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プロローグ 異世界列車に至る道

「なんで、なんでこうなるんだよ、なんでなんで! なんでなんだ畜生! 畜生っ……!!」


 とある世界の片隅の、更に片隅の細い道。煉瓦造りの職人芸を感じさせる家々に囲まれた中で、絶対的な恐怖から来る悲鳴の様な声が響いていた。

 その声は夜の闇に包み込まれる様に響き、消えていく。声の主は一人ではなく、二人の男だったが、やはり声はかき消されてしまう。


「喚くな! 体力が落ちる。逃げられなくなるぞ!」

「ロバート、だけどな……!」

「俺だって泣き言くらい喚きたいんだよ! 我慢してるんだから黙っててくれ!」


 涙を流す仲間と併走する男、ロバートは、歯茎から血が出てしまいそうなくらいに口を閉ざし、恐怖と絶望と怒りを燃料にして走り続けている。

 二人の両手には紛れもなく拳銃が握られていたが、恐怖に晒された顔色は全く揺らがなかった。


「だから、だから嫌だったんだ。地球に帰りてぇ! 帰りてぇよ……! 後、少し、少しで計画実行日だってのに!」


 気の弱そうな男が顔を青くして涙を流すと、ロバートと呼ばれた男は無理矢理に笑みを浮かべ、元気そうな声を作る。


「いいか、安心しろ。大丈夫だ。俺達は地球に帰る。こんな異世界からはオサラバさ! 大丈夫、大丈夫だ!」


 ロバートの空元気は何とか男の心に届いたのか、男は表情を無理に明るくした。


「大丈夫、大丈夫だよな。そうだ、大丈夫なんだ……!」

「そうだ、大丈夫なんだよ! だから逃げようぜ、早く、早く、追いつかれる前にな!」


 二人の男達は足を更に早めた。少しでも、一歩でも先に逃げたい。そんな気持ちが有る事は最早隠す事も出来ないくらいに明らかだ。

 一体、彼らは何から逃げているのか。

 薄い黒で統一された服装は怪しげで、握り締めた銃は強い悪徳が有る。一見するだけで人に危険な物を感じさせる男達だ。

 そんな彼らが必死になって、半ば恐慌しながら逃げている。誰が見ても、何かが有るという事は明らかだった。


「あそこだ、あそこに逃げるぞ!」


 ロバートは分かりやすい様に、とある場所を指差した。

 そこには見るからに廃墟と分かる家で、見ただけで木製だと分かる材質の壁をしていた。

 煉瓦造りの家の中に囲まれている為に強い違和感を覚えさせるが、少なくとも男達は単に隠れられる場所としか認識していない。


「あれか! あそこなら、確かに隠れられるかも……!」


 一抹の希望を見つけた男の足が更に速まり、すぐに目的地にまで辿り着く。

 彼らは即座に屋内へと飛び込んで外の様子を窺ると、すぐに息を吐く。


「……よし、よし。大丈夫そうだぞ、奴は居ない」

「そ、そうか。よかった……」


 安堵して崩れ落ちる男を後目に、ロバートは冷や汗を垂らしながら屋外を眺め続けた。握り締められた銃を今にも発砲してしまいそうだ。


「ヤバかったな、おい。死ぬかと思ったぜ」


 思わず呟いたロバートに反応し、男は一度だけ震える。


「本当に、本当に居ないんだろうな?」

「ああ、居ないぜ。安心して、そこで寝て……っ」


 ロバートの言葉が途中で止まってしまい、不安に思った男は急いで外の見える場所を覗き込む。


「どうし……っ!?」

「黙ってろ。絶対に喋るな」


 そこに有る物を見てしまった男が叫びそうになり、素早くロバートに口を塞がれた。呼吸まで止められて、男は暴れそうになる。


「……! ……!」

「……黙っててくれ。頼むから……奴が、居る」


 ロバートが忠告の声を発すると、男は呻きながら呼吸を確保し、やはり外へ目を向けた。


「う……」

「分かれば良い。喋るなら、小さい、小さい声でな」


 目を飛び出さんばかりに見開きながら二人がじっと外を見つめ続けている。揃って相当の警戒を籠める姿は異様ですらあり、剣呑な外見とは見合わぬ怯えと脂汗が浮かんでいた。

 二人の視線の先には、巨大な灰色のコートを着込んだ『何者か』が居た。背丈は遠目にも男達より遙かに高く、暗闇が大まかな姿以外を隠しているが、それでも圧倒的な存在感こそが人間らしくない物を表している。

