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プロローグ2 異世界列車の発進

 世界の端には、『異世界列車』が存在する。それは幾多の異世界を飛び回る列車で、事前の切符を買っていなければ乗れないくらいに珍しい乗り物だ。異空間を走る雄志を車内から見れば、誰もが感動の余りに切符を買い、また次の駅まで景色を眺めるだろう。

 こんな事を常識的な『地球の』人間が聞けば耳を疑うかもしれない。だが、異世界たるこの世界の者達は列車が実在する事を知っているのだ。

 だが、此処が何時、どうして、どの様にして作られたのかも、誰が切符を切っているのかも分からぬ状態である事は確かだった。

 自動的に切符を確認しているのか、持っていない者は入る事すらもままならない。特に何らかの技術が発展している訳ではない『この世界』では、何も分からないのも道理だ。


「でも、使える物は使ってしまうのが人間の良い所、っていう事か?」


 異世界列車が眼前に広がる状況で、一人の少年こと、『フレン』が関心を寄せている。

 年の頃は恐らく十代の後半と言った所だろう、頭にハンチング帽を被っていて、印象的な釣り目が少々乱暴な所も見受けられるが、その顔の奥底からは優しさが滲み出している。

 彼の手に有るのはガイドブックらしき物と鞄だけで、相当に軽い持ち物だけで列車に乗ろうとしている事は明らかだった。


「ああ、これが……異世界列車かぁ。乗るのは初めてだったか」


 言いながら、フレンは僅かに他の客達の様子を窺った。

 その表情は、初めて乗る列車に楽しみを見出している物では全くない。


「ああ、追いかけてくれる奴は……居ないか。ははっ、薄情者共め」


 そう、彼は必要だから使っているのだ。

 ――盛大で壮絶な『家出』を行う為に、必要だからこそ。


「ふ……」


 追いかけてくる者が居ないと知って、フレンは肩の力を少し抜いた。

 親の同伴も無しに異世界へ行くのは危険だ。それを分かっているのか、楽にした姿勢にも若干の緊張、あるいは郷愁にも似た物が有る。


「逃げないとな。ああ、絶対に。できるだけ遠くに、見つからない様に。あんな奴と一緒に生活なんて、嫌だからな」


 よく分からない事を口にしつつ、フレンは列車に乗り込む者達を観察し続ける。

 人間以外の知的生命体は見当たらないが、乗り込んでいくのは老若男女様々だった。


「それにしても、凄い列車だよな。流石は『異世界列車』」


 色々な人間が乗っている事にフレンは喜びを感じ、そして、奇妙な集団を見つけた。


「ん?」


 誰もが思い思いの格好をしている中で、浮いている集団の姿が有った。いや、服は別々の物を着ているのだが、雰囲気が同じなのだ。

 まるで一個の目的でも持っているかの様な、嫌な雰囲気が漂っている。

 ふと、フレンの頭に最悪の想像が浮かんだ。


「……いや、あはは。無い無い。この列車にテロリストなんて、無いね、うん」


 頭に浮かんだ想像を一笑して、フレンは今度こそ列車に乗り込もうとする。

 しかし、その寸前でフレンの服を掴む者が居た。


「ねーえ。あなた一人かな?」 

「……ん、ん?」


 フレンが相手の存在に気づいたのは、僅かに遅れての事だった。


「あ、ああ」

「……むぅ、なんだかバカにされている気がします」


 フレンの服の裾を掴む存在は、口を尖らせて不機嫌さをアピールしている。

 だが、小さい。フレンの背が平均的な年頃の物だとすれば、相手の背丈は顔から察せられる平均年齢など気にならない程に下に見えるだろう。

 フレンからすれば胸元くらいの身長で、殆ど『児童』と呼ぶ程度の相手だったのだ。

 怒りの一つも沸かず、フレンは静かに声をかける。


「君な、初対面の人の服を掴むのは失礼なんだぞ?」


 軽い言葉を聞いて、『児童』はすぐに手と距離を離す。


「あ、ごめんなさい、知らなかったんだ」

「いや、分かれば良いさ……ああ、君もこの列車に乗るのか?」


 フレンが出来るだけ目線を下げる様に、なおかつ分かりやすく尋ねると、『児童』は想像より賢い声で答えた。


