マリー先生と、ママ sideルカ
明後日地下室を出て猫の庭へ戻ることになった。
なんだか妙に緊張しちゃうな。通信でみんなと話してはいたけど、実際に人と会って話したのなんて、この半年で数人しかいない。でも、例外が一人だけいた。
―ママだ。
ママは僕を酷く傷つけたからと言って、ここを出るまで一切の接触を絶つと宣言していたそうだ。だから通信もしてこないし、僕の食事はアロイス先生が全部作ってくれていた。それと、ほんとに最近まで皆が隠していたらしくて僕は知らなかったんだけど…父ちゃんはヴァイスの宿舎で生活していて、ママと別居状態だったんだって。
ほんっとに、ほんっとに焦った。これは昨日ようやく父ちゃんが話してくれたことで「お前のせいじゃねえ、ナディヤなりのケジメだったんだ。別れるとかケンカしたとかじゃねえよ」と、少し言いにくそうだった。
「―父ちゃん、何やってんだよ!ママはきっと責任感じてるんでしょ?僕のことも父ちゃんのことも傷つけたって思って自責の念でそういうことしてるんじゃないの?僕はともかく、何で父ちゃんまで!ちゃんと話したの?」
「ああ、話した。だから俺とナディヤに認識の齟齬はねえ。あのな、ナディヤにも必要なんだ、わかってやれルカ」
「な、何を?」
「レア・ユニーク保持者の伴侶という覚悟はあったが、その母親としての覚悟はなかったんだ。お前もいきなりそんな能力が発現して混乱しただろ?同じようにナディヤも混乱したんだよ。わかってやれ、ルカ。自分の命より大切だと思っている息子がこんな思いをするのを一瞬で許容できる母親なんぞ、そうそういねえよ」
「…そっか」
ママは自分が許せなくて、自分を罰したいと思った。同時に「これからもコンラートの妻であり続けるため」、「これからもルカの母親であり続けるため」に三人がバラバラに暮らすことを選択したんだ。
それを聞いて、僕はあの家に帰ってママに何と言えばいいのかわからなくなった。怖い思いをさせて、悲しい思いをさせて、ほんとにごめんなさいって謝ろうと思ってたけど。でもそれはママの罪悪感を増幅させるだけのような気がしたから。
そうじゃなくて、これからも三人で仲良く暮らしていきたい。僕の願いはそれだけなんだけど、どうすればわだかまりがなくなるのかがわからないんだ。
父ちゃんが帰ってからもそんな風にウンウンと悩んでいた翌日の今日、マリー先生から通信が入った。「今から行くわ」と言われ、「何だろう、魔法制御を実際に見て試験でもするのかな?」と思って出迎えた。
「実際に会うのは半年ぶりねぇルカ。聞いてるわよ、とんでもないことやってのけたじゃなぁい?」
「そ、そうかな。無我夢中だったからさあ」
「―そうよね、ほんと、その言葉が一番当たってる。無我夢中でやらなければ…心が死んでしまうものね。それに瞳がとても澄んでるわぁ。イイ男になったわねルカ」
マリー先生はそう言いながら僕のほっぺたにちゅっとキスしてきた。僕はうっひゃーと思って顔が熱くなった。
「あらカワイイ。今のはみんなにナイショね、レティに叱られちゃう。ふふ、だって嬉しかったのよ。私もコンラートも、それなりに辛い思いをして今ここにいる。たぶんこれからウゲツもその壁を乗り越えなければならないんでしょうけど。でもね、まずはあなたに祝福を。私たちと同じ…ううん、それよりも高い次元へ、その年齢でやってきたあなたを尊敬するわ、ルカ」
マリー先生のこの言葉は、僕の心に染み渡った。他の子が聞いてもいまいちピンとこない言葉かもしれない。でも僕には。レア・ユニークという扉を開いた僕には、マリー先生の言いたいことが、とてもよくわかったから。
「マリー先生、ウゲツならきっと大丈夫だよ。マリー先生とアロイス先生の息子だから、信じて待っていれば大丈夫。ウゲツはすごく強いよ、僕なんかよりね」
「んもぅ、自分のことよりウゲツの心配なんてしてぇ!―ま、そういう優しいルカを育てた功績は素晴らしいわね、加点しましょ」
「加点?何の話してるのマリー先生」
先生はむむぅ、なんて考え込みながら一緒にテーブルの方へ歩いてきた。そして座ると、おもむろに僕の顔をまじまじと見る。
「昨日コンラートから、ナディヤのことは聞いたわね?」
「あー…うん」
「私はねえ、半年前にナディヤの監視員になったのよぉ」
「か、監視員!?」
「そ!私の仲間を酷く傷つけてくれたんだものぉ、当然の制裁でしょぉ?」
僕はまっつぁおになった。
報復上等、追加ダメージの鬼であるアロイス先生をみんな恐れているけど、僕は本気で怒らせたら怖いのはマリー先生だと思ってる。ちなみに二人の特徴をいい感じにミックスしているのがレティだ。ウゲツは底知れないところがこの夫婦にそっくり。たぶんウゲツはそのうちアロイス先生やフォルカーやユリウスやカミルあたりとナニカを嬉々として相談していそうな子になるだろうと僕は予測している。
だけど今現在、目の前で静かに激怒しているマリー先生のターゲットがママだなんて…!
