②異世界列車の異変
「なぁ、此処には誰も居ないんじゃないか?」
殆ど人の居ない車両に、数人の男女が立っていた。拳銃を片手に持つ姿は何とも退屈かつ、暇そうに見える。
乗客達が一つの車両に追いやられると、彼らは途端に暇となったのだ。後は地球に異世界列車を向かわせるだけなのだから、当然ではあるのだが。
「誰も居ないだろうなぁ。けど、まあ仕方無いさ。まだ捕まえていない乗客が居ないとも限らないんだからな」
「そうだなぁ……でも、ここまで暇だと不安になってくるぜ」
男が肩を竦めると、側に居た他の者達も同意した様子になる。
「まあね。だが良いじゃないの、上手く行けば帰還出来るんだし、これ以上無い最高の幸せじゃないか」
「いや、実は俺、地球だと前科持ちでなぁ。職に就けるかが不安なんだよ」
「……不安ってそういう意味かよ。ああ、まあ、俺達の仲間の誰かが雇ってくれるさ」
「そ、そうかねぇ」
肩を叩いて元気づけると、男は目に見えて元気を取り戻す。
その姿を見て興味を持ったのか、他の仲間が男に向かって尋ねた。
「ところで、前科って何をやったんだよ?」
「詐欺だよ。大きな組織の使い走りをやってたら、運悪くな」
「それは災難ね。運が悪かったんじゃない?」
男に前科が有っても、彼らは特に気にしなかった。彼らは『地球に帰還する』という信念で繋がっている、例え凶悪な犯罪者であっても、気に留める必要は無いのだ。
「なあ、話は変わるけどさ。俺達の中に居る女だと、誰が一番好みだ?」
余りにも退屈なのか、男達の一人が意味のない話題を振る。
「そうだな……俺はケイだな。良い奴だし、何よりあの太股がヤバい、興奮で倒れそうになる」
「太股フェチかよ……あ、俺はミーナットな。背の高い女って良いよな」
彼らの組織に所属する女の姿を頭に浮かべつつ、男達は話を続けた。
「でも、あいつは頭がおかしいじゃねえか。この間だって半裸で返り血を浴びて帰ってきてたんだが」
「俺達もな」
「違いない。確か、俺達に探りを入れてきた連中の始末だったな? ……でもミーナットは駄目だろ、怖すぎる」
物騒な事を話す男達が銃を軽く弄び、その中の一人が微妙に不機嫌そうな様子となった。
「おいおい、あの頭がおかしい所が良いんじゃねえか。この間、銃口で頭をゴリゴリされたけどな、アレは良かったぜ、殺されるんじゃないかって恐怖と興奮でな」
「……うわ、変態だぞコイツ」
「何を言うか。ミーナットは最高だぞ、射殺されると思ったら、ケツを素足で蹴り込まれただけだったんだからな。いや、アレは痛かったが、足の感触が気持ちよかったぜ」
「……うげぇ……本物だ」
男が余りにも被虐趣味的な発言を繰り返した為か、周囲の者達は全力で距離を取り、半ば吐く真似をして見せる。その中には、銃を男に向けている者すら居た。
「ねえ、私は? 私はどうなの?」
男達が馬鹿話をしていたその場で、話を聞いていた唯一の女が興味津々に尋ねた。
すると男達は一度困った様に顔を見合わせ、素早く輝かんばかりの笑顔になる。
「あ、お前は却下」
「うんうん」
「無い。お前は無いわ。猫と戯れてた方が楽しい」
口々に酷い、だが素直な言葉をかけてくる男達。
それを聞いた女は青筋を立てて、怒りに拳を震わせた。だが、何を思ったのか急に男達へ悪意のある笑みを向ける。
「……じゃあ言うけれどね。あなた達だって女からの人気『は』無いわよ」
何か意味深げに強調された発言を聞き、男達は顔を見合わせる。
「いや、そりゃまあ俺達の組織の連中は女より地球! だけどな?」
「勘違いしないで、サイトウさん辺りは私達にも人気があるわよ? ミーナットですらサイトウさんには敬意を払うもの」
「まあ、サイトウさんはリーダーだからな、俺達の最高のリーダーさ」
その場の全員がサイトウの事を考えていた。
サイトウの特徴は、要するに『周囲を引っ張るリーダーシップ』と『誰よりも猛烈な地球への帰還願望』だ。信用と尊敬に値する熱心さで『地球』生まれの人間の組織を作り上げた事は、彼らにとっても誇りなのだ。
何度も頷きながら彼らは己のリーダーへの敬意を口にしていた。だが、その中で一人の男が何かに気づいてしまったのか、不安そうに目を見開いている。
「待て、女から『は』?」
