当て所なき逃避行
ファラシアを乗せて走るゼンの動きは水の中を泳ぐ魚のように滑らかで、ほとんど揺れを感じない。一晩中、一度も止まることなく駆けていたから、ガスの村はもう遥か彼方だ。
ほとんど覆い被さるようにしてゼンに身を任せ、ファラシアは、別れ際のミリアの涙を思い返していた。
その仔犬のようなつぶらな茶色の瞳は、恐怖で染め上げられた男たちの眼差しの中、ただ一組、彼女のことを案じ、慕ってくれていた。
「泣かせたくなんて、なかったんだけどな」
ガスの村を出てから初めて発せられたファラシアの声に、ゼンの耳がピクリと動く。
足を止め、気遣うように振り返った彼の首筋を、手のひらだけを動かしてポンポンと叩いた。そうして、柔らかな白銀の毛に頬を埋める。フワフワで温かなものに触れていると、何となく、胸の中の冷たいものが融かされていくような気がした。
その温かさにすがり、ファラシアは、深呼吸ともため息ともつかないものをこぼす。
「確かに、あの村にずっといるわけにはいかなかったし、そうするつもりなんてなかったけど、でも、もっと、普通のお別れをするもりだったのよ」
もそもそと毛皮の中に吐き出す愚痴に返事は求められていないと察したのか、ゼンがまた足を動かし始めた。今度はてくてくと、歩く速さで。
その、心地良い微かな振動を感じながら。
「泣かせたく、なかったのに」
ファラシアは、また、同じ言葉を囁いた。
七日という短い間ではあったけれども、はにかんだ笑顔を持ったあの少女を、ファラシアは妹のように思っていたのだ。ライアとミリアを見ていると、サウラのリーラとカヤを思い出した。
リーラとカヤにも、もう会えない。きっと、もう、二度と。
屈託なく慕ってくれていたミリアとカヤが重なって、カヤが大きくなったらミリアのようになるのだろうかと夢想した。
カヤの幸せを望むように、ミリアの幸せも、祈った。
それなのに、他ならぬファラシア自身が、あのように泣かせてしまった。
彼女の魔力の発動が呼び水になったに違いないから、今頃は『協会』から放たれた追っ手があの村に到着している頃だろうことも、ファラシアの心を重くする。
いったい、どんな言われようをされていることだろうか。
魔物だという大人たちの言葉を、『協会』が裏打ちしてしまうかもしれない。
(そうなったら、さすがにミリアだって……)
真っ直ぐに慕ってくれていた少女の瞳が、もう決して戻っては来ないだろうことが、無性に寂しかった。
「こうやって──死ぬまで、逃げて、隠れてっていうふうに生きていかなくちゃならないのかな」
この、力のせいで。
ファラシアは鉄の味が滲むほどに、唇を噛み締める。
特別な力なんて欲しくなかった。
普通の人間で、いたかった。
そうすれば、カヤやリーラと日々を過ごしていけたのに。
弱気が押し寄せてくるのを退けることは難しかった。
「ホントに、もう、どうしよっかな……」
無意識のうちにゼンの毛皮を握り締めて、ファラシアはポツリとこぼす。
と、彼が頭をもたげ、彼女の肩のあたりに額をこすりつけてくる。その仕草は、まるで「自分がいるじゃないか」と言っているようで。
「ありがとう。――ごめんね、ゼン。本当は、あなたと離れた方がいいことは判っているの。でも……」
少なくとも今は、独りになりたくなかった。
それは弱さだ、甘えだということは嫌というほど判っている。けれど、判っていても、ファラシアはゼンに回した腕に手を込める。
後ろへ後ろへと過ぎ去っていく下生えを見つめていると、自分ではどうにもならないものに押し流されている状況が痛感された。