「あ、うん。僕もこの列車に乗るんだよ、目的は勿論、旅の景色を楽しむ為で……えっと、まあ、風景って言っても異空間の殺風景な場所を見つめるだけだね」

「へえ、そういう観察が好きなのか?」

「あは、どちらかと言うと、『異世界列車』が好きなのかな、僕は」


 微妙に噛み合っていない言葉を返しつつも、『児童』はじっとフレンを見つめる。

 意味深げな物を感じたフレンは、質問を投げかけた。


「ああ、そうか。何か用事が有ったんだな? ええっと、で、何の用だ?」


 フレンが顔を覗き込むと、『児童』は少し目を泳がせる。


「えっと……あのね」

「ん?」


 『児童』は一度目を瞑ったかと思うと、すぐに言葉をまくし立てた。


「あの、あのね! 一緒に乗らないかな! 僕はこれでも異世界列車には詳しいんだ、ほら、見た目も!」


 自分を指さし、『児童』は得意げな顔をした。

 確かに、その外見には列車らしい特徴が有る。少し伸びた髪には両側から車輪らしき髪飾りが止められていて、線路らしき物が両腕から首筋にかけて描かれていた。首に下げているのは小さな鉄道の様だ。


「鉄道マニアか何かか?」

「ううん、僕が好きなのは、この異世界列車だけ!」


 フレンの質問に対して、『児童』は分かりやすいくらい素直な調子で答える。

 信用出来る言葉だと察して、フレンは小さく頷いた。


「分かってくれたの? ふふ、じゃあ、一緒に乗ろう!」


 嬉しそうに『児童』がフレンの手を掴み、夢中になって微笑みかける。

 純粋で幸せそうな表情は今のフレンにとっては羨ましく、彼は僅かに目を逸らす。


「あー……何で俺なんだ?」

「あのね、何だかあなたは楽しく無さそうだし、僕が色々教えてあげようと思ったんだ!」


 フレンは一瞬だけ体を硬直させた。『児童』の両目に、魂の底まで覗かれている気分になったのだ。

 その硬直を狙っていたかの様に『児童』は両手でフレンの腕を掴む。


「ほら、僕ならあなたより列車を楽しめるし、一緒に行った方が良いよ、さ、一緒に楽しくなろうよ!」


 その姿は、どこまでも本気に見えた。


「……ああ、そうだな。折角だし、な」


 腕を組まれている状態と、子供の純粋な眼。それに負けたフレンは抵抗を止めた。


「うん、一緒に楽しむとするか」

「そうそう、列車の旅を精一杯楽しもうね! あ、僕は『ジェイ』って言います。よろしく!」


 『児童』こと、ジェイは機嫌も調子もすこぶる良く、とても明るく挨拶をする。


「ああ、俺は『フレン』だ。よろしくな」


 相手の腕を軽く解き、フレンは自由になった手をジェイに差し出す。

 身長差の為に握手をするのも少し難しいが、ジェイは軽く握手に応じた。


「じゃあ、今日一日、よろしくね!」


 明るい声を意識の端で聞きながら、フレンは目線を他の乗客達へ向ける。


「ん、この列車は随分と客が多いんだな」

「一日一本のペースだからね、まだまだ乗客さんは居るんだよ。ふふ、列車の旅は楽しいんだから、当然だよね」


 乗客達はまだまだ居なくなる様子が無く、むしろ増えている様にすら思える。

 同じ様な感情を心の奥に隠した者達がまだ列車の中に入り続けているのだ。フレンの心に不審な感情が広がった。


「おい、ジェイ。あの連中……」

「あ、ちょっと待って!」


 不審な者達に注目したフレンの言葉を遮り、ジェイが腕を引いた。


「ん……どうしたんだ?」


 意識を乗客達からジェイへ移すと、彼は楽しそうに指を列車の最後尾へと向ける。


「ほら、あの人……何だか怪しいと思わない?」


 ジェイが指さす方向には、一つの人影が立っていた。恐ろしい程に暗いコートで顔を含めた全身を隠し、巨人の如き背丈が何とも恐るべき雰囲気を助長している。遠目にも分かる程に深き謎を立ち上らせている。

 あらゆる学問に於いても存在を表す事の出来ぬ、学問に限界を突きつけるもの。人という種に対して根元的な恐怖を与える『何か』。それを視界に含めただけで、フレンは慄然とした面持ちとなる。


