第八十九話「魔神の脅威」
翌日の授業後、俺は談話室でレオナルドやヴァルと雑談していた。
今日は造形魔法の授業が特に充実していて、新しい技術を学ぶことができた。
レオナルドも俺の指導を受けながら、着実に上達している。
「師匠、今日の授業の複合造形、本当に勉強になりました」
レオナルドが感謝を込めて言う。
「僕も、もっと精密な表現ができるようになりたいです」
「継続が大事だ」
俺が答える。
「君なら、きっと素晴らしい作品を作れるようになる」
「余も、造形魔法に興味があるよ」
ヴァルが無邪気に言う。
「でも、魔族の魔法とは少し違うから、難しいの」
そんな穏やかな会話をしていた時、クロウが談話室に入ってきた。
いつものように無表情だが、何となく様子が違う。
普段よりも緊迫した雰囲気を感じる。
いや、違う。
クロウの瞳の奥に、俺は初めて見る感情を見た。
恐怖だ。
予言者であるクロウが、何かを恐れている。
「…タクヤ」
クロウが俺の名前を呼ぶ。その声が、わずかに震えていた。
「…話がある」
「話?」
俺が首を傾げる。
「どんな話だ?」
「…重要な話」
クロウが短く答える。
「…いや、重要なんて言葉では足りない。これは…」
クロウが言葉を詰まらせる。
予言者が言葉に詰まるなんて、今まで一度もなかった。
「…二人だけで」
レオナルドとヴァルが気を利かせて席を立とうとする。
「いや、待ってくれ」
俺が制止する。
「君たちにも関係のある話かもしれない」
「…いいのか?」
クロウが確認する。
「ああ、構わない」
俺が答える。
クロウが少し考えてから、重々しく口を開いた。
「…天啓を受けた」
「天啓?」
俺が聞き返す。
クロウの天啓は、これまでにも何度か的中している。
古代竜襲来の時も、彼の警告がなければ俺たちは危険だった。
だが、その時でさえ、クロウはここまで動揺していなかった。
「…このままでは、タクヤはドーナツになる」
クロウがぽつりと言った。
「ドーナツ?」
俺が困惑する。
「それって、何のことだ?」
その時、レオナルドが顔を青くした。
「師匠、それって死ぬってことじゃないですか?」
「えっ?」
俺が驚く。
「どういう意味だ?」
「ドーナツには、穴が開いてますよね」
レオナルドが説明する。
「つまり、体に大きな穴が開くということでは」
俺は、ようやく理解した。
ドーナツ状態になる。
それは、体に致命的な穴が開くということだ。
要するに、死ぬということ。
背筋が凍った。
「やばいじゃん」
俺が呻く。
「それは確実に死ぬパターンだ」
「…ああ」
クロウが頷く。
「…俺の天啓は、これまで一度も外れたことがない」
「…古代竜の襲来も、魔王軍の動きも、すべて的中した」
「…そして今回も」
クロウが俺を見つめる。その目には、深い絶望が宿っていた。
「…今回も、確実に当たる」
「…タクヤ、お前は死ぬ」
その言葉の重みが、談話室の空気を凍りつかせた。
クロウの天啓が外れたことは、一度もない。
つまり、これは確定した未来だということか。
俺の死が、もう決まっているということか。
その時、談話室の入り口からリリーとルーシーが入ってきた。
俺たちの深刻な表情に気づいて、心配そうに近づいてくる。
「どうしたかな?」
リリーが聞く。
「何か深刻そうな話してるかな」
「実は」
俺が説明しようとした時、リリーがクロウの言葉の意味を理解したようだった。
「…え」
リリーの顔から、血の気が引いた。
「タクヤが…死ぬ?」
その言葉を口にした瞬間、リリーの体が震え始めた。
「やだかな」
リリーが小さく呟く。
「やだやだやだ」
「死なないで欲しいかな」
リリーが突然俺に抱きついてくる。
その力は、いつもより遥かに強かった。
まるで、俺が今にも消えてしまうのを恐れているかのように。
「愛してるかな」
「大好きかな」
「一緒にいたいかな」
リリーが俺にしがみつきながら、何度も何度も繰り返す。
「リリー」
俺が困惑する。
彼女の力は相変わらず強いが、今回は感情的になっているせいか、さらに力が入っている。
