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俺、もう寝取りしません。でもヒロインが止まらない  作者: 源 玄武(みなもとのげんぶ)


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第32話 雨上がりの休日

 朝の光が、雨上がりの窓辺をゆっくりと照らしていた。

 薄く曇った空の下、白いカーテンが風に揺れる。


「お兄さん!」

 リビングに響いた声は、まるで鐘の音みたいに明るかった。

 日向勇気が振り返ると、エプロン姿の美月がトーストを咥えたままこちらを見ていた。


「……何だよ、朝から元気だな」

「今日、空いてるよね?」

「は? いきなりどうした」


 彼女はにやりと笑って、言葉を放つ。

「デートしよっ!」


 ピタリ、と時間が止まる。


「……は?」


「あっ、ちがっ! ちがうの! えっと、“気分転換のお出かけ”!」


「……言い直したって遅い気がするけど」


「細かいことは気にしないの! ほら、最近お兄さんずっと元気なかったでしょ? だから!」


 そう言って、彼女は両手を腰に当てた。

 明るいのに、どこか寂しげな笑顔だった。


 勇気は小さく息を吐き、コーヒーを口に含んだ。

「……まあ、たまにはいいか」


「やった!」

 美月の声が弾ける。


 その瞬間、勇気の胸の奥で小さな何かが動いた。

 ――“デート”か。

 悪くない響きだ、と彼は心の中でつぶやく。


 美月はその笑みを見て、思った。

 “あ、また笑った。”

 胸の奥が、ほんの少し熱くなる。



 駅前のカフェテラス。

 濡れたアスファルトが陽光を反射し、銀色に光っていた。

 美月は白いブラウスの袖を直し、カフェラテのカップを両手で包む。


「お兄さん、こういうときって“何話せばいいんだろ”って顔してるね」

「……バレたか」


 勇気は苦笑して、目を伏せた。

 その表情がどこか少年っぽく見えて、美月は胸がきゅっと締めつけられる。


「たまには私がリードしてあげようか?」


「お前にリードされるのは、なんか不安だな」

「ひどい!」

「冗談だよ」


 勇気が笑う。

 それだけで、美月の心がじんわりと温かくなる。


「ねぇ」

 ストローを回しながら、美月は小さく呟いた。

「お兄さん、また笑ってほしいな」


 勇気はその言葉に、しばらく動きを止めた。

 カップの中のコーヒーが、静かに波紋を描く。


  “ああ、この声だ。”

 何かがほどけていくような、柔らかい時間だった。



 昼下がりの商店街は、まだ湿った風が吹いていた。

 店先から漂う焼きたてパンの香り。

 美月は手をひらひらと振って、雑貨屋に駆け込む。


「ねぇ、お兄さん! これ、見て!」


 差し出されたのは、小さな星形のキーホルダー。

 深い青に銀の粒が散っていて、夜空を閉じ込めたようなデザインだった。


「これ、お兄さんっぽいでしょ?」

「俺、こんなの似合うか?」

「似合うよ。だって、優しい顔してるもん」


「……お前、そういうこと平気で言うよな」

「えへへ、事実だもん」


 美月の笑顔に、勇気は思わず目を細めた。

 その笑顔を見るたび、心の奥の“重さ”が少しずつ消えていく。


 “あ、また笑ってくれた。”

 美月は胸の中で呟く。

 “もう、それだけでいい。”


 店を出ると、空の雲の切れ間から光が差し込んだ。

 小さな奇跡みたいに、二人の足元だけを照らしていた。



 川沿いの公園。

 風が木々の間を抜け、葉が雨のしずくを落とす。

 ベンチに並んで座る二人。

 缶コーヒーのプルタブを開ける音だけが響いた。


「お兄さん」

「ん?」

「玲奈さんのこと、まだ好き?」


 勇気の指が、少しだけ止まった。

 彼はゆっくりと視線を遠くにやる。

 河原の向こうで子どもたちが笑っている。


「……好きだった。けど、もう終わった」


 風がひとつ吹き抜け、美月の髪を揺らした。

「うん、知ってる」


 勇気が目を向けると、美月は笑っていた。

 その笑みは、どこか切なくて、でもまっすぐだった。


「俺のこと、よく見てるな」

「だって、ずっと見てきたんだもん」

 缶コーヒーの温かさが、二人の間をそっと繋いでいた。

 沈黙がやさしく流れる。

 それは、言葉よりも確かな“ぬくもり”だった。



 夕方の電車。

 窓の外には、オレンジと群青が混ざった街並みが流れていく。

 並んで座る二人の間には、微妙な距離があった。

 けれど、揺れる車内で、ふと指先が触れた。


 美月の心臓が跳ねる。

 勇気は手を引かず、ただそのまま。


「……ありがとな」

 小さく、彼が言った。

「お前のおかげで、前に進めそうだ」


 その声に、美月の瞳が震える。

「……そっか。じゃあ、また明日も出かける?」

「……考えとく」


 勇気が照れくさそうに笑った。

 車窓に映る二人の姿が、夕焼けに染まる。

 まるで恋人のように見えたけれど、誰もそれを指摘しなかった。

 ただ、指先の温もりだけが、すべてを語っていた。



 駅前の歩道橋。

 人の波が少しずつ途切れて、空には茜から藍へのグラデーション。

 風が、やわらかく頬を撫でた。


「雨上がりの空って、なんか好き」

 美月がふとつぶやく。

「……新しいことが始まる気がするの」


「……そうだな。俺も、そんな気がする」


 沈黙。

 行き交う車のライトが、足元を照らす。


「ねぇ、お兄さん」

「ん?」

「今日のこと、忘れないでね」


 勇気は短くうなずいた。

 そして、手を伸ばして彼女の頭を軽く撫でた。


「忘れられるか」


 美月の心に、温かなものが広がる。

 “その手の温かさで、もう一度恋した。”

 でも――その恋は言葉にしない。

 今日だけは、ただ「妹」として隣にいられれば、それでよかった。


 歩道橋の上で、二人の影が並び、長く伸びていく。

 空に一番星が光り始めていた。



 夜。

 美月の部屋。

 机の上には、小さな日記帳。

 開かれたページに、柔らかな文字が並ぶ。


「今日、お兄さんが笑ってくれた。

それだけで、少し報われた気がする」


 ペンを置いたあと、美月はそっとカーテンを開けた。

 窓の外には、雨上がりの夜空。

 星がいくつも瞬いている。

 遠くから、誰かのピアノの音が微かに響く。

 美月は目を閉じ、静かに微笑んだ。


“また、笑ってくれますように。”


 その願いだけを胸に、夜はゆっくりと更けていった。

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