 とてもではないが人間とは思えないだろう。男達はそれを知っている。自分達を追いかけてきた存在として。


「……」

「……」


 気づかれない様に二人は黙って家の壁から離れ、顔を見合わせる。


「どうする?」

「……とりあえず、家の奥に隠れた方が良さそうだ」


 家は少し大きめで、三階立てだ。隠れる場所は幾らでも有ると思われる。

 しかし、ロバートは首を振って見せた。


「お前一人で逃げろ。俺は此処に残る」

「えっ……でも……ロバート、お前」


 戸惑う男に向かって、ロバートは恐怖を抑えた勇気に満ち溢れた顔をする。


「安心しろ、俺だって生き残るさ。皆で地球に帰るまでは、な」


 自分の胸を叩いて告げるロバートの様子を見ると、男は自分一人で逃げられる事に安堵を見せた。

 何も男が非情だという訳ではない。この二人は友人ではなく、同じ目的を共有する仲間でしかないのだから。


「ロバート……分かったよ、何とか生き残ろう。みんなで帰ろう」

「ああ、帰ろうぜ……な」


 何処か意味深げなロバートの笑みを背にして、男は一人で家の奥へと走り去っていった。







 その背を見ていたロバートは唐突に笑みを消し、素早く家の壁へと迫る。


「悪いな。俺だって生きたいんだ」


 自分だけが生き残れば良い。そんな意志が顔に現れている。彼は外を何度も見つめ、仲間を見捨てて一人で逃げ出す機会を窺っている様に思えた。


「来ないでくれよ、頼むから、頼むぜ……」


 半ば哀願しながら頼み込んだが、その存在はゆっくりと近づいてくる。

 まるで、ロバートの願いを踏み潰すかの様だ。


「く、クソ……畜生、クソッ……!」


 相手が近づく事に対して、ロバートは悪態を吐きながら逃げ場を探す。

 部屋の隅に在る箪笥を見つけた彼は、衣服の間に自分の身体をねじ込み、隙間から外の様子を窺った。


「……」


 息すらも止めながら、彼は銃を持ち上げて待つ。少しずつ空気が冷たくなる様な気配が強まっていき、『何か』が近づいてくる事は明らかである。

 そして、数秒も経っただろうか。ゆっくりと扉が開いた。


「……っ」


 少しでも音を立てない様に努力を続けるロバートだが、それでも家の中へ『何か』が入ってきた時には声にならない声が出た。

 暗闇とはいえ、相手の姿は至近距離にある。全体的な姿が見えてしまうのだ。

 僅かに見える足下には何と四本の足が存在し、一本の巨大な足から枝の様に伸びている。巨大なコートが身体を隠しているが、何にしてもおぞましい。

――来るな、来るなぁ……


 家の中に入り込んできた存在が余りにも恐ろしく、ロバートは震え上がった。それでも『何か』は部屋を探り、ロバートを探し続けている。


――来るなよ、やめろ。来るな

――来ないでくれ。頼む、頼む……


 信じてもいない神に祈りながら、ロバートは隙間の先へ目を向け続ける。

 しかし、『何か』は隙間の目に気づいてしまったかの様に、ゆっくりと箪笥へ近づいてきた。


――やめろ、おい。やめてくれぇぇぇ……


 余りにも恐るべき存在の接近に、ロバートは今にも死にそうな顔をする。それでも『何か』はゆっくりとした足取りで近づいた。


――ああ、もう駄目だ。駄目だ。


 逃げられない事を悟ったロバートは、諦めと共に自分の頭へ拳銃を押しつける。

 箪笥は勢い良く開かれて、それと同時にロバートは叫んだ。


「お前に、俺の命はくれてやらねぇよぉ!!」


 相手に発砲しても無意味だと分かっていた為に、彼は自分の頭に向かって引き金を引く。

 せめて、魂だけでも『何か』から逃げようという考えから来る行動だった。



――あぁ、帰りたかったなぁ。

――『地球』に。



 ロバートが最後に聞いたのは、自分の頭に向けた銃が弾丸を発射する音、だったのかもしれない。







+






 『何か』が勢い良く箪笥を開けると、返り血に塗れた服と一緒に頭が吹き飛んだ死体が転がり落ちてきた。


「うわっ」


 不気味でしかない声が響いたかと思うと『何か』は倒れ込んでくる死体を避けて、おぞましきシルエットの『何か』はそれが死体である事を見て取り、小さく俯く。


「……ああ、『また』ですか」


 地獄の底より響く声が部屋の空気を汚染し、人が住む事すら不可能な状態となってしまう。が、『何か』は自分の異様な空気に頓着していない様だ。。


「はぁ……別に悪いとは言いませんが、まったく。これで何度目なのでしょう。どうして何時も自殺現場に居合わせてしまうのか……」


 眼前の自殺者の遺体が生まれた原因が自分に有るとは微塵も考えていない様子で、『何か』は自分の手を死体に向ける。

 人間の物とは違って指は片手に六本有り、その全てが混沌とした認識不能の色をしていた。


「とりあえず、直しておくべきですね」


 『何か』の巨大な手が死体の頭を掴む。


「……良し」


 数秒間ほど掴み続けただろうか、巨大な手が放れた時には、死体の頭に空いた穴が消えていた。

 何の超常的な前触れも無く、失われた命は再度戻ったのだ。意識が覚醒する兆しは無いが、それでも確かに男の脳は活動を再開していた。


