第九十一話「リリーの暗い想い」
―リリー視点―
タクヤが意識を取り戻してから三日が経った。
完全回復とはいかないものの、みんなと普通に会話できるほどには良くなっている。
わたしの部屋で療養しているタクヤのところには、連日たくさんの人がお見舞いに来てくれる。レオナルド、ヴァル、アリシア、クロウ。
そして、クロエちゃんも毎日のように来ている。
でも、わたしの胸の奥では、何かが鋭いナイフのようにキリキリと痛んでいた。タクヤが回復してくれて嬉しいはずなのに、どうして心がこんなに苦しいのだろうか。
いえ、分かっている。原因は明白だ。
あの女が毎日来るからだ。
「タクヤくん、今日の調子はいかがですか?」
クロエちゃんが優しくタクヤに声をかけいる。
彼女はタクヤのベッドの横に座って、心配そうに顔を覗き込んでいた。
その光景を見ているだけで、わたしの心臓が嫉妬で黒く染まっていく。
なんで彼女がそこにいるの?
なんでわたしじゃないの?
「おかげさまで、だいぶ楽になった」
タクヤがクロエちゃんに微笑みかる。
「君が毎日来てくれるから、心強いよ」
その微笑み。その優しい声。
本来ならわたしだけに向けられるべきものを、あの女に向けている。
わたしの手が、無意識に握りこぶしを作る。爪が掌に食い込んで、血が滲んでも気づかない。
「そんな、ボクは何もできていませんけど」
クロエちゃんが謙遜します。
「ただそばにいるだけで」
何もしていない?
冗談でしょう?
あなたはタクヤの心を盗んでいるじゃないの。
わたしのタクヤを。わたしだけのタクヤを。
「それが一番嬉しいんだ」
タクヤがクロエちゃんの手を握った。
その瞬間、わたしの頭の中で何かが壊れる音がする。
ぐしゃり、ぺきぺき、ばらばら。
理性という名の薄っぺらい殻が、嫉妬という炎で焼かれて崩れ落ちていく。
なんで?
なんでタクヤはクロエちゃんにそんなに優しいの? なんでわたしじゃダメなの?
わたしがいたからタクヤは助かったのに。わたしが最初に見つけて、わたしがアリシアちゃんを呼んで。わたしが一番長い時間、タクヤのそばにいたのに。
血まみれで倒れたタクヤを抱きしめて、泣きながら「死なないで」って叫んだのはわたしよ?
血だらけになった手でタクヤの傷を押さえたのはわたしよ?
それなのに、何もしなかった人を愛するの?
ねぇ、どうして? どうして? どうして?
わたしの頭の中で、同じ言葉がぐるぐると回り続ける。まるで壊れたオルゴールのように、不協和音を奏でながら。
「リリーちゃん、大丈夫?」
クロエちゃんが心配そうにわたしを見ます。
「顔色が悪いみたい」
悪いに決まってるでしょう?
あなたのせいでわたしの心が死にそうなのよ?
「大丈夫かな」
わたしが作り笑いを浮かべる。その笑顔は、まるでガラス細工のように脆くて危険だ。
「ちょっと疲れただけかな」
でも、心の中では嵐が吹き荒れていく。
タクヤだって、わたしの告白を受け入れればよかったのに。妻が三人いるなら、もう一人くらい増えても問題ないはずじゃないの?
なんでわたしだけが特別扱いされないの?
わたしはタクヤを助けたのよ?
わたしがいなかったら、タクヤは死んでいたかもしれないのに。
なのに、なんで報われないの?
神様は不公平よ。
わたしの心の中で、黒い感情がどんどん膨らんでいった。まるで悪性腫瘍のように、健全な部分を侵食していく。
そして、とても悪い考えが頭に浮かんだ。
タクヤの近くに女がいるから、わたしのことを見てくれない。だったら、消せばいいんじゃない?