男の漏らした言葉を聞いて、その場の男達は一瞬にして凍り付いた。
「……まさか、おい」
「おい、やめろ。そんな話は聞きたくないんだが……」
彼らは一斉に縋る様な表情となり、女の姿を見る。
だが、女はさも『現実は非情だ』と言いたげな顔をして、はっきりと頷いてしまった。
「……私達って、色々な趣味の人が居るのよね」
女が発言した瞬間、男達は一気に死にそうな顔となり、思い切り頭を抱える。
「うわぁ、マジか。うわぁ」
「……マジか」
「あのマッチョ、まさか俺の身体を狙って……気のせい、だよな?」
落ち込むのを通り越して、彼らは今にも死にそうな顔をしていた。
女が嘘を吐いたとは思っていない様だ。彼らの組織の中には様々な趣味の人物が居る、余りにも現実味が有り過ぎた。
「別に同姓だろうと好いてくれるのは嬉しいと思うわよ? 私も女からそういう目で見られた事が有るしね」
妙な事を告白しながらも、女は困った風になっていた。予想よりも男達が落ち込んでしまったのだ。
女は今の話題を無かった事にしようと、必死で男達に声をかけていた。
「ほらほら! 落ち込む前にさっさと私へ謝りなさいよ。今なら許してあ」
だが、女の声は途中で止まった。まるで、急に音が無くなってしまったかの様に、唐突に消えたのだ。
男達は若干の不審さを覚えて、同時に、背後から聞こえてくる呼吸音らしき物を聞き取った。
「っ……!」
今までの物を遙かに越える警戒心が、男達を襲う。それまで考えていた事は一瞬にして吹き飛び、全身に嫌な感覚が宿る。
彼らは凄まじい早さで、そう、凄まじ過ぎる勢いで身体を女の方へ向けた。
「え?」
そこに有ったのは、首にナイフを生やして倒れる女と、それを音も無く支える謎の人物の姿だった。
だが、驚愕は一瞬でしかない。彼らは素早く正気に戻り、持っていた銃を構えようとする。
「この野郎ぉ!」
だが、それは最早遅かった。何者かは女の身体を即座に捨てて、神速で銃の引き金を引いていた。
銃声が響く。
だが、それは軽機関銃の物ではなく、全て拳銃の音だった。男達は何者かが撃つ銃弾を受けて、引き金を引く前に殺されたのだ。
その技量の差は、誰が見ても圧倒的だった。
「っ……く、あ、あああぁ!」
相手との決定的な力の差を感じ取った男が、銃を握るより早く逃走していた。『ミーナット』への好意を語っていた被虐趣味の男だ。彼は仲間を盾にして、戦う事も無く逃げ出している。
何者かは銃を男の逃げる背中へと向けた。しかし、その寸前で何とか生きていた男が何者かの視界を遮った。
「クソッ! 頼むぜ、俺達の分まで地球に戻ってくれよ……!」
死を覚悟した男は、口から血を流しつつも軽機関銃の引き金を引く。
何者かが身体を素早く座席に滑り込ませると同時に、先程の拳銃とは比べ物にならない音が響いた。
妙に頑丈な座席は銃弾の雨を受けても壊れない。男は必死に同胞の死体から銃を奪い取って、更に発砲を続ける。
「この野郎、くたばりやがれ畜生! 俺達の、俺達の計画を邪魔するなぁぁぁっ!」
「邪魔なのは君らですよ」
魂から言葉を叫ぶと、男の背後から静かな声が聞こえてきた。
静寂の中にも怒りの含まれた、力強い声音だ。唐突に背後へ現れた声の主に、男は反応できなかった。
「てめっ……」
「残念だが、さよならです」
男が背後の存在へ攻撃を仕掛けようとするよりも早く、その人物の一撃が男を襲う。
「ぐ、げはっ……!?」
背中から内臓が潰される様な、まるで巨大な列車に体当たりでも受けたかの様などうしようも無い衝撃が男を襲い、僅かな間で意識を吹き飛ばす。
それでも男は一矢報いたいと背後へ顔を向け、銃の引き金を引いた。
「この、畜生がぁぁぁぁっ!」
雄叫びが銃声を飲み込む程の声量を以て響くも、それらは全て無駄に終わった。
何故なら、男の背後には誰も居なかったのだ。
「な……!?」
「さよならだ」
別れの言葉と同時に、男の背後へと再び強烈な一撃が放たれた。
「げっ、ぐぼ……がっ……!」
今度は意識を保つ事も、意味の有る言葉を口にする事も出来ず、男はあっさりと倒れる。
だが、こんな状況でも男は笑っていた。同胞の一人を確かに逃がす事が出来たのだ。
――頼むぜ、サイトウさん達に、この事態を伝えてくれよ……!
