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第九十二話「海辺の休日」

 

 天使族の魔神・アズラエルの遭遇から一週間が過ぎた。

 俺の体調はほぼ完全に回復し、普通の学生生活を送れるようになっていた。

 アリシアの治癒魔法のおかげで、致命的な傷も跡形もなく治っている。


 そんな中、マリア教授から嬉しい提案があった。


「皆さん、期末試験も無事終わりましたし、息抜きに海へ行きませんか?」


 教授が教壇で発表する。


「アドバンスクラス全員での小旅行です」

「海?」


 俺が興味を示す。

 この世界に来てから、まだ海で遊んだことがなかったからだ。


「はい、魔法大学から馬車で半日ほどの距離にある、美しい海岸です」


 マリア教授が説明してくれる。


「一泊二日の予定で考えています」


 クラスメイトたちも、皆興奮している様子だった。


「いいですね」


 レオナルドが目を輝かせる。


「海での息抜きは、芸術的感性も刺激されそうです」

「余も海を見てみたいな」


 ヴァルが無邪気に言う。


「魔族の住む地域には、海がないから」

「…海は良い」


 クロウが短く賛成する。


「私も賛成です」


 アリシアが上品に答える。


「海辺での自然観察は、魔法理論の研究にも役立ちそうです」

「行きたいかな」


 リリーが静かに言う。

 その視線は、まっすぐ俺に向けられている。

 6年後の結婚の約束をしてから、彼女の俺を見る目が変わった。

 より強い愛情の眼差しというか、所有欲のような感情が見え隠れする。


 いや、所有欲どころではない。

 まるで俺以外の世界が見えていないような、危うい光が瞳に宿っている。


「行くじゃん」


 妹に続いてルーシーも賛成してくれる。

 ただ、その表情は少し複雑だった。妹のリリーの様子を気にしているようだ。


「ボクも行きたいです」


 恥ずかしそうに言うクロエを見て、可愛いと思ってしまう。

 実際に可愛いからしょうがない。


 海への小旅行は、全員一致で決定した。




 ◇ ◇ ◇




 出発の日、俺たちは魔法大学の正門前に集合した。

 大きな馬車が二台用意されていて、荷物と一緒に乗り込む。


「それでは、出発しましょう」


 マリア教授が声をかけると馬車がゆっくりと動き出した。

 俺は自然な流れでクロエの隣に座った。

 妻だから当然のことだ。

 自己アピールが少ないクロエが積極的に動くなんて、みんなの前でなければきっと感動で涙ポロポロ案件だっただろう。


 でも、その瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 視線を感じて振り向くと、リリーがこちらを見つめていた。

 笑顔だった。

 でも、その目は笑っていない。

 まるで、俺とクロエの距離を測るように、じっと見つめている。


「リリー、大丈夫じゃん?」


 ルーシーが心配そうに妹に声をかける。


「うん、大丈夫かな、お兄ちゃん。

 ただ、タクヤを見ていただけかな」


 その言葉に、ルーシーの表情が曇る。


「リリー、あまり——」

「何も問題かな」

「6年後には、わたしがタクヤの正式な妻になるかな」


 その言葉の強さに、馬車の中が一瞬静まり返った。


 窓から見える風景が、だんだん海に近づいていく。

 森を抜け、丘を越えて、ついに海が見えてきた。


「わあ」


 アリシアが珍しく感嘆の声を上げる。


「本当に美しいですね」


 青い海が地平線まで広がっている。

 白い砂浜に、穏やかな波が打ち寄せていた。


「すごいな」


 大陸間の移動でも海を見たことはあったが、馬を目的として見るのは格別に美しい。

 空気も澄んでいて、とても気持ちがいい。


「師匠、早く海に入りましょう」


 レオナルドが興奮して服を脱ぎ出した。

 でも、俺はふと疑問に思った。

 水着を持ってきていない。

 みんなも水着を持っていない。

 どういうことだ?


