第九十三話「新しい生命の誕生」
魔法大学に入学してから、ちょうど一年が経った。
二回目の期末試験も無事に合格し、クロエと久しぶりにエルフ村に帰ってきた。
この一年間で、本当にたくさんのことがあった。
天使族の魔神アズラエルとの戦い、リリーとの複雑な関係、海での楽しい思い出。
充実した学生生活を送ることができている。
「ただいま」
家の扉を開けると、中から慌ただしい声が聞こえてきた。
「タクヤ、おかえり!」
エリカの声だが、いつもと違って明らかに苦しそうだ。
「どうした?」
急いで居間に向かうと、エリカがベッドに横になっていた。
お腹が大きく膨らんでいて、額には大粒の汗が流れている。顔色も少し青ざめていて、呼吸が荒い。
「陣痛が…始まったのよ」
エリカが苦痛に顔を歪めながらも、俺を見て安堵の表情を浮かべる。
「タクヤが帰ってきてくれて……本当に良かった」
「ついに出産か!」
心臓が激しく跳ね上がった。
予定日はまだ少し先だと思っていたのに。
「ルナは?」
「ここにいます」
ルナがエリカの横に付き添っている。
彼女は出産経験があるから、エリカをサポートしてくれているのだ。
その表情は真剣そのものだ。
「医者も呼んであります」
ルナが説明してくれる。
「グレイス先生がもうすぐ到着する予定です」
「ボクも手伝います。
…何かできることがあれば」
「ありがとう…クロエちゃん」
エリカの感謝でクロエも嬉しそうだ。
その瞬間、また陣痛の波が襲ってきたようで、エリカが苦しそうに呻いた。
「うぅぅ……!」
エリカの手が布団を強く握りしめる。
その時、扉が勢いよく開いて、グレイス先生が駆け込んできた。
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!
出産のエキスパート、グレイス先生の登場よぉ!」
グレイス先生は背の低い中年の女性で、常にテンションが異常に高い。
彼女の医術の腕は確かなのだが、その独特すぎる性格から「頭のおかしい名医」として村では有名だった。
「グレイス先生……」
若干引きながらも安堵する。
「よぉし、エリカちゃん!
今日は私が世紀の大イベントをプロデュースするわよぉ!」
グレイス先生が両手を広げて叫ぶ。
「赤ちゃんという名の新しいスターの誕生をね! キャハハハハ!」
「ルナちゃん! 陣痛の間隔を教えちょうだい!」
ルナが冷静に状況を報告する。
「3分おきになっています」
「おぉ、順調順調! これは良い感じよぉ!」
手をパンパンと叩く。
気合を入れているようだ。
俺も自然と気持ちが明るくなっていく。
「さぁさぁ、みんな準備して! 生命誕生ショーの開幕よぉ!」
エリカの手を握った。
「頑張れ、エリカ」
励ます。
エリカのためにも、赤ちゃんのためにも。
「俺がついてる。ずっとそばにいるから」
「うん……タクヤ……」
エリカが俺の手を強く握り返す。
その手は震えていて、汗で濡れていた。
出産は、想像していたよりもはるかに壮絶だった。
エリカの苦しみを目の当たりにして、俺は自分の無力さを痛感する。
「うあぁぁぁぁ!」
苦痛に叫ぶエリカの声が部屋中に響く。
額の汗が止まらず、呼吸は荒く不規則になっている。
顔は真っ赤になり、全身に力が入っている。
俺はただ手を握ることしかできない。
エリカが苦しそうに呻き声を上げる度に、俺の心も引き裂かれそうになった。
「エリカ……」
歯を食いしばる。
自分が代わってやれたらどれだけいいか。
でも、それは叶わない。
だから俺は俺にできることを精一杯する。
「タクヤ……手……痛い……」
エリカが俺の手を握る力は尋常じゃなかった。
でも、俺はその痛みを感じることで、少しでもエリカの苦痛を分かち合いたい。
「いいんだ、もっと強く握っていい」
「俺は大丈夫だから」
「よぉし、エリカちゃん! 深呼吸よ深呼吸!
スーハー、スーハー!」
グレイス先生が妙な動きをしながら指示を出す。
その動きは的確だった。
エリカの顔から苦しみが少し和らいだ気がする。
「赤ちゃんに酸素を送るのよぉ!