――あ、でも俺達って本当に男に好かれてるのかねぇ……?
自分が『地球』に戻れない事に絶望しながらも、男は最後まで表情を歪ませず、余裕ぶって関係の無い事まで考えていた。
――ま、良いや。はぁ、残念。
そして、頭の上から銃声が響き、男の命は列車内で散る事が確定した。
「さて、もう大丈夫ですよ、アランさん?」
男の命を奪った者、エイベルはアランへと声をかけながら、まるで汚物でも見るかの様に男の死体を眺めていた。
その顔に有るのは嫌悪感であり、不快さだ。エイベルの顔立ちには似合わず、違和感の有る表情である。
「終わったか。まあ、それなりに邪魔だったな」
エイベルの顔に宿る感情を読み取ろうとしながらも、アランは飛び込んだ座席から姿を現した。
片手の拳銃に弾丸を装填する姿は、凄腕の殺し屋の様な剣呑さを醸し出している。この場の死体は、殆ど彼の手によって作られた物だ。
「いやぁ、凄いですね。あの凄いスピードの一撃! 感動しちゃいますよ」
エイベルが賞賛を口にすると、弾丸を装填し終えたアランが、無表情で軽く流す。
「下手なお世辞は止せ」
「そうでもないですよ。音も無く忍び寄って、気づかれた後は素早く銃撃、本当に凄かった」
今にも拍手の一つでも始めそうなエイベルの言葉を聞いても、アランはどうでも良さそうに死体へと目を向けた。
「……ふん、どうにもな。で、コイツ等は何者だ?」
「さあ、アランさんが殺してしまいましたから」
「一人逃げたがな」
「深追いは禁物でしょう?」
諭す様な口振りのエイベルに向かって、アランがしっかりと頷く。
「その通りだ。だが、気になる事は気になるだろう?」
「……まあ、そうですね。アランさんの追っ手という可能性はどれほど?」
エイベルに尋ねられて、アランは数秒間考え込む。思い当たる節があったのか、彼は少し迷う様に答えた。
「まあ……三割五分くらいか。こういう連中に攻撃されるのは慣れていてな。この間、似たような奴とトラブルを起こした様な記憶が無い訳ではないな」
「へぇ……それはまた、どうして」
「……深追いは禁物。そうだろう?」
やはり、アランは諭す様な表情でエイベルに答えてみせた。
それを見たエイベルは一瞬だけ呆然とした様な顔をしたが、次の瞬間には朗らかに笑い出す。
「あははっ、そうですね。そうでした」
「ああ、単なる協力関係の相手に情報を教える必要は無いだろう」
真面目な顔をするアランに対して、エイベルは何処か楽しげな調子だった。
エイベルは床に転がった死体の山を隅へ運びながら、面白がる様にアランへ提案をする。
「よし、そろそろ部屋に戻ってみます?」
「いや、今頃こういう連中が調べているだろうさ。特に何も無いがな」
肩を竦めながら、アランが却下する。
却下された事には特に思う所が無いのか、エイベルはあっさりとアランの言葉を飲み込んだ。
そもそも、彼らが此処に居る理由は、その部屋に近づく者の気配をアランが察知し、事前に危険から回避していた為だ。そして、アランの小さめのトランクも持ってきている為に、部屋には彼の私物の一つたりとも残されていない。戻った所で意味が無いのだ。
それを理解しているエイベルは、頷きながらアランの顔を覗き込んでいる。
「そうですか。なら、どうします」
「……こちらとしては、そうだな。隠れる事が出来る場所で大人しくしておくか、無理矢理にでも暴れ回って危機を突破するか、どちらかだ」
アランの二つの提案に対して、エイベルは考える間も無く答えた。
「私は隠れる方をお勧めしますね。アーデルさんなら暴れる方を選ぶかもしれませんがね、生き残る方が先決でしょうに」
「同感だ。行動は早い方が良い」
重々しく同意を口にしたアランは小さなトランクを小脇に抱え、自分の生み出した死体を一瞥もせずに歩き出した。
その少し前にエイベルが居る。単なる情報提供者に背中を見せる程、アランは馬鹿ではない。
「何処か、隠れられる場所でも探すぞ。心当たりは有るか?」
「そうですね、まず……」
