序章 迫る悪意
序章 迫る悪意
僕は夢を見ていた それはきっと誰もが見るのだろう 普通の夢だ 好きな女の子と手を繋ぎ その子と街を歩き その子とご飯を一緒に食べ いつまでも遊んでいる夢
僕はこれを夢だと認識できている そりゃそうだ 何度も同じ夢を見ていたらさすがに気づく 第一自分がこの子とこんな恋人のように接せる訳がない
ただそれでもよかった 現実の僕にはこの子に好きだという意思を示す勇気なんかないから だから夢の中だけでもこうして一緒の時間を過ごせるなら それはとても幸せなことだ
夢の中の僕らを街の人は祝福してくれる
夢の中の僕らに街の人は笑いかけてくれる
夢の中の僕らは両思いの恋人同士
夢の中でも君は…僕に、笑いかけてくれる
「ハル」
その子が…僕の名を呼ぶ
「なに?アレッサ」
だから僕は、名を呼び返す
「いこう」
アレッサはそう言い、僕の手を引いた
小鳥のさえずりが耳に心地よい。朝日が窓の隙間から部屋に差し込み、僕は手で目を覆った。
朝か…と僕は寝癖だらけの頭を掻いて、床に敷かれた布団から上体を起こした。布団一枚の下はただの床なので、全身が痛く快眠とは言い難い。
隙間風をしのいだタオルケットを体から剥がして立ち上がり、体をひねった。
バキバキと僕の背骨が声をあげ、いくらか体が楽に感じる。
「おはよう…」
部屋の薄い扉を開けてリビングにでる。挨拶をしても返事がない。ということは父は今日も朝から仕事に行ったらしい。
僕がまだ小さい頃に母が死んで以来、父は母と経営していたしがない雑貨店を売却させられ、職にあぶれた。
父は僕を養うために職を探したが見つからず、就いた職は兵士だった。
兵士といっても街の治安維持を名目に雑用扱いされる毎日。賃金も雑用らしい最底辺で、毎月食べていくだけで精一杯だった。
僕が住むバリハーテの街は所謂スラム街である。父は国が用意した兵団用住宅で僕と一緒に生活している。
満足とは言えない生活だが、父がいる。だからなんの不満もない。
父は僕の誇りだ。この10年、仕事の愚痴ひとつ溢さずに僕を育ててくれた。どんなことがあっても、泣いたりはしなかった。
だから父がいなくても、僕も文句は言わない。
僕は父のいない静かなリビングを抜けて台所に向かい、何年も使い古された戸棚からパンを取り出した。表面の埃をほろい、口に運ぶ。
奥歯でまずいパンを噛みしめながら僕はひび割れた鏡の前に立ち、指先で顔についた泥を落とす。
「よし!」
僕は玄関から飛び出し、踏まれた靴の踵を指で元に戻す。
築50年という兵団住居に鍵をかけ、僕はいつものようにランニングを始める。
ランニングのコースはいつも同じ。まず僕ん家の曲がり角を右に回って直線1キロ。サミュエルズさんの酒屋を通ってからローズおばさんの家、リミヤ夫妻の家を曲がってまた真っ直ぐ。お馴染みのコースをだいたい5分走れば、彼女の家の前。
「アレッサ…」
暴れる心臓をおさえ、荒い呼吸を整える。
「まだ…帰ってこないのか…」
アレッサが兵団に志願者として行って3ヶ月が経つが、僕は毎日帰ってくるのではないかと期待し、いつもここを通る。
僕がアレッサと出会ったのは6年前、僕がまだ4歳の時だ。
父が滅多に帰らないスラム暮らしで、たまたま出会った3つ上の女の子。
それがアレッサだった。
アレッサは7歳でありながらたった一人でスラム街で暮らしていた。僕と違って血気盛んで、僕がその時近所の子供に虐められていたのを発見して、子供らを一瞬で蹴散らして僕を助けてくれた。
それから僕はアレッサと一緒に過ごすようになり、友達だったアレッサに僕はいつしか想いを寄せていた。
しかし…
「私ね、兵士になる」
突然、アレッサが言った。
「言ったよね、私の両親が…魔物に殺された…って。あの時、兵士たちは誰も助けてくれなかった…だから、私は誰かを守れる力が欲しいの」
「ま、まってよ!それじゃアレッサ…まさか」
「うん。戦闘兵を志願したの。ハルのお父さんみたいな治安維持兵じゃなくて、ちゃんと訓練を受けて」
「それじゃ…」
「うん。来月には訓練に行かなきゃいけないから…この街を出るわ。だから、友達のハルにだけは言っておきたくて」
