悲しい粒
その日、僕らは一週間ぶりにライノの会議室に集まった。
アロイス先生と二人で話した内容は大人がいない時にみんなへ伝えてあったけど、三歳児組はもしかしたら半分も理解できていないかもしれない。
…やっぱり、ルームで話さないと三歳児組はキツいよね。
レビ「…ルカ兄ちゃん、ほんとにアロイス先生は納得してた?」
ルカ「うーん…僕があんまり緊張してるから可哀相って思ったかも。追求したら僕が辛い気持ちになるって思って、矛を収めたって感じかな」
ノーラ「…それ、あんまり解決してないって…こと?」
ルカ「そうだよね…うー、みんなごめんね。僕もどう言えば禁止されないで済むのかわからなくってさ…」
アオイ「きっと~…ノーラのヴェノムを心配してるみたいに、ライノの能力にも心配しなきゃいけないこと、あるんじゃなぁい?」
スザク「そうかぁ?ライノはルームを発動しても、何も不安定な感じはないんだろ?」
ライノ「おう、ないぜ?みんなとしゃべって楽しくやろうって気持ちが強いし、そう出来てるってことにすげえ充実感あるし」
レイノ「俺も同じだな。チビたちも含めてよ、みんなでしゃべれる環境を俺とライノが作れてるってのは、すげえ誇らしい気持ちになる」
ニーナ「それってぇ、例えば誰かとケンカしたりしたら不安定になる可能性、あるよねぇ?」
レティ「あー…そうね。ライノ、もし落ち込んでたりイライラしてる時にルームを出さなきゃいけなくなったら…どうなると思う?」
ライノ「えー?どうって言われてもなー!」
ウゲツ「最初っからルームが作れないか、ケンカしてる相手はルームに入れたくなくて、無意識にブロックしちゃうとか?」
レイノ「あー…ありそうだな。一番怖ぇのって、ルームにいる時にケンカして、無意識にそいつを放り出すとかな…自分の心に戻れるならまだしも、深淵に放り出されたらコトだぜ…」
レイノの言葉に、僕らは初めてゾクリと震えた。
そうだ、最悪の事態が起こった時に僕らは何も自分たちを救う術を持たない。アロイス先生にきちんと話しておけば、守護やガードで救出してもらえたかもしれないのにっていう後悔をするかもしれないんだ。
深淵。
恐ろしい、漆黒の大河。
僕らの心が浮かぶこの不思議な大河は、僕らの心を包む世界であると同時に死の空間でもある。アレに放り出されたら、アレに捕まったら、僕らは何もできずに溶けるだけ。肉体を残して、心を散らす、恐ろしいモノ。
僕はなんでこんなに深淵が恐ろしいと知ってるんだろう。
白縹の本能?
ううん、そりゃもちろん「怖い」のは本能で分かってるけど。でも、なんで捕まったらどうなるのかってことや、アレに「落っこちたら」ヤバいってことを、こんなに身に染みて知ってるんだろう。
レティ「 … …カ!ルカ!ねえ、大丈夫?」
ルカ「へ!?あ、ごめ…何か言った?」
ライノ「えー、ルカどんだけボケっとしてんだよ…ダイブ中にさらにダイブしてるかと思うくらいボンヤリしてたぜ?」
クレア「…ルカ、今…何か魔法使おうとしなかった?」
ルカ「え?マナの錬成なんてしてないよ?ごめん、ちょっと深淵って怖いよなって考えてただけだよ」
レビ「ルカ兄ちゃん、いま魔法行使寸前だったよ?俺、見たことないキラキラだった。少しだけ、青紫の霧が出てた」
ルカ「…ほんと?なんだろ…全然自分でそんなつもりじゃなかったけどな…」
レビ「ラック・チェインだ…ルカ兄ちゃん、いまラック・チェインの行使寸前だったんだよ。お母さんとパウラ姉ちゃんが言ってたよ、あれって無意識に行使する可能性が高いって」
えー…ラック・チェイン?なんで深淵が怖いってことを考え込んでるだけで幸運を連鎖させようとしちゃうんだろ?自分のことだけど…ワケわかんない。