会話をしている間も、アランは進み続けた。
列車の内部で何が起きているのかを、全く理解しないままで。
+
乗客の纏められた車両は恐怖による物々しい雰囲気に包まれている。
監視を続ける者達は銃を握っていて、今にも客の誰かを撃ち殺してしまいそうだ。乗客達は出来るだけ目立たない様にひっそりとしていた。
そんな中、銃を持った女、ミーナットは何かに気づいた様子で顔を虚空へと向け、興味深げに目を細めた。
「おおぅ、銃声っぽいのが聞こえたぞ? ははっ、やべえぇぜ銃撃戦か? すげえ楽しみ、命が華々しく散っていく。魂が燃え尽きていく、まだ私が殺す分は残ってるのかねえ、あの肉が吹き飛ぶ瞬間! ああ、テンションが危険域だなこれぁ……」
「ミーナット、我々の仕事は此処だ」
今にも飛び出しそうなミーナットを寡黙な男が抑えると、彼女は口を尖らせながらも動きを止める。
「分かってるって。ちょっとぶっ殺しに行って帰ってくるだけだからなぁ? な、良いだろ?」
「駄目だ」
「……ケチ野郎め」
渋々銃を降ろし、ミーナットは舌打ちをした。それでも寡黙な男は表情を変えず、他の同胞と共に乗客達へ銃を向け続けた。
男の真面目極まり無い姿は、一種の好感を人に覚えさせるだろう。ミーナットも同じ気持ちになったのか、彼女は軽く肩を竦める。
「そんなだから男に惚れられるんだよ、この野郎カッコいい奴め」
「……褒めているのか、それは」
寡黙な男の表情が微妙な物へと変わる。
それを狙っていたミーナットは、悪戯っぽく顔を逸らした。
「さてね、馬鹿にしているのかもしれないなぁ?」
「そうか」
「……それだけかぁ。それだけなのかぁ。何という微妙な反応なんだよ本当に。私的にはもうちょっと良い反応が欲しかった訳だが」
ミーナットが残念そうに首を振ると、男は全く動じないまま答える。
「悪いな、お前の言葉に反応するつもりは無い、必要も無い。仕事の邪魔だ」
その瞬間、銃声が響き渡った。
乗客達が悲鳴と共に震え上がり、頭を抱えて腰を低くする。しかし、銃弾は誰の身体を打ち抜く事も無かった。
「おっと、暴発してしまった。悪い悪い」
軽機関銃を天井へ向けたミーナットが、わざとらしく謝罪をしている。
口が裂けたかの様な笑い顔を浮かべつつ、銃を同胞達へと向けた。
「で、私を馬鹿にしている訳だな。ははっ、良い度胸じゃねえか」
「別にそういう訳じゃないんだが」
「いや、私は怖いぜ? 今、無性に人を撃ち殺したくてたまらねえのよ、下手をすると、お前達も人質も皆殺しかもしれないな?」
邪悪な雰囲気のミーナットは、暴走した様子で涎を流し、頬を紅潮させ、瞳の中に気持ち悪い色を宿す。まるで化け物だ。
彼女の同胞達ですら、余りにも不快な様子になってしまう。だが、寡黙な男は全く変わらず、ただ一言だけ告げる。
「騒ぐな」
「……クソ、分かってるさ馬鹿。畜生、撃たせて欲しいね。撃ちたいんだ、穴だらけにしたい。強い魂の持ち主とかを灰にしたい」
「我慢しろ」
男のしっかりとした声を聞いて、ミーナットは肩を竦める。
「ああぁ、そうだな。同胞を撃ち殺すのは止めるとしよう」
そう言いつつ、彼女は足を乗客達の方へと進めていく。横幅の広い通路に詰め込まれた客達は、彼女が近づく毎に震えた。
女が通る先には怯えばかりが有った。
「ひっ……い、いや……」
近寄ってくるミーナットへの恐怖が限界を越えたのか、客の一人が思わず悲鳴を上げる。
そして、それを見逃すミーナットではない。
「おい、ちょっと来い」
「え、あっ……!」
ミーナットは無理矢理に乗客の腕を引っ張り、通路へ引きずり出した。
「どうするつもりだ」
端から見ていた男が尋ねると、ミーナットは爽やかな程に下種な顔となった。
「いや、何。ストレス発散にはこれが一番だぜ。スッキリするぞ」
「……」
「具体的に言うと、見せしめだ。こいつを撃ち殺す。異世界人は消毒して肉にしてやらないとな?」
話を聞いていた乗客の女の顔が青くなり、寡黙な男へ助けを求める目を向ける。
