祭りが近い
祭り本番まであと数日。静かだった聖女宮も、祭りの準備でやにわに騒がしくなってきた。
どれくらい忙しそうかというと、私が脱走を自粛してしまうくらいだ。祭りが近いなら余計に逃げなきゃいけない。それは分かっているんだけど、祭りの責任者をしている勇者二人が目の下にクマを作っているのを見ると、どうにもやりにくく感じてしまう。
(情が移ってるのかなぁ……。気をつけなきゃ)
確かに聖女さまは綺麗で優しいし、勇者二人もなわだかんだで良い奴等だと思う。けど、それと私が聖女にならなきゃいけないってこととは話が別だ。
とはいえ、そんな風に思いつつもアイツらに遠慮して、こうやって大人しくしているのも事実。
逃げたい気持ちは本物だ。けれど、罪悪感を感じるのもまた事実なのだ。
「……。よし、部屋出よう」
部屋でじっとしているから色々なことを考えてしまうのだ。散歩でもして気を紛らわそう。そんで、逃げられるチャンスがあったら逃げよう。
それが随分素晴らしい思いつきに思えて、私は脇目も振らず部屋から飛び出した。
※※※
すれ違う聖女宮の人間は皆忙しそうにしている。それこそ、私なんかは視界にも入らないみたいだ。
これは好都合。萎えていたやる気がみるみる間に復活してくるのを感じて、急いで階段を駆け下りる。
いくら『忙しさで死ぬんじゃない?』ってくらい忙しそうにしているとはいえ、勇者たちには毎回毎回良い所で邪魔してきた実績がある。気を緩めるわけにはいかない。
聖女宮の人間に怪しまれないように、急がず焦らずを装って、ようやく窓の外の木を見下ろさない階にまで降りてくることが出来た。
快挙だ。ここまで降りてくることができたのは初めてのことだった。
だが、気を緩めるわけにはまだ早い。こういうところで邪魔をしてくるのが勇者たちだからだ。
宮には祭りの準備のためか、沢山の商人や職人たちが出入りしていた。うまくやれば、誤魔化しがきいて逃げやすいはずだ。
こんなこともあろうかと、私の普段着は聖女候補が着るにはいささか質素な服を選んでいる。この服がドレッサーに収納されるようになるまでの、あの血の滲むような努力を思うと感激で泣きそうになる。
しかし、その甲斐あって今の私は田舎娘というほどイモ臭くもなく、かといってどこぞの貴族のお嬢様というほどの高級感もない、なかなか素敵な塩梅に仕上がっているはずだ。
それを利用して、商人たちを手伝うふりをしてうまい具合にここから抜け出せないだろうか。足りないものはありませんか? よろしければお手伝いしますよ、と親切な女官を装うとか。
完璧に思いつきだったけど、存外良案に思えてきた。よし、それでいこう!
「……あ」
困っていそうな人はいないかと見回した人混みの中で、その人は随分目立っていた。なにしろ運んでいる荷物の量が尋常じゃない量にも関わらず、荷車も使わず背負ったカゴと両腕で抱えて運んでいるのだ。
しかもあっちにフラフラこっちにヨロヨロ、物凄く危なっかしい。その頼りない姿を見て即決した。
(あの人にしよう)
逃げるための口実ではあるけれど、少しくらい人助けしたっていいだろう。
「あの」
「はい?」
振り返ったその人は、女性だった。
大きなドングリ眼の、可愛らしい雰囲気の女性だ。どことなく幼く見えるが、胸部の大きな膨らみがその幼さをブチ壊している。
私は目に見えない金槌で頭を殴られたような衝撃を感じた。胸の大きな女性を前にしたときの、この謎の衝撃はなんなんだろうか。
「えっと、荷物を運ぶのお手伝いしましょうか?」
「本当!? 助かるわ!」
私の申し出に、女性は心底安心したように笑った。そりゃ、これだけ荷物があれば猫の手だって借りたいくらいだっただろう。
「それじゃあ、これお願いね」
「はい。ーー重っ!?」
渡されたのは片手で抱えていた分だった。彼女が持つ荷物の、大体四分の一の量。
しかし、受け取った途端に腕にかかった予想外の重さに、荷物を取り落としそうになる。
「大丈夫!?」
「は、はい……少し。びっくりしただけなので」
「無理しないでね?」
「はい。ありがとうございます」
しっかりと荷物を抱えなおして、ゆっくりと歩き出した女性の後を私も歩き出した。
※※※
「宝飾職人さんなんですか!」
「まだまだ半人前だけどね」
なるほど、にもつがこんなに重いのはそのせいなのか。
ミリーと名乗った宝飾職人の女性は、そう言って恥ずかしそうに微笑んだ。謙遜しているけど、聖女宮に呼ばれるような職人が半人前のはずがない。多分、凄い職人さんなんだろう。
「凄いんですねー」
「そんなことないわよ」
バリバリ仕事をこなす女性には憧れる。
私の村には男尊女卑というか、女は家のことだけやってればいいという風習があったせいで、女はお金を得られるような仕事ができなかったのだ。精々が家事の合間に縫った刺繍を売りに出すのが関の山だった。
「じゃあ今日は、貴族に宝飾を届けるために来たんですか?」
「ううん。違うのよ。私のものは、普通の宝飾とはちょっと違ってね」
「違う?」
「そう。増幅器なのよ」
「増幅器?」
なにそれ。
疑問が顔に出ていたのか、ミリーさんは一つの宝飾を取り出した。赤い石が連なるブレスレットだ。光を反射して、宝石がチラチラと赤く輝く。
「わ! 綺麗ですね!」
「フフ、ありがと。これはね、身につけてると聖力を増幅してくれるのよ」
「そんなことできるんですか!」
聖力は誰にでも備わっているというけど、奇跡が使えるような量があるのはごく一部だけだ。
この増幅器でどれだけ聖力の底上げができるのかは知らないけれど、聖人たちが食いつくことは間違いないだろう。
「はぁー、すごいんですねぇ」
「まあ、その分値段もアレなんだけどね。作るのも手間がかかるし」
ミリーさんは苦笑しながら廊下を進む。
(……。話に夢中になってたけど、なんかヤバくない?)