「マママママリーせんせぇ!あの、僕、全然!もう何とも思ってないんだよ!あのね、たぶん映像記憶を見たと思うんだけど、ママは超怖かったのに僕のところまで来てくれたんだ!あれは、あの時の僕はすごく嬉しかったんだよ!ママは悪くないんだ、きっとあの後絶対落ち込んだと思うよ、それもわかってるんだ!だから…」
ぷ、と吹きだすと、マリー先生は「ルカ、落ち着いて?私がナディヤにお仕置きする時間はたっぷりあったのよぉ?本気でやる気なら、もう終わってる頃合いね?」ときれいに笑う。ちょ、それも怖いぃぃぃ!
「な、何か…ママにお仕置きしたの…?」
「ん~、これがなかなかシッポ出さないのよねぇナディヤって。あの子けっこう頑固よね、私も人のこと言えないけどぉ。コンラートともう同居してもいいんじゃない?って言ってあげたのに、本人と話して勝手にルカが帰って来るまで別々に暮らすことにしちゃったのよぉ?自分で罰を重くするなんて思わなかったわぁ、ほんと。それにきっちり子供たちを甘やかさずに導くし、悪いことは悪いと叱るし、でも愛情が深くて穏やか。何かしらね、あの完璧な母親像は…嫉妬するわぁ、私はあんな風にできないもの。いやだわ、思い出したら悔しくなってきちゃったぁ」
「せんせぇ…」
「ぷ!あは!冗談よルカ!んもぅ、ほんとにこの子ったら!だからね、ナディヤは充分罰を受けたし、コンラートと愛し合ってて信頼し合ってる。だから…あなたが大丈夫なら、また以前のように三人一緒の生活に戻れるわ」
「だ、大丈夫に決まってるよ!」
「―だ、そうよぉ?よかったわねナディヤ」
「―え?」
マリー先生の視線を辿ると、ママが微笑みながら立っていた。
一瞬…ほんの一瞬だけ、あの泣き叫んだママの記憶が甦って、また泣かれちゃうかもしれないって思って身構える僕がいた。
でもママは少し困ったような顔をしただけで、「ルカ、痩せちゃったわね。帰ってきたら黒豚のとんかつ、食べる?」と言った。
「…うん、食べたい。もしかしてアルがまた買ってきてくれたの?」
「いいえ、コンラートにお願いして買ってきてもらったの。じゃあ明後日はとんかつね、楽しみにしてて?」
「うん!」
「じゃあナディヤ、私は帰るわねぇ。後でコンラートを寄越すからぁ」
「ええ。―いろいろ、ありがとう、マリー」
「んふん?私は大満足よ。ちゃんとこれからも私の『仲間』を支えてちょうだいね?」
「ふふ、もちろんよ」
マリー先生はひらひらと手を振り、ゲートを開いて帰っていった。
ママは静かにマリー先生のいた席へ座り、僕を見つめた。
「瞳の色が濃くなったわ、ルカ」
「そう?色はよくわからないけど、ダイブした景色は変わったよ。ほら、霧じゃなくなったんだ」
「まあ…きれいね、結晶の中で煙みたいに動いてるのね?」
「うん、この動いてるのはラック・チェインのマナみたいだよ。こっちは意図的に使うのはまだ難しそうだけど」
「そう…たくさんがんばったのね、ルカ」
「あー…楽勝とは言えなかったし半年かかったけどね」
ママへダイブした光景の映像記憶を見せたら、ほんとに嬉しそうだった。きれいに笑ったママの顔を見て、僕はようやく自分の緊張がなくなっていくのを感じた。
「ふふ、ルカったら。私がいつ泣き出すか、気が気じゃなかったのね?」
「え、あ、うん…あのさ、あの…」
「待ってルカ。私から言わせてもらえないかしら。―あの時あんな泣き方をして、ごめんね。お帰りなさいルカ。絶望せずに、私たちのところへ戻るためにがんばってくれて、ありがとう」
まだ地下室にいるのに、ママにお帰りなさいって言われたのに驚いた。でもすぐに気付いたんだ、これが単なる挨拶じゃないってこと。
きっとママは、最悪の事態も想定していた。僕が心に傷を負ったまま、もう一緒には暮らしたくないって言い出す可能性や、父ちゃんとも別れる可能性。もしかしたら一生僕とは会わないということまで考えたかもしれない。