「さあ、これで完璧でしょうか」


 奇妙な現象を起こした『何か』は一度頷き、男の持っていた銃を掴む。


「こんな危ない物を持っているのはいけません。自殺は良く無いですよ」


 意識の無い相手に言い聞かせる様な事をすると、『何か』は声の中に困った雰囲気を混ぜる。


「どうしてこう……いや、本当に、皆自殺するんでしょうね」


 コートが全体を隠していたが、『何か』の化け物らしさは隠しきれない物である。

 そんな彼、あるいは彼女は全く自分に対して頓着する事無く、コートのポケットから一枚の紙を取り出した。


「落とし物を渡したかっただけなのですが……はぁ、仕方無いのかもしれませんね、他の『世界』に行った方が良いのでしょうか……しかし、資金が無いのはネックか……」


 少し悩んだ様子で『何か』は紙を弄ぶ。

 すると、『何か』は自分の持っていた紙へ視線を落とした。


「あ……! いや、しかし……あー……」


 紙に書かれた内容を読み、何やら迷った様子でフードに包まれた頭に手を置く。人間らしい挙動をして、彼か彼女かも分からぬ存在が悩んでいた。


「どうするべきか……いや……」


 数秒間ほど考え込み、『何か』は決断した様子で紙をポケットへ戻す。


「……自殺から助けて差し上げたのです、これくらい良いですよね?」


 罪悪感にも似た雰囲気を漂わせながら、『何か』は死体だった男から背を向ける。だが、『何か』の足は少しの間止まっていた。

 『何か』はまだ、屋内に『複数』の気配を感じていたのだ。屋内へ行くべきか。『何か』が悩んでいる様にも見えた。


「まあ、下手に関わる訳にも行きませんか」


 彼か彼女か分からぬ『何か』はそのまま決意したのか、玄関の方に向かって歩き出した。


「……また死体を増やす訳にはいきませんし」


 『何か』はポケットの中に有る紙をもう一度取り出して、そこに書かれている文章を見つめる。それを見る雰囲気からは、紙に書かれた内容に期待を抱いている事が明らかだ。

 自殺していた男の落とし物で、本来は自分の物ではない。それを分かっていても、『何か』は期待感を抑えきれない様だった。


「『異世界列車』、乗るのは初めてでしたか」


 廃屋から去り行く『何か』は純粋に楽しげで、紙が男の落とし物だったという事を忘れてしまったかの様だ。

 その紙は『異世界列車』と書かれた一枚の切符だった。

 そして、これこそが『何か』こと『灰夜昏敦』が『異世界列車』へと乗り込んだ経緯だったのだ。








 そして、『彼』が去っていった後の部屋に響く声が一つ。


「やめ、やめてくだ。あ、あぁぁぁぁぁっっ!!」


 ロバートと共に逃げていた男の悲鳴と恐怖が響き、銃声が何かを撃ち抜いた。








+









 灰夜昏敦が落とし物を自分のポケットに入れたのと同じ頃、そこから少々以上に離れた建物の中は喧噪に包まれていた。


「おい! 何処へ逃げた!?」

「分かりません! 奴め、最悪だっ!」

「こんなタイミングで盗みに来やがって!!」


 それなりに剣呑な雰囲気を宿した男達が、腰に拳銃、手に軽機関銃を持って建物の内部を走り回っている。

 見るからに一人たりとも同じ人種ではなく、共通語を喋っていても、口をついて出る悪態はまさしく別の言語である。彼らが別々の国に住んでいた事は明らかだ。


「資金を取り返さないと、俺達は、俺達はっ……」

「駄目だ、不安になるな! 『地球』に帰るんだろう!? こんな『異世界』から脱出して、故郷へ帰るんだろ!?」

「そうだ、俺達は『地球』に戻る! 絶対にだ!」


 彼らは悪態と絶望の間に『地球』という単語を何度も口にしていた。

 それこそが彼らの目的であり、目指す先なのだ。だからこそ、彼らは盗まれた『活動資金』を取り戻そうとしている。


「追うぞ、急げ。出来れば発砲はするなよ……奴の居場所を探せ!」


 男達は足並みを揃えたまま周囲を観察し、隠れている者が居ないかと探る。しかし、彼ら以外の人気は全く無い。


「……何処にも居ないみたいですけど」

「馬鹿が、見つけろ! 俺達が生きる為には必要だ!」


 罵声を浴びせかけながらも、彼らの代表らしき男が血眼になって人の気配を探っていた。

 それに影響されてか、他の男達も動きが鋭くなる。


「うーん、どうですかね?」

「……」


 たった一人で暢気に喋っている者を除き、その場の全員が揃って行動する。別々の主義思想を持つ彼らだが、一つの願いが強い結束と規律を生み出していた。


「聴覚にも気をつけろ。何で運ぶにしても動けば音がする筈だ、一度止まるぞ」


 声が響くと同時に、その場の全員が足を止める。少しの間だけ無音となった。


「何も聞こえませんね」

「だが、まだ外へは逃げていない筈だ。窓や入り口が突破されれば、警報が作動するさ」


 男達の目の前には一枚の扉が在った。大きめの建物だというのに入り口と出口は此処だけで、侵入者は窓か扉を使わねば脱出は不可能だ。無論、建物中の窓という窓を彼らの仲間が見張っている。