だが、男は特に感情を動かす事は無く、ただ静かに言った。
「……見せしめなら、目立つ様にやれ」
「あ……そん、な……」
女は絶望に浸されたかの様な表情になり、崩れ落ちた。
そんな反応を面白がっているのか、ミーナットは愉快そうに笑い、物騒な軽機関銃を片手に女の首を掴む。
「ああ、分かってる分かってる。しょうがねえな。お前は手を出すなよ、相手は女だぞお前みたいな背の高い筋肉変態野郎に押さえつけられたら気持ち悪くて吐いちまう。主に私が、なっ!」
女の頭を床に固定させて、ミーナットはその上から銃を押しつけた。
「い、いやぁ! だれか、だれか……」
「誰も助けてくれないぜ、あんな腰抜け共には無理に決まってるのはお前も分かってるんだろ? ほらほら、大人しく私のストレス発散になってくれよなぁ」
激しく暴れて抵抗する女の両腕をミーナットが無理矢理に押さえつけて、銃の引き金に指をかけた。
だが、ミーナットが発砲する寸前――凄まじい蹴りが彼女の顔に突き刺さり、全身を一瞬にして吹き飛ばした。
「うおっぉ……!?」
「邪魔なんだよ、屑女!」
乱暴な言葉を響かせたかと思うと、蹴りを放った男、いや少年は、床に倒れ込みかけた女の身体を掴み、引っ張る。
「野郎!」
大人しく逃がすつもりは無いのか、男とその同胞が一斉に銃を構えた。
「あはっ! ちょっとそれは駄目!」
だが、銃声が鳴るより早く、子供の声と一緒に座席の部品が飛んでくる。
不意打ちを受けた男達は一瞬怯み、子供の方へと意識を向ける。だが、そこには既に子供の姿など無い。
「さ、逃げましょう!」
男達が気づいた時には、子供と少年、それに殺されかけた女は車両の端にまで到達していた。
「逃げるんじゃねえ……!」
「やめろ」
追撃しようと銃を持ち上げた男を、寡黙な男が手で制する。
一瞬の内に車両から飛び出していた三人の内、一番幼い子供が軽く片手を出して、嘲笑にも似た声を発した。
「はは、じゃあバイバイ!」
男達が反応をする暇など一切無いまま、子供は車両から消えていった。
数秒もしない内に、子供達と女は車両から消え去っていた。
その事実に対して乗客達は暫くの間は唖然としていたが、すぐに自分達が逃げられる可能性に関して期待を抱いた。
「お前達まで逃げるのか?」
だが、寡黙な男が軽機関銃を構えて睨んだ事で、乗客達は大人しくなる。
彼は倒れ込んだミーナットの側へと近寄り、決して銃を手放さずに話しかけた。
「無事か」
「あぁ……大丈夫、大丈夫だな。おい、私の最高に綺麗な顔は潰れちゃいないか?」
自信に溢れた言葉であると同時に、不安そうな質問である。
男は平気な顔で頷き、懐から出したハンカチを差し出しながら答えた。
「何時も通り、気持ち悪く恐ろしい綺麗な顔だ。ほら、使え」
「おう、助かる。どうにも、間一髪で顔を引くのが間に合ったらしいな」
ミーナットは安堵した様子で息を吐いた。少年からの強烈な蹴りが飛んできた瞬間、彼女は攻撃に合わせて顔を引き、衝撃を和らげたのだ。
それでも攻撃を受けた彼女は吹き飛ばされた為に、顔に付着したゴミをハンカチで拭き取る。
「万が一にでも私の顔が引き潰されたら色々とヤバい所だったぜ……畜生、いてえなゴミクズが」
悪態を吐きながら顔を軽く撫でてミーナットは立ち上がり、小声で男へ囁いた。
「……上手く行ってくれたけどな。これで成功なのかよ」
「ああ、成功だ」
この状況に陥る事が最初から分かっていたかの様に、寡黙な男は驚きもせずに頷いて見せる。そして、ミーナットも同じ様に笑みを浮かべていた。
「まあサイトウさんの作戦だしな、きっと上手く行くか。でもあのガキ共はとりあえず殺しておくしかないよな、そう思うだろ?」
「それを判断するのは、俺達ではないな」
ミーナットの独り言へ真面目な回答をしながら、彼は少しだけ表情を緩める。
「実に良い演技だった」
「へっ、演技じゃなかったんだけどな。本当に人をぶち殺そうと思ってたんだよ」