「っ……」

「ほら、やっぱり怪しいよ!」


 おぞましい物に対してジェイは微塵も恐れた様子は無く、ただ好奇心旺盛に動き出した。


「うん、ちょっと確かめに行って来る! えへへ、何だか楽しい!」

「お、おい!」


 フレンが慌てて止めたが、ジェイの耳には届かなかったのか、彼は『何か』の元へ勢い良く走ってしまった。




 その『何か』こと『灰夜昏敦』は、出来るだけ目立たない列車の後方に立っていた。

 たった今来たばかりの彼は疲れた様子も無く、列車に向かって存在しない目を輝かせる。


「『異世界列車』かぁ……本当に、良いね」


 不気味な存在でありながら、その奇異なる声に含まれるのは明るい色である。


「切符の持ち主には悪いけど、仕方ないかな、ごめんなさいとしか言えないね」


 悪い事をしたとは思っていない様子で、彼、あるいは彼女は列車に乗り込もうと足を進める。

 そんな昏敦の耳に、呼び止める少年の声が響いた。


「あの!」

「……うん?」


 足を止めた昏敦が振り向くと、そこには少年が居た。列車の様な格好が特徴的で、恐れも知らずに近づいている。

 混乱したのは昏敦の方だ。友好的かつ平気な顔で側に駆け寄ってくる事など初めての経験なのだ。


「ええっと、君は……?」

「こんにちは! 僕はですね、ふっふっふ。あなたが怪しい人だと思って来ました!」


 微塵も隠さずに、少年は昏敦の全身を怪しそうに見つめた。


「おっきなコートだねー。その服の下って、どうなってるの?」

「見たいのかな? きっと正気を失うよ」

「えっ……尚更気になる!」


 愉快な気持ちで警告をした昏敦だったが、少年は全く逃げずに興味を強める。

 少年に対しても興味を抱いた昏敦は、その顔を嬉しそうに見つめた。


「へえ、そんなに怪しいのかな?」

「はぁい! 怪しいです! ……って、うわっ」


 とても嬉しそうに答えた少年の背中を掴み、引っ張る者が現れた。


「ジェイ! お前……すいません! 連れが無礼な事をしてしまって!」

「別に連れって訳じゃ……いたたた!」


 少年を掴んだ者は思い切り昏敦に向かって謝罪を口にして、逃げ腰ながらも少年を庇い続ける。


「あ、いや、そんなに謝らなくても良いから」

「すいませんでしたっ!」

「……へえぇ」


 昏敦は自分が恐れられている事に若干傷ついた物を感じながら、少年を守ろうとする人物の勇気に感動を抱いていた。

 自覚の無い怪物である昏敦では有るが、自分の存在が恐怖の対象である事くらいは理解している。年頃の子供が相対するのは、間違いなく不可能な相手である。

 そうであったとしても、少年は果敢に立ち向かっているのだ。物語を見ている様な気分になった昏敦は、軽く笑い声を漏らす。


「ふふ……」

「あ……すいません!」

「いや、怒ってないさ。良いから、戻って良い」

「そ、そうですか! 分かりました、ほら、行くぞ!!」


 昏敦の恐るべき声から発せられる感動をどう捉えたのか、少年は目を泳がせて身体を震わせながら、子供の襟首を掴んで引きずっていった。


「ちょ、ちょっとだけ待って!」


 子供は必死に抵抗して、昏敦の側へと飛び込む様に近づいた。

 人間でいう耳に当たる器官を持たない昏敦は、全身が聴覚に等しい。子供は内緒話でもするかの様に、昏敦に対して小さな言葉を放つ。


「あのね――」


 楽しそうに囁かれた言葉を聞いて、昏敦はほんの僅かに驚きを表し、沈黙した。


「っ……」

「すいません、すいません! ほら、早く行くぞ!」


 昏敦の沈黙を更なる恐るべき事態への入り口だと受け取ったのか、少年は更に強く腕を引く。

 少年に半ば引きずられる形で連れて行かれながらも、子供は手を振っていた。


「ん……じゃあね!」

「……ふっ……ああ、またね」


 手を振り返しながら、驚きから脱した昏敦は隠しきれない機嫌の良さを撒き散らす。

 周囲の気温が何故か異様に低下する事を認識しながらも、昏敦は今にも鼻歌を奏でそうな気持ちになっていた。


「……久しぶりに子供と喋った気がするね、ふふふ」


