探し物
駅についたのは九時五十分を少し過ぎた頃だった。先刻M山から、三十分ほど遅れるwと連絡があった。単芝は悪しき文化。
しばらく暇になったので、駅中にある喫茶店に入りカフェモカのMサイズをオーダーする。出来上がったそれを店員から受け取ると、窓際にあるカウンター席の、一番奥の席に腰を下ろす。
突然だが、僕がカフェモカの魅力に取りつかれたのは二年ほど前、高校三年の冬だった。何かの用事で外出した時、暇つぶしに買ったばかりの小説を読もうと入った喫茶店で、興味本位でカフェモカを注文した。ふわふわ揺れるクリームに格子状にかけられたチョコレートソース。それらを溶かして出来上がった飲み物は、チョコ好きで甘いもの好きである僕の舌に革命を起こした。それまで好きな飲み物と言ったら選ばれし神の緑茶である、かの綾鷲様一択であった。だがしかし、この二年前の何の気ない暇つぶしの瞬間から、好きな飲み物の問いに対する解が増えたのだった。
忘れられないカフェモカとの出会いを思い出しながらカップを傾けつつ、暇つぶしに持ってきた小説をパラパラと読み進める。遅れると言ってもたった三十分だ。小説の面白さも手伝って、すぐにM山から連絡が来た。
「おまたせ、もうすぐ着くにゃん^^」
気持ち悪いので、適当に了解の意を伝えるスタンプを送りつけて画面を閉じる。カフェモカの残りを、少し名残惜しいがぐいっと流し込むと、小説をトートに入れて喫茶店を出た。改札の見える位置まで移動した後、そこにあった柱に背を預け、M山が出てくるのを待つことにした。スマホに目を落としてツイッターのタイムラインをを無心でスワイプし眺める。時折流れてくるかわいい子猫のショートムービーが、いつだって僕の心を癒してくれる。別段傷ついている訳でもないけど。
程なくして、改札から待ち人が現れた。
「ごめんごめん、間違えて平日の時刻表見てて目の前で電車一本出ちゃってさ。」
「お前、誘った本人が遅刻するのはさすがにどうかと思うぞ。その言い訳がホントだったとしても、もう少し余裕をもって出るのが筋だろ。」
「いやこれはマジな話なんだって。まぁ確かにトキの言ってることは正しい。朝寒すぎて時間ギリギリまで布団にくるまっていたのは事実だ。早めに出ることは考えはしたんだが布団が俺をどうしても離してくれなくてなぁ……」
にやけた顔で布団を抱きしめるしぐさをして見せるM山。いちいち言動が気持ち悪い。まぁついて来いよと歩き出したM山の後を追い、横並びで歩く。今日の僕の装いは白パーカーに瑠璃色のジーンズジャケット、M山が薄墨色のタートルネックのセーターに、アイボリーのステンカラ―コートを重ねており、下は二人とも黒のスキニー。身長もM山の方が高いせいか、傍からは兄弟のように見えているかもしれない。ああ、僕の愛しき成長期、もう一度でいいから会いたい……。
ところで、”トキ”というのはお分かりの通り僕のことだ。フルネームは時雨暁刻という。小中学生時代は、初見で読めない名前ランキングに堂々のランクインを果たしていた。名付け親は祖母らしいが、僕は祖母のことをほとんど覚えていない。両親や祖父からも、祖母の話はほとんど聞いた事が無く、いつ亡くなったのかすらも知らない。さておき。
「M山、今日のお目当てはいったい何なんだ?まさかお前、これができて僕に何かプレゼントの意見がほしい、なんて言い出すんじゃないだろうな?」
小指を立てながら僕は問う。
「や、まさか!!この俺にガールのフレンドなんてできた日にはこの地球に異世界の扉が開いて、キャンプ中の選ばれし子供たちが吸い込まれてしまうよ。」
「それは大変だな。というか、このご時世に子供会のキャンプなんてやらないだろ。」
「案外地方なんかじゃ普通にやってるかもしれんぞ。そんなことより、今日のターゲットはこれだよ。」