「そういえば、この世界って水着はあるのか?」


 俺の質問に、みんなが首を傾げる。


「ミズギ?」


 魔法に詳しいマリア教授でも知らないのか。


「それは何ですか?」

「えっと、海に入る時に着る、専用の服のことです。普通の服だと、泳ぎにくいから」

「ああ、そういうものがあるんですね」


 マリア教授が理解する。


「でも、海で遊泳する時は裸で入るか、服を着たまま入るのが普通ですよ」

「裸?」


 驚いた。

 男女一緒に裸で海に入るなんて、俺には無理だった。

 クロエとなら入るが。


「それは、ちょっと」


 困惑していると、アリシアが顔を赤くしている。

 どうやら、アリシアも同じ気持ちらしい。

 

「私も、そのような格好は」

「じゃあ、服を着たまま入ろう」


 提案するが、問題点もある。

 服が濡れて重くなるし、動きにくい。

 しかもこの世界の服は高い。

 海水でダメになるのは気が引ける。

 一つ一つが手作りだからしょうがないと言えばしょうがないだろう。


「そうだ、水着を作ってみよう」


 造形魔法で、簡易的な水着を作ることを考えた。

 海パン程度なら作れるかもしれない。

 思いついたら即行動だ。

 でも、実際にやってみると、これが思ったより難しい。

 布の質感を再現するのは、俺の技術ではまだ無理だった。


 造形魔法では、練度が上がるほど生成できる素材も上がる。

 造形魔法の基礎は粘土だ。

 そこから石、木、布などに派生する。

 一応、クロエは全て使えるが、水着の概念を知らないのに作らせるのは酷だろう。


「うーん、ダメだな」

「思ったより複雑だ」

「大丈夫ですよ」


 諦めた俺にクロエが優しく言ってくれる。


「みんな、そのまま海に入りましょう」


 結局、俺たちは服を着たまま海に入ることになった。




 ◇ ◇ ◇




 海は、想像以上に楽しかった。

 最初は服が重くて動きにくかったが、慣れてくると平気になった。

 特に、みんなで一緒に泳ぐのは楽しい。


「師匠、泳ぎが上手ですね」

「昔、習っていたからな」


 今、小学生の時に無理矢理習わされて良かったと感じた。

 ここで溺れていたらみんなに格好がつかないところだった。


 ヴァルは、魔族らしく身体能力が高く、あっという間に泳ぎを覚えた。


「楽しいね、タクヤ」

「人族の遊びは面白い」


 アリシアは、最初は恐る恐るだったが、だんだん慣れてきた。

 