クロエちゃんがいなくなれば、タクヤはわたしを見てくれるかもしれない。
エリカもルナも、遠いエルフの村にいる。でも、クロエちゃんは毎日ここに来る。わたしの邪魔をする。わたしとタクヤの時間を奪っていく。
許せない、許せない、許せない。
わたしの指先から、魔力が微かに漏れ出す。殺意を帯びた、禍々しい魔力が。
少しでもわたしを見てほしい。わたしだけのものになってほしい。そんな黒い欲望が、わたしの心を完全に支配していく。
わたしの頭の中で、クロエちゃんを殺すシナリオが次々と浮かんできた。
人気のない場所に誘い出して、首を絞める。それとも、魔法で心臓を止める?
いえ、もっと苦しませたい。わたしが味わった苦痛を、あの女にも味わわせてやりたい。
ゆっくりと、時間をかけて。わたしの絶望を理解させながら。
「クロエ」
わたしがにっこりと笑いかける。その笑顔は、表面的には天使のようですが、内側では悪魔が微笑んでいた。
「今度、二人でお茶でもしない?」
「ボクと?」
クロエちゃんが驚く。
そう、あなたと。そして、それがあなたの最後になるの。
「は、はい、ぜひ」
わたしの笑顔の裏では、恐ろしい計画が練られていた。
人気のない森に誘い出して、そして。わたしなら、クロエちゃんくらい簡単に殺せる。この魔力で、この憎悪で。
まずは手足を動けなくして、それから目の前でタクヤの写真を燃やしてやる。「これが、わたしのタクヤを奪った罰かな」って言いながら。
その後は、ゆっくりと痛めつけて。指を一本ずつ折って、魔法でやけどを負わせて。最後に首を絞めて殺してやる。
そうすれば、タクヤはわたしだけを見てくれるようになる。わたしだけのタクヤになってくれる。
わたしの心の中で、暗い喜びが爆発しそうになりそうになった。
「それは良いですね」
クロエちゃんが嬉しそうに答えます。
「ぜひ、お話ししましょう」
無警戒ね。まあ、それがあなたの最後の過ちよ。
計画は順調に進んでいく。この純粋で無警戒な女の子を、わたしの思うようにできる。わたしの心の中で、暗い笑い声が響きます。
ふふふ、あははは。
でも、その時。
「リリー」
扉の向こうから、お兄ちゃんの声が聞こえた。
ルーシーお兄ちゃんが、部屋に入ってくる。
なんで女子寮に?
邪魔。
「ちょっと話があるじゃん」
お兄ちゃんの表情が、いつもと違う。とても真剣で、少し怒っているようにも見えた。そして、何より恐ろしいことに、警戒している。
わたしを警戒している。
「お兄ちゃんかな?」
わたしが困惑します。
バレたの?
わたしの計画が?
「どうしたかな?」
「タクヤ、少し休ませてもらうじゃん」
お兄ちゃんがタクヤに言います。
「リリーと話があるじゃん」
「分かった」
タクヤが頷きます。
「クロエ、俺たちも席を外そう」
タクヤとクロエちゃんが部屋を出て行く。
泥棒猫。わたしのタクヤを返せ。
わたしとお兄ちゃんだけが残されました。
「リリー」
お兄ちゃんがわたしの目をまっすぐ見つめる。その視線は鋭くて、まるでわたしの魂まで見透かそうとしているかのようだった。
「お前、今何を考えていたじゃん?」
「何って」
わたしがとぼけようとする。でも、お兄ちゃんの鋭い視線から逃れることはできなかった。
「悪い考えを浮かべるのは良くないじゃん」
お兄ちゃんがきっぱりと言う。
「特に、人を殺すような考えは」
わたしの心臓が、ドキドキと激しく鳴り始めます。バレてる。完全にバレてる。
お兄ちゃんに、わたしの考えが全部読まれてしまったの?
どうして?