そういってM山はスマホの画面をこちらに向ける。どれどれと覗いてみると、
《クリスマス・年末在庫処分大セール!!対象商品全品半額!!》
と書かれた古本屋の宣伝広告だった。想像していたようなものと全く違ったせいか、思わず感嘆の声が漏れる。こいつ、そんな趣味があったのか。
「お前のことだから、彼女のプレゼント選びでもなけりゃ今日発売のエロゲとかそういうもんを買いに行くとばかり…。」
「おいおい悲しいこと言ってくれるなよトキぃ…。俺にだってゼミの集まりで趣味を聞かれたときにパッとこたえられるようなものの一つや二つ、持ってるんだぜ?」
「そいつは悪かったよ。ところでその古本屋はこの駅から近いのか?」
「ああ、そんなに遠くないよ。バスで十五分くらいらしい。」
なるほど、街中に向かわないのはなぜかと思ったがロータリーに向かっていたのか。しかし駅中からロータリーまでとことこと歩いてきたが、街はクリスマスの装飾でこれでもかと溢れかえっていた。駅ビルや駅地下のセールのチラシ、垂れ幕、駅前の広場にドーンと置かれたツリー、そこらじゅうに付けられた大量のイルミネーション。浮足立ったカップルやそれを横目にせこせこ駆け足でどこかへ向かうスーツ。空は晴れとも曇りとも言い難い、薄い空色をしていた。家を出る前に見た天気予報によると、今日は晴れで、明日から雪の確率が上がるらしい。ホワイトクリスマスとやらになるのだろうか。僕には全く関係のない話だが。M山が、昨夜見たというお笑い番組のあれこれをを楽しそうに話しているのを聞き流しつつ、他愛もない物思いにふけりながら歩いているうちに、バスのロータリーに到着した。
「ちょうど二分後にバス来るみたいだしラッキーだな。案外俺の遅刻がいい感じに働いてるのかも!」
なんて調子のいいことを言うM山から目を背けてバス停の方に目を向ける。僕たち以外にはカップルが一組と歳を召した女性が一人、スーツ姿の男性が一人並んでいた。そしてその全員が僕たちと同じバスに乗りこんだ。僕たちはバスの乗車口のすぐ右手、二人用の席に並んで座った。
「それにしてもトキ、お前こそそういう浮いた話はないのかい?」
「なんだよ藪から棒に。クリスマスなんて今年も無縁だって話、一昨日もしただろ?」
「いやね、トキはさっき俺にそういう子がいないか聞いてきただろ?そういう質問するやつってだいたい自分にはいるってパターンが多い気がしてな。ほら、よくあるだろ。お前あの課題ちゃんとやったか、俺はやったけど。とか、お前あのゲームのあのキャラ持ってる?え?おりゃんの?みたいな。」
「僕をネットに蔓延る悪の組織おりゃん民族と一緒にしないでくれよ。それに、お前に聞いたのは今日の目的の確認したいという意図のが強くてだなぁ……。…おまけにあんな変な夢まで見たんだ、あんな、彼女がいない悲しいオタク男子の妄想の具現化みたいな…。」
「へぇ、いったいどんなすけべぇな夢をみたんだ?ほれ言ってみそ?」
今日一でM山の目が輝いている。僕は少し躊躇いながらも、今朝見た夢のあらましを話した。時計だらけの不思議な空間、見知らぬ不思議な少女、そして、動かない針が時を刻んだ瞬間、世界が歪んで目が覚めた事。
「ふむ、なるほど。トキはロリコンで女の子とそういった刺激的な出会いを求めているわけだな。このむっつりさんめ。」
「おい変な言いがかりはやめろ。僕は決してロリコンではない。大体、あの女の子は実は成人しているという可能性だってあるんだ。見た目の情報だけを鵜呑みにして決めつけるのは、失礼かもしれないぞ。」
「なんだ、ロリはロリでも合法ロリがタイプなのか。いい感じのエロゲあったら教えてやるから、これからは隠さないでいいんだぜ?」
「おいだから…