そして、アレッサはいなくなった。僕は想いを告げられず、三ヶ月経ってもこうしてここに来てしまう。
僕がランニングを再開しようと踵を返した瞬間、僕は思わず飛び上がった。
「なに人の家覗いてんのよばーか」
そこにはアレッサがいた。格好は兵士のものだが、確かにアレッサだった。
「ア、ア、ア、アレッサ!?なんで!?」
「なんで…って覚えてないの?」
「は?は?」
動揺する僕をよそに、アレッサは少し不満そうだった。
三ヶ月ぶりに見るアレッサは面影こそあるものの、少し筋肉がつき、逞しかった。三ヶ月前は長かった金髪も短くなっている。そして兵士の制服がアレッサの細い体を引き立たせている。
「なによジロジロ見て…お子様のくせに!」
「な!みてねえよ!」
「見てたでしょうが!10歳の癖に!この変態!」
「うおっ!は、離せよアレッサ!」
アレッサは僕の首を押さえ付け、左右に振った。やがて力が弱まり、僕はアレッサに抱かれる格好になった。
三ヶ月ぶりに感じる、アレッサの温もりで僕は顔がきっと真っ赤になってただろう。
僕は顔をみられないように背けながらも、アレッサの腰に腕をまわした。
「…おかえり…アレッサ」
絞り出すよう僕がにいうと、アレッサはクスッと笑い
「ただいま、ハル」
優しく、そう返してくれた。
それから僕はアレッサと街を歩いた。夢みたいだ。でもあの夢とは違う。
手は繋いでないし、アレッサは兵服、あくまで友達同士の感じだ。
それでも三ヶ月ぶりにふたりで歩くのが懐かしく感じる。あのときと同じ、この距離感がなんとも心地よく感じる。
「アレッサ!帰ってたのか!」
「ネルソンさん?ネルソンさん!!わあ!久しぶりですね!今日ちょっと特別に休みもらったんで、帰ってきました!」
声をかけてきたのは父の同僚のネルソンさんだった。何度か会ったことがある。
「おおハルも一緒か」
「久しぶり、ネルソンさん」
ネルソンさんがごっつい手で僕の頭を撫でる。
「父さんならさっき家に帰っていったぞ」
「あれ、仕事じゃなかったの?」
「まあ…仕事といやあ仕事かな。休憩時間だからお前に昼飯作るって帰ってったよ。まったく…いいお父さんだな」
「そうだったんだ、いっけね…鍵1個しかないのに持って来ちゃった…」
「だったら急いでいけば間に合うんじゃねえか?」
「わかった!ありがとう!」
「おう。…あと、アレッサ、立派になったな」
ネルソンさんは兵帽をぬぎ、アレッサにそう言った。
「最初アレッサが兵士になるっていった時は不安だったがな…真っ直ぐなお前見てたら、止めらんなくなっちまった。俺は兵士なんか名乗っちゃいるが、治安維持を名目にスラム街で雑用の毎日さ。お前さんはそんな俺達の誇りだよ。」
「誇りなんて、そんな。ネルソンさんは私の先輩になるんですよ」
「へっ、そうだな。…よし!もう一人の先輩にも挨拶してこい!」
ネルソンさんはそう言い、僕らの肩をたたいた。
「またね!ネルソンさん!」
「おうハル!」
「いこう、アレッサ」
「はいはい…まったく、じゃあ落ち着いたらまた来ますね!」
僕とアレッサはネルソンさんに背を向け、父の後を追った。
「私ね、あと二ヶ月したら正式に兵士になるの。だから、多分この街に戻ってこれるのはこれが最後。」
「え…」
帰り道、唐突に僕は現実に引き戻された。
「どこの街に配属になるかわからないから、会いにくるのは難しいかもしれない…」
「まってよ!後二ヶ月って…戦闘兵って、5ヶ月でなれるもんなの!?早すぎるよ!」
「配属された先での実戦訓練があるから、初歩訓練はこれで終わり。第一、訓練が続いてたとしても、戻ってはこれないわ」
「なんでさ!?」
僕が言うと、アレッサは歩みを止めて僕を見つめた。
「な、なに…?」
「今日は…特別に訓練兵が一日だけとれる有給を使って休みを貰ってるの」
「な、なんで今日?」
「ホントに気づいてないの?だって今日は…」
その時だった。
晴天だった空が一瞬で真紫色に変化し、それが街全体をドーム状に包んでいるのが目に入ったからだ。
「な、なんだなんだ」「おいおい!」「なんだいこりゃ!」
街の人々が空を見上げ、口をあけている。
「あれは…結界…?」