「わたしは何も」
わたしが必死に否定する。
「変なことなんて考えてないかな」
「嘘をつくなじゃん」
お兄ちゃんが厳しい声で言う。
「お前の顔を見れば分かるじゃん」
「昔から、お前が人を殺したくなる時の顔は知ってるじゃん」
わたしは、お兄ちゃんに見透かされていました。双子の兄だからかな。わたしの心の中の暗闇まで、すべて分かってしまうのでしょうか。
「クロエを殺そうと思ってたじゃん?」
お兄ちゃんがずばりと言い当てる。
「違う」
わたしが慌てて否定した。
「そんなこと考えてないかな」
「じゃあ、さっきの笑顔は何だった?」
お兄ちゃんが追及する。
「クロエをお茶に誘った時の、あの恐ろしい笑顔は」
「まるで、獲物を見つけた狩人みたいな顔だったじゃん」
わたしは、もう言い逃れできませんでした。
お兄ちゃんには、すべてバレていました。
「お兄ちゃん」
わたしが小さな声で言う。
「で…でも、わたしは」
「タクヤが好きだからって、人を殺していい理由にはならないじゃん」
お兄ちゃんがわたしを諭してくる。
「それは愛じゃない、ただの狂気じゃん」
「狂気?」
わたしが反発する。
「わたしの愛が狂気かなって?」
「そうじゃん」
お兄ちゃんがはっきりと言う。
「愛する人のために他人を殺そうなんて考えるのは、狂気以外の何物でもないじゃん」
「でも」
わたしが反論しようとする。
「わたしはタクヤを救ったかな」
「それなのに、わたしの気持ちに応えてくれないかな」
「わたしがあの女を殺したって、誰も困らないかな」
「むしろ、タクヤはわたしだけを見てくれるようになって幸せになるかな」
「お前の頭は完全におかしくなってるじゃん」
お兄ちゃんが怒鳴る。
「人を救ったからって、その人の愛を要求する権利はないじゃん」
「ましてや、邪魔者を殺す権利なんてあるはずがないじゃん」
「愛は、血で奪うものじゃないじゃん」
お兄ちゃんの言葉が、わたしの心に突き刺さった。でも、わたしの中の黒い感情は収まらない。
確かに、そうかもしれない。でも、わたしの気持ちはどうすればいいの?
この溢れるような愛情は、どこに向ければいいの?
「わたしだって、タクヤを愛してるかな」
わたしが涙を流しながら言う。
「友達以上に、人生をかけて愛してるかな」
「タクヤなしでは生きていけないくらいに」
「それなのに、報われないかな」
「つらい、つらすぎるかな」
「だったら、邪魔者を消すのは当然じゃないかな?」
「リリー」
お兄ちゃんがわたしの肩を掴む。
「お前は本当におかしくなってるじゃん」
「もしお前がクロエを殺したら、タクヤはどう思う?」
「きっと、お前を心の底から憎むと思うじゃん」
「それでもいいじゃんか?」
わたしは、ハッとした。
確かに、その通りだった。もしわたしがクロエを殺したら、タクヤはわたしを嫌いになってしまうかもしれない。
それは、わたしが一番避けたいことだ。
でも、でも。
「それなら、バレないように殺せばいいかな」
わたしが呟く。
「事故に見せかけて、自殺に見せかけて」
「リリー!」
お兄ちゃんがわたしを強く揺さぶる。
「目を覚ますじゃん!」
その時、わたしは我に帰った。
わたしは今、何を言っていたの?
