心の歯車 sideルカ
あれから、何度か父ちゃんが来た。いま僕は誰とも話したくないし、どうしたらいいかもまだわからない。勉強もリア先生が課題を移動用端末へ送ってくれたけど、何もする気力が湧かなくて、チラリと見た後放置していた。ちなみにアロイス先生が「気が向いたら見てね」と言った映像記憶も見ていない。
僕は一度だけ、心へダイブしてみたんだ。
修練して片付けようなんて前向きに思ったわけじゃない。どれだけ濁ってるのかなって思って、怖いもの見たさにダイブしただけだ。
僕の青紫の霧は、相変わらずの濃度でそこにあった。記憶も感情も、そこいらじゅうに散らばっててひどく乱雑だ。でも修練で作った覚えのない場所が出来ていて、少し驚いた。
そこは、青紫の茨で出来た檻だった。
檻の中には、見たくないものがたくさん入っていた。ママのあの顔。ママの泣き声。僕の名前を呼んで手を伸ばしながら父ちゃんに連れて行かれる、ママ。
不思議なことに父ちゃんの記憶は何も檻の中に入ってなかった。
正確に僕の現状を把握している父ちゃんは、ありがたい存在だと思った。
茨の檻へ背を向けて、足元に散らばる記憶を手に取った。父ちゃんに見せられた、僕の映像記憶だ。大穴の上でポケーッとしている裸の僕は、間抜けもいいところだった。僕はぽいっとそれを放って、ダイブアウトした。
*****
父ちゃんには「静かすぎて耳がキーンってする」と訴えた。だからと言って誰かに話し相手になってもらいたくもないので、父ちゃんはTri-D airy regionを持ってきた。これをずっと稼働させておけば、インナ先生の歌が流れる。
いつもならすごい絶景に見惚れてしまう大好きなおもちゃだけど、今はこれで耳鳴りがおさまればいいやとしか思わなかった。僕はベッドから一番遠い運動場の端っこへそれを持って行き、リピート再生させて放置した。そして耳鳴りはおさまった。
運動場の方で絶景映像の光がチラチラするけれど、慣れれば気にならない。絶景も台無しだよね。
そして父ちゃんはヘルゲ先生とフィーネ先生が作った新しいモノクルを持ってきた。クレアが提案した機能がついていて、モードを切り替えると僕が消してしまった景色が見える。
さすがクレアだよ。いちいち父ちゃんに見せてもらっても、修練で記憶の整理をしてないからぼんやりしててさ。どこにあの記憶があるんだっけ?って思っても乱雑すぎて見つからないんだよ。
僕は毎日、消えて真っ暗な奈落の上を裸足で歩く自分を見た。
運動場にもベッドのある区画にも、明かりはついてるんだけどさ。その照明をあんまり明るくするとすっごい穴がよく見えちゃうじゃん?だから薄暗くしてあるんだよね、そうしないと恐怖で死んじゃいそうだから。
だってさ、日に日に穴が深くなるのがわかるんだよ。僕ってばどんだけ「不可視」のマナを垂れ流せば気が済むんだか。右目で見る運動場や部屋の区画は、淋しい牢獄。左目で見るのは地獄へ通じる奈落。
そこに裸の僕が立っていて、あまりのシュールな光景に笑いたくなる。これが僕の日常だなんてね。
消えちゃえって思った。
いっそ僕も消えてしまえば、こんな恥ずかしい格好で、こんな淋しい場所にいなくて済むのに。
*****
「おじゃましますよ、ルカ」
「…ヨアキム」
「ちょっと魔法をかけさせてくださいねー」
ヨアキムは、たぶんマリー先生の「幻影」を出した。何のために?と思ったら、モノクルで見た自分が、服を着ていることに気付いた。そしてヨアキムを見ても、ちゃんと服を着ている。
「横に座ってもいいですか?」
「うん」
「―酷い顔色ですね、ルカ。目の下が真っ黒じゃないですか。ちゃんと眠れていないんですね?」
「うん」
「ごはんもほとんど残すって、アロイスさんが心配してました」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいです、食べる努力をすると約束してくれるならね」
「…わかった」
「私が来るの、イヤでした?」