ルカ「なんか…自分で自分がよくわかんないや。ライノの能力にどういう危険があるかって考えてたはずなのにね…ごめん、余計なことに気を取られちゃった」
ライノ「うー…でも、俺もちょっと自信なくなってきた。まさか誰かを深淵に放り出す可能性があるなんて思いたくないけど、でも…そうだよな、絶対そうならないなんて言えないよな…」
アオイ「じゃあ、ルーム…もうやらないの?やだよぉ…」
ウゲツ「アオイ、もう僕らがワガママ言って困らせちゃダメだよ。ルカもレティも、頑張ってくれたよ。我慢して、一生懸命しゃべる練習しよ?」
レビ「…キラキラ、もう見れないかぁ…でも俺も、がまんするよ…」
クレア「一番理想的な解決策は、全部アロイス先生に話して週に一回ルームの日を作ってもらうこと。その時に守護で私たちを護衛してもらいながら集合すれば、万が一深淵に放り出されても何とかなる。そうじゃないと、私たちルームが崩壊するのが怖くてライノやレイノと些細な口ゲンカさえできなくなるわ。そんなの…イヤでしょ、何でも話し合えるからルームは楽しいのに」
ノーラ「…そんなにうまく、いくかなあ…そうなったら嬉しいけど、守護を出してもらうのが実は難しかったり、修練をしない日を作ることに反対されたり…しないかなあ…」
レビ「もちろんその可能性、あると思う。だけどさ、兄ちゃんも姉ちゃんも頑張ってくれたの、俺たちわかってるよ。淋しいけど…俺たち早くしゃべれるように頑張るから。そしたら、また…お話、してね。だから、もういいよ」
レティ「レビ、そんな…諦めないで?ね、私もパパに一生懸命お願いするわ。だからそんな淋しいこと、言わないで…」
レティの金色の瞳から、一粒、零れた。
涙が、零れた。
レティが。
泣いた。
僕の目の焦点が、それに釘付けになる。
金色から零れた丸い、ころりとした粒。
球体はその表面にみんなの像をくるりと丸く映し、落下していく。
その粒には、レティの悲しい気持ちがぎゅうっと詰まってる。
ゆっくりと落下していく悲しい粒は、ポタリと音をさせて、王冠の形に破裂した。
*****
僕の目の前にいる、大切な仲間たちの星が見えた。
深淵に浮かぶ心の星々ではなく、あれは、運命を司る星。
僕にはその意味なんてわからないけど。
一つの星にはたくさんの未来へ繋がる道と扉が無数にあって、その道や扉は他の星から出ている道と繋がる時もあるし、まったく触れ合わずに離れていくこともある。
未来は複雑すぎる選択の連続で、複雑すぎる繋がりの連続で。
この無限に広がる網目のような未来を見て、誰が正しい道なんて選択できるだろう。
きっと人間が未来を見られないのは、こんな無限を見たら歩いて行く気力がなくなってしまうからだ。
人間が過去を思い出せるのは、こんな無限の中から、せめてより良い未来への道を選べるように、経験で助けてもらいたいからだ。
ねえ、レティ。
僕は、レティがなるべく泣かない未来が欲しい。
正解の道を選べるような過去も経験も持っていない僕だけど。
レティが、みんなが、こんな悲しい気持ちになるのは耐えられない…!
*****
僕の中から、何かがどばっと溢れだすのがわかった。
大切な、とても大切な、愛しい星たちが泣かないように。
悲しみにまみれた、今にも崩れそうな道を歩かないように。
青紫の、とっても細かい粒子は流れていく。
ほんの少し先の未来にある、恐ろしい道への扉にだけ鍵をかけていく。
僕ができるのは、ここまで。
あとは…きっとみんなが道を紡いでいくはずだから。
みんながいれば、あの無限は有限になるはずだから。
僕がやれるのは…ここまで。
後はみんな、頼むね。
僕は十個の星へ願いを込めて祈り、深い眠りについた。