 その全員が武器を握っていて、絶対に逃がすまいとしているのだ。


「お前等、迷うなよ。腐れ強盗野郎を見たら、しっかり撃ち殺せ」

「当然ですね」

「分かってますよ。人殺しは初めてじゃないんだ、『帰る』為なら何でもしますって」


 物騒な事を言う男を誰も咎めず、全方向への警戒を強める。しかし、特に異常は無い。


「窓の方に言ったんじゃないですか?」

「……黙ってろ」


 軽々しい無駄口を叩く男に、リーダー格と思わしき男が注意をした。

 空気が和らいだからか、彼らの中の一人が銃を持ったまま、よく響く声で呟く。


「まったく、何処の馬鹿ですかね。俺達から盗むなんて」

「俺達の『回帰』の邪魔をする奴らは、生かしちゃおけないよな」

「ああ、『地球』への道は険しく長いんだ。そこに障害物が有ったら、壊すしかないな。なあ、ベニトミーさん?」


 男達の視線がこの場のリーダーと思わしき男へ向かう。

 急に話を振られたからか、ベニトミーと呼ばれた男の反応は数秒遅れた。


「ん……ああ、『逃げられる』とでも思ってるんだろう、な?」


 リーダー、いやベニトミーと呼ばれた男が流し目で仲間を見つめると、その中の一人、軽々しい雰囲気の男が微笑んだ。


「でしょうね、逃げられると思ってるに違……」

「お前に返事をくれと言った覚えは無いぞ、それと、憶測で物を言うな」


 自分で確認しておきながら、ベニトミーは冷たい声で男の頭を軽く叩き、声を止めさせる。

 理不尽な行動に対して、男は不満げに口を尖らせた。


「アンタが話を振ってきたんじゃないですか……いや、まぁ、仕方ないか」


 男は面倒臭そうに息を吐き、肩を落とす。流石に理不尽極まる言葉だからか、周囲の男達も同情の視線を送っている。

 だが、男は突如何事かを思い出した様に手を叩いた。


「はぁ……あっ、そうだそうだ。一つ、言っておく事がありまして」

「……何だ?」


 ベニトミーと呼ばれた男が顔を向けると、男はその場の空気を無視してニヤリと笑う。


「あのですね、さっきの嘘です。彼は窓の方になんて行ってません」

「何?」


 思わず聞き返す男達に対して、彼はゆっくりと、しかし確実に腕を挙げた。


「いや、だって此処に居ますから」

「っ……!? お前、まさか……!」


 彼の言葉でようやく『気づいた』男達は、素早く銃を向けようとする。

 それよりも早く、彼は腕を勢い良く振り降ろした。

 ――瞬間、爆発的な勢いで煙が現れた。


「煙幕かっ……!! おい、全員無事か!」

「は、はいっ!」


 リーダーであるベニトミーが煙の中で声を張り上げると、それに反応した大きな声が幾つも上がって来た。

 何らかの危険な物質ではなく、単なる煙だ。だが、その視界を塞ぐ効果は強烈である。


「奴は何処に……ええいっ煙が邪魔だ! 扉を開けろ!」


 苛立ちの籠もった声でベニトミーが指示を出し、それを聞いた者達が強く反応した。


「分かってます! ちょっと、扉を探させてくださいよ!」

「俺に任せろ! 今、扉の前に俺は居るんだ!」

「何だクソ見えねえぞ畜生!」


 悪態や行動を表す言葉が入り乱れる中、入り口と思わしき扉がゆっくりと開き出した。

 煙はすぐに扉の外へと漏れ出し、少しずつ薄まっていく。


「居ないぞ、あの野郎何処へ逃げた!?」

「知るか!」


 男が居ない事を知り、彼らは戸惑いを見せる。

 そんな中、ベニトミーだけは冷静な様子で銃を握り、男達に向かって指示を出す。


「お前等は外だ、追え!」

「しかし……」

「内部は俺が調べるっ!」

「わ……分かりましたっ!」


 男達は尻を叩かれたかの様に飛び上がり、慌てて外へと飛び出した。足並みの揃った動きは訓練された物を感じさせるが、何処か浮き足立っている様にも思える。

 いや、無理もないのかもしれない。彼らにとって何よりも大事な『帰る』為の計画が実行される寸前で、こんな場所で怪我をする訳には行かないのだ。









 男達が出ていった所を見てから暫くして、ベニトミーは明らかに表情を変える。


「……さあ、もう出てきて良いぞ」


 誰も居ない方向に声をかけると、彼は銃を降ろしてリラックスした様子になった。そこには先程までのあらゆる激情が無く、今にも眠ってしまいそうなくらいに落ち着きを見せていた。


「ああ、はいはい」


 そんな彼の声に答えて、男が殆ど消えかけた煙の中から現れる。

 奇妙な発言をして煙を放った男だ。彼は呆れた様子でベニトミー『らしき』男に近づき、肩を竦める。


「まあ何ですかね。本当に、っていうか何でアンタが奴らのリーダーに変装しているんですか」

「いや、金庫の側に居たのでな。もしかすると、奴も組織の資金を持っていくつもりだったのかもしれん……それより、何故『窓の方には行ってねえ』などと言ったのか、答えて欲しいのだが」


