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第九十四話「人族の魔神」

話数があった方が話を判断しやすいのでこれからつけることにしました。今までの話にもつけました。ご理解お願いします。

 

 エルフ村でのんびりと過ごしていたある日の午後、一人でルナの家にいた。


 エリカは生まれたばかりのアナスタシアの世話で忙しく、ルナは買い物に出かけている。

 クロエは実家に顔を出しに行っていて、家には俺だけだった。

 リオネルは昼寝をしているし、静かで平和な時間だった。


 窓から差し込む午後の陽光が、居間を柔らかく照らしている。

 エルフ村特有の、森の香りを含んだ風が、開け放した窓から心地よく流れ込んでくる。

 遠くで鳥のさえずりが聞こえ、時折子供たちの笑い声が風に乗って届いてくる。


 俺は居間のソファに深く腰を下ろし、ゆっくりと本を読んでいた。

 魔法理論の参考書だが、最近は理解度も上がってきて、読むのが楽しくなっていた。

 難解だった魔法陣の構造も、今では理解できるようになっている。

 成長を実感できる、充実した時間だ。


 テーブルの上には、ルナが淹れてくれた紅茶のカップが置いてある。

 もうすっかり冷めてしまったが、その甘い香りがまだ残っている。


 隣の部屋からは、リオネルの寝息が聞こえてくる。

 規則正しい、穏やかな呼吸音。平和そのものだった。


 こういう何でもない午後が、実は一番幸せなのかもしれない。

 戦いもなく、危険もなく、ただ静かに時間が流れていく。

 アズラエルの事件を経験してから、こうした日常の尊さを、俺は以前より強く感じるようになっていた。


 俺は本から目を上げ、窓の外を眺める。

 エルフ村の家々が、木々の間に点在している。

 煙突から立ち上る煙。

 洗濯物が風に揺れている。

 畑で作業をする村人たちの姿。どこまでも穏やかな、平和な光景だった。


 ふと、眠気が襲ってくる。

 この心地よさに身を任せて、少し昼寝でもしようか。

 そんなことを考えていた時だった。


 突然、玄関の扉がバタンと勢いよく開いた。

 その音が、穏やかな午後の空気を一瞬で打ち砕いた。


「よー、こんちは~♪」


 陽気な声と共に、見知らぬ男が入ってきた。

 慌てて立ち上がる。


「誰だ?」


 警戒する。

 突然現れるやつにろくなやつはいない。


「勝手に人の家に入ってくるなんて」


 男は30代前半くらいに見える。

 がっしりとした体格で、ざんばらの茶髪。

 服装もラフで、とても気さくそうな印象だった。


 でも、その存在感は尋常ではない。


 空気が重くなるような、圧倒的な力を感じる。

 いや、それだけじゃない。

 男の周囲の空間が微かに歪んでいるように見える。現実の法則が、この男の存在を拒絶しているかのような違和感。


「おれちゃん、魔神だよ~」


 男がにこやかに自己紹介する。

 まるで「近所に引っ越してきました」とでも言うような気軽さで。


 血の気が引いた。


「魔神?」


 震え声で聞き返す。

 魔神という言葉で、アズラエルの事件がフラッシュバックする。

 胸に大きな穴を開けられ、死の淵をさまよった記憶。

 アリシアがいなかったら死んでいた。

 いや、実際死んだものかもしれない。

 またあんな思いをするのか。


 反射的に戦闘態勢を取った。


「待て待て~」


 男が慌てたように両手を上げる。

 見た感じ武器は持っていなそうだ。


「おれちゃん、別に戦いに来たんじゃないよ~。

 むしろ、君と仲良くなりに来たんだよ~」


 男がフレンドリーに近づいてくる。

 その笑顔は人懐っこいが、目だけは笑っていない。

 いや、笑っているのだが、その笑みの奥に何か測り知れない深淵がある。


 でも、俺は警戒を解かない。

 前回の魔神も、最初は冷静に話していた。

 アズラエルは初めから俺を殺すつもりだった。

 だからこいつもいつ攻撃してくるかはわからない。

 油断は禁物だ。


「おれちゃんの名前はテレサスニカ~」


 男が自己紹介を続ける。


「人族の魔神の一人だよ~。よろしく、タクヤくん」


 テレサスニカが俺の肩に腕を回そうとする。

 俺は慌てて距離を取った。


「近づくな」


 警告する。

 本当の魔神なら警告しても意味がないはずだ。

 これは確かめるためにも生き残るためにも必要だ。


「何が目的だ?」

「あー、そんなに警戒しなくても~」


 テレサスニカが困ったような顔をする。

 でも、その表情はどこか作り物めいていて、本心が読めない。


「おれちゃん、本当に仲良くしたいだけなんだよ〜。 それに、君にプレゼントがあるんだ」

「プレゼント?」


 困惑する。

 魔神からのプレゼントなんて、ろくなものではないはずだ。


「そうそう、すっごくいいものだよ~」


 テレサスニカが嬉しそうに言った。。


「でもね、ちょっとだけ痛いかも~。

 ほんのちょっとだけ。一瞬だけ。

 まあ、腕一本くらい? 