「肋骨が」
俺が呻く。
「ちょっと力を」
「タクヤを失いたくないかな」
リリーが涙目になっている。
「わたしの大切な人」
「タクヤがいないと、わたしは生きていけないかな」
リリーの声が、震えている。
まるで、世界が終わるかのような絶望を感じているようだった。
「リリー、落ち着くじゃん」
ルーシーが妹を慰めようとする。
「まだ確定したわけじゃないじゃん」
「…いや、確定している」
クロウが冷酷なまでに正確に言った。
「…俺の天啓は、絶対だ」
「…これは、避けられない未来」
その言葉に、リリーの震えがさらに激しくなった。
「やだ…やだかな…」
リリーが俺の胸に顔を埋める。
「タクヤがいなくなるなんて、考えられないかな」
「タクヤはわたしの光かな」
「タクヤがいなくなったら、わたしの世界は真っ暗になるかな」
俺は、リリーがここまで俺に依存していることに、初めて気づいた。
彼女にとって、俺は単なる友人ではない。
俺は、彼女の心の支えそのものだったのだ。
「対策を考えればいいじゃん」
ルーシーの冷静さが、この場を少し落ち着かせようとする。
だが、その声にも不安が滲んでいた。
「そうだ」
俺がリリーから離れようとするが、リリーは離してくれない。
「リリー、少し離れて」
「やだかな」
リリーが頑なに拒否する。
「タクヤから離れたくないかな」
「離れたら、本当にタクヤがいなくなっちゃう気がするかな」
リリーの依存心が、恐怖によってさらに増幅されている。
俺は、なんとかリリーを落ち着かせなければならないと思った。
「大丈夫だ、リリー」
俺がリリーの頭を撫でる。
「俺は、簡単には死なない」
「必ず、対策を見つけ出す」
「…本当かな?」
リリーが不安そうに俺を見上げる。
「本当に、死なないかな?」
「約束する」
俺が力強く答える。
「リリーを悲しませるようなことは、絶対にしない」
その言葉に、リリーは少しだけ落ち着いた。
でも、まだ俺から離れようとしない。
まるで、俺が幻のように消えてしまうのを恐れているかのようだった。
俺は、リリーを抱きしめたまま、クロウに向き直る。
「なぜそうなるんだ?」
「原因は何だ?」
「…魔神が来る」
クロウが短く答えた。
「魔神?」
ヴァルが興味深そうに聞く。
「どんな魔神?」
レオナルドが、誇らしげに説明を始めた。
「魔神というのは、あり得ないほどの力を持った人につけられる称号のようなものです」
「現在魔神と呼ばれているのは、人族が2人、魔族が3人、天使族が1人です」
「計6人だけの、極めて希少な存在です」
「天使族?」
俺が驚く。
「そんな種族もいるのか?」
「はい」
レオナルドが頷く。
「天使族は、非常に稀少な種族です」
「美しい翼を持ち、強力な光魔法を使います」
「でも、滅多に人前に現れません」
「…白い羽が生えていた」
クロウが補足する。
「…天使族の魔神だと思う」
「…そして」
クロウが続ける。
「…その魔神は、タクヤを殺すためだけに来る」
「…他の誰でもない、タクヤだけを狙って」
俺は、状況の深刻さを理解した。
魔神クラスの相手が、俺だけを狙っている。
しかも、天使族という未知の種族だ。
これは、今まで経験したことのないレベルの脅威だった。
「いつ来るんだ?」
俺がクロウに聞く。
「…分からない」
クロウが答える。
「…でも、近いうちに」
「数日から数週間のうちだと思う」
「…いや、もっと早いかもしれない」
クロウの声に、切迫感が増す。
「…天啓の映像が、どんどん鮮明になってきている」
「…つまり、その時が近づいているということだ」
俺は、背筋が凍る思いがした。
死の予言が、刻一刻と現実に近づいている。
「逃げるという選択肢は?」
俺が聞く。
「…無駄」
クロウがきっぱりと答える。
「…魔神の力なら、どこにでも追いかけてくる」
「…大陸の果てまで逃げても、海を渡っても、地の底に潜っても」
「…必ず見つけ出され、殺される」
「…それが魔神だ」