 他者と好意的な会話をする事に対して喜びを感じつつ、昏敦は列車の中へ入り込んでいった。





 そして、乗客が全員乗り終えた頃に時間を移す。

 殆ど人気の無くなった駅の中に、一人の老婆が立っていた。

 曲がった腰と皺だらけの肌が積み重ねた年齢を感じさせる。だが、その瞳に有る物、そして、隠す気も無い存在感、それらが老婆の知性と愚かさを覚えさせた。


「全員乗ったか? ふふ、悪いがね、まだ私が乗っていないのだよ」


 老婆は若い男の声を発した。

 そのまま老婆は自分の顔に手を当てて、小さく笑い声を上げる。


「随分と観客も多いじゃないか。上等だ」


 顔から手を離した時には、その顔は若い男の物となっていた。そう、老婆に見えた存在はアーデルの変装だったのだ。


「エイベルは既に乗ったかね。ふふ、良し良し。盗んでやろうじゃないか、色々とね」


 老婆の物だった外見が完全にアーデルの物へと変わると、彼は地味な貧民の服装で列車の入り口に手をかける。

 それに合わせるかの様に、入り口へ伸びる手がもう一つ。


「ん?」


 何時の間にか、アーデルの隣に誰かが立っていた。顔も雰囲気も記憶に残らない程の憎悪、そんな物を発しながら。

 死を覚悟せざるを得ない程の殺意だ。しかし、アーデルはそんな恐ろしい意志を受け流す。


「ふっ……」

「……」


 アーデルがニヤリと笑うと、それに合わせたかの様に相手も歪んだ笑みを浮かべた。

 二人は同時に列車の中に乗り込んでいった。

 そので起こる事を、楽しみにしているかの様に。




 数分後、全ての乗客の悪意も善意も乗せて、列車は走り出す。

 どんな事が起きて、誰に何が起きるのか。この時点では、列車自身すらも知らなかっただろう。





+





 列車が出発してから数分もしない内に、行動する者達が居た。

 数人程度の集まりから十人くらいの集団まで、人数はバラバラだが、彼らは別々の場所から列車に入り、同じ部屋を目指している。

 彼らが行く先に有るのは一枚の扉だ。もうすぐ近くに有る扉は、彼らを歓迎するかの様に存在していた。


「よし……あの、サイトウさん」


 一番に到着した者が代表として扉を叩く。

 すると扉は即座に開き、中からサイトウと呼ばれた男が現れた。


「諸君、良く来てくれた。計画の一歩目は成功だ。さあ、入ると良い」


 サイトウが入る事を促すと、集団は揃った足並みで部屋の中へ入り込んでいく。

 集団で行動する姿はまるで何かの動物の大群である。いや、実際に『人間』という動物の一種なのだから、その表現は正しいと言えるだろう。

 画一的なまでに同じ行動をする同胞達を見るサイトウの目に宿るのは『呆れ』でもあり、『共感』でもあった。

 同胞達の顔と数を確認しつつも、サイトウは労いの言葉を口にする。


「……ふむ、時間通りに集合したか、それで良い。遅れは死に直結するのだから」


 何度も頷きながら口にした言葉を、同胞達は素直に受け取った。


「此処がサイトウさんの部屋ですか。思ったより広いですね」

「成る程、これが噂に聞いた空間の操作か……気持ち悪い」


 関心を抱いている風を装いながらも、彼らの表情は苦々しい。彼らにとっては『地球』で見た事の無い技術は恐怖の対象であり、廃絶すべき敵である。

 だが、今はそんな時間は無い。そう言わんばかりにサイトウは部屋に備え付けられたソファへ座り、見取り図らしき物を机に置く。


「とりあえず、だ。作戦の確認に入ろう」


 サイトウが声を発すると、他の者達は一斉に黙って声を聞いた。


「今回の我々の行動は簡単だ。まず、乗客達を人質に取る。無駄な事をさせない為にな。次に、技術者を使って列車の進路を無理矢理変える。そして、帰る。それだけだ」


 とてもシンプルな作戦だったが、誰の不満も出てこない。サイトウは同胞の確認を取らず、話を進める。


「忌々しい事に、この列車は線路が無くても動く。地球にも行く事が可能だろう」


 断定ではなかった。調査する為の時間を稼ぐ資金が盗まれてしまった為だ。それを知る数人が落ち込んだが、すぐに気を取り直して顔を上げる。