「意外と気持ちいいものですね」


 クロウは相変わらず無口だが、それなりに楽しんでいるようだった。

 獣人族だから海は嫌いだと思ったが、そんなことはないらしい。

 嫌がるなら一緒に涼もうと思ったけれど大丈夫そうだ。


 ルーシーは器用に泳いでいたが、時々妹のリリーの方を気にしている。


 そして、クロエは俺の近くを泳いでいた。

 泳ぎ方はぎこちないが、沈むことはなさそうだ。

 もし沈んだとしても助けてあげれば、かっこいい夫アピールができるかもしれない。


「タクヤくん、海って本当に気持ちいいですね」

「ああ、俺も久しぶりに楽しんでる」


 クロエと並んで泳いでいると、とても平和な気持ちになる。


 でも、その瞬間だった。

 水の中から、強い視線を感じた。

 振り向くと、少し離れた場所でリリーが俺たちを見つめていた。

 その表情は、笑顔だった。

 でも、その目には狂気じみた光が宿っている。

 まるで、俺とクロエの距離を一センチ単位で計測しているような、執拗な観察眼だった。


「タクヤくん?」


 俺の様子にクロエが気づく。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもない」


 咄嗟に視線を逸らした。

 でも、背筋の冷たさは消えない。


―リリー視点―


 わたしは水の中で、タクヤとクロエの距離を見つめていた。

 32センチ。

 二人の肩の距離は、正確に32センチだった。

 近すぎる。

 近すぎる。

 近すぎる。


 6年後にはわたしが正式な妻になる。

 そう約束してくれた。

 だから、今はまだ我慢しなければならない。


 でも。

 でも。

 でも。

 クロエがタクヤの隣で笑っている。

 その笑顔が、わたしの心を引き裂く。

 タクヤは私のものなのに。


 いや、違う。

 タクヤはわたし「だけ」のものなのに。

 ルナも、エリカも、クロエも、みんな邪魔だ。

 でも、我慢しなければ。

 タクヤは優しいから、みんなを大切にしようとする。

 それがタクヤの良いところだから。


 だから、私は待つ。

 6年間、じっと待つ。

 そして、その時が来たら——。


「リリー」


 お兄ちゃんの声で、我に返った。


「あまり見つめすぎるなじゃん」


 お兄ちゃんが心配そうに私を見る。

 邪魔。


「タクヤは、お前のその目を怖がってるじゃん」

「大丈夫だよ、お兄ちゃんかな」


 笑顔で答えたが、イラつきは隠しきれない。


「タクヤはわたしのことを理解してくれるかな」

「リリー……」


 お兄ちゃんが困った表情をする。

 でも、大丈夫。

 わたしは何も間違っていない。

 タクヤを愛すること。

 それは正しいことだから。


―拓也視点―


 海で遊んだ後、俺たちは砂浜でバーベキューをすることになった。


「海の魔獣を使った料理は、格別ですよ」


 料理にも精通しているマリア教授が説明してくれる。

 確かに、海で捕れた魔獣の肉は、とても美味しかった。

 普通の魚とは違う、独特の風味がある。

 カイレーン、ブルージャダム、クリムゾン。

 この世界には、前の世界にいなかったいろんな魔獣がいる。


「美味しい」

「こんな料理、初めて食べた」

「海の恵みですね」


 俺の言葉にアリシアも同意してくれた。


「魔力も豊富で、体にも良さそうです」


 俺はクロエの隣に座って、一緒に食事を楽しんでいた。

 家でも、ルナやエリカ、そして一歳と2ヶ月になったばかりの息子・リオネルと食事をする時間は幸せだ。

 でも、こうして外で仲間たちと食べるのも、また違った楽しさがある。


「タクヤくん、これも美味しいですよ」


 クロエが料理を取り分けてくれる。

 