愛の酸素をね! キャハハ!」
ルナがエリカの額を冷たいタオルで拭いてくれている。
クロエは水を用意したり、必要なものを手渡したりしてサポートしてくれている。
時間が経つにつれて、陣痛の間隔はさらに短くなっていった。
エリカの苦しみも増していく。
「いきむのよぉ、エリカちゃん!」
「赤ちゃんが出てこようとしてるわ!
さぁ、力を込めて! 生命の扉を開くのよぉ!」
「うぅぅぅぅぅ!」
エリカが全身の力を振り絞っていきむ。
その姿は必死で、痛々しくて、でも同時に神々しくもあった。
新しい命を産み出そうとする母親の姿。
それは、どんな戦士よりも勇敢で、どんな剣士よりも強力だった。
「タクヤ…私…」
「頑張る…私たちの子供…産む…」
「エリカ…」
エリカの涙に釣られて俺も涙が溢れてくる。
「君は強い。本当に強いよ」
何時間も続いた陣痛。
エリカは何度も限界だと思っただろう。
それでも、決して諦めなかった。
母親としての強さ、愛する人との子供を産むという決意が、エリカを支えていた。
「もう少しよぉ! 赤ちゃんの頭が見えてきたわぁ!」
グレイス先生が興奮気味に叫ぶ。
その声が耳が拒否する。
感動シーンを邪魔しないでくれ。
「さぁさぁ、もう一踏ん張り!
生命誕生のクライマックスよぉ!」
「本当?」
エリカが必死の形相で力を込める。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そして、ついにその瞬間が訪れた。
「おぎゃー、おぎゃー!」
赤ちゃんの泣き声が部屋に響いた。
その瞬間、時間が止まったような感覚に襲われる。
世界中の音が消えて、ただその小さな泣き声だけが聞こえた。
「生まれましたぁぁぁぁ!」
グレイス先生が両手を高く掲げる。
「元気な女の子よぉ! 新しいスターの誕生よぉぉぉ!
おめでとうございまぁぁぁす!」
「女の子……」
目から涙が止まらなくなった。
胸が熱くて、心臓が破裂しそうなくらい激しく鳴っている。
言葉にできない感動が、全身を駆け巡った。
グレイス先生が赤ちゃんをきれいにして、エリカの胸に抱かせてくれる。
「可愛い……」
エリカが涙を流しながら言う。
疲れ切った顔だが、その表情は今まで見たことがないほど幸せそうだった。
赤ちゃんは、エリカと同じ茶色の髪をしていた。
小さくて、しわくちゃで、でも確かに生きている。
この世界に、たった今、新しい命が誕生した。
「タクヤ……見て……私たちの娘よ……」
エリカが誇らしそうに、そして愛おしそうに赤ちゃんを見つめる。
「本当に……本当に可愛い……」
言葉が出なかった。
ただ涙が流れ続ける。
自分の娘が生まれたという実感が、波のように押し寄せてくる。
この小さな命。
エリカのお腹の中で育ち、今日この世界に生まれてきた。
俺とエリカの愛の結晶。
新しい家族。
「名前は…決まっているんですか?」
ルナが涙を拭いながら聞く。
彼女も感動で泣いていた。
出産経験があるから余計に感動を煽るのだろう。
「アナスタシアにしようと思うの」
エリカが答える。
「復活という意味があるの…新しい命の誕生…新しい希望……」
「アナスタシア…」
名前を口にする。
「素晴らしい名前だ」
アナスタシア・ローゼン。
アナスタシア・キリタニ。
俺の第二子の名前が決まった。
「素敵な名前よぉ!」
グレイス先生が拍手する。
「アナスタシアちゃん、ようこそこの世界へ! キャハハハハ!」
エリカは出産で完全に疲れ切っているはずなのに、娘を見つめる目は輝いていた。
汗で濡れた髪を、ルナが優しく拭ってくれる。
「私…本当に幸せ…」
エリカが涙を流す。
俺もまたドバッと涙が流れてくる。
「タクヤとの子供を…産めて…こんなに素晴らしいことって…ない…」
「俺も幸せだ」
エリカの額に優しくキスをする。
「君が無事で本当に良かった。ありがとう、エリカ。
本当にありがとう」
アナスタシアは、時々小さな声を出しながら、エリカの胸の中で静かに呼吸をしている。
その小さな命が、確かにそこに存在している。
「これで……俺も二児の父親か……」
実感を込めて呟く。
息子のリオネルに続いて、今度は娘のアナスタシア。
俺の家族は、どんどん大きくなっている。
命が生まれるということ。
それは、この世界で最も神聖で、最も美しい奇跡だ。
エリカが命がけで産んでくれた。
この小さな命のために、母親は自分の命すら危険に晒す。
それが母親の愛なのだと、俺は初めて本当の意味で理解した。
決してルナの時はそう思わなかった訳ではない。
