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いつか叶う約束  作者: トウリン


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協会長カリエステ

「ようやく戻ったのか」

 見事に消え失せた頭髪の代わりとばかりに膝まで届くほど伸ばされた霜鬚(そうしゅ)をしごきながら、協会長──カリエステは何の前触れもなく現れたクリーゲルに言った。その顔は、何の肝を頬張ったのかというほどの渋面だ。

 そんな上司の機嫌などまったく気にした様子もなく、クリーゲルは肩をすくめる。

「私の力は、凡人に毛が生えた程度しか残っていませんからね。召集を聞き取るのも、一苦労なんですよ」

 ――緊急招集の際に魔道士の間で用いられる遠話術の効果は、呼びかける側だけでなく、呼びかけを受ける側の魔道士の力にも関係する。受け手側に力があれば、遠く離れて囁き声のようになった呼びかけも聞き取ることができるのだ。逆に、力がなければ間近でがなり立ててもらわなければ、気付けない。


 すみませんね、と顔だけは真面目なクリーゲルに、カリエステは苛々と足を踏み鳴らした。

「戯言はそれぐらいにしておけ」

「たわごと、ですか?」

 心外だというふうに、クリーゲルは目を丸くする。そんな彼にカリエステは電撃が迸りそうな眼差しを向けた。

「お前の力も見抜けんほど、儂は老いぼれちゃおらん」

「へえ、そうですか? 配下の者の手綱も取れないようでは、引退を考えた方がよろしいと思いますが」

 片方の眉を持ち上げたクリーゲルの返答に、カリエステは苦々しげに舌打ちをする。

「お前の言いたいことは解っている。養い子のことだろう?」


「……」

 ヒタとカリエステに据えられたクリーゲルの眼差しからは、それまでの軽い調子が拭い去られていた。

 物理的な圧迫感すら覚えるその視線に、カリエステはため息をつく。

「中途半端な力しか持たない者が、最も始末が悪いのだ。相手の力を察知することができ、それを恐れていても、自らの力がもたらす人並み外れた自尊心の為に相手を認めることができないとくる」

「で、そいつらをなだめる為に、あの娘を寄ってたかって吊るし上げようってのを見て見ぬ振りってわけですか」

 冷やかな声でそう言ったクリーゲルの視線は、カリエステには向けられていない。それは、部屋の両側に掲げられたタペストリー──この世で最強の存在である龍を織り込んだ見事なタペストリーへと、注がれていた。


 クリーゲルが見つめているものには白銀の風龍と薄い青色の水龍が、そして、それに向き合うように掛けられたものには朱色の火龍と褐色の地龍が、それぞれ螺旋を描くように絡まりあっている姿で描かれている。


「美しく、強大な彼らも、幼いうちは庇護者が必要だと聞きますよ」

 淡々とそう語ったクリーゲルの声は、穏やかであるからこそ、その底に荒れ狂う流れを秘めた海面を思わせた。


 と、その時。


 不意に、カリエステは息苦しさに襲われた。空気を吸い込む喉が熱い。

 ――部屋の気温が、明らかに上昇していた。


「クリーゲル、落ち着け。皆に知れるぞ」

「そうしたら、私も狩られる立場ってわけですね」

 嘲笑としか見えない嗤いを口元に刻み、クリーゲルは肩をすくめる。だが、揶揄する彼のその仕草を引き金としたように、室温が下がり始めた。


「ま、私はそんなの御免ですから、おとなしく追跡隊にでも何でも参加しますよ」

「いちいち口の減らん……まあ良い。さっさとディアンの班に合流しろ。お前は転移の術も使えるのだろう?」

「まさか」

 目を丸くしているクリーゲルに、カリエステは深々と溜め息を吐いた。

「どうでもいいから、他の者には見つからんようにしろ。二人も追わせられるほど人員は余っていないからな」

 うんざりしたように片手で額を覆い、カリエステは空いている方の手をクリーゲルに向けて振った。いかにもとっとと失せろと言わんばかりのカリエステの口調に、クリーゲルは再び肩をすくめる。

「それでは、失礼しますよ。あまり煽るとあなたの頭がイッてしまいますからね」


 言い終えたクリーゲルはカリエステの反応を確かめようともせず、一瞬にして消え失せた――現れた時と同様に。


 独り残されたカリエステは、苦りきった顔でクリーゲルの居た場所を見つめる。

 危うくこの部屋を火の海にしかけた力は、ヒトには過ぎたものだ。


 ふと、ここへ来たばかり──まだ幼かった頃のクリーゲルの姿がカリエステの脳裏に蘇える。あの頃のクリーゲルは口数も少なく、どちらかと言えば引っ込み思案な子どもだった。


 何の悪戯なのか、時として、ヒトの中には、ただ魔力を持つというだけでなく、『並外れた』力を持つ者が生まれることがある。カリエステがそうであり──クリーゲルもまた、それであった。

 元来、魔道士の素質を持つ者の出生は血筋には関係がない。カリエステもクリーゲルも、両親は何の力も無いごく普通の人間だった。


 ただの人間が『普通でない』力を持つ子どもを育てることは至難の業である。力を制御できない子どもを持て余した親が『協会』へ連れてくるというのが、『協会』に属している魔道士たちの生い立ちのほとんどだった。そして、子どもの力が強大であればあるほど、その時期は早まった。


