其の1【鯛】
父〝黒めがね〟ヨシユキKN造は、酒はもちろんだが旨いものが大好きだった。グルメではなかった。食い物について、知った風な講釈を垂れる人間を忌み嫌ってもいた。ただし、自分の口に入れるものは〝ホンモノ〟に拘った。徹底していた。ご相伴にあずかっていた僕にとっては、ありがたくもあり、また、家を出てからの、お大尽ではない現実を鑑みれば(まったく、罪なことをしてくれたものだ)という思いも頭をよぎる。
電話が鳴る。母TM子が応対する。魚屋からの一報だ。
「奥さん、えぇてゃぁ(良い鯛)がひゃありました(入りました)」
「あらそう、じゃ、いただくわ」
現物を見ることのない、値段も確かめない、あっけない注文。支払は盆暮れの年2回だったか、月締めだったか、ともかく付け払いだった。ほどなく魚屋が、鯛をわが家へ持ち込む。三枚おろしにされた身厚な白身と兜と粗一式。季節によっては、そこに真子もしくは白子が加わる。「奥さん、えぇ□□がひゃありました」というのは魚屋の常套句、というか、旬の〝これは〟という魚なら、まちがいなくわが家が買うことを前提として仕入れていたのだ。
黒めがねは、感情の起伏が極端かつ激烈で、一度火が点いたら誰にも止めようが無かった。もし彼の意に添わぬ物を届けようものなら、即座に出入り差し止め。二度と敷居は跨げなかった。魚屋は、そんなリスクを背負って目利きしていたことになる。
儚い記憶なのだが、刺身が食卓に上るのは、土曜日の昼が多かったように思う。さすがに冷蔵庫はあったが、冷凍・チルドといった保存技術などなかった、僕の子ども時代の話。夜まで保存などせず生魚は新鮮なうちに消費するというのは、当然の選択だったと思う。
半透明で微かに飴色を湛えた、箸で持ち上げるとフルフル揺れる刺身を、おろしたての山葵を溶いた醤油に浸して、炊きたてのご飯とともにかきこむ。プルプルした弾力・コリコリした歯ごたえと、噛みしめるだにあふれる魚の旨味。僕のこころの裡に「白身魚の刺身は旨い」という意識が強烈に刷り込まれた。
後年、進学で東京に出て愕然とした。貧乏学生がたまに口にする、安酒場や定食屋の刺身。現実は厳しかった。(なんじゃ、こりゃ)ふにゃふにゃして歯ごたえのない、味も香りもない鯛や鮃の衝撃が、歳を重ねたいまも尾を引いている。世界の食の都と称してもいい、いまの東京で、〝ホンモノ〟の白身魚の刺身を食うことは、もちろん可能だ(けっこうな出費は覚悟の上で)。ただ、ふつうの食卓で、あの旨さを味わうのがほぼ不可能であることは、変わりがない。
バブルの余韻が、まだ残っていた頃。吉祥寺の「ハーモニカ横町」の一隅に変な魚屋があった。狭い間口の奥一杯を占めるガラスケースがスカスカ……ではなくて、宝物のように、白身魚の冊が入ったスチロール皿が、まばらだが大切そうに整然と置かれていた。近辺の魚屋は、関東人が大好きな鮪(*1)をメインとした、満艦飾の品ぞろえで威勢良く客を呼び込んでいた。しかしその店は閑かだった。気になった。何度もその前を通り過ぎ、ある日たまらず店に入った。
「いらっしゃい」応対してくれた店主は30歳前後に見受けられた。人懐っこい笑顔を絶やさない彼は穏やかだった。商売っ気が感じられなかった。ガラスケースの中を確かめる。季節によって当然品ぞろえは変わるのだが、そこには〝ホンモノ〟の鯛・鱸・鰈・鮃が鎮座していた。常磐沖、外房、富津(東京湾)、佐島(相模湾)。店主は、魚たちの出自を、愉しそうに説明する。正直高かったが、その笑顔にのせられた(買おう)。帰って早速食った。(嗚呼、東京で、こんな白身の刺身に遭遇できるとは)フルフル・プルプル・コリコリとしたそれは、絶品だった。見知りになってからは、新鮮な肝をおまけに付けてくれたりもした。煮付けると、これまた絶品だった。