「お、そろそろだな。」
そう言って僕の弁明を遮りつつ、M山は降車ボタンを押した。駄弁っている間に、ほかの乗客は全員降車していたようだ。バスから降りると、僕たちはそろって伸びをした。
「さて、あとはここから少し歩けば目的地だ。」
降りたバス停は街からそこそこ離れた場所で、辺りにはまばらに住宅が建っている程度の、閑散とした住宅地だった。ついさっきまでいた街中とは打って変わって田んぼや畑が多く、その分空気もおいしく感じられる。目的地はバスが通ってきた道、つまり駅方面に向かって少し戻ってすぐ右の、この辺りでは比較的開けている通りにあるらしい。きょろきょろと視線を巡らしながら歩を進める。人通りは全くない、という訳でもなく、ママさんの集いのようなグループ、軒先で枯葉を掃いているおじさんなどが散見される。通りにはコンビニ、ファミレスなどは見当たらないが、定食屋とラーメン屋らしき店は、少なくともあるようだ。
「ここだ、この路地の先にあるらしいな。」
M山は道の左側の、住宅と定食屋に挟まれた、路地裏へと吸い込まれていく。見失わないように早足で追いかける。路地裏のお約束といえば野良猫だろう。そんな淡い期待は裏切られず、三匹ほどの猫がてちてちと路地の奥へと駆けていく。石塀の上にどっしりと構えて昼寝をしている猫も、想像していた光景のソレで、謎にテンションが上がる。裏路地を抜けると、僕たちの前にこじんまりとした木造の古本屋が現れた。入り口の引き戸の上には、「寝猫堂」と大きく書かれた看板がでかでかと見下していた。路地裏の猫にこの古本屋の名前。この辺には猫に何かしらゆかりがある地域なのかもしれない。
「ほぇー、なかなか雰囲気あるもんだな。今日日こんな店、探してもなかなか見つからないんじゃないか?」
M山は嘆声をもらしながら店の中へと入っていく。僕も続いて中に入り、店の中をぐるっと見回した。壁に背を向けた背の高い本棚が右と左に、あとは背中合わせの本棚が二列並んでいるだけの、シンプルな内装だ。店の奥にはレジカウンターと、暖簾のかかったさらに奥へと向かう入り口が見える。カウンターに人影は無く、「御用の方は鳴らしてください↑」と書かれた札と、その上に置かれた、猫がモチーフであろう呼び鈴があるだけだ。先に入っていったM山はというと、スマホの画面と本棚とを人差し指で交互に見比べ、探し物をしていた。
「何探してるんだ?僕は特に目当てもないし手伝うぞ?」
「いやぁ、思いのほかあっさり見つかるかも、なんて思ったんだがそううまくはいかないな。全くあいつ、なんだってこんな本探してるんだか…」
「あれ?おいM山、この店に来たのってお前が欲しい本を探すためじゃなかったのか?」
「や、俺はどうしてもって頼まれた本を探しに来たんだよ。要はパシリだな。トキもその道連れにしてやろうと思って。」
「さっき駅で言ってたのはでまかせだったのかよ、このエロゲオタクめ。」
「ハハ、まさか本気でこのM山が古本集めなんてご高尚な趣味を持ち合わせていると思ったのか?そんなんじゃM山診断テストで0点になっちゃうゾ☆」
先に手を出したら負けだと小さい頃から教わってきたが、少しくらい破っても誰にも咎められないだろう。中指を親指でぐっと抑えてM山のおでこに照準を合わせる。ファイア。
「いてっ!おいトキぃ、この時期のデコピンは結構威力高いんだぞ…。悪かったからほら、これ一緒に探してくれよ。」
M山は弾かれたおでこをさすりながら、誰かさんに頼まれた古本のタイトルと著者が書かれたメモの写真を見せてくる。そのメモには結構な美文字でこう書かれていた。
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『手放したもの、奪われたもの、そして、失われたもの』 雨