「ありがとう」


 俺が笑顔で受け取る。

 でも任せきりでもいらない。

 優しさに甘える人間はいつかダメになってしまう。


 その時、また視線を感じた。

 リリーが、じっと俺たちを見つめている。

 今度は、手に持ったフォークを強く握りしめていた。

 手が白くなるほど、力が込められている。


「リリーちゃん、食べないの?」

「ああ、食べるよ」


 ヴァルの言葉にリリーが笑顔で答える。

 でも、その目は俺から離れない。

 ルーシーが困った表情で妹を見ている。


 太陽が沈み始めて、だんだん暗くなってきた。

 そんな時、俺はあることを思い出した。


「そういえば、肝試しって知ってるか?」


 俺の質問に、みんなが首を傾げる。


「キモダメシ? それは何ですか?」


 よくぞ聞き返してくれたレオナルド。

 みんなの仲を深めると言えばこの遊びだ。

 俺も山や海に行くたびによくやっていた。

 まあ、雪菜がヤンデレになってからは何も怖くなくなったんだが。


「暗い場所で、怖い思いをしながら歩く遊びだ。度胸を試すというか、スリルを楽しむというか」

「面白そうですね」


 マリア教授が興味を示す。


「どうやってやるんですか?」

「まず、暗い森や洞窟のような場所を選ぶ。

 そこにペアで入っていって、決められた場所まで行って戻ってくる。

 途中で怖いことがあっても、最後まで行かなければならない」

「それは確かに、度胸を試されますね」


 アリシアが分析する。


「暗闇での行動は、普段とは違う恐怖感があります」

「やってみたい。

 余は怖いものなんてないよ」

「…怖い話も用意する」


 クロウの怖い話は、確実に効果がありそうだった。

 実際の天啓関係の話は、興味をそそるものがある。


「よし、やってみよう」

「でも、安全には気をつけないと」


 俺たちは、海岸近くにある小さな森を肝試しの舞台に選んだ。

 月明かりだけの薄暗い森は、確かに不気味な雰囲気がある。


 ペアを決めるために、くじ引きをすることになった。

 箱の中に、全員の名前が書かれた紙が入っている。


「それでは、順番に引いていきましょう」


 マリア教授が仕切ってくれる。

 一人ずつ、紙を引いていく。

 俺が紙を開くと、そこには「クロエ」と書かれていた。


「クロエとペアか」


 その瞬間、空気が凍りついた。

 リリーが、じっと俺を見つめている。

 その目には、明確な殺意に近い感情が浮かんでいた。

 いや、殺意ではない。

 もっと複雑で、もっと歪んだ感情だ。


「わたしは……」


 リリーが自分の紙を開く。


「お兄ちゃんとペアだね」


 その声は、かすかに震えていた。


 結果は、以下の通りだった。

 拓也とクロエ

 レオナルドとアリシア

 ヴァルとクロウ

 リリーとルーシー


 マリア教授は、安全管理のために森の入り口で待機してくれる。

 魔獣自体はいないらしいが、もしものことを考えてのことらしい。


「それでは、順番に出発しましょう」


 最初は、ヴァルとクロウのペアが出発した。

 5分後に、リリーとルーシーのペア。

 リリーは出発前、最後にもう一度俺を見つめた。

 その目には、言葉にできない感情が渦巻いている。


「行くじゃん、リリー」


 ルーシーが妹の手を引いて、森の中へ消えていった。


 さらに5分後に、レオナルドとアリシアのペア。

 そして最後に、俺とクロエのペアが出発する番になった。


「タクヤくん、ボク、少し怖いです」


 クロエが甘えた声で正直に言う。

 その様子が可愛くてしょうがない。


「でも、一緒なら大丈夫」

「俺も一緒だ」


 クロエの手を握る。


「何があっても、君を守る」


 森の中は、想像以上に暗く、不気味だった。

 木々の隙間から漏れる月光が、幻想的な雰囲気を作り出している。

 でも、やはり怖い。


「何か音がします」


 確かに、葉っぱの擦れる音や、小動物の鳴き声が聞こえる。

 昼間なら気にならない音も、夜になると不気味に聞こえる。


「大丈夫だ」

「ただの自然の音だ」


 でも、俺自身も少し緊張していた。

 この世界には、俺の知らない危険な生き物もいるかもしれない。

 そして、何より——。

 リリーの、あの目が脳裏から離れない。

 まるで、この暗闇のどこかから俺たちを見つめているような、そんな錯覚さえ覚える。


 目標地点に着くと、そこには小さな祠があった。

 古い石造りで、何かの神様を祀っているようだ。

 しかし、そう見えるだけでマリア教授が置いてくれたものだ。

 やっぱり肝試しにはこういうものが必要だからだ。


「ここで引き返そう」


 でも、その時だった。

 祠の奥から、白い影がふわりと現れた。


「きゃあ」


 クロエが俺にしがみつく。

 俺も、一瞬心臓が止まりそうになった。

 二つのことが要因で。

 でも、よく見ると、それは白い布のようなものが風に揺れているだけだった。


「大丈夫、ただの布だ」

「誰かが置いていったのかもしれない」


 こんな悪戯をするのはヴァルしかない。

 もしヴァルじゃなかったら、それは本物の幽霊ということになる。


「そうですね」


 クロエがほっとする。

 俺たちは、無事に森を抜けて、みんなのもとに戻った。


「おかえりなさい」


 マリア教授が出迎えてくれた。


「どうでしたか?」

「とても面白かった。

 いい経験になった」


 でも、戻ってきた俺たちを出迎えたのは、マリア教授だけではなかった。

 リリーとルーシーも、すでに戻っていた。

 リリーは、笑顔で俺たちを見ている。

 でも、その目だけは笑っていない。

 まるで、俺とクロエがどれだけ親密だったか、一部始終を想像しているよう


「楽しかった? タクヤ」

「ああ、まあ」


 リリーの質問を曖昧に答える。


「クロエと、二人きりで、暗い森で」


 リリーの言葉が、一語一語、重く響く。


「手、繋いでた?」

「それは、安全のために——」

「そっか」

「安全のため、かな」

 

 リリーがニコニコしながらこちらを見ている。

 その笑顔が、どこか壊れているように見えた。


「リリー、もういいじゃん」


 ルーシーが妹を制止しようとする。


「タクヤも困ってるじゃん」

「大丈夫かな、お兄ちゃん」

「わたしは何も怒ってないかか」

「ただ、確認しただけかな」


 他のペアたちも、順次戻ってきた。

 レオナルドとアリシアは、途中でアリシアが転んで、レオナルドが支えるというドラマチックな展開があったらしい。

 ただ、レオナルドとアリシアが恋に発展する可能性は極めて低い。

 銅像大好きレオナルドと恋愛ゼロのアリシアだからだ。

 