「エリカ……」
か弱くなった妻の手を握る。
「君は本当に凄い。俺の想像を遥かに超えて強くて、美しい」
「タクヤ……」
エリカが微笑んだ。
疲れ切っているはずなのに、その笑顔は輝いていた。
その時、扉の向こうからミミの声が聞こえた。
「赤ちゃん生まれた?」
ミミが興奮して入ってくる。
彼女の後ろには、リオネルを抱いたグロムもいた。
「女の子よ、ミミ」
「アナスタシアっていうの」
「やったー!」
エリカが嬉しそうに紹介している。
ミミが飛び跳ねて喜んだ。
奴隷時代の弱々しい姿は今は見る影もない。
「女の子のお姉ちゃんになれる!」
ミミがアナスタシアを見つめる。
血が繋がっている訳ではないが、二人とも本当の俺の娘だ。
「ちっちゃくて…すごく可愛い…」
グロムも、リオネルを連れて近づいてくる。
「リオ、妹ができたぞ」
グロムがリオネルに話しかける。
リオネルは1歳半になって、伝い歩きができるようになっていた。
言葉も少しずつ話せるようになっている。
「あーちゃん?」
リオネルが不思議そうに妹を見る。
「そうです、赤ちゃんですよ」
「リオネルの妹です」
リオネルが俺を見上げて、拙い言葉で言った。
「パパ」
その瞬間、俺再び感動で涙が溢れ出した。
息子に「パパ」と呼ばれるのは、これが初めてだった。
今まで「あー」や「うー」といった喃語しか話せなかったリオネルが、ついに俺をパパと認識してくれたのだ。
娘が生まれた日に、息子が初めて俺をパパと呼んでくれた。
「リオ……」
息子を抱き上げる。
涙で視界がぼやけている。
「パパだ、そうだ。俺はお前のパパだ」
「パパ…パパ」
リオネルが俺の涙を心配そうに見る。
あんまり会えていなかったのに俺をパパと認識してくれている。
不甲斐ない父親のはずなのに俺をパパと認めてくれている。
それが何よりも嬉しい。
「嬉し泣きだ」
俺がリオネルに微笑む。
「パパはとても、とても嬉しいんだ。
お前たちがいてくれて、本当に幸せなんだ」
息子に「パパ」と呼ばれ、娘が生まれた。
この日は、俺にとって人生で最も幸せな日になった。
家族がいる幸せを、心の底から、魂の奥底から実感している。
命の重み。
命の尊さ。
命の輝き。
それらすべてを、今この瞬間、俺は感じていた。
その時、扉の向こうから声が聞こえた。
「お疲れさまです」
透の声だった。
彼が手に何かを持って入ってくる。
「出産のお祝いに、これを作ってきました」
透が見せてくれたのは、手作りの赤ちゃん用おもちゃだった。
木でできた小さなガラガラと、柔らかい布でできた人形。
とても丁寧に作られている。
「ありがとう、透」
俺が感謝する。
「手作りなんて、本当に嬉しいよ」
「赤ちゃんが喜んでくれるといいんですが」
透が照れたように言った。
最近の透は、すっかり更生して、みんなの役に立つことをしようと頑張っている。
雪菜の元を離れてからは、本来の優しい性格が戻ってきたようだ。
変態性は消えないが、普通に過ごしてくれるだけでもありがたい。
俺は健太郎から赤ちゃん用おもちゃを受け取って、アナスタシアの近くに置いた。
まだ生まれたばかりで遊べないが、大きくなったらきっと喜んでくれるだろう。
「みんなでお祝いしましょう。
アナスタシアちゃんの誕生を」
「そうだな」
クロエの提案に賛成する。
「でも、エリカは疲れてるから、無理は禁物だ」
「大丈夫よ……」
エリカが言うが、明らかに疲労困憊の様子だった。
女剣士の面影は一切ない。
「少し休んだ方がいいわよぉ」
グレイス先生がアドバイスする。
本当にその通りだ。
ルナが出産した時は大変だった。
自分が一番料理ができるからと言って、出産したばかりなのに料理を作り始めた。
それで一度体調を崩している。
もうそんなことは起きてほしくない。
「出産は命がけの大仕事だからねぇ。
ゆっくり休んで、体力回復よぉ!」
俺たちは、エリカが休めるように静かにお祝いをすることにした。
ミミが小さな花を摘んできて、部屋を飾ってくれる。
グロムは特別な料理を作ってくれた。
ドワーフの伝統的な料理らしい。
見た目は少しアレだが、身体回復の効果があるとのこと。
ガルドさんとフェリス先生も駆けつけてくれて、家族全員でアナスタシアの誕生を祝った。
「本当に可愛い赤ちゃんニャ」
フェリス先生が感動している。
「こんなに小さくて、でも生命力に満ち溢れてるニャ…命って素晴らしいニャン…」
「一年ぶりの赤ちゃんの誕生だな」
「昔を思い出すな。俺がガキだった頃はこんなんだったんだろうか?