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「ん?これ、著者のところかすれてて読めないんだけど、頼まれたときに聞かなかったのか?」
「ああ、それな。聞いたよもちろん。でもな、そいつも分からんみたいなんだよ。又聞きでもしたのか、あるいはこのメモ自体、そいつが書いたものじゃなくてどっかで拾ったものだったりするのかもなぁ…。」
「なんだそれ、宝の地図じゃあるまいし……。まさか、本当にどっかの界隈で有名な財宝の隠し場所が記された何か、的な……。」
「まっさか。俺の知り合いはそんなミーハーみたいな性格してないよ。好奇心は強いほうだが、都市伝説とかそういった迷信めいたものは信じちゃいないみたいだしな。ましてや、財宝なんてそんな突拍子の無いもの、俺だって信じないさ。」
「だよな、僕もだ。」
ラインで転送してもらったそのメモの写真を手掛かりに、僕もM山と反対の棚から探していくことにした。この古本屋では、ある程度は出版社などでまとめられているもののそれも気持ち程度であり、著者名が五十音順で並べられている、なんて親切は微塵も無い。しかしいったいどこから集めてくるのか、または集まってくるのか見当もつかない様な本もかなりあって、意外と興味をそそられた。
時折ちかちかと明滅する古びた蛍光灯が、一層この店の独特な雰囲気を引き出している。十五分ほど探し、壁際の棚はあらかた探し終わったが、目的の本はおろか、似たようなタイトルのものも見つからなかった。面白そうな本はいくつか見つけたが。M山も大体同じくらいの範囲を探し終わったらしいが、同じく結果は芳しくないようだった。
「そろそろ昼時だが、トキ、お前お腹減ってるか?」
「んー、家出る前にパン食ったから、めちゃくちゃ減ってるってことはないな。お前はぺこぺこか?」
「俺は起きてすぐ出てきたからな、お腹と背中がくっつきそうなくらいだ。この辺りにラーメン屋っぽいのあっただろ?あそこ行ってみないか?」
「まぁ他に定食屋くらいしか見当たらなかったし、いいよ、行ってみよう。」
僕たちは再び裏路地を通りぬけ、開けた通りにあるラーメン屋に向かった。昼時とはいえ店はそれほど混雑しておらず、注文したラーメンもバイトの元気な声と共にすぐに出てきた。初めて来た店だし無難に行こうと、僕もM山も、「しんびょうラーメン」というこの店の名前を冠する看板メニューを頼んだ。ちなみにM山は大で僕は並だ。醤油ベースのスープは何か隠し味でも入っているのか、他の店では味わった事の無い風味で、あっさりしている。麺は細めで硬め。個人的には結構当たりの美味しさだ。舌鼓を打ちつつM山の方をちらりと見ると、空腹でブーストがかかっていたのか、既にスープまでぺろりと平らげていた。もう少しじっくり味わえよと心の中でジト目を向ける。実際に顔に出ていたかもしれない。そんな僕の心境を知ってか知らずか、M山はいやぁ美味かったとご満悦の表情。
「悪いけど、僕はもう少し味わいながら食べるから待っててくれよ。」
「あ、そのことなんだが、ちょっと気になる店をさっき見つけてな?先に出て行ってくるから、お前食い終わったら先に古本屋に戻っててくれよ。そんなに長居はしないから安心しろって。あ、それと遅刻した分ここは出してやるからさ。それじゃ、また後でな!」
「あ、おい…、まぁいいか。」
伝票と二人分のラーメン代を机に残し、元気に飛び出していくM山。さては中古のアニメグッズショップとかそういうのがあったんだろう。昔は僕も集めていたが、今はめっきりだ。そんなことより、今はこの巡り合えたラーメンと向き合おう。閉まるドアの音を聞きながら、僕はゆっくりと、残りを味わった。