 ヴァルとクロウは、クロウの怖い話を聞きながら歩いたため、ヴァルが珍しく震え上がっていた。


「みんな、お疲れさまでした」


 マリア教授が労ってくれる。


「とても楽しい肝試しでしたね」

「タクヤさんのアイデアのおかげです」

「とても刺激的な体験でした」


 俺は、みんなが楽しんでくれて嬉しかった。

 この世界に、新しい遊びを紹介できた。

 いつか俺の功績が本になるかもしれない。

 期待しても意味がないか。

 

 でも、リリーだけは、ずっと俺とクロエの方を見続けていた。

 その視線は、暗闇の中でも燃えるような執着を秘めている。




 ◇ ◇ ◇




 その夜、俺たちは海岸に建てられた簡易的な宿泊施設で一泊した。

 男女別の部屋で、俺はレオナルド、ヴァル、クロウ、ルーシーと同じ部屋だった。

 みんなでその日の出来事を語り合っていると、ルーシーが俺に近づいてきた。


「タクヤ、少しいい?

 …妹のことで、話があるじゃん」


 俺は、ルーシーと部屋の隅で向き合った。


「リリーのこと、心配してるだろ」

「ああ、そうじゃん。あいつ、最近おかしいじゃん。

 タクヤのことになると、目つきが変わるじゃん」

「俺も気づいてる。

 でも、どうしたらいいか分からない」

「6年後の約束、本気なのじゃんか?」


 ルーシーが尋ねる。

 その質問に嘘偽りなく断言する。


「ああ、本気だ…。

 リリーを幸せにしたいと思ってる」

「でも、それまでの6年間が問題じゃん」


 ルーシーが困った表情をする。


「あいつ、待ちきれなくなってるじゃん。お前が他の女性と親しくしてるのを見ると、理性が飛びそうになってるじゃん」


 俺は、ルーシーの言葉に背筋が冷たくなった。

 リリーの依存度は、俺が思っている以上に深刻なのかもしれない。

 でも、条件を出してきたのは向こうのほうだ。


「どうすればいい? 俺はリリーを傷つけたくない」

「難しいじゃん」


 ルーシーが頭を抱える。


「あいつはタクヤに依存してるじゃん

 …タクヤがいないと、生きていけないくらいに」

「でも、タクヤには他にも妻がいるじゃん

 その現実を、あいつは受け入れられてないじゃん…」


 俺は、自分の責任の重さを改めて感じた。

 リリーに約束をした時、俺は彼女の心の深さを理解していなかった。

 彼女にとって、俺との約束は、生きる理由そのものになっているのかもしれない。


「とりあえず、明日は気をつけてくれじゃん

 クロエとあまり親密にしないでくれじゃん

 リリーが、何をするか分からないじゃん」

「分かった。気をつける」


 部屋に戻ると、みんな眠りについていた。

 俺も寝床に入ったが、なかなか眠れなかった。

 リリーのあの目が、脳裏に焼き付いて離れない。


 


 ◇ ◇ ◇




―リリー視点―


 わたしは女子部屋で、眠れずにいた。

 隣では、他のみんなが静かに眠っている。

 でも、わたしの心は騒がしい。


 タクヤとクロエが、森の中で手を繋いでいた。

 二人きりで。

 暗闇の中で。

 わたしの知らないところで。

 嫉妬で、胸が張り裂けそうだ。


 でも、我慢しなければ。

 6年後まで、待たなければ。

 タクヤは約束してくれた。

 だから、わたしは待つ。


 でも。

 でも。

 クロエがタクヤに触れるたびに、私の心が壊れていく。

 いっそ、全部壊してしまいたい。

 タクヤ以外の全てを。

 タクヤと二人きりの世界を作りたい。

 誰も邪魔されない、わたしたちだけの世界を。


「タクヤ……」


 6年は長い。

 でも、待つ。

 必ず、待つ。

 そして、その時が来たら——。


 わたしはタクヤを、決して離さない。

 誰にも、渡さない。

 永遠に、私のものにする。




 ◇ ◇ ◇

 