ヘラヘラと笑いながらミーナットは肩の力を抜き、『事前の打ち合わせ通り』に行った事への喜びを見せていた。
そう、彼女が唐突に乗客の女――ケイを殺そうとしたのは、予定通りの事だったのだ。
「それにしてもケイの奴、羨ましいなおい。私だってやってみたかったんだぞ、ああ、もう、羨ましいよな妬ましいよな、私だってヒーローに守られるヒロインって面白そうだと思ってたのによ」
「お前が守りたくなるヒロインなのは違う。敵側のヒロインが相応だ」
至極残念そうなミーナットに向かって、男は隠さずに本音で答える。
世辞を言われて喜ぶ類の人間ではないミーナットには、例え悪口であっても本当の事を言う方が正しいのだ。
だが、彼女は僅かに落ち込んだ様子になり、小さく声を漏らす。
「……これでも、私だって王子様に憧れた時期くらい有ったさ」
数分もあれば、僅かに落ち込んだミーナットも浮き足だった同胞達も、元の状態へと戻っていた。
元々、『そういう計画』だったのだから、乗客達が逃げない様に押さえ込む事も簡単だ。
「さあて、人質連中は人質のまま、この場の全員が欠けていないままだ。このまま行けば、作戦は完全に成功かな?」
他の車両で『何か』が起きている事にも気づかず、ミーナットは小さく呟く。やはり手持ち無沙汰なのか、軽く銃を叩いていた。
「さて……『地球』に帰ったら、私は善良な一市民に戻るんだ。一人くらい殺し納めておきたい所なんだが、駄目か」
「……」
「分かってるよ、駄目って言いたいんだろ。分かってるんだって、気にしなくて良いさ。クソ食らえだがな」
残念そうなミーナットだったが、特に危険な事をする様子は見られず、ただ銃を弄ぶだけだ。
そんな彼女の元に、近づいてくる者達が居た。
「ミーナットさん、そろそろ……」
他の車両から移動してきた者達が、彼女へと声をかけた。そこでミーナットは少し考え込んで、時間を確認する。
彼女らが車両を制圧してから、それなりの時間が経過していた。
「ん、もうこんな時間かよ。つまらねえなぁ、ほんと、一人くらい殺したかったんだけどな」
「あの、ミーナットさん?」
同胞達が困った様子になると、彼女は不満そうに頷いて見せた。
「分かってるって、交代だろぉベニトミーちゃんよ」
「ええ、まあ。ここからの時間は我々が居るので、後は任せてください。それに、顔に怪我をされたとか……」
心配そうに同胞達の中の男、ベニトミーが顔を覗き込むと、そこでミーナットは頬に少しだけ残った痣を撫で、鼻で笑う。
「はっ、こんなのは掠り傷さ。心配する必要も無いくらいにな」
「そうですか? なら良いんです、あなたが怪我をするなんて人類の大いなる損失ですよ」
安堵の息を吐く姿は何処までも本気だ。何やら特殊な性癖でも持っているのか、その視線はずっとミーナットの髪へと向かっている。
「はは、その目を止めろよ。おっかないぞ。ああ、気持ち悪いと言わないのは情けだと思えよ」
心底嫌悪の混じった笑みと共に、小馬鹿にした声が相手の耳に響く。何が心を刺激したのか、その男は全身を歓喜に震わせた。
「く、うう。これがこれが、これがミーナットさんの……すげえ、こりゃすげえよ、誰でも被虐趣味に目覚めるぜ……」
何やら訳の分からない事を口にしているベニトミーを放置して、ミーナットは寡黙な男の方へ声をかける。
「さて……出来れば何人か撃ち殺しておきたかったんだが……まあ、仕方ないよな。おい、筋肉変態。さっさと行くぞ」
自分より少し背の高い男の襟首を掴んで、彼女はまるで引きずるかの様に男を引っ張った。
とんでもない力で引かれた為か、男の足が揺れる。寡黙が故に慌てた言葉は吐かなかったが、不満そうな表情ではある。
「……俺は筋肉変態などという名前ではない」
「悪い、名前を覚える気が無いんだ。ほら、お前等も早く来い」
「は、はい!」
特に悪いとは思っていない事が分かる態度で、ミーナットは寡黙な雰囲気の男と他の者達を連れていった。
その先に何が待っているのかも、知らずに。