 彼らの反応は気に留めず、サイトウは窓の方へ目を向ける。


「ああ、人質が外へ脱出する事もあり得ない、その理由は、分かるだろうな?」


 全員の視線が窓の外へと向けられる。

 そこは物質的な空間ではなかった。余りにも深い世界の果てとしか思えぬ虚空、色は紫と泥の混じり込んだ混沌だろうか。

 どう見ても、人間が存在できる場所ではなかった。


「分かっていると思うが、絶対に列車から出るな。二度と戻ってこれなくなるそうだ」


 サイトウの言葉はとても真剣な物で、同胞達は静かに頷いた。


「よろしい。では、まずは一番武器を隠し持っている可能性の高い、個室の乗客からだ。ああ、これに関しては既に行動を開始させているとも。良い報告を期待しよう」


 ソファから立ち上がり、サイトウは地図の数カ所を指さす。


「此処に集合させた諸君には、普通席の乗客を捕まえて欲しい。人質は……この貨物室に詰め込んでおくと良い。監視は怠らずにな」


 サイトウの言葉に殆どの者達が頷く。しかし、数人程度だが、納得していない顔の者が居た。

 その中でも最も不安そうな顔をしている者が前に出て、口を開く。


「あのー……」

「質問か。言ってみると良い」

「あの、派手に動いたら、危険なんじゃ……」


 納得していない顔の者達が全員頷いた。全員が、この『異世界』の超常的な部分を目撃した者達だ。


「そうだな、それも当然の疑問だ。この『世界』の連中は、間違い無く怖い」

「それなら……」

「いや、人質を取る理由は簡単だ。列車の異常に気づかれる前に拘束する。怖いからこそだ」


 そこで、サイトウは顔を恐怖と嫌悪に歪める。

 彼の表情を見た同胞の一人は苦笑して、軽い調子で呟いた。


「アクションスターが居たら、きっと俺達は全滅しますからね。人質でも何でも取っておかないと」

「ああ、その通りだ」


 冗談としか思えない言葉に、サイトウは重々しく頷いている。

 誰も笑わなかった。この『異世界』に居る人間は、彼らよりも遙かに高い身体能力を持つ者も居るのだ。


「だからこそ、万全を期す為に人質を取るのだ。勿論、暴れた者は殺しておけ」


 非情な言葉だったが、サイトウを非難する視線は一つも無く、サイトウは邪悪に笑った。


「前にも言ったが……我々は『帰る』為なら何でも出来る。そうだろう?」


 目の奥に有るのは狂人にも似た光だった。人どころか、世界すらも殺す事を躊躇しない、最悪の笑顔だ。

 そんな顔を見た部下達は怯えるのでも恐れるのでもなく、ただ同じように笑った。


「そうですね! 地球の空気が今から楽しみです!」

「ああ、今ならボトルに入れた奴を買って良い!」

「早く帰りたいな!」


 彼らの目に写るのは、故郷である太陽系第三惑星だけだ。

 そこに帰る為であれば、彼らは易々と人を殺すだろう。異世界の人間など、彼らは何とも思っていない。


「……」


 そんな彼らを眺めて、複雑そうな表情をする女が一人居た。同胞達の感情に同意を示してるが、何処か辛そうだ。


「ケイ」

「あ、はい。サイトウさん」


 近づいてきたサイトウに返事をした時には、女、ケイの表情から苦しげな物は消えている。

 サイトウは彼女の表情の変化に気づかなかったのか、その肩を頼もしげに叩いていた。


「計画段階で話をしたと思うが、お前には別の仕事がある」


 忘れている訳ではない。ケイは静かに頷いて見せる。


「はい、聞いてます」

「ああ、なら良い。早く行くんだ、乗客を全て掌握するまでに最低でも十数分は必要とするだろうが、急げ」


 笑いかけるサイトウの言葉に疑念は無い。『地球に帰る』という目的が絡んでいる限り、彼も彼の同胞も味方を疑う様な真似はしないのだ。

 勿論、ケイ自身もその一点に限っては全員を信じる事が出来る。


「……はい」


 指示を受けたケイは、素早く身を翻して扉の外へ向かった。 

 だが、扉を開けた彼女は一度振り向き、『地球』への帰還を願う同胞達と、サイトウに向かって声をかけた。