 ベニトミー『だった』男は、口調を変えて話しながら自分の手で顔面を隠す。


「お陰で、逃げ難くなったじゃないか……まあ、良いが」


 その手を離した時には、ベニトミーと呼ばれた筈の男の顔は別人へと変わっていた。

 整っていると言っても差し支えの無い顔だろう。一番に目立つのは両目の赤、あるいは青の輝きで、目を逸らしたくなる。


「いやはや、悪党共から宝や金を奪うのは最高だよ」


 何処かから大きめで底の深い帽子を取り出した『誰か』は、その中から金と思わしき物体を取り出し、片手で弄ぶ。


「時代は実物資産かね。紙幣の方が運ぶのは楽なんだが……」

「持ってきた量は、それだけですか?」

「いいや、違うとも。『ほら、ここにも』」


 『誰か』が男の服を軽く叩くと、その中には数枚の金の延べ棒が入っていた。


「……何時隠したんですか」

「さて、どうだろうかね」


 誤魔化す様に笑いながら背を向けると、男はその背中に向かって声をかける。


「アーデルさん」

「ああ、エイベル。さっきの煙幕は助かったね。というより、その服は似合っているよ」


 アーデルと呼ばれた男は帽子を何処かに仕舞い込み、上着を脱ぎ捨てる。すると、その中から赤黒く分かり難い服が現れる。

 自分が放り捨てた服の後を、アーデルがしげしげと眺めた。


「というか、こいつはベニトミーなんて名前だったのか。知らなかったのだがね」

「知らなかったんですか、え……本当に?」

「本当に」


 信じられないと言いたげなエイベルは思い切り肩を落とした。


「ああ、本当に……ほんっっとうに不用心な人ですよ、アンタは」


 心から呆れた言葉を聞いてもアーデルの表情は変わらず、むしろ面白がって見せる。


「いいじゃないか。上手く言ったんだから」

「上手く行けば良いって物じゃないんですよ。ああ、何て……」

「はは、『窓には行ってない』なんて言いやがった人には言われたくないね。その方が見栄えが良いからかな?」


 責め立てる言葉に何を感じたのか、エイベルは口を閉ざして明後日の方向を見つめる。


「……」

「図星か。いやいや、構わないとも。見栄えは大事さ、スマートに逃げるよりは、騒ぎを起こしながら逃げた方が良いさ」


 馬鹿馬鹿しいくらいに派手好きを思わせる発言をしながら、アーデルは神速でエイベルの懐から銃を取り出す。

 エイベルが相手の動きを捉えたのは、数秒以上遅れての事だった。


「え、ちょ……」

「ああ、ちょっとした演出だよ」


 アーデルは奪い取った銃を斜め上の方向、扉とは反対の場所に向けて、躊躇無く引き金を引く。

 発砲音がしたかと思うと、すぐに轟音が響いた。天井に当たった銃弾が何故か爆発し、巨大な瓦礫が床へ降り注いだのだ。不思議と入り口の扉の方には一枚の破片も落ちず、道が出来上がっていた。


「さて、この音で窓の警備をしていた連中が押し寄せてくるね。ああ、早く逃げようか。でなければ我々が瓦礫に潰されるか、野次馬に見られるからね」