心をきちんと構築し直して、穴から這い上がって来た僕への「お帰り」なんだ。
「えーと…ただいま、ママ。あのさ、あの時僕のところまで来てくれて、ありがと。それ、ずっと言いたかった。それと泣きたいことがあったら普通に泣けばいいと思うんだ。それが普通だよ、我慢とかしなくていいからね?」
ママは目を丸くして、またきれいに微笑んだ。
「まあ…ルカは私にちょっと甘いんじゃない?こういうことは遺恨を残さないためにも話し合うべきだと思うわ」
「って言われてもな~!えーと、じゃあねえ、ママがあの泣き方した時は正直キツかったよ。でもその件は僕の中で既に消化済みなんだよねー」
「あら…そうなの?もっと『酷いよ!すごく辛かったぞどうしてくれるんだ!』って言ったっていいのよ?」
「ぶ…そんな風には思ってないよー。ママってマリー先生が父ちゃんと同居すればって言ったのに、逆に別居期間を伸ばしたんだって?そんなことばっかりやってたらリア先生あたりに『マゾなの?』って言われるよ?」
ちょっと冗談めかして言ったら、ママの顔がふっと影ってから視線が下へ落ちた。
「…もう言われたわ…」
「うあ、ほんと?」
「フィーネからも『君が頑固なのは知っているが、刑罰の上乗せを要求する罪人というのはなかなかいないよ』って言われたし、ヨアキムからはもう少しで拷問耐性の仲間認定されるところだったの…」
僕はブーッと吹き出し、ほんとに半年ぶりに大爆笑をした。パープで鍛えててよかった、腹筋が筋肉痛でひどいことになるとこだった。
「ママさいこー!あは、あは、それ聞けただけで僕もういいや!あ、そうだ!聞いてよママ、僕ねえ父ちゃんに一泡吹かせたんだよ、知ってる?」
僕は父ちゃんと制御能力の上乗せについて賭けたことを話した。そして顔面悪即斬をポージング付きでやる約束があるんだって教えてあげた。
「あらあら…コンラートはたまにそうやって自爆してはみんなにネタの提供をしちゃうのよね…ホルマリン漬けで懲りればいいのに」
ママはくすくす笑いながら「ルカ、後ろに気を付けた方がいいんじゃないかしら」と言った。
僕は即座に振り向いてモノクルを起動し、消えた父ちゃんが僕にヘッドロックをかけようとしているのを確認した。
ママがどうして気付いたのかと一瞬疑問に思ったけど、そんなの後回し!
椅子を父ちゃんの方へ蹴ってテーブルの上で側転。ママの真横へ着地しつつ、インビジブルで消してあったトンファーを一本だけ左手に持った。手を軽く握ったファイティングポーズで父ちゃんを牽制し、脱力しつつ、システマストライクからサブミッションへの移行を狙って…
呼吸を止めない。姿勢を崩さない。トンファーを持っていることを悟らせないように、指へ引っかけるようにしてぶら下げる。
姿を現した父ちゃんは、「俺がアルに接続できんの、忘れてねえかぁ?」と言いながらズガン!とサバイバルナイフをトンファーに突き刺した。
「知ってますよっと!」と言いながら右手でナイフを抜き、トンファーを握り直してストライクを打つ。右手で消したナイフを父ちゃんへ投げるフリをして…天井へドガッと投げ付けてぶっ刺した。
その一瞬で父ちゃんの腹へ肘打ち!
「うっほぉ…だがまだ発勁が足らねえな、軽いぜぇ?」
「いでっ!」
あっけなく捕まり、腹固めされた…くっそぉ!
「はいはい、二人ともそこまでにしてくれるかしら。コンラート、そろそろ猫の庭へ連れて行ってくれる?晩ごはんの支度しなくちゃ」
「んあ?おー、わかった」
「ふふ、いまの一撃、みんなに見せておいてあげるわねルカ。じゃあ明後日ね」
「うん、とんかつ忘れないでね!」
「わかったわ」
そうして父ちゃんとママは、帰って行った。
「うーん、今の肘打ちの後、離脱すんのが遅かったのかなあ…」
―戦術のことばっかり考えていた僕は、家族のわだかまりなんてどこかへ吹っ飛んでいたことに気付いていなかった。