「……では、私は先に行きます。地球へ、戻りましょう」




+




 その部屋から少し離れた個室には、二人の人間が居た。


「天使という物は、実在すると思うかな?」


 部屋の豪華なソファに座っている男の言葉を聞いて、側に立っていた男は小首を傾げる。


「見た事は無いですよ。あ、でも悪魔は見たっけなぁ」

「悪魔は見た事が無いが……私は、天使が実在すると思うのだ。ただ、気づかないだけでな。少なくとも私の前に天使は舞い降りている」


 男は机の上に置かれた写真立てを手にとって、嬉しそうに眺める。自分だけの世界に入り込んだ姿は、病的ですらあった。


「私の天使だ」

「……へえ、家族が天使ですか。良いですね、そういうの。俺には家族が居ないもので」

「羨ましいか?」

「ええ、まあ」


 相手が素直に答えた事で気を良くしたのか、男は機嫌良く写真立てをトランクの中へ仕舞う。

 部屋に置かれたトランクは一つだけだが、その存在感は抜群に大きな物だ。開いてみれば理解が及ぶだろう、トランクは見た目よりも遙かに物を詰め込む事が出来るのだ。

 それなりに値の張る物品である事は間違い無く、そんな物を持つ男が相応の資産を持ち合わせているのは明らかだった。

 そんな男は今も立っている相手に向かって、真剣で恐ろしい声を発する。


「さて、お前の言う通りであれば……」


 男は一度声を切って、次に告げる言葉を更に強い物とする。


「『アーデル・B・ターウ』が私の物品を盗もうとしている、と」

「ええ、その通りです。嘘なんかじゃありませんよ」


 その場に立つ男、『エイベル・ウォーラン』は邪悪に笑い、大きく頷いて見せた。


「この耳で聞きましたから、彼は私を信頼していますし、列車に乗っている事は間違い無いです」


 確信の籠もったエイベルの言葉を聞き、男――アラン・ハリスは目を細める。


「ふむ、聞いておいて何だが……裏切りか?」

「大まかに言えばそうですね」


 エイベルは恥ずかしげも無く断言した。

 嘘の見て取れない様子を感じ取ったアランは無意識にトランクを撫でつつ、思い出した様に告げた。


「そういえば聞いていなかったな。裏切りは良いが、何が欲しいんだ?」

「金が欲しいですね。やはり生きていくには資金が必要ですから」


 欲望に満ちた表情がエイベルを埋め尽くしている。アランは気持ち悪い物でも見る様な目をしていたが、すぐに表情を消し去る。


「……良いだろう」

「ありがとうございます」


 一礼するエイベルを尻目に、アランは独り言の様に尋ねた。


「で、奴は何を盗むつもりだ?」

「聞いた所によると、ナイフがどうとか……」

「曖昧なのは、困るんだがな。まあ、察しは付くが」


 肩を竦めながらも、アランの表情に不満は無い。そこに有るのはむしろ余裕であり、力強さである。

 優れた実業家の様でもあり、悪魔の様でもあるアラン。その姿を見たエイベルは少しだけ身じろぎした。


「その……」

「良いさ、構わない」


 軽く手を挙げてエイベルの言葉を止めさせると、アランは不意に目を外側へ向ける。


「えっと、アランさん? 何か?」

「……」


 戸惑うエイベルに対して、彼は沈黙で答える。トランクの中から大きな銃を取り出して、扉の方へと近づいていく。

 アランは自分の耳を扉へと近づけて、銃を構えた。


「おい」

「……はい?」


 声をかけられたエイベルが首を傾げている。アランは視線を扉へ固定したまま、有無を言わさぬ口を開く。


「アーデルはまだ来ない、そうだな?」

「もうすぐだと思いますけど……所定の時間からは外れますね。それが?」


 状況を飲み込めていないエイベルの声が響くも、アランは説明らしき物を一切口にせず、ただ、銃を握り締めた。


「だとすると、これは……危険か」




+




 アーデルは、列車の上部に居た。

 そうは言っても、この列車は二階建てではない。彼が居る場所は、天井である。


「……」


 一切の言葉を発さずに、アーデルは肩を竦めた。

