気が付いたのは、上級魔道士であるディアンとルーベリーだけだった。更に、冷静であった分だけ、ルーベリーの方がわずかに早かったかもしれない。二人よりもやや能力的に劣るクリミアとイオザードは、表面的なもののそこに流れるものには気付いていなかった。
「何だか、暑くない……? 火が強すぎるのかしら?」
焚き火から身体を離そうと後退りしたクリミアの声で、ディアンは我に返る。
(違う、これは魔道によるものだ)
内心で呟いたディアンは視線を廻らせ、違和感の元に辿り着く。ルーベリーも同じものを見ていることが、何となく判った。
ディアンもルーベリーも、クリーゲルを見つめる。
変わらない、穏やかそのものの彼の笑み。
だが、何かが明らかに違った。
(彼なのか……? だが、彼は下級の筈ではないのか……?)
辺り一帯の気温を上げるほどの魔道を使えるとなったら、ソル、いや、ファルの階級を授けられていてもおかしくないはずだ。
だが、クリーゲルはデル――下級魔道士に過ぎない。実際、彼から漂ってくるのは、ごく弱い魔力の波動のみだ。
彼であるはずがない。
しかし、それでも──その現象がクリーゲル・デル・ファームという男によるものであると、ディアンは確信する。
汗ばむほどにもなった気温の中、ディアン、そしてルーベリーは、背中に走るざわめきを感じていた。
自分を凝視している二人の視線に気付いているのか、いないのか。
クリーゲルは炎を見つめながら、あまり大きくは無い、だが、不思議によく耳に届く声で、言う。
「力が無ければ、馬鹿にする。力が有りすぎればこぞって追い立て、潰そうとする。人間とは難儀なものですねぇ」
その口元は、今でははっきりと冷笑と判る形を刻んでいた。
いかに人の機微に頓着しないクリミアと言えども、ここまで明確に表出されれば気付かぬ筈が無い。
「……ねぇ、やだ、もしかして、怒ってる?」
今度はクリミアの方が引き気味に、言った。
「私が? まさか。怒る理由なんて、無いじゃないですか」
再び、にっこりと屈託無く笑いながら答えたクリーゲル。それと同時に、周囲の気温も下がり始めた。
「そうよねぇ、あたしは別に変なことなんて言ってないものねぇ」
自分を取り巻く空気の白さに気付くことなく言うクリミアに、ルーベリーがつぶやく。
「サル並みだな」
幸いなことに、その声は彼女まで届くことは無かった──仮に届いていれば、また一騒動起きていたことであろう。
「……まあ、一通り自己紹介も済んだことですし、今夜のところはもう寝ませんか。身内の方がいれば、ファラシアの痕跡を辿ることが出来るかもしれません。明日、日が昇ったらすぐに出発ということで」
得体の知れない不安を押し隠し、ディアンが提案する。自分のその気持ちは、今のところはまだ内に留めておくべきだという声が、頭の底に響いていた。ルーベリーの方へ視線を走らせると、彼が目で頷くのが見える。
取り敢えずは早々にクリミアの口を閉じさせて、これ以上事態が混乱するのを防ぐのが賢明のようだった。
「そうねぇ、夜更かしすると肌に悪いし……」
二人の気苦労を知ってか知らずか──恐らく微塵も気付いていないのだろうが──髪を掻き上げながら、言われて急に眠気を催したように、欠伸混じりにクリミアが賛同の意を示す。
一人ディアンが吐いた溜め息は、気の毒なことに、誰の同情も買うことができなかった。