 クリーゲルの親は、それでも、頑張ったほうである。彼ほどの力を持つ子どもでは、それこそ産声を上げると同時に『協会』に預けられていてもおかしくはなかった。

 身体中を軟膏と包帯で覆われた母親は、やはりあちらこちらに火傷を負っている父親に抱えられるようにして『協会』を訪れた。ぎりぎりまで張り詰めていた彼女の心が放っていた空気を、カリエステは未だにまざまざと思い出すことができる。

 彼らの無口な子どもは、その幼さにも拘らず心の中を読み取らせない眼差しをカリエステに向けて、両親から少し離れた場所に立っていた。


「名前は?」

 両親よりも遥かに年経た老人の問いに対して、子どもは小さな声で、しかし気後れした様子はなく、はっきりと答えた。

「クリーゲル」

 子どもの視線と自分のそれとが絡まったその時、カリエステはその子どもの魔力が協会長である己のものよりも優っていることを知った。


「『協会』に入るのだね?」

 そう尋ねた老人に、子どもは深く頷いた。刹那背後で上がった母親の泣き声にも、身じろぎ一つせずに。


「クリーゲル……」

 父親の呼びかけにピクリと肩を振るわせた子どもの表情を見ることができたのは、彼の正面に屈みこんでいたカリエステだけである。


 子どもは束の間強く唇を噛み締め──次いで、微笑みの形を作り、両親を振り返った。

 父親は幼い我が子の決意を痛いほどに感じ取ったようだったが、その微笑に母親はいっそう涙を溢れさせただけだった。


「頑張れよ」


 父親の言葉に深く頷いたクリーゲルは、堅く心に誓ったに違いない。その手に余る能力を飼い慣らし、いつか必ず彼らの元へと笑顔で帰ることを。


 やがて父親は、むせび泣く母親を抱きかかえるようにして、去っていった。クリーゲルはその背を見つめ続け、二人の姿が完全に視界から消え去っても、動こうとはしなかった。


 決意に満ちたその時の彼の眼差しは、未だにカリエステの脳裏に鮮明に残っている。


 子どもにとっては、自分が持つその力を何とか制御できるようになるまでの、一時の別れの筈だったのであろう。しかし、母親にとっては、違ったようだ。


 あれは、クリーゲルが『協会』に預けられてから二年──彼が七歳の誕生日を迎えた日の夜のことだった。

 クリーゲルの両親の住む家が全焼し、二人は還らぬ人となったと、報せが入ったのだ。

 あまりの火の回りの速さから自然のものであるとは言い難く、特に母親の焼け方が酷かったことから、彼女が火を掛けたことは、まず間違いのないことだった。


 その報せをクリーゲルに伝えたのはカリエステ自身である。話を聞き終わるや否や、子どもは大きく身を震わせ、焦りを含んだ眼差しで周囲を見回した。そして、彼が窓際へと走り寄った直後、庭が爆発したのだ。

 後を追ったカリエステが目にしたものは、雫一滴残さずに干上がり、湯気すらも立てていない池の残骸だった。大量の水を蒸発させてもなお立ち込めていたあの熱気の中で背筋を駆け上がった悪寒を、カリエステは今でもはっきりと思い出す。


 クリーゲルが変わり始めたのはあの時からだった。


 あれほど熱心だった研鑽意欲はどこへやら。

 日々ダラダラと怠惰に過ごし、十六になると同時に修行と称した放浪の旅に出て、ほとんど『協会』には寄り付かなくなった。

 だが、そうやって『なかったこと』にしたところで、クリーゲルの身から魔力が消え失せたわけではない。彼が巧妙に隠した、いつファルの称号を受けてもおかしくはないほどの力を、カリエステは確かに感じ取っていた。


 カリエステは深々と息を吐き、両手を組む。


 クリーゲルが旅先で拾ってきた子ども。

 いかにも不承不承という素振りでクリーゲルがカリエステのもとに連れてきたその少女と対面した時、彼の全身には戦慄が走った。


 年のころは、十かそこら。

 長く生きてきたカリエステですら見たことがない黒髪黒目の、少女。

 恐らく、いや、間違いなくカリエステの、そしてクリーゲルの魔力を凌ぐ――凌ぐという言葉など用いることすらできないほど圧倒的な力を帯びたその少女を、クリーゲルは「拾った」の一言で説明した。


 そうして二人はサウラの片田舎に戻っていったのだが、彼女を『協会』に連れてきたのはそうする他に仕方がなかったからだったのだろう。あれほどの力を持っていればどれほど巧妙に隠していたところでいずれ『協会』に察知されただろうし、『協会』に『見つかった』となると、心証が悪い。だから、クリーゲルは、少女が『協会』の『所有物』とされることが判っていても、彼女を連れてこざるを得なかった。


 その子どもに対して、クリーゲルが失った家族を重ねているということは解っていた。その彼にファラシアを追わせることがどんなに酷な事であるかということも。しかし、クリーゲルを使うより他にファラシアを御す手はなく、だからといって彼女を放置しておけば『協会』という巨大な組織がぐら付きかねない。

 カリエステとて、本当にファラシアが『協会』に刃向かうとは思ってはいない。だが、『協会』の他の魔道士たちの間に彼女に対する不信感がこれほど激しく噴き出してしまった以上、何らかの手を打たねばならなかった。


「まったく、ここで一番の年寄りでなければ、こんな面倒な役柄なんぞ……」

 ぼやいたところで聞いてくれる者とていない愚痴など虚しいものでしかない。


 首をグルリと回して立ち上がると、カリエステはガランとした部屋を後にする。扉を閉ざす間際、彼はもう一度、水と風の龍が織り込まれたタペストリーへと眼を走らせた。


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