「……あ、はい……『実物資産』は持っていきますね」


 少し驚いた様子のエイベルだったが、彼も相応に肝が据わっているのか、すぐに盗んだ金を持って動き出す。

 アーデルはそれに輪をかけて早く、金を持って建物から飛び出していた。










 一分後、建物から相当の距離が有る場所に、二人は居た。


「ま、これだけ有るなら暫くは何もしなくても食っていけますね」

「そんな怠けた生活はいけないさ。私は魚の様に泳ぎ、渡り鳥の様に飛び、蟻の様に這わねばならないからね。動き続けてこそ、さ」


 まるで物を盗んだ後とは思えないくらいに、彼らは自由で楽しげだった。乗り気ではない様に見えるエイベルですら、状況を喜んで受け入れているのは明らかなのだ。

 彼は周囲の人影を探りながらも、川の水に振れるアーデルにを見つめている。


「逃げ切れましたか?」

「ああ、勿論さ。もし逃げられていなかったとしても、私は逃げきれるとも。ほら、私はな」


 アーデルは再び自分の顔に手をやり、顔を別人の物へと変える。冴えない男から、絶世の美女まで、変幻自在だ。

 不可思議な力とも思える物を操るアーデルだったが、見慣れたエイベルは驚かない。


「俺の顔だって変えられるでしょう?」

「はは、私の身代わりになって助手が犠牲になるなんて、悲劇じゃないか」


 『助手が死んでも、演出の一つとして取り込む』

 そう言いたげだ。エイベル自身は嘲笑とも取れる顔をして、相手にしていない様子だった。


「全く、どうしてそう。『バカめ、ウォーランは死んだわ』とか言いたいだけでしょうが。疑似怪盗、いや強盗かな」

「どちらでも私の生き方は変わらないがね。君だって『演出』は大好きだろうに」

「まあ、同意しますけど。だからって私が死ぬのは勘弁ですよいや本当に」


 大切な『何か』が確実にズレている二人は、命を消費する事を何ら迷っていない様だ。

 それでもエイベルはアーデルに対して呆れや諦観を覚えたらしく、彼は溜息と同時に川辺の草原に体を預けた。


「まったく……さ、ちょっと休みますね」


 エイベルが煙草を取り出し、口に付ける。自然な動作の内には隙など無い。

 立ち上った煙に向かって、アーデルは盛大に眉を顰めていた。


「ああ、そうしてくれ。いや、休むのは良いが煙草は止めろ、私は苦手なんだ」

「知ってますよ、嫌がらせです」


 構わず、エイベルは何故か指から現れた火で煙草を着火する。紫煙に対して嫌な顔をするアーデルは、距離を取ってから呟く。


「君は、私の助手だというのに……」

「ははっ、何を言っているんだか」


 エイベルが白々しい声と同時に顔を逸らすと、不思議と沈黙が広がる。アーデルは変わらず煙を吸わない様にしながら、その手の中に金塊を出現させては消している。

 暇潰しとばかりに顔を変幻させる姿からは、一切の警戒も見られない。だが、分かる者で有れば理解出来る筈だ、彼らは微塵も油断などしておらず、近づく者の存在を完璧に把握しているのだ、と。