 ああ、大丈夫大丈夫、すぐ治すから~」

「は?」


 聞き返す間もなく、テレサスニカが突然動いた。

 人間には不可能な速度で俺に近づき、刃のような手刀を振り下ろす。



 スパッ。



「うわあ」


 叫ぶ間もなく、右腕が切り落とされた。

 痛い、痛い、痛い。

 意識が全然飛ばない。

 痛みが脳に蓄積されていく。


「ぎゃああああ!」


 絶叫した。

 激痛が右肩から全身に走る。

 切断面から血が噴き出している。

 視界が赤く染まり、意識が遠のいていく。

 俺は痛みで意識が朦朧とした。


 やはり、魔神は敵だった。

 また殺されるのか。


「はい、くっつけるよ~」


 テレサスニカが楽しそうに俺の切断された右腕を拾い上げる。

 まるで子供がおもちゃで遊ぶような口調で。

 そして、切断面に腕を押し当てた。


「『上級治癒魔法:リジェネレーション』」


 強力な治癒魔法が俺の腕に作用する。

 切断面が瞬時に接合され、元通りになった。

 痛みも完全に消えている。


 いや、痛みが消えただけじゃない。

 右腕全体に、何か異質な感覚が広がっている。

 まるで腕の中に別の生き物が住み着いたような、ぞわぞわとした違和感。


「な、何だ?」


 混乱した。

 魔神のすることは意味がわからない。

 魔神はもしかしたら倫理観が欠けているかもしれない。


「なぜ腕を切っておいて、治すんだ?」

「だから、プレゼントをあげるためだよ~」


 テレサスニカがにこやかに説明する。

 その笑顔が、今は恐ろしく見える。


「おれちゃんの能力を、君の右腕に込めたんだ。

 いやー、普通は死んじゃうんだけどね~。でも君、すごく丈夫だから大丈夫だと思って~。

 ほら、やっぱり大丈夫だったし〜」

「能力?」


 自分の右腕を見つめる。



 見た目は普通だが、感覚が明らかに違う。

 右腕だけが、まるで別の次元に繋がっているような奇妙な感覚。


「試してみて~」


 テレサスニカが指示する。


「右手で輪っかを作って、目の前に置いて覗いてみるんだよ~」


 嫌々ながらも、言われた通りにした。

 しなければ、殺されるような気がしたからしたからだ。

 右手の親指と人差し指で輪を作り、目の前に置く。

 そして、その輪を通して正面を見る。


 瞬間、俺の右腕が激しく疼いた。


「うっ!」


 右腕全体が灼熱に包まれたような感覚。

 いや、灼熱と極寒が同時に襲ってくるような、言葉では表現できない痛み。

 腕の中を何かが駆け巡り、骨まで軋む感覚がある。


 そして、信じられない光景が見えた。


 扉が勢いよく開いて、ガルドがこの家に飛び込んでくる様子。

 彼は何かに慌てているようで、焦った表情をしている。

 その後ろには、血相を変えた村人たちの姿も見える。


「これは?」


 困惑した。

 手の輪から見えたものと直接視た景色が異なる。

 実際にはガルドは来ていない。

 家の中は静かなままだ。


 視界がぐらりと揺れ、吐き気が込み上げてくる。

 右腕の感覚が戻ってきたが、全身から汗が噴き出している。

 魔力が恐ろしい速度で消費されていくのが分かる。

 まるで体の中の何かが、魔力を貪り食っているような感覚。


「10秒数えてみて~」


 テレサスニカが楽しそうに言った。

 まるで手品のタネ明かしを待つ子供のように。


「1、2、3…」


 数を数える。

 体が震えている。

 魔力消費のせいだけじゃない。

 今見た光景が現実になるという確信が、俺を恐怖させている。


「7、8、9、10」


 その瞬間、本当に扉が勢いよく開いた。

 ガルドが慌てた表情で飛び込んできた。

 その後ろには、血相を変えた村人たちの姿。

 視た光景と寸分違わない。


「タクヤ、大変だ!」


 ガルドが息を切らしている。

 その焦る姿はいつもの勇ましい姿は感じられない。

 

「村の外に魔獣の群れが現れた! 

 しかも、その数が尋常じゃない!」


 俺は愕然とした。

 輪を通して見た光景が、そのまま現実になった。

 一言一句、動きの一つ一つまで完全に同じ。

 これは、未来を見る能力なのか?


