湧いてくるチカラ sideルカ
「ふー、なんとか片付いてきたかな」
あれから僕は、修練に明け暮れていた。
ごはんも少しずつ食べられるように頑張ったし、今ではもうほとんど残すこともなく食べきっている。アロイス先生は「よかった、食べられるようになったなら安心だよ」と明るい声を小さなゲート越しに伝えてくれるようになった。
綺麗に心の中を整理していって、きちんとした気持ちでインビジブルについて考えた方がいいやって思っての行動だった。それは正解だったみたいで、今まで何もやる気が起きなかったのに、心も体も動きたがってるのがわかるようになったんだよ。
父ちゃんに頼んで、運動できるように「パープ」っていう格闘術の型を教えてくれたり、乱取りしてくれるぬいぐるみを寄越してもらった。こんな広い運動場があるのに一人で何かしようと思っても走るくらいしかできなかったからさ。
修練は―そうだね、あの茨の檻以外はほとんど綺麗になったよ。さすがにあの檻を開けるにはもう少し勇気が必要だった。
それにしてもあんなに何もせず落ち込んでいただけの数日間を過ごしていたのに、青紫の霧ばかりだった僕の心は少し景色が変わっている。霧はすっきりと晴れ渡り、広さはあまり変わらないのに、質感が変わってた。どういうことかっていうと、青紫色の結晶になってるんだよ。
紫水晶みたいなものでできた部屋がたくさんあるし、その水晶の中で青紫の霧が渦巻いてるみたいで、なかなかきれいだ。
これがいい変化なのかはよくわからないけど、その結晶だらけのキラキラした部屋を見てると少し気持ちが軽くなった。
*****
モノクルで見える景色は、相変わらずの地獄みたいな大穴。僕は思い切って地下室の照明を普通に明るくしてみた。
―うん、ちょっとチビっちゃうかと思ったね。
すーっごく深い。それに、上方向へも少し範囲が拡大してたみたいで、天井にも溶けたアイスみたいな穴が見えた。
「―ふふん、穴が大きいってことは、僕の力がそれだけ大きいってことじゃん。お前ら、僕の能力に飲み込まれてあっさり消えちゃってさ。今に見てろよ、お前らを出し入れ自在にしてやる」
穴へ向かってわざとエラそうなことを言って、見下してやった。
いまこの能力で困ることと言えば、もちろん消したものを戻せないし見れないってこと。それと、僕自身も消せないのが不思議でもある。無機物だけ消せるっていう縛りなのかと思ったけど、僕の部屋に置いてあったデイジーの鉢植えだって消えたんだよ?草花が消せるなら、無機物だけってわけじゃなさそうなのに。
それに土中にいるはずの虫だのモグラだのも一切見当たらないもんね。小さなものなら有機物や生物も消せるってことだと思うんだ。だったら…僕のことだって消せるかもしれない。
この能力をただ制御するのに四苦八苦するなんて、僕のことナメてませんか?どうせこの「インビジブル」と付き合って生きなきゃいけないなら、目いっぱい可能性を模索して便利な能力にしてやるよ。
それでいつか…父ちゃんみたいにみんなに頼られるような男になってみせる。
*****
今日はパープに格闘術を教わった。このパープは一般的な学舎へ売られているものとは中身を変えてあるって父ちゃんが言ってた。普通の学舎の授業には軍隊格闘術なんてインプットされていないんだ。
この動き、どう考えてもカイとカミルが入れたな。もしかしてこれもあるかなと思って「暗器とかナイフコンバットもある?」と聞いたら、無邪気な顔をしたお猿はこくんと頷いた。父ちゃーん…
暗器とナイフはとりあえずやめておいて、今日はシステマを習った。柔らかい脱力した動きが特徴だけど、パープに技をかけられたら痛いわ速攻で動けなくなるわで大変だった。
汗だくになったのでお風呂に入り、さっぱりして椅子へ座って休んだ。ふっと目の端にうつったのは、いくつかの映像記憶が入った魔石だった。
あれからアロイス先生は「みんながルームでどんな会議をしたのか」をちょくちょく魔石に入れてお弁当と一緒に渡してきてくれていた。でも僕は修練で心の整理優先になっていたし、体調を戻すことに懸命でそれの存在を忘れていた。
「―みんな心配してるだろうな。アオイとか泣いてないかな、大丈夫かな」
ようやく、そんな風に思った。
誰とも通信しないし、たまにやってくる父ちゃんと、毎食お弁当を作ってくれるアロイス先生くらいしかしゃべらない僕は、独り言くらいしか声を出さない。みんなと次に会う時、うまく話せなくなってるかもなあなんて思った。
ちゃんと見ておこう。みんなにどんな風に思われてるか怖いけど、僕の仲間はきっと…きっと、心配してる。無事にみんなに会えたら、落ち着いて「心配かけてごめんね」って言えるように、みんなの考えも知っておかないと。
一番最初にもらった魔石を起動して、見てみた。
驚いた。
アロイス先生はみんなにかなり無茶な要求をしていた。五歳の子に向かって、僕を守るために余計なことはするな、自制しろって言ってる。浅はかな考えでルカを傷つける者は許さないと、恐ろしい厳しさで全員を睥睨していた。
クレアが自分を犠牲にして僕の窮状を理解する、と言い出した。彼女は自己犠牲じゃないなんて言ってたけど、あれは立派な自己犠牲だ。僕と一緒に心を削る行為だ。
レビは推測で僕の状況を把握していた。涙を流して、みんなを説得する、一番小さな子。
そしてレティは。
自分の弱いところを見せたがらないレティが、「弱くてごめんなさい」と言った。
僕、バカじゃないの?
父ちゃん言ってたじゃないか、「マジな孤独じゃねえぞ」って。
何をいじけてたんだ。
弟を、妹を、こんなに泣かせて。
こんなに悲痛な決心をさせて。
それから、僕はぽろぽろ泣きながら全部の映像記憶を見た。
全部見て、声を抑えずに「うああああああ!」と泣いた。
たくさん泣いて、疲れて眠った。
起きたらなんだか視界がクリアになったような気がして、深呼吸した。
酸素っておいしーなと思って顔を洗い、昨日食べ損ねた晩ごはんのお弁当を食べた。冷めててもおいしくて、力が湧いてくる。
修練しようと思ってダイブしたら、心の領域がガバッと広がっていた。
―なにこれ。
それと茨の檻が消えていて、ママの記憶が落ちていた。
ママ、落ち込んだだろうな。きっと僕のこと傷つけたって思って、泣いたに違いない。でもきっと、ママは大丈夫だ。父ちゃんがいるし、猫の庭のみんなは家族だ。ママが落ち込んだまま放置するってことはないだろう。
この記憶はきちんとしまって、次にママに会ったら少しくらい恨みごと言って、でもやっぱり「ありがとう」って言いたい。恐怖に震えながらもベッドまで来てくれたのは、あの時の僕には救いだった。確かに、そうだったんだから。
この日を境に、僕はインビジブルを飲み下せるという確信が胸に宿った。




