3話
「皇帝陛下に、御挨拶申し上げます」
ティアリスは中央に鎮座する皇帝……ジュークに向かって、そのしなやかな芸術品のような身体を折った。さらさらと流れ落ちるかのような美しい髪。育ちが出る、と言われる髪はこの国において重要視される部位である。加えてティアリスはこの美貌であるため、周りを囲う家臣達は口々に彼女を褒め称える。
「久方ぶりだな。息災であったか」
「はい。ひとえに陛下のおかげにございますれば」
「同じ帝都内とはいえ、其方の屋敷からは半日の時を要する。疲れたであろう、身体をいとえよ」
「有り難きお言葉」
従兄弟であり、幼い頃から実の兄妹のようにして育ってきたジュークに対し、このような言葉を使うのはむず痒い。いつもはあくまで家族として接してきたためお互いの立場に敬意を払うだなんてことは不要であった。
むず痒いとはいえ、ティアリスも貴族の娘。それも皇族腹である。礼儀作法は一通り身についているし、他でもないその演技力が彼女を守ってくれる。
「ティアリス嬢を余の星妃とする。異論は?」
「御座いません」
背後に侍る女性達の1人が、口早にそう答えた。
つまりは彼女が代表であり……ひいては、夫の妻の中では最上位に位置する女なのだろう。
彼女が、キスリル・エイン嬢……。
夫の長男の母親であり、高位とされる后の宮の最上位、天妃の位を持つ彼女は、非常に美しい。宰相の一人娘というこの上ない身分もあり、皇后となるのは彼女なのだろうか、とぼんやりと考える。
天妃は美しい切れ長な瞳でティアリスを一瞥すると、直ぐに視線を外した。ティアリスの思い過ごしであって欲しいが、どうやら彼女は自分のことが気に入らないようだ。ひっきりなしに髪を撫でつけ、眉を顰めては皇帝の姿をちらりと見、嘆息する……。
まぁ、自分のことが嫌いなら嫌いで構わない。
その方が悪妃として過ごす上で都合が良い。
「其方も余の妻の一員となるのだ。こちらへ」
「はっ」
ジュークがティアリスに向かって手招きすると同時に、家臣の1人がさっと立ち上がり、何処からともなくティアリス用であろう椅子を用意した。
天妃の隣である空席を飛ばしたその隣がティアリスへ用意された席である。序列から考えるに本来隣に居るのは后の宮の2番目の位、月妃の位を賜っているマリエイラ・シャンクス嬢であると考えて良いだろう。
彼女は、一体何処に?
……流石に口にはしなかったが。
「余は臣達と会議に入る。其方達は談笑でも楽しめばよかろう。酒を用意させる。……良いな、ティアリス」
返答しようとしていた天妃は、皇帝がティアリスに名指しで尋ねたために眉を顰める。対するティアリスはまさか自分に話が来るとは思ってもいなかったため咄嗟に対応はしたものの、随分と上擦った声になってしまった。
「ティアリス・ガングレイヴで御座います。不束者では御座いますが、皆様とお近づきになり少しでも陛下の休息の地である後宮の主の1人としての役目を果たしたいと思っております」
「その必要は御座いませんわ」
ティアリスの言葉は、天妃の氷のように冷たいその声に遮られる。天妃はティアリスを睨めつけると嘲笑した。
周りに侍る妃嬪達は張り詰めた面持ちで天妃とティアリス、両者を見比べる。
「わたくしは陛下の長男の母。ハルクはいずれ皇太子となり、わたくしも皇后となるでしょう。ただでさえ、あの月妃とその息子が陛下の関心を多少奪っている以上、もうわたくしの立場を揺るがすような者は邪魔以外の何者でもありません。命が惜しくば去りなさい」
天妃の言葉には迫力があった。
鬼気迫る表情は、彼女に一番似合っているようで美しかった。
完全にこちらを下した気でいる彼女は先ほどと比べ上機嫌なようで強かな笑みを浮かべた。
……が。
ティアリスがその赤い唇を歪ませると天妃は、余裕を滲ませたその顔を曇らせた。ティアリスは苦痛から表情を歪ませたのではない、呆れから表情を歪ませた、ということが手に取るようにわかってしまったから。
「命が惜しくば去れ?随分な口のききようだこと。皇子の母ではありますが所詮は宰相の娘。我ら皇族の所有物。主に対してのその発言、許されるものではないわ」
自らに敵意をもつ相手に、どう接するか。
一般的に影からひっそりと対処するか、もしくは大々的にその喧嘩を買うということが考えられる。ティアリスは後者を取った。
そもそも、自分は悪役令嬢としての自分を楽しむためにやって来たのである。存分に利用させていただくことほかない。
「なっ……小癪な……!親の威を借る女狐め……っ!」
「そうね、私が狐なら貴方は鼠かしら。生憎鼠は嫌いなの。見付けたら直ぐに駆除するようにしているわ」
「小娘が……次期皇后に対するその態度、」
「年増な石女にはさぞわたくしが邪魔なことでしょうね。同じようにわたくしも貴方が邪魔だわ」
妖艶に微笑むティアリス。
自らが小娘と罵った彼女の、認めたくはない、だが美しさに魅せられ天妃は牙をむくような勢いでティアリスを睨みつけた。
「わたくしは寛容だから許しましょう。そうね、命が惜しくば黙ってなさいな。わたくしは後宮をわたくしの物にしてみせるわ」
「……」
訝るような、それでいて屈辱と怒りを含む視線がティアリスを射抜く。彼女の憎悪に塗れた顔は見ているだけで吐き気がする。
ティアリスに他人の苦しむ顔を見て笑うような趣味はない。
「わたくしは貴方などどうとでも出来る。それを聞いてもなお引かないというのならどうぞご勝手に。せいぜい陛下に嫌われないようにすることね」
またもティアリスが浮かべた笑みは、非常に嗜虐的なものであった。