 彼が自分の身体を天井に固定している方法は、言葉にすれば簡単な物だ。上部の僅かな突起に足をかけて、自分の全体重を支えているのである。

 列車が一部木製で作られているからこそ可能な技だが、これほどの小さな突起では大道芸人でも不可能に近い事だ。

 凄まじいバランス感覚を見せつけたアーデルは冷や汗の一つも浮かべず、眼下の通路を観察していた。


「……」


 周囲に誰も居ない事を確認すると、アーデルは軽やかに通路へ着地する。

 音も無く降り立った彼は、無音のまま目の前に有る扉へ手を伸ばした。

 小さく息を吸い、アーデルの目に強い悪意が溢れる。


「スリー、ツー、ワン……それ見ろ!」


 合図の様な声と共に扉は吹き飛ばされ、部屋の壁に追突する。

 そして、部屋の中がアーデルにも確認が可能な状態となる。扉の衝撃は壁に一切の傷を与える事は無く、部屋は完全な状態で存在していた。

 だが、アーデルは部屋の破損状況など気にも留めず、室内が無人である事を確認した。


「……居ない、だと?」


 アーデルは驚きを顔に浮かべ、その場に立ち尽くした。

 人が居た気配は有るが、今の部屋の中には備え付けの家具以外には何も無く、誰も居ない。


「どういう事かな? 奴はこの部屋に……」


 戸惑うアーデルだったが、それでも部屋を捜索し始めた。

 だが、やはり何も無く、一分もしない間にアーデルは諦めて肩を落とす。


「本当に何も無い、か。一体……」

「動くな!」


 『何があったのか』。そう言葉が続く寸前で扉がもう一度開かれ、通路側から数人の男が侵入した。

 一様に銃を持った彼らは、殺気を滲ませながらアーデルへ殺意を浴びせる。


「もう一度言うぞ、動くな!」

「お前等……一体?」


 唐突に現れた集団を前にしてアーデルが首を傾げると、銃声と共にアーデルの肩を銃弾が掠めた。


「動くな、喋るな、何もするな。今度は頭を撃つ。これが、脅しに見えるか?」


 冷酷な顔をした男が、銃を片手に威嚇している。

 それを聞いたアーデルは小さく息を吐いて、その顔面を殺意に歪ませる。


「成る程……お前等はアランの部」

「喋るなと言ったぞ」


 憎悪の有る言葉を耳にするよりも早く、男達は引き金を引いた。

 幾らかの銃声が室内に響き、アーデルの身体が吹き飛ぶ。音は全て防音効果のある壁によって消え失せ、後には倒れ伏すアーデルだけが残った。


「一人、始末してしまったな。サイトウに連絡を入れるぞ、死体をどうするかを話し合わねばならないからな」


 男の一人が銃を降ろし、仲間の持つ通信装置へ手をかける。『地球』の無線通信を元に作られた機械で、作ったのは彼らの同胞だ。

 男は通信装置を受け取ると、すぐにサイトウへ連絡を入れようと動く。

 その隣で、別の男が疑問の声を上げた。


「ん?」


 無視できない声量の声に反応し、男は一度通信機を置いて、同胞に声をかける。


「どうした?」

「いや、死体が、消え……あ」


 返事をしかけた男が、言葉の途中で倒れた。

 急に倒れ伏した同胞の姿に驚き、男は通信機を放り投げて駆け寄る。


「おい、どうした……おい!」

「……」


 男が声をかけたが、返事は無い。当然だ、倒れ伏す彼の頭からは多量の出血が見られたのだから。

 明らかに即死だと分かる姿に男は若干の混乱を抱きつつも、再び銃を構えて周囲を見回す。


「なあ、一体何が……があっ!」


 戸惑っていた男達の一人が、胸から血を噴き出して倒れた。

 今度は確認する必要も無く即死で、男は思わず悪態を吐く。


「クソ、何だ。何が……」

「う、上だ! ぎ、あぁあ!」


 男が混乱していると、その同胞の一人が上方へ銃を向けようとして、何故か首を抑えて倒れる。

 首に残った痕は、小さな糸の様な物で絞められたという事を明らかにしていた。


「おい、この部屋は危険だ、逃げ」

「ひぐっ」

「あぎゃっ!」


 危機感を覚えた男が撤退を口にするも、既に周りに居た同胞達は呻き声を上げて殺された後であった。


「く、何だよ。何で、畜生。何で」