アレッサが呟いた。
「結界?…結界って、目に見えないはずじゃ…」
次の瞬間、ガラスの砕ける音と共に結界が弾け、空がまた晴天になる。
「も、戻っ…た?」
「違うわ…結界が破れた……」
「なんだって!?」
僕は思わずアレッサの方を見た。アレッサの頬を、一筋の汗が伝う。
「結界が破れた!!!避難して!!!!」
アレッサは街中に聞こえるよう、大きな声で叫んだ。
「魔物が街に入ってくる!!!」
街中が静まりかえる…
空を飛んでいた鳥が、次第に群れを作りだす。
いや、鳥ではなかった。さっきまで結界の外を飛んでいた今な怪鳥だ。
それが群れを作り、一気にこちらに向かっている。
状況を理解した人々がうろたえだし、そして
「「「うわあああああああああ!!!!」」」
絶叫した。
人々は逃げようとするもどこに逃げていいかわからず、道を行き交っている。
するとアレッサに気づいた人々がアレッサに集まりだした。
「おい!あんた兵士だろ!助けてくれ!!」「はやくなんとかしろよ!」
「お、おい!アレッサ!!アレッサ!!」
人混みに飲まれ、僕とアレッサが引き離されていく。
「ハル!ハル!」
「アレッサ!助け…」
ボンっ!!
突然、民家が爆発した。空を飛ぶ怪鳥が口から火球を吐き、街を焼き始めたのだ。
「嘘だろ…おい。……ア、アレッサ!」
「ハル!私はあの怪物と戦う!ハルはお父さんのとこに!」
人混みの中で、アレッサが叫ぶ。
「わ、わかった!」
そういうと、アレッサは人混みから飛び出し、空中に浮かんだ。
一気に上昇して空を飛びながら、アレッサは腰から剣を抜いて怪鳥に切りかかった!
「ハアアアアアアアアアアッ!」
ザンッ!
アレッサは一瞬で怪鳥の首を撥ね飛ばした。
怪鳥の死体が民家に落下し、砂埃があがる。
「走って!」
アレッサが言うと、人々は悲鳴をあげて一斉に走り出した。
僕はなんとか人混みを這い出て、顔を上げる。
目にした光景は、まさに地獄だった。
怪鳥が上空から人を拐っては巨大なくちばしの中に吸い込んでいく。そのくちばしを不自然に動かすと、隙間からどくどくと血が流れる。
「食ってンのか?……人を……?」
僕は思わず吐き気がこみ上げ、口元を手で押さえた。
「はあっ、はあっ……そうだ…父さん!」
僕はなんとか立ち上がり、父を探して走り出した。
ボンっ!!ボンっ!!
怪鳥の火球で次々と爆発が起き、街が、人が吹き飛ばされていく。
「くっそ!ざけんなあああ!!」
頭を庇いながら、必死で家に向かっていると目の端に見慣れた兵服が飛び込み、僕は思わず歩みを止めて振り返った。
「父…さん?」
恐る恐る近づき、容姿を確認する。
手にパンの紙袋を抱え、仰向けで倒れるその兵士の顔はまさしく父だった。
父の胸に、巨大なヒルが食いついている。
ヒルは先端が人の手のような形状で、その手で父の兵服を掴みながら父の肉を抉り、血を散らしている。
父はビクともしない。目を見開き、口から血を流したままだ。
「あ…あ…うああっ…あ、……うあああああああああ!!!!!」
僕は無我夢中で近くにあった鉄パイプを拾い上げ、絶叫しながら巨大ヒルを殴りつけた。
「離れろ!離れろよ…!父さんから離れろおおおおおお!!」
何度も殴りつけるが、ぶよぶよな弾力のあるヒルには通用しない。
「ハルッ!」
そこに駆けつけたのはアレッサだった。空から着地し、僕を父から引き離す。
「離せよアレッサ!父さんが!」
アレッサは父とは逆方向に僕を突き飛ばすと、父に食らいつくヒルを蹴りとばし、強引に引き剥がした。そして地面を転がるヒルに向かって手から火球を放った。
ヒルが一瞬で炎上し、アレッサは僕に顔を向けた。
「ハアッハア…怪我は?」
「父さんが……くっそ…」
「え?」
アレッサは父の方を向き、目を見開いた。
「そ…そんな…」
アレッサはゆっくりと父に近づき、膝を折って座った。
「父さん…父さん…」
僕もゆっくりと父に近づく。
次の瞬間だった。
父の胸元が弾け、中から飛び出したもう一匹のヒルが父の血を全身に浴びながらアレッサの乳房に掴みかかったのだ。
「ダメだアレッサ!もう一体…」
しかし一歩遅く、ヒルは回転しながらアレッサの乳房をねじりとった!
「キャアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「アレッサあああああ!」
アレッサは仰向けに倒れ、ヒルが地面に落下した。
「痛い!痛い痛い痛い!!痛いよ!!」
「うわああああ!!!!」
僕はアレッサの持っていた剣を拾い上げ、地面に倒れるヒルを突き刺した。ヒルはしばらく動いたあと、やがて動きを止めた。
「いやだ…アレッサ…死なないでくれ…やだ…やだよアレッサ!」
僕はアレッサの側に膝まづいた。止めどなく、涙が流れる。
パニックで体が動かない。
「ハル…ハル…やだよ…死にたくないよ…」
「だったら死なないでよ!アレッサ!アレッサってば!」
「ハル…いやだ…やだ…死ぬの恐い…やだ…やだよ」
あのアレッサが初めて流す涙だった。僕は一気に不安感に押し潰されそうになり、首をふった。
「嘘だろおい!やっと会えたのに、こんなんないって!」
「痛い…痛いよ」
アレッサが口から血を吐き、顔を苦しげに歪める。
アレッサは口を結び、痛みをこらえる。そしてなにかをとりだし、僕に渡した。
「なんだよこれ…おい!アレッサ!おい!」
「あげるから…あげるから…助けて…助けてよハル…死にたくない…死ぬの…こ…わ……い…」
「………おい?お、おい!やだよ…おい!アレッサ!ア……う、うぅ、うわああああああああああああ!!!!」
あっという間だった。
アレッサが助けにきて、そして一瞬で死んでしまった。
僕は意識が遠のいていくのを感じた。
最後に目に入ったのはこちらにむかう怪鳥だった。
もう、どうにでもなりやがれ……
遠のく意識の中、僕はそう思い目を閉じた……
僕は夢を見ていた それはきっと誰もが見るのだろう 普通の夢だ 好きな女の子と手を繋ぎ その子と街を歩き その子とご飯を一緒に食べ いつまでも遊んでいる夢
僕はこれを夢だと認識できている そりゃそうだ 何度も同じ夢を見ていたらさすがに気づく 第一自分がこの子とこんな恋人のように接せる訳がない
ただそれでもよかった 現実の僕にはこの子に好きだという意思を示す勇気なんかないから だから夢の中だけでもこうして一緒の時間を過ごせるなら それはとても幸せなことだ
夢の中の僕らを街の人は祝福してくれる
夢の中の僕らに街の人は笑いかけてくれる
夢の中の僕らは両思いの恋人同士
夢の中でも君は…僕に、笑いかけてくれる
夢の中の君は温かい
夢の中の君は涙を流さない
夢の中の君は生きている
でも君は死んだ
父も死んだ
なにも残ってない
ささやかな幸せも
今じゃ残ってない
現実にはなにもない
これが夢なら…僕はずっと君の幻に脅かされるのか?
これは夢だから…偽者なのか?
「ハル」
その子が…僕の名を呼ぶ
「なんで助けてくれなかったの?」
「ごめん……アレッサ」
「痛かった…辛かった…苦しかった…だからさ、ハル」
「なに?アレッサ」
だから僕は、名を呼び返す
「一緒に、いこう?」
そうか…これが…夢の続きか…
僕も…アレッサと、この夢の中で生きていくのか
「ハル?」
アレッサが、僕の名を呼ぶ
だから、僕は答える
「ごめんアレッサ、行かなくちゃ。僕を待ってる人がいるんだ」
僕は手を離し、アレッサに背を向けた。
「やっとお目覚めかハルレルト!!いつまでおねんねしてるつもりだ!?」
「ああ悪かったなエイトン…もう大丈夫だ!」
僕はエイトンに起こされ、仲間たちの前に立ち塞がる魔物らを睨み付けた。
敵は…多い。だが、僕はあの時の弱い僕じゃない。
あの時欲しかった戦う力…他者を守る力がある。
そしてたくさんの…仲間がいる。
「いくよエイトン、みんな!僕たちが…世界を救うんだ!」
「ああ!ったく…面白くなってきやがった!」
天国で見ててくれ、アレッサ、父さん。
僕と仲間たちが…世界を救う瞬間を!!
続く