店の正面に切り身を中心とした小さな売場があった。こちらは色黒で小柄な、ぶっきらぼうだけれども愛嬌のある、漁師みたいなおじさんが切り盛りしていた。ふたつでひとつの店。こちらは、おじさんが作る魚介の惣菜が旨かった。関東の冬場の王者、鮟鱇のパックは、デパート並みの値段だったが、純白のフィレ(身)・皮・キレイに処理された内臓・粗がみっちり詰まった、お買い得品だった。
店はすでにない。店主は、有名な魚介加工業者の長男。家業の差配は弟に任せて(その辺の事情はよくわからない)……(採算は取れてる? 大丈夫?)客の僕が心配するような、道楽とも思える、旨い、〝ホンモノ〟の白身魚(*2 )だけを扱っていた。したり顔の講釈など一切なかった。只ただ、魚が好きだったとしか謂いようがない。不思議な魚屋だった。
閑話休題。しばし本筋を離れ、父〝黒めがね〟KN造と岡山の魚について書こうと思う。まずは鯛の話。
………………
岡山の鯛
………………
昼飯に刺身を食った日の夜も、鯛が食卓に並ぶ。身厚なフィレは塩焼きか煮付けに姿を変え、ばつぐんのご飯のおかずとなる。ほくほくしていながら歯ごたえを感じる。身や皮の旨さはもちろんだが、皮と身の間の、なめらかで味わい深い脂感が堪らない。添えられるのは、粗で出汁を取った潮汁。透明なスープの表面を鯛の細かな脂が覆う。(ふぅ、ふぅ)息を吹きかけ、身を十分以上に纏った粗を啜り、柔らかなスープを呑む。薬味として投入された、西日本ならではの斜め切りされた青葱の風味と相まって、旨かった、としか謂いようがない。余談だが、鯛は危険な魚である。幼いころ、骨が喉に刺さって、親が狼狽するほど苦しんだことがある。鯛の骨は硬い。これは、歳を重ねたいまも肝に命じている教訓だ。
しかし、父〝黒めがね〟KN造にとって、塩焼きや煮付けは二の次、三の次。待望していたのは、酒の肴の極めつけ。兜の煮付け、もしくは酒蒸しだった。大皿に盛られた兜、湯気を纏った旨みの塊を母が食卓に運びこむ。煮汁にさらされ、たゆとうたあげくの晴れ舞台。白濁した大きな目玉、受け口のぼったりとした唇はもちろん、兜全体ががつやつやと輝く。ところどころ皮が弾けて身をあらわにしているのは、新鮮さの証明だ。
「ほれ、目ん玉食え。ほっぺたも旨えぞ」
〝黒めがね〟はいつも、ガキの僕にまず、目玉と頬肉を喰わせた。
それは、そこが一番旨いからだ。白濁した眼球の周辺。眼窩の、いまで謂うならコラーゲンそのものの、トロトロした、煮汁を湛えた粘膜は、本当に旨かった。ほくほくしているのに、噛みしめるとキュキュッと音がしそうな、ほっぺたの肉の味わいも忘れられない。
(ガキでも旨いもんはわかるはずじゃ)
ほんのささいな人の態度、言動に、突如怒りを爆発させることは多々あったが(その激烈さに、たびたび縮み上がったものだ)、あれこれ説教する、行動に干渉するなど一切なかった〝黒めがね〟の薫陶、彼が僕の記憶に刻み込んだ数少ない人生の指針(?)のひとつだった、と、いまは思っている。感謝している。しかしまったく、罪なことをしてくれたものだ。
後年、新潟市出身、7つ年下のMT島くんと昵懇になった。安くて旨そうな居酒屋を見繕っては呑み歩いた。そのなかのひとつ。新宿の、大衆割烹三州屋(*3)。暖簾をくぐり格子ガラスの戸を開けた刹那、喧噪に圧倒された。威勢のいい料理人たち、元気なお運びのおばちゃんたち、なにより酒肴に浸る中年男性をメインとする客たちのさんざめきがスゴいことになっていた。席を確保して、とりあえずの生を注文。肴は定番はともかく、墨書され壁に貼られた、本日のおススメから選び放題だ。