ミリーさんは淀みない足取りで聖女宮の奥へ奥へと進んでいく。階段も何度か上ったし、確実に聖女宮の中心へ向かっていた。
「あの、ミリーさん?」
「なに?」
「その増幅器を届ける相手って、誰なんですか?」
恐る恐る尋ねると、ミリーさんは少し自慢げに笑った。
「エリオナイト・エリファス様。賢者様よ」
…………。
うわああぁ、なんてことだ! このままじゃ、わざわざ捕まりに行くようなものじゃないか!! どうしよう、どうしよう!?
い、いや、落ち着け……落ち着くんだ、私。
不自然に思われない程度に深い深呼吸を何度も繰り返すと、徐々に動悸が収まってくる。
手伝うと言った手前、ここで逃げるわけにはいかない。気持ち的には逃げたい思いでいっぱいだけど、ミリーさん、多分怒ると怖い。
「ノエル? どうしたの?」
「いや、なんでもないんです。……あの、ミリーさん」
「なに?」
「私、この後も他に手伝いがあるので、これを運ぶの、賢者様の部屋の前まででいいですか?」
「充分よ」
逃げる機会を脱してしまったからには、なんとかエリオナイトに会わないようにするしかない。
私のでまかせに、ミリーさんはあっさりと頷いてくれた。とりあえず、これでエリオナイトの前に出るという最悪の事態は避けられそうだ。
エリオナイトが気まぐれを起こして、部屋の外とかに出てませんように!
こんなに強く願ったのは初めてなんじゃないかってくらい真剣に願いながら、エリオナイトの部屋に向かう。
奴の部屋には何度か入ったことがある。そのどれもが脱走に対する小言を言われるためだけに連れていかれたものだから、はっきり言って良い印象は全くない。
(着いちゃったよ)
こうやって部屋の前に来ただけで、物凄い威圧感を感じる。この威圧感は、私に後ろめたい気持ちがあるから、というわけではないはず。
「さすがに緊張するわね」
「そうなんですか?」
「そりゃあ、賢者様にお目通りするんだもの。当然よ」
ミリーさんほどの女性でも緊張するのか。恐るべし勇者ブランド。
それはさておき、こんなところでのんびりしていては危険だ。ここは敵陣のド真ん前。勝てる見込みのない将が、この扉一枚隔てた向こうにいるのだ。一刻も早く逃げるべきである。
「じゃあミリーさん。すみませんけど、これで失礼しますね」
ギ、イイィィ
それは、例えるなら棺桶の蓋が勝手に開くような、そんな不吉な音だった。
「おや」
「賢者様。聖宝職人のミリーと申します」
急にドアが開いて、そこから賢者様が顔を出しやがった。あまりに急なことに逃げることも出来ず固まった私を尻目に、ミリーさんがエリオナイトに向かって深く頭を下げる。
「ああ、お待ちしていましたよ。どうぞ」
エリオナイトは微笑んで、ドアに隙間を作るように身を引いた。
ミリーさんはエリオナイトの態度になんの疑問も抱かなかったようで、緊張した面持ちではあるものの素直に部屋に入って行った。
「それで? 弁解はありますか」
「ありません」
まあ、当然こうなるよね。
高い位置からエリオナイトに見下ろされ、視線でチクチク責められる。その顔には、この前会った時よりも更に濃くなったクマがくっきり浮かんでいる。これは機嫌が悪くなって当たり前だ。
逃げたいと思う私の気持ちは正当なものだと思うのに、いけないことをしてしまったような罪悪感も覚える。
「ごめんね」
「ーーはぁ。まあ、下手な小細工をしなかっただけマシだと思うことにしましょう」
「え!? マジで!」
お咎めなし!?
エリオナイトの言葉に思わず顔を上げると、それはもう綺麗な顔で微笑まれた。エリオナイトは私を招くように、自分の手を自室に向ける。
「どうぞ」
「え?」
「お話があります。商談が終わるまで、お茶でも飲んで待っていてください」
「……」
十中八九お説教。それが分かっていながらも、私に断る度胸はなかった。
読んでくださってありがとうございます