命が生まれる瞬間ほど、美しいものはない」
みんなでアナスタシアを見守りながら、温かい時間を過ごした。
赤ちゃんは時々泣いたりするが、それもまた愛おしい。
その小さな泣き声一つ一つが、確かに生きている証だ。
新しい命が家族に加わったことで、家全体が幸せな雰囲気に包まれている。
「タクヤ」
エリカが俺を呼ぶ。
「アナスタシアを抱いてみて」
緊張しながら、娘を抱き上げた。
とても軽くて、温かくて、柔らかい。
こんなに小さな存在なのに、確かに生きている。
心臓が動いている。
呼吸をしている。
俺の娘として、この世界に生まれてきてくれた。
「アナスタシア……」
娘の名前を呼ぶ。
すると、アナスタシアが小さく目を開けた。
まだ焦点は合っていないが、俺の方を見ているような気がする。
「パパだよ」
娘に話しかけてみた。
「君のパパだ。
これから、ずっと君を守っていくからな」
アナスタシアが小さな声を出した。
まだ意味のある言葉ではないが、俺への反応のような気がして嬉しい。
「可愛い……」
心から思う。
息子のリオネルも可愛いが、娘はまた違った可愛さがある。
こんなにも小さくて、こんなにも儚くて、でもこんなにも尊い。
これから、この子を大切に育てていこう。
リオネルと一緒に、愛情をたっぷり注いで。
命を守り、命を育てていく。
それが、父親としての俺の使命だ。
その時、リオネルが俺の足にしがみついてきた。
「パパ、だーだー」
甘えた声で言ってくるから俺は断れない。
断るつもりもないが。
俺は片手でアナスタシアを抱き、もう片方の手でリオネルを抱き上げた。
息子と娘、二人の子供を同時に抱いている。
父親としての実感が、さらに強くなった。
この重み。
この温もり。
これが、命の重みだ。
「パパは幸せ者だ」
二人に言う。
「リオとアナスタシア、二人とも大好きだ。心から愛してる」
家族みんなが、俺たちを温かく見守ってくれている。
エリカとルナ、クロエ、ミミ、そして仲間たち。
みんなでこの新しい命を迎え入れてくれている。
俺は、本当に恵まれていると思った。
この幸せを、いつまでも大切にしたい。
そして、子供たちが健やかに成長していけるよう、父親として全力で支えていこう。
命は尊い。
命は美しい。
命は奇跡だ。
アナスタシアの誕生を通して、俺は改めてそれを実感した。
この小さな命が、いつか大きく成長して、自分の人生を歩んでいく。
その成長を見守ることが、親としての最大の喜びなのだろう。
「ありがとう、アナスタシア」
娘に囁く。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
アナスタシアの誕生で、俺たちの家族はさらに大きくなった。
これからも、みんなで支え合いながら、温かい家庭を築いていこう。
俺は、そんな決意を胸に、息子と娘を大切に抱きしめていた。
生命の誕生という奇跡を目の当たりにして、俺の心は感動で満たされていた。
この幸せを、絶対に守っていく。
それが、父親としての俺の誓いだ。