―拓也視点―


 翌朝、俺たちは再び海で遊んだ。

 昨日よりも慣れて、さらに楽しむことができた。

 特に、みんなでビーチバレーのような遊びをしたのが面白かった。

 これも俺が前の世界から提案したものだが、みんなが夢中になってくれた。


「これは戦略性があって面白いですね」


 分析が好きなアリシアからすれば戦略の立てれるゲームは面白いのだろう。


「チームワークが重要です」


 俺とクロエ、レオナルドとアリシア、ヴァルとクロウ、リリーとルーシーでチーム戦をした。


 試合が始まると、リリーの動きが明らかにおかしかった。

 プレーに集中していない。

 ボールではなく、俺とクロエを見つめている。

 俺がクロエにパスを出すたびに、リリーの表情が歪む。

 クロエが俺にボールを返すたびに、リリーの目が鋭くなる。


「リリー、ボールじゃん!」


 ルーシーが叫んでも、リリーはボールを見ていない。

 俺たちを見つめ続けている。

 そして、試合中、一度だけ——。

 俺とクロエがハイタッチをした瞬間、リリーが小さく呟いた。


「……殺す」


 その声は小さかったが、確かに聞こえた。

 誰を殺すのか。

 それは分からない。

 でも、その言葉の冷たさに、俺は心底恐怖を感じた。


 試合は、リリーとルーシーの双子チームが優勝した。

 後半、リリーが突然本気を出したからだ。

 まるで、何かを証明するかのように、圧倒的な力で相手を叩きのめした。


「やったじゃん、リリー」


 ルーシーが妹を労うが、複雑そうな表情だった。

 リリーは俺の方を見て、微笑んだ。


「タクヤ、見てたかな?」


 その笑顔は、まるで子供のように無邪気だった。

 でも、その目だけは違う。


「わたし、強いでしょ?

 クロエさんより、ずっと強いかな?」


 その言葉に、俺は返答に詰まった。

 リリーは、自分の価値を証明しようとしているのだ。

 クロエより優れていることを、俺に見せつけようとしている。


「ああ、すごかったよ。

 リリーは本当に強い」


 うん、恐怖を感じるほどに。


「…そっか。

 じゃあ、6年後を楽しみにするかな」

「もっともっと強くなって、タクヤを守れるようになるから」


「タクヤには、わたしだけがいればいいって、そう思ってもらえるくらいに」


 その言葉に込められた執着に、俺は言葉を失った。

 試合の後、みんなで海辺で休憩していると、クロエが俺の隣に座った。


「タクヤくん、楽しいですね」


 クロエが笑顔で言う。

 この笑顔がこの小旅行の癒し要素だ。


「家に帰ったら、リオネルにも海の話をしてあげましょう」

「ああ、あの子も喜ぶだろうな」


 リオネルは、最近よく笑うようになった。

 伝い歩きもできるらしいし、そろそろ一緒に走れるのではないかと思えてしまうほど元気だ。


 ルナの子供なのにクロエとエリカも、育児を手伝ってくれている。

 家族だから当たり前のことだが。


「ルナさんもエリカさんも、きっと羨ましがりますね

「今度は家族みんなで来ましょうか」

「そうだな」


 その会話を、リリーは少し離れた場所で聞いていた。

 彼女の手に握られた貝殻が、粉々に砕け散る。

 魔力で無意識に圧縮してしまったのだ。


「リリー……」


 ルーシーが心配そうに妹の肩に手を置く。


「大丈夫じゃん?」

「大丈夫かな、お兄ちゃん」


 リリーが笑顔で答える。

 でも、その笑顔は引きつっていた。


「ただ、少し疲れただけかな」

「そうか……」


 ルーシーが安堵するが、リリーの心の中は嵐が吹き荒れていた。




 ◇ ◇ ◇




―リリー視点―


 家族。


 タクヤは、クロエと「家族」の話をしている。

 リオネル。

 タクヤとルナの子供。

 わたしには、まだタクヤとの子供はいない。

 6年後まで待たなければならない。


 その間に、ルナもクロエもエリカも、タクヤとの時間を独占する。

 タクヤの温もりを感じて。

 タクヤの優しさに包まれて。

 タクヤとの思い出を積み重ねていく。

 わたしだけが、取り残されていく。

 わたしだけが、指を咥えて見ているだけ。


 これは、不公平だ。

 不公平すぎる。

 なぜ、わたしだけが待たなければならないの?