 奇怪な静けさが、少しの間だけ続く。

 彼らの職業を考えれば、想像出来ない落ち着きだ。

そう、二人は強盗、いや世間一般で言う『怪盗』と呼ぶべき存在だった。悪人や『化け物』から有形無形の物を盗む、義賊的な性質の強い盗人なのだ。

 それでも、彼らは強盗に他ならない。今も、邪悪かつ切実な計画を企む組織から、無情にも資産を奪っていったのだから。


「……それで? 次はどうします?」


 煙草を吸っていたエイベルが、不意にアーデルへ尋ねた。

 彼は少しだけ煙に近づき、眉を顰めつつも機嫌良く、懐から二枚の紙を取り出して見せる。


「おお、次か? それならもう決めてあるよ」


 煙草片手に小さな紙の一枚を受け取ったエイベルは、そこに書かれた内容を見て、瞳に興味を宿す。


「へえ、次の獲物は……これですか。高飛びも出来るし、うってつけ、と言った所ですかね」


 エイベルの同意の声を聞いて、アーデルの喉の奥から響く様な喜びが漏れ出した。


「ああ……だろう?」


 その二枚の紙は、切符――『異世界列車』に乗る為の切符であった。

 それを見たエイベルが考え込む素振りを見せる。


「異世界列車ですか、ふむ……」

「おや、何か案でもあるのかね」

「まあ、色々と。まず……」


 どこか悪戯好きな小僧か陰謀家の様な表情で、エイベルは身をアーデルへと話を始めた。

 『アーデル・B・ターウ』と『エイベル・ウォーラン』。二人の愚かしい怪盗達、彼らはこうして、『異世界列車』で起きる事件へと巻き込まれた。



 いや、厳密には今から巻き込まれるのだ。


「で、先程から我々を見つめているお前は、誰かな?」


 見つめてくる影が一つ存在する事を、二人の怪盗達は既に気づいていた。








+








 二人の怪盗達が列車に乗り込む計画を立て始めてから、数時間程度はした後。

 彼らが盗みに入った建物の中を、強烈で切実で一直線な意志が覆い尽くしていた。それはまるで住人達の感情を表すかの様で、ある種の切なさすら感じさせる。

 建物の最上階に近い一室、一番に広い部屋にて、三十人にも及ぶ人間が集合していた。年齢、人種、性別、全てがバラバラの集団だ。しかし、彼らは皆一様に同じ目的を目に宿し、恐るべき団結力を見せつけている。

 そんな人間達の中央、少しだけ高い段になった場所に立つ男が、大仰な様子で声を上げた。


「諸君、いや、皆。私と目的を同じくする者達よ。悲しいお知らせが有る」


 男の言葉は何よりも良く響き、部屋中に意志を行き渡らせる。だが、彼の言葉に人間達は誰も動じず、黙って話の続きを促した。


「ああ、つい昨日の事だ。我々の同胞が二人、『地球に帰る事が出来なくなった』」


 その言葉に人間達は初めて感情を変化させる。団結力の有る一個の意志から、怯えや嘲笑という別々の感情へ。

 それでも男は構わず、話を続けた。


「一人は死体として見つかり、一人は精神崩壊を起こしてしまった。奇妙な存在を前にして自殺したが、蘇ってしまったと証言しているが……可哀想な話だ、こんな世界で行き続けて、心がおかしくなってしまったのだろう」