人を殺すことを、まるで当然のことのように。
「お兄ちゃん」
わたしが泣きながら言う。
「わたし、どうすればいいのかな?」
「この気持ち、どうすればいいのかな?」
「タクヤを愛しすぎて、おかしくなりそう」
お兄ちゃんがわたしの頭を優しく撫でてくれる。
「時間をかけて、ゆっくり考えるじゃん」
「今すぐ答えを出す必要はないじゃん」
「でも、人を殺すのだけは絶対にダメじゃん」
「約束するじゃん」
わたしは、お兄ちゃんの言葉で少し落ち着いた。確かに、わたしは間違った考えを持っていた。
でも、タクヤへの気持ちは抑えることができない。
この想いは、どんどん大きくなって、わたしを飲み込んでしまいそうだ。
「お兄ちゃん」
わたしが思い切って言う。
「確約だけでも欲しいかな」
「確約?」
お兄ちゃんが首を傾げる。
「この世界では、14歳で成人かな?」
わたしが説明する。
「あと6年後に、わたしと結婚してって約束してもらいたいかな」
「そうしないと、わたしは本当に壊れてしまうかな」
「クロエを殺してしまうかもしれないかな」
「リリー」
お兄ちゃんが困った顔をする。
「それも、タクヤに強制することになるじゃん」
「でも、これだけは譲れないかな」
わたしが頑固に言う。
「わたしには、希望が必要かな」
「タクヤと結婚できるかもしれないという希望が」
「じゃないと、わたしは本当におかしくなってしまうかな」
「もう自分をコントロールできないかな」
わたしの心の底からの叫びに、お兄ちゃんも困ってしまっていた。でも、わたしには本当に希望が必要だ。
タクヤへの愛情が大きすぎて、このままでは本当に人を殺してしまいそうだった。
「分かったじゃん」
お兄ちゃんがため息をつく。
「でも、約束は約束でも、タクヤの気持ちを尊重することが条件じゃん」
「もしタクヤが嫌だと言ったら、諦めるじゃん」
「分かったかな」
わたしが頷く。とりあえず、それで十分。
タクヤに結婚の約束をしてもらえれば、わたしは希望を持って待つことができる。
わたしたちはタクヤとクロエちゃんを部屋に呼び戻した。
「タクヤ」
わたしが真剣な表情で言った。
「お願いがあるかな」
「お願い?」
タクヤが首を傾げる。
「何だ?」
「6年後、わたしが14歳になったら」
わたしがはっきりと言った。
「わたしと結婚してくれるかな?」
部屋が静まり返った。タクヤもクロエちゃんも、わたしの突然の提案に驚いている。
「リリー」
タクヤが困った顔をします。
「それは」
「お願い」
わたしが手を合わせて頼みます。
「確約が欲しいかな」
「もし6年後、あなたの気持ちが変わっていたら、その時は諦めるかな」
「でも、今は希望が欲しいかな」
「あなたと結婚できるかもしれないという希望が」
「それがないと、わたしは」
わたしが涙を流す。
「本当におかしくなってしまうかな」
タクヤが長い間考えた。そして、ゆっくりと口を開いてくれた。
「分かった」
タクヤが答えた。
「6年後、俺の気持ちが変わっていなければ」
「君と結婚しよう」
「本当かな?」
わたしが飛び上がって喜ぶ。
「約束かな?」
「約束だ」
タクヤが微笑んでくれた。
わたしは、とても嬉しくなった。6年後、わたしはタクヤの妻になれるかもしれない。もちろん、タクヤの気持ち次第だが。
でも、希望がある。可能性がある。
それだけで、わたしは頑張って生きていける。人を殺さずに生きていける。
「ありがとうかな、タクヤ」
わたしが感謝を込めて言う。
「わたし、6年間頑張って待つかな」
「そして、あなたにふさわしい女性になるかな」
わたしは心に誓った。
これから6年間、わたしは成長する。タクヤに愛されるような、素晴らしい女性になる。
そして、6年後には必ずタクヤの妻になってみせる。クロエちゃんに負けない、素敵な奥さんになるんだ。
でも、わたしの心の奥底では、まだ黒い感情がくすぶっていた。
もし6年後、タクヤがわたしを選んでくれなかったら。
その時は、きっと本当におかしくなってしまうだろう。
わたしには、もう希望がある。未来がある。タクヤとの幸せな結婚生活という、美しい夢がある。
でも、その夢が叶わなかった時のことを考えると、わたしの心は再び暗闇に染まりそうになる。
タクヤがわたしの手を握ってくれる。その温かさを感じながら、わたしは幸せな気持ちでいっぱいになった。
きっと、素晴らしい未来が待ってる。タクヤと一緒の、愛に満ちた未来が
そして、もしそれが叶わなかった時は。
わたしは、もう何をするか分からない。