 タクヤはわたしのものなのに。

 私が一番タクヤを愛しているのに。


「落ち着くじゃん、リリー。

 深呼吸するじゃん」


 わたしは、お兄ちゃんの言う通りに深呼吸をした。

 でも、心の嵐は収まらない。

 タクヤへの愛が、どんどん歪んでいく。


 でも、それでもいい。

 歪んだ愛でもいい。

 タクヤがわたしのものになるなら。

 わたしだけを見てくれるなら。

 どんなに歪んでもいい。




 ◇ ◇ ◇




―拓也視点―


 海での二日間は、複雑な思いで終わった。

 楽しい時間もあったが、リリーの様子が気になって仕方がなかった。

 彼女の執着は、日に日に強くなっているように感じる。


 魔法大学に戻る馬車の中で、俺は考え込んでいた。

 リリーをどう扱えばいいのか。

 彼女を傷つけずに、でも彼女の執着を和らげる方法はあるのか。


「タクヤ、考え事?」


 無邪気なヴァルの声が耳に伝わる。


「ああ、少しな。

 人間関係は難しい」

「そうなんだ」

「でも、タクヤは優しいから、きっと解決できる。

 余はそう信じてる」


 ヴァルの言葉に、少し勇気づけられた。

 でも、本当に解決できるのだろうか。

 リリーの愛は、もう俺の手には負えないほど大きくなっている。

 馬車の反対側では、リリーがこちらを見つめていた。

 ずっと。

 ずっと。

 瞬きもせずに。

 その目には、狂おしいほどの愛情が込められている。


「リリー、そろそろ休むじゃん?」


 馬車の車輪音で声があまり聞こえない。


「ずっと起きてるじゃん」

「大丈夫かな、お兄ちゃん」


 でも、視線は俺から離れない。


「タクヤを見ていたいかな。

 6年後まで待つのは長いから。

 今のうちに、たくさん見ておきたいかな」


 その言葉に、馬車の中の空気が重くなった。

 みんな、リリーの異常さに気づいている。

 でも、誰も何も言えない。


「あと6年かな、タクヤ」


 リリーが微笑む。


「その時が来たら、わたし、絶対にタクヤを離さないから」

「誰にも、邪魔させないかな」


 その宣言は、まるで呪いのように俺の心に重くのしかかった。


 魔法大学に到着すると、俺たちは解散した。


「また明日、授業で会いましょう」


 マリア教授が声をかけてくれる。

 明日はサボろうと思っていたのに、こんなことを言われたら行くしかないだろう。


「今日はゆっくり休んでください」


 家に向かうためにエルフ村を想像した。

 ルナとエリカ、そしてリオネルが待っている家。


 でも、家に着く前に、リリーが俺を呼び止めた。


「タクヤ」


 リリーが俺の腕を掴む。

 その力は、思った以上に強い。

 力を込めていないと折れそうだ。


「少しだけ、話していいかな?」

「ああ、いいよ」


 人通りの少ない路地で、俺たちは向き合った。

 周りには誰もいない。

 俺とリリーの二人だけの空間だ。


「今回の旅行、楽しかったかな?」

「ああ、楽しかった。

 みんなと過ごす時間は、いつも楽しい」

「そっか」

「クロエとも、楽しかったかな?」


 その質問に、俺は慎重に答える。

 回答によっては俺の命が危うと本能が察知しからだ。

 腕輪のおかげでリリーは俺に暴力は振るえない。

 しかし、愛の暴力なら震えるかもしれないので、警戒は怠らない。


「クロエは俺の妻だから、一緒にいて楽しいのは当然だ」

「でも、リリーとの約束も忘れてない。

 6年後には、君を必ず幸せにする」

「本当かな?」


 リリーが俺の目を見つめる。


「本当に、私を幸せにしてくれるかな?」

「ああ、約束する」

「リリー、君は大切な人だ」

「嬉しいかな」


 リリーが俺に抱きついてきた。

 その抱擁は、驚くほど強い。

 まるで、俺を離したくないとでも言うように。

 肋骨が折れそうだ。


「タクヤ、大好きかな」


 リリーの囁き声が頭の中でこだまする。


「本当に、本当に大好きかな」