 これで、男と共に個室の攻撃を行った同胞は全て殺されてしまった。

 不安と恐怖でおかしくなり、男は半ば恐慌して銃を握る。


「出てこいこの野郎ぉぉっ!」


 銃を乱射する男だったが、手応えは無かった。

 遂に頭がおかしくなった男は、銃弾が尽きても引き金を引き続ける。そんな彼の耳に、届く声が一つ。


「もう一度聞く」


 悪夢の底から響く様な声が男の頭に届く。男は条件反射的に声のする方向へ引き金を引いたが、銃弾は入っていなかった。

 ならば、と男はナイフを抜くが、既に手遅れだ。その瞬間には天井から伸びた手に顔を掴まれ、床へと叩きつけられる。


「もう一度、聞くぞ。お前等は、アラン・ハリスの部下だな?」


 降ってきた何者かに組み伏せられた男は、質問に答えず手に持ったナイフを自分の背後へ向けた。


「答えないか、ならこうだ」


 何者かはナイフを簡単に奪い取り、そのまま男の背中に突き刺す。

 余りの激痛に男は悲鳴と呻きを発した。


「がっ! ……あ、あぁぁぁっ!!」

「さあ、答えろ」


 有無を言わせない口調で、何者かは更にナイフを深く刺す。

 余りの痛みに呻きながら、男は小さく首を振った。


「ぎ、あっ……い、いや、お、俺達は……」

「答えは、いいえ、か……嘘を吐くな、死ね」


 アーデルは倒れた男から勢い良くナイフを引き抜くと、男が痛みでのたうち回るより早く首筋へ刃を突き立てる。

 素直に答えた男に対するのは、理不尽すぎる死だ。男は同胞に危機を伝える暇も無く、あっさりと意識と命を奪われた。


「奴に義理立てするから、こうなるんだ」


 アーデルの小さな声が響く。たった今人を殺したとは思えない程に静かで、心理的な動揺は一切無かった。

 何を勘違いしているのか、彼は床に転がる死体に刺さったナイフを抜き、今度は死体の頭に突き刺す。そしてまた引き抜き、次は足、手、胴体、あらゆる部分に刺し、その度に血で自分の身体とナイフを濡らす。

 男が人型という事以外は分からなくなる程に血みどろになると、ようやくアーデルはナイフを床へ放り捨てた。


「ゴミみたいだな。いや、単なるゴミだったのか」


 一切の冗談も混ぜずに、アーデルは男だった物を投げ捨てた。ぶつかった死体と血で壁が汚れるが、彼は気に留めずに背を向ける。


「そうまでして、私を殺したいか。上等だ」


 何かを勘違いしている様子のアーデルは、男がアランの部下だと決めつけたまま、部屋を飛び出していった。

 邪悪さと憎悪と様々な感情が混じる、その瞳を晒しながら。





 それから、十数分も経ただろうか。

 死体の数々は変わらず部屋に飛び散っていた。一体の死体が放つ強烈な血の臭いが鼻を貫く様な状態となっており、傷が殆ど無い他の死体とは対照的となっている。

 間違いなく悪夢と呼んで差し支えのない光景だ。

 そんな空間に、入り込んでしまった者が二人。


「な、あ……」

「え……なん、は……?」


 声にならない音を発する二人は、死体達が生きていた頃を知っている。彼らは同じ組織のメンバーであり、共に『地球』への帰還を目指した同士なのだ。

 だからこそ、彼らは目の前に広がる光景が信じられない。


「嘘だろ、どうしてこんな」


 死体は全員が武器を持っていた。例え相手が屈強な兵士の集団であっても抵抗は可能で、一人二人は殺す事が出来る。

 だが、その場には同胞以外の死体は転がっていなかった。


「まさか、あの化け物が……?」


 二人の内、片方の男が震え上がりながら呟いた。


「そんな、まさか。いや、でも!」


 それを聞いたもう片方の男は必死で否定し、受け入れられない現実から逃げだそうとしている。

 だが、ただ死体が転がっていただけであれば、彼らもそれほど動揺しなかっただろう。

 残虐極まる状態となった同胞らしき人型の姿と、何より彼らが『先程』見た物の存在が二人から冷静さも理性も奪い取っていたのだ。

 そう、彼らが見たのは、到底人間とは思えぬ形をした――


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