この店の料理は、実に旨かった。なにより懐具合相応なのが嬉しかった。鰹節の風味に鶏の旨味が加わった熱々の出汁に、鶏肉と絹豆腐がたっぷりと入った「鳥豆腐」をポン酢でいただく。春菊のほろ苦さがまたいい。絶品だ。魚はどれも値段以上の大満足。ビールは熱燗に代わり盃が重なる。
「次は何頼もうか」なんて、MT島くんに尋ねるふり。僕のこころは決まっていた。「鯛の兜の酒蒸」。これ一択だった。「いいっすねぇ」いい感じに酒が回り、にこにこしているMT島くんも異存なし。(ここの酒蒸しなら絶対旨いはず。久々の目ん玉、めんたま、愉しみ♪♪)なんてお気楽気分だった。ほどなくして現物がテーブルに運ばれてくる。上々以上のできばえ。目ん玉がテカっている。(やった、ふっふっふ♪)「……あのさ、目ん玉喰っていい♪」さりげなく領有権主張。(けっこうグロいから、ふつうの人は敬遠するよな)という予断はしかし、「えっ、ちょっと待ってください」というMT島くんの、傑然たるひと言で、あっさり瓦解した。
(えっ、なに[頭ん中真っ白+必死の状況把握&結論]……むむっ、やるな、お主)
三州屋の兜は値段を押さえるために半身で供される。ということは、目ん玉はひとつ。和やかに見えてその実、予期せぬ対立(というより醜い争い)が一気に生じたわけだ。僕たちが出した解決策はじゃんけんだった。勝ったら目ん玉、負けたらほっぺたということで妥結した。新潟は米どころ、酒どころとして有名だが、魚どころでもあることを思い知らされた。単なる食い意地の権化でしかない僕の、おバカで忘れられない思い出。MT島くんにも〝同類〟(失敬)を感じつつ、ふたりして兜の隅からすみまでつつき、ほじくり、啜り、煮汁も掬い呑み舐めて、皿に残されたのは、解体され無惨な姿をさらす鯛の骨だけだったことを書き添えておく。懐かしい。旨かった。
鯛は、日本では、魚の王様とされている。全国どこでも「うち(の海・港)の鯛が日本一」と、喧伝する。激流に揉まれ、絶妙の脂をたたえながら身の引き締まった鯛を産する瀬戸内海でいえば、備後の鞆(広島県福山市)、伊予灘(愛媛県)、明石(兵庫県)、鳴門(徳島県)などが、〝美鯛〟の姸を競う。「岡山の、鯛……旨いの?」。(知りもしないくせに、何言いやがる)こころない(?)無知な知人の暴言に、郷土愛(?)がふつふつと沸き起こる。
波静かで穏やかな内海という表向きの姿と異なり、瀬戸内海の海中は、潮の干満による激流が複雑に交錯する、船の難所である。この狭い海域のどこであれ、同様の激流に揉まれ釣り上げられた、しかるべき鯛がまずかろうはずがない。先に挙げた4つの鯛の産地が有名なのは、水揚げの歴史とともに、ブランド戦略に長けているからなのだ。なので、ここに高らか(?)に宣言する。──岡山の鯛は、すばらしく旨い──。ついでにもうひとつ岡山の鯛自慢。
めったに喰うものではなかったが、「濱(浜)焼桜鯛」という名物がある。有名なのは鯛惣という店の製品だ。ホームページ最下部の、脚注に置くのはもったいない惹句に痺れる。「藁苞に包んだ真鯛を風流伝八笠にて外装す。酒脱にて高雅。」(http://www.taiso-gift.co.jp/html/hamayaki.php)。説明しにくいのだが、内臓を抜いた天然の活鯛を藁に包み、熱塩水をかけて3時間蒸し上げるという代物だ(詳しくは*4)。二ツ折りにされた竹籠(伝八笠)を開くと40~50cmはあろうかという藁包み。藁をほどけば〝酒脱にて高雅〟な鯛が現れる。蒸し焼きにされているので、塩焼きとは一線を画す歯ごたえと風味が堪らない。もちろん「目ん玉とほっぺた」から箸を付ける。家族総出で(といっても両親と僕の3人、もしくは帰省中の兄がいれば4人)身をつつき、一心に食い尽くす。しかしまだ先がある。身を残した兜や粗を小分けにして椀に入れ、熱湯を注いでしばし待つ。すると即席で形容しがたい味わいの潮汁ができ上がるのだ。これでようやく完食。大満足。
