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俺、もう寝取りしません。でもヒロインが止まらない  作者: 源 玄武(みなもとのげんぶ)


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第36話 私の隣に、もう一度

 昼休みのチャイムが鳴った瞬間、2年B組はいつもの喧騒に包まれた。

 机を動かす音、弁当箱を開ける音、男子の騒ぐ声、女子の笑い声。

 その全部が混ざり合って、教室中にふわっとした昼の匂いが満ちていく。


 窓際の席。

 朝霧玲奈は、淡い色の弁当袋を開きながら微笑んでいた。


「玲奈、今日も和食だね〜。ほんと健康的で羨ましいわ」


 友達の琴音がのぞきこんでくる。


「お母さんが作ってくれてるから。…うん、今日も美味しそう」


 そんな他愛もない会話を交わしながら、玲奈はいつもの“微笑み”を崩さなかった。

――ただ、その視線の端には。


 前の列で弁当を並べている二人が入ってくる。

 日向勇気。

 玲奈の“元彼”。

 そして。

 その横に並んで弁当を開く美少女、日向美月。

 義理の妹。


「ほら、兄さん。この卵焼き、昨日あたしが練習したやつだよ。食べてみて!」


「お、ほんとだ。うまそう。……うん、うまいよ、美月」


「やったぁ!」


 美月が小さく笑い、勇気がフォークを持ったまま彼女に文句を言う。

 兄妹にしては距離が近いことから、クラスの女子たちがヒソヒソと盛り上がっている。


「ねぇ、見た見た? またくっついて食べてるよ」


「勇気くん、絶対シスコンだってあれ」


「彼女いたら無理だよね〜、あの距離感」


 その会話は玲奈の耳にも届いていたけれど――表情は一切変わらない。


「美月ちゃん、可愛いよね。仲がいいのはいいことだよ」


 友人と弁当を広げながら、軽く笑ってその空気を受け流す。


「玲奈って…そういうの、全然気にしないの?」


「気にする理由ないでしょ? もう別れてるんだし」

 そう言う玲奈の声は、柔らかく落ち着いていた。

 表情もいつも通り。

 ただ、胸の奥の奥。

 誰にも触れられない場所だけが、ひどく静かで、ひどく冷たい。


(……別れてよかった。あの人の隣にいても、心は何も動かなかったし)


 そう思った瞬間。

――神谷蓮の横顔が、頭のどこかで揺れた。

(——蓮くん、今どこでお昼食べてるんだろ。)

 その一言を胸の奥に押し込み、箸を進める。


「玲奈、聞いた?」

 友人のひとりが耳打ちした。


「昨日、勇気くんが“妹が可愛くて仕方ないんだよね〜”って先生に言ってるの聞いたんだって」


「ふふ、それは確定ね」

 玲奈は微笑んだ。


 表向きだけなら、特に気にしていない風にも見える。

 ただ、耳に入るクラスのざわめきが、なぜか今日は妙にうるさい。

 うるさすぎて、視線が自然と天井へ向いた。

 昼休みの喧騒が遠ざかっていき、玲奈の心だけが別の温度へ沈んでいく。

——静かな場所で、神谷蓮と過ごせたら。


 ふと、頭に浮かんだのは昨夜の記憶、いやもっと前の記憶。

 カフェで話した、あの穏やかな時間。

 蓮が見せた、落ち着いた話し方。

 時々照れたみたいに目をそらす癖。

 それらが、胸の奥にまたそっと浮かび上がる。


(蓮くんとだったら……静かな場所で、落ち着いて、勉強……できるのに)

 そこまで考えて、胸の奥がじんわり熱くなる。


 昼休みのざわめきは続いている。

 ところどころで誰かが笑い、誰かが騒ぎ、誰かが走り回っている。

 だが。

 玲奈の中では、音が徐々にフェードアウトしていた。

……昨日のことを思い出していた。


(放課後の図書室……)

 いつもの静かな光景がゆっくりと広がる。

 大きな窓から差し込む夕焼け。

長いテーブル。

 静かで、紙をめくる音だけが響く空間。

 その端に、神谷蓮が座っている。

 制服の袖をまくり、真剣に問題集を解いている姿。


(……かっこいい)

 じわっと胸がくすぐったくなる。


 玲奈は蓮の隣にそっと座る。

 ノートを開く。

 二人きりの距離。

 肩が、ほんの少しだけ触れそうで――

 