「…どうだろ。出てけとは、思ってないよ?」
「そうですか。今日はね、私の叔父の話をしにきたんです」
「ヨアキムの、おじさん?」
「そうです。私が生きていたころの、血の繋がった叔父です。彼もレア・ユニークで『不可視』を発現させたもので」
「 !? ほんと…?その人、どうやって制御したの?どういう能力だった?」
「彼はルカほど広範囲には消せませんでしたね。私の知る限り、手で触ったものを消してしまうっていう程度でした」
「そっか…それでも大変だよね」
「そうですねえ。それと、現状のルカと違う点もありましてね。彼は自分で何を消したのか、わからないままでした。制御しきれてなかったんだと思いますよ」
「僕もモノクルがなきゃ、何を消したのかわからないよ?」
「えーと、ルカの場合は『他人には見えない、自分には見えてる』でしょ?叔父は『他人にも自分にも見えない』んです。だから、例えば大切な思い出の品があったとして、それを自分が不用意に消してしまったとします。すると、もうどこにあるのか叔父にもわからないんですよ」
「え…じゃあ、いろんなものを失くしちゃうってこと?」
「そうです。叔父の死後、彼の部屋の片隅には消してしまって見られなくなったけれど、触れるだけという状態になったものが山積みになって出現しました。その中には彼の恋人からの大切な手紙もありました。読もうとしたらインビジブルが発動してしまって、読む前に消えてしまったんです」
「は…はは…酷い話だねー」
「ルカ、あなたは制御する気がありますか?」
「…さあ…だって何やっても成果が出ないから、どうしたらいいかわからないんだ」
「叔父はね、制御しきれない自分に絶望して、衰弱死しました。私たちは痛々しくて彼を見ていられなかったけど、でも私は宮廷魔法使いだったので…そういう『症例』を見る機会だと思って彼の元を何度か訪れました。ヒドいでしょう?でもヴェールマランはそういうことが普通だったんですよ。魔法研究のためならなんでもありだったんです。それでね、私は大して彼のことを理解などできなかったけれど、一つだけ彼の言葉が忘れられないんです」
「 … 」
「彼はね、『この悪魔を、飲み込んでやればよかった』って言いました」
「悪魔…」
「ええ。あの能力が恐ろしくて、大切なものを消し続ける力が疎ましくて、目を逸らしていたら命が削れすぎちゃったよなんて言ってましたね。この悪魔も私自身なんだから、飲み込んで、受け入れてやればよかったって」
「ふうん…」
「私はそれをルカに話しておこうって思っただけなんです。お邪魔してすみませんでした」
「ううん。まあ、制御できるように…がんばります…」
「今のあなたはがんばってはいけませんよ、ルカ」
「は?」
「がんばったら成果が出る、努力が実るなんて思っちゃいけません」
「え、なんで…」
「世の中は理不尽と恐怖が溢れているんです。『がんばれば何とかなる』というのは、実はがんばらなくてもなんとかなる能力を持った者の、気持ちのポテンシャルを上げるための『自己暗示の言葉』です。身の丈に合ってないことは、がんばってもどうにもならないんですよ」
「そんな…」
「だからルカ、考え方が違います。あなたは猫の庭の子供だというのに、そこがわかってないんですねえ。あなたに芽生えた能力は、あなたの身の丈を越えない。ルカが出しているんだから、ルカ自身より巨大なわけがないんです。でもあなたは『こんなヤバイ能力は巨大すぎてどうすればいいかわからない』と思い込んでるでしょう」
「 … 」
「そう思ってる限り、努力しても実るわけがありません。でもあなたの能力はあなた自身より小さいに決まってます。―答えはあなたの中にありますよ、ルカ」
ヨアキムは黙りこくった僕を置いて、帰って行った。
僕はだんだん「悪魔を飲み込む方法」を考え始め、マトモに頭が働かないことに気づき、ごはんを食べてないからエネルギーが足りないと思った。
少しずつ、僕の心の歯車が回り始めたのを感じた。