「すごいでしょ~」

「その手には、おれちゃんの能力である『予見輪』をあげたよ~。

 輪っかを覗く仕草をすれば、10秒後の未来が見える優れものだよ~」

「予知能力?」


 驚いた。

 くれる過程は酷かったが、魔神が俺に能力をくれるとは思わなかった。

 直接見たことがある魔神はアズラエルだが、アズラエルは話が通じなさそうに見える。

 それに協力もしてくれなさそうだ。


「そんなものを俺に?」

「いくらでも使うことができるけど、君レベルだったら… んー、どうかな~」


 テレサスニカが首を傾げる。

 その動きは人間らしいが、どこか機械的で不気味だ。


「まあ、1日5回も使えば死ぬんじゃない? でも、君は丈夫だから10回くらいいけるかも~。

 あ、でも魔力が空っぽになったら、多分廃人になるかな~。使いすぎ注意だよ~」


 軽い口調で恐ろしいことを言う。

 俺は背筋が凍った。

 確かに、一回使っただけで、俺の魔力はかなり消耗している。

 立っているのもやっとの状態だった。

 それどころか、右腕の感覚がまだおかしい。

 まるで腕が自分のものではないような、支配されているような感覚。


「タクヤ、どうした?」


 ガルドが俺の様子を心配する。

 その目はおかしかった。

 まるで可哀想なやつを見ている感じだった。

 

「顔が真っ青だぞ。立てるか?」

「大丈夫だ」


 何とか答える。

 でも、実際は魔力を使い果たしそうだった。

 視界の端がぼやけ、膝が笑っている。


「おれちゃんとも仲良くしてくれよ~」


 テレサスニカが俺の肩をポンと叩く。

 その手が触れた瞬間、体の芯まで冷たい何かが染み込んでくる感覚がした。


「また今度、遊びに来るから~。

 あ、そうそう、その能力、使い方次第ではもっと面白いことができるよ~。でも、教えてあげない~。自分で見つけてね~」


 テレサスニカがいたずらっぽく笑う。

 その笑顔の裏に、何か深い企みが隠されているような気がした。


「じゃあね~。頑張ってね~。死なない程度に~」


 そう言って、テレサスニカは突然姿を消した。

 まるで最初からいなかったかのように。

 いや、消える瞬間、空間が歪んで、一瞬だけ別の何かが見えた気がした。

 巨大な目のような、触手のような、言葉では表現できない何か。


 俺は思わず目を逸らした。


「今の人は?」

「誰かいたのか?」


 どうやら、ガルドにはテレサスニカが見えていなかったようだ。

 魔神の力なのか、それとも俺だけに姿を見せていたのか。


「いや、何でもない」

「それより、魔獣の群れって?」

「ああ、そうだった」


 ガルドが慌てて説明した。


「村の外に、オークの群れが現れたんだ。数は20匹程度だが、放っておくと危険だ」



 予知能力のことを考えていた。

 10秒後の未来が見える。

 戦闘で使えば、相手の攻撃を予測できるかもしれない。

 完璧に。

 寸分違わず。


 でも、魔力消費が激しすぎる。

 しかも、テレサスニカの言葉が頭を離れない。

 「1日5回も使えば死ぬ」「魔力が空っぽになったら廃人」。


 それに、右腕の違和感がまだ続いている。

 まるで腕の中に別の意思が宿ったような、支配されているような感覚。

 流石に発信機のようなものではないだろう。

 もしそうだったら腕を…

 いや、俺にそんな勇気はない。


「分かった、俺も手伝う」

「でも、少し魔力を回復させてから」


 椅子に座り込んだ。

 魔力消費が激しすぎて、立っているのも辛い。


 でも、この能力は確実に役に立つ。

 危険だが、使い方を工夫すれば、戦闘でも有効活用できるはずだ。

 いや、しなければならない。

 こんな危険なものを体に埋め込まれた以上、使いこなさなければ意味がない。


 テレサスニカは敵ではないようだが、その目的は分からない。

 なぜ俺に予知能力を与えたのか。

 何か企みがあるのか、それとも本当に善意なのか。

 いや、善意であんなことをする存在が、まともなはずがない。


 魔神という存在は、俺にとってまだ謎が多い。

 アズラエルのような敵もいれば、テレサスニカのような…何と言えばいいのか分からない存在もいる。

 一概に敵だと決めつけるわけにはいかないようだが、味方だとも思えない。


「タクヤ、大丈夫か?

 無理はしなくていいぞ」

「いや、大丈夫だ」


 立ち上がる。

 魔力もある程度回復してきた。

 でも、右腕の違和感は消えない。

 むしろ、時間が経つにつれて強くなっているような気がする。


「オークの退治に行こう」


 俺は新しく得た予知能力を試してみたかった。

 実戦でどれだけ使えるか、確かめてみよう。

 そして、その代償がどれほどのものか、身をもって知る必要がある。


 テレサスニカの真意も、いずれ分かるだろう。

 いや、分からなければならない。

 あの魔神が何を企んでいるのか、なぜ俺にこんな能力を与えたのか。


 魔神との出会いは、俺の人生をまた新しい方向に導いていくのかもしれない。

 それが破滅への道でないことを、俺は祈るしかなかった。


 右腕が、また疼いた。

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