「そこ、式を展開したほうがいいよ。ほら……ここ」

 玲奈は控えめに声を出す。


「悪い、助かる」

 蓮は、わずかに照れたように目をそらす。


 その声に、玲奈の胸が跳ねる。

 肩と肩が近づいて、

 指先が一瞬だけ触れてしまって、

 それを意識してしまって——

 誰にも邪魔されない。

 静かで、優しい空気。

 けれど、触れそうで触れない距離が、逆に心臓を落ち着かなくさせる。

 胸が熱くなる。

 そして。

 頬まで熱くなる。


「……っ」

 現実の玲奈は思わず背筋を伸ばした。

 恋に落ちる最初のスイッチみたいなものが、自分の中で“勝手に”入ってしまったのだ。


(ちょっとだけ特別な気持ちになっても……いいよね?)

 頬が自然と熱くなる。

 友人の誰もその変化に気づかない。

 けれど、それでいい。

 この気持ちは、まだ自分だけの秘密だから。

 外見は、いつもの玲奈。

 にこやかで優しくて、落ち着いた女性。


 けれど内側には。

(……蓮くん、私の隣は……そこなんだよ?)

 黒い感情が、ゆっくりにじみ始める。


 記憶の甘さの裏で、玲奈の心の奥底では別の炎が灯っていた。

──蓮とカフェデートした日。


『彼氏と別れるから、待っててね』

 玲奈は確かに言った。


 蓮は、少しだけ頬を赤くして、でも真っ直ぐ頷いて。


『……うん。待ってる』

(玲奈の妄想で言っていません)


 その言葉を、彼は確かに言った。

 玲奈は一ヶ月かけて、関係を整理して、本当に勇気と別れた。


――なのに。


 その直後、蓮は水瀬恵とデートしていた。

 二人で歩き、笑い、服を選び合っていた。

 あの光景が、玲奈の脳裏に焼き付いて離れない。


(……何してるの、蓮くん)

(私が“待ってて”って言ったのに)

(あなたは誰と笑ってるの?)

 胸の奥の黒い炎が、ぼうっと燃える。


(奪われた……? 違う)

(“私のもの”に……横から触れてるだけ)

 

 そんな凄まじい怒りを抱えているのに。

 玲奈は外側だけは完璧に整っていた。


 友達に話を振られても。


「ねぇ玲奈」

 お弁当を食べ終えた友人がニヤニヤしながら話す。


「玲奈ってさ、最近……神谷くんと仲いいよね?」


「え?」

 玲奈は柔らかく笑って、首を横に振った。


「そんなことないよ。図書室で勉強してただけ。期末が近いから……ね?」


 あくまで自然な、いつもの彼女のトーン。

 それ以上詮索させない、上品で柔らかな空気。

 けれど。

 その裏の心は。


(恵さん。あなたの席、そこじゃないよ?)

 心の奥では、別の声が響いている。


——恵さんと一緒にいたあのとき。

——蓮くん、あんなに楽しそうに笑ってたな。

 胸の奥で、チクリとした痛み。

 蓮が、誰にでも優しいこと。

 それが嬉しくて、同時に怖い。


(私の前だけに向けてくれた笑顔だったら……どれだけ嬉しいんだろう)

 ほんの少しだけ、机の端を指でなぞる。

 その指先に、微かな緊張が宿っていることを、当の本人だけが知っている。


 昼休みが終わる直前。

 玲奈は一人でノートを開いた。

 蓮が昨日書いてくれた数式が、そのまま残っている。


(……字、きれいだよね)

 指先でなぞると、キスの感触がよみがえる。

 柔らかくて

 あたたかくて

 胸が高鳴って――

 そのすべてが、蓮との記憶に紐づいている。


(蓮くん……私、待ってたんだよ?)

(あなたの隣に戻る準備、全部したのに)

 思い返すほど、胸の奥がきつくなる。

 けれど、同時に。

(取り戻す。)


(だって約束したのは“私たち”なんだから)

 静かに、決意の熱が宿る。


「……蓮くん。期末の勉強、また一緒にできたら……いいな」

 玲奈はそっと呟いた。


 周囲から見れば、控えめで可憐な、普通のお願い。

 でも本心は。


(逃がすわけないでしょ)

(蓮くんは……私の隣に戻ってくるの)

 誰にも聞こえない、独占欲の囁き。


 その“火種”は、後に水瀬恵と他三名との修羅場へと変わる。

 玲奈自身は、まだ気付いていない。

 けれど――その熱は、もう止まらない。

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