旨そうに鯛をつまみ、酒を愉しんでいた〝黒めがね〟を思い出す。嗚呼やっぱり、岡山の鯛は旨いのだ。
(岡山の鯛 了)
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●脚注
*1 関東人が大好きな鮪:鮪は〝黒めがね〟が大好きだった鮨屋でしか食べたことがありませんでした。実家では食卓に並んだことすらない。というか、かつて岡山の魚屋には、鮪は置かれていなかったように記憶しています(不確かですが)。冷凍技術や流通が整備されていない大昔の話です(あしからず)。地ものの白身魚で客を魅了していた件の鮨屋も、目に適う鮪だけは岡山では調達できず、しかるべき品を大阪から仕入れていました。なので上京して、街中に鮪があふれていることに驚きました。かつて東日本と西日本は、食に関して大いなる相違点を抱えていたのです。いまは全国津々浦々で、鮪は愉しまれていますね。
*2 旨い〝ホンモノ〟の白身魚:銀座や日本橋の老舗デパートの魚売場近辺に、特撰品を扱う魚屋のテナントが入っているケースがあります。見るからに旨そうな白身が陳列されている。でも到底、庶民が手を出せる値段ではありません。それらと同等の品を、都下・吉祥寺の魚屋がふつうに(デパート価格よりも割安で)売っていた。そんな店に出会えたことに感謝します。余談ですが、日本橋の老舗デパートで、真子・白子が詰まった、美しい鯛の粗パックを見つけたことがあります。所詮は粗ですから、値段は安い。迷わず買って、煮付けて食いました。骨周りの身はもちろんのこと、鱈子とは様相の異なる、細かくて滑らかな卵粒(真子)の食感、そして極めつけ、クリームのような白子の旨味に天を仰ぎました。旨かった、です。
*3 三州屋:蒲田に本店を置く居酒屋グループ。チェーンではなく、本店から暖簾分けされた人が各所で店を開いているようです。残念ながら新宿店は閉店しましたが、銀座、日本橋、有楽町、八重洲、神田、新橋、飯田橋、六本木などで、吞ん兵衛のオアシスとして繁盛しています。ここは夜はもちろん、ランチがおススメです。おかずは絶品の焼き魚もしくは煮魚、刺身の盛り合わせ、魚介のフライ等々。特筆すべきはご飯が旨いこと。出汁が効いた味噌汁も堪りません。
*4 3時間蒸し上げるという代物だ:(鯛惣ホームページから転載 http://www.taiso-gift.co.jp/html/hamayaki.php)塩の熱のみで蒸し上げるのには深い理由があります。沸騰した120度近くの熱塩水を注ぐと、桜鯛の表面全体が一気に熱せられ、旨みが中に閉じ込められます。塩水は下に流れ、熱い塩だけが残ります。ここからがこだわりへの所以です。塩は一度温めると冷めにくいという特性があります。熱い塩の熱(約100度前後)が、桜鯛の中心部に向かってじわじわと均等に伝わるため、鯛の持つ本来の繊維質を壊さず、しこしことした歯ごたえのある風味豊かな味を醸し出します。(この時点で塩の温度は70~80度前後)昔ながらの浜焼の味をお楽しみください。また、不思議なことに、鱗にさえぎられ、この塩分は鯛の身の中にほとんど入ってきませんので、塩辛くありません。昔の人が考え出した、究極の製造方法です。/漁場より直送された天然の真鯛は、内臓を取り除き、香りの良い藁に収められます。この藁包みは素朴で故郷をも思わせる風流と大変喜ばれています。その後、大量の塩が釜に送られ、120度位にまで熱せられます。移動式床に並べた鯛に熱塩水を注ぎ、熱い塩で鯛を上下より包み込み、この塩の熱のみで約3時間蒸し焼きします。取り出された鯛は、生姜醤油召し上がり方等と共に伝八笠に収められ、頑丈な箱に梱包され全国に出荷されます。