 誰も笑う事は無く、目線を下げた。それは犠牲になった者達を哀れむ気持ちではなく、一言で表すならば、『明日は我が身』と言うべき感情だった。


「ああ、そうだ。死体で見つかった方の奴は、指名手配中の『テッド』とかいう殺人鬼と出会ったらしい。目撃情報が有る、そうだったな?」


 男は確認を取る様に視線を人間達へ向ける。

 その中の数人が大きく頷いた。彼らはこの『世界』の警察に所属している者達だ。だが、性根は『彼ら』の同胞である。

 そんな反応に頷きつつも男は何の感情も表さず、ただ淡々と話している。


「彼らは地球に帰る事が実質的に不可能になった。狂人と死体では役に立つまい。残念ながら、我らが出来るのは哀れむ事と……彼らの分まで我々が『地球』に戻る事だけだ」


 やはり大仰な挙動で腕を広げて、男は同胞達の決意と結束を確認した。

 彼らは皆、貪欲に願いを叶えようとしている。必要なら隣に居る者を殺すだろう。それこそ、彼らに必要な事なのだ。


「ああ、そうだ。それで良い。まだ話は終わっていない」


 満足げな男は、少し腕を降ろして話題を変える。

 二人の仲間を失った事よりも恐るべき内容なのか、男はそれを言葉にする事を少しだけ躊躇した。


「さて……もう一つの悪い知らせだ……意味不明の盗人に活動資金を奪われてしまった」


 それを聞いた人間達の内、建物内部の警備に回っていた者達、特に『ベニトミー』という名前の男は自らを恥じて目線を下げた。


「いや、お前達への責任追及は後回しだ。奴らへの報復も後回しにする。そんな事をしている暇は無い」

「サイトウさん、それは……余りにも甘いのでは」

「黙れ」


 男、いやサイトウの言葉を遮ろうとした声を、彼は逆に遮って止めさせた。

 無駄口を叩いた者が口を噤んだ所を見て、サイトウは鼻を鳴らす。


「ふん……問題は、長年の計画に支障が出てしまった事だ。参加不能になった二人は計画に必要な技術を持っていた。急遽働ける者を探しているが、信用度は落ちる。それに何より、資金を失ったのは最悪だ。人間らしい生活すら難しくなるぞ」


 サイトウの話を聞いた人間達の顔が青くなったが、サイトウ自身は構わない。


「ああ、そうだ。我々の計画はかなり後退したと言って良いだろう。当初の様な完璧さは望めまい」


 その場のサイトウを除いた顔が、全て絶望に染まる。だが、サイトウの目に有るのは、紛れもない熱気だった。











「――だが、これは負けではない」










 熱意に溢れる言葉を聞いて、人間達の顔が自然と持ち上がる。


「我々は今まで、何をしてきた? 我らが最高の住処より此処へ来て、何をしてきたのだ?」

「……」

「幾多の苦難が有った。同胞を集めるだけで数年以上の時を必要とした。しかしっ! しかし、我らの目的は今も変わらず! さあ、我々は何の為に、何をした? 答えろ! 我々の目的とは、何だ!?」


 尋ねるサイトウに対して、人間達は僅かに圧し黙った。彼らの目に有る物は、何もかもが同じで何もかもが違う、一つの意志と目的が、彼らという組織なのだ。

 つまり。


「帰りたいっ!!」


 人間達の中から一歩踏み出した女が、張り裂けんばかりに叫んだ。それに続く様にして、女がもう一人前に踊り出る。


「ああっ、そうだ。私達は、母なる地球へと帰るのだ!」


 鬼気迫る声が人間達の心と部屋に伝播して、艶やかな二人の女の顔が意志に染まる。

 その肩をサイトウが軽く掴み、微笑みながら賞賛した。


「よく言ったぞ、ケイ、それにミーナット」

「あ、サイトウさん……」

「ああ、私も含めて、全員がそのつもりだ」


 二人の女から手を離すと、サイトウは素早く台へと戻り、大きく息を吸って声を吐き出した。


「そうだ、我々は帰る。帰るのだ! この忌々しい……『異世界』から! さあ、お前達、この気持ちを復唱しろ!」


 サイトウが扇動すると、人間達は揃って口を開く。


『我々は、帰るのだ!!』

「もっと大きく言え! お前達の気持ちを見せつけろ!」

『地球へ、帰ろう!!』

「もっと、大きく言うんだこの屑共!」

『何をしてても、故郷へ、戻る!!』


 二人の仲間の犠牲、資金の盗難。それらで落ち込んでいた彼らの気持ちは、最高潮へ達していた。

 それを纏めあげるかの様にサイトウが自分の胸元に両手を置いて深呼吸をし、不敵に笑う。


「さあ、逃げるぞ。この世界から……戻るぞ、我らが母なる星に!」

『おぉぉおおぉおおっ!!』


 大勢の人間達が一斉に銃を取り出して天空へと掲げ、雄叫びを上げた。建物は『地球』の技術によって防音処理を施されているというのに、それでも音が外まで飛び出してしまいそうだ。

 その熱気こそ、まさしく狂気に似た感情の働きであった。


本作はお蔵入りになっていましたが、なんとなく勿体無かったので復活しました。

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