「世界で一番、大好きかな」

「タクヤがいないと、わたし、生きていけないのかな」


 その言葉の重さに、俺は身動きが取れなくなった。


「だから、待つね」


 リリーが顔を上げる。


「6年間、ちゃんと待つかな

 でも、それまでの間、たまにはわたしのことも見るかな。

 クロエやルナやエリカだけじゃなくて」

「わたしのことも、忘れるなかな」

「忘れないよ」


 俺が約束する。


「リリー、君のことは絶対に忘れない」

「ありがとうかな」


 リリーが満足そうに微笑む。

 そして、俺から離れた。


「じゃあ、また明日」


 リリーが手を振って去っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は深くため息をついた。

 リリーの依存は、もう危険な領域に達している。

 でも、俺にできることは、彼女の気持ちを受け止めて、約束を守ることだけだ。


 6年後。

 その時、本当に彼女を幸せにできるのだろうか。

 それとも、彼女の狂気をさらに深めてしまうのだろうか。

 俺には、まだ答えが見つからなかった。


 瞬間移動をして、家に帰ると、ルナとエリカが出迎えてくれた。


「おかえりなさい、タクヤ」


 ルナの笑顔が俺の考えを全て吹っ飛ばしてくれた。

 エルフ特有のスマイル効果でもあるのだろうか。

 とても癒される。


「海はどうでしたか?」

「楽しかったよ。

 みんなと良い時間を過ごせた」

「それは良かったぇす」


 エリカも嬉しそうだ。


「リオネルも、パパの帰りを待っていたわ」


 息子の部屋に行くと、リオネルが笑顔で俺を見つめていた。

 一歳になったばかりだが、もう俺のことを認識している。


「パパだよ」


 リオネルを抱き上げる。

 前々ではあんなに軽かったのにいつのまにか大きくなるもんだ。

 子供の成長には目を離せない。


「海に行ってきたんだ」


 リオネルが嬉しそうに笑う。

 この笑顔を見ていると、心が安らぐ。

 家族がいる。

 大切な人たちがいる。


 でも、リリーもまた、6年後には家族になる。

 その時、みんなが本当に幸せになれるのだろうか。

 俺は、リオネルを抱きしめながら、未来のことを考えていた。


 そして、心の中で誓った。

 誰も傷つけない。

 誰も悲しませない。

 みんなを、必ず幸せにする。

 それが、俺の責任だから。

 たとえ、どれだけ困難な道のりでも。

 俺は、最後まで諦めない。




 ◇ ◇ ◇




 その夜、リリーは自分の部屋で日記を書いていた。


『タクヤ日記・21日目』


 今日もタクヤを見た。

 クロエと一緒にいるタクヤ。

 幸せそうなタクヤ。

 わたしがいない場所で笑うタクヤ。


 胸が痛い。


 でも、我慢する。

 あと6年。

 2190日。

 52560時間。

 3153600分。

 189216000秒。

 その全てを数えながら、私は待つ。


 そして、その時が来たら——。

 タクヤは、完全にわたしのものになる。

 誰にも邪魔させない。

 誰にも奪わせない。


 もし、誰かが邪魔をするなら——。


 リリーは、ペンを握る手に力を込めた。

 日記帳のページが、わずかに破れる。


 もし、誰かが邪魔をするなら——。


 その先の言葉を、リリーは書かなかった。

 書く必要がなかった。

 自分が何をするか、もう分かっているから。


「待ってるかな、タクヤ」


 リリーが窓の外を見つめる。

 その目には、狂おしいほどの愛情と、危険な決意が宿っていた。


 6年後。


 その日が、リリーにとっての全てだった。

 そして、その日が来るまで——。

 彼女は、ただひたすらに待ち続ける。

 愛する人のために。

 自分の幸せのために。


 たとえ、その愛が誰かを傷つけることになっても。



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