クロウの言葉が、絶望的な現実を突きつける。
逃げることはできない。
隠れることもできない。
戦うしかない。
でも、相手は魔神だ。
勝てるわけがない。
「じゃあ、どうすればいいんだ」
俺が頭を抱える。
魔神と戦うなんて、無謀すぎる。
でも、逃げることもできない。
八方塞がりの状況だった。
「やだやだやだ」
リリーが再び俺にしがみつく。
「タクヤを取られたくないかな」
「タクヤはわたしのものかな」
「誰にも渡さないかな」
リリーの声が、必死さで震えている。
まるで、俺を守ろうと必死になっているかのようだった。
「師匠」
レオナルドが真剣な表情で言う。
「僕たちも協力します」
「一人で戦う必要はありません」
「でも、君たちを巻き込むわけには」
俺が反対する。
「相手は魔神だ」
「君たちまで危険に」
「…巻き込まれる」
クロウが冷徹に言った。
「…魔神が来れば、周囲の者も巻き込まれる」
「…逃げることはできない」
「…これは、タクヤだけの問題ではない」
「…俺たち全員の問題だ」
その言葉に、全員が固まった。
つまり、俺だけでなく、仲間たちも危険だということか。
「余も手伝うよ」
ヴァルが単純に言う。
「タクヤは友達だから、助けたい」
「それに、余は魔王の息子だから、強いよ」
「わたしたちも一緒に戦うかな」
リリーが決意を込めて言う。
「タクヤを守りたいかな」
「タクヤのためなら、私は何でもするかな」
「俺たちはチームじゃん」
ルーシーも賛同する。
「一人だけの問題じゃないじゃん」
俺は、仲間たちの支援を嬉しく思った。
でも、同時に心配でもあった。
魔神相手では、みんなも危険にさらされる。
「ありがとう、みんな」
俺が感謝を込めて言う。
「でも、魔神は別格だ」
「君たちまで危険にさらすわけには」
「…一つだけ方法がある」
クロウが突然言った。
「方法?」
俺が身を乗り出す。
「どんな方法だ?」
「…魔神を上回る力を得る」
クロウが答える。
「…または、魔神級の仲間を得る」
「…それ以外に、勝つ方法はない」
クロウの言葉が、絶望的な現実を突きつける。
魔神を上回る力。
そんなもの、どうやって手に入れるというのか。
「魔神級の仲間?」
俺が考える。
そんな存在に心当たりがあるだろうか。
魔王軍の幹部たちは強かったが、魔神クラスではない。
エリカやルナも強いが、やはり魔神には及ばないだろう。
「…他にも方法がある」
クロウが続ける。
「…相手の弱点を突く」
「弱点?」
俺が興味を示す。
「魔神にも弱点があるのか?」
「…すべての存在には弱点がある」
クロウが哲学的に言う。
「…問題は、それを見つけることだ」
「…そして、それを見つける前に殺されないことだ」
俺は、希望の光を見出した気がした。
確かに、どんなに強い存在でも、完璧ではないはずだ。
必ず、何らかの弱点があるはずだ。
問題は、それを戦闘中に見つけることができるかどうかだ。
「情報収集が必要だな」
俺が言う。
「その天使族の魔神について、できる限り調べよう」
「僕が図書館で調べてきます」
レオナルドが申し出る。
「天使族の文献を探してみます」
「魔神に関する記録も、徹底的に探します」
「余も、魔族の知識で協力するよ」
ヴァルが言う。
「魔神について、父上から聞いた話があるかもしれない」
「わたしたちも何かできることを探すかな」
リリーが言う。
でも、まだ俺から離れようとしない。
まるで、俺が視界から消えることを恐れているかのようだった。
「…俺も、天啓でさらに詳しいことが分かるかもしれない」
クロウが付け加える。
「…だが」
クロウが俺を見つめる。
「…覚悟しておけ」
「…俺の天啓が外れることは、ない」
「…お前は、死ぬ」
その言葉が、再び絶望を突きつける。
クロウの天啓は絶対だ。
つまり、どんなに足掻いても、俺は死ぬということか。
「…でも」
クロウが続ける。
「…未来は、わずかに揺らいでいる」
「…まるで、何かが介入しようとしているかのように」
「…もしかしたら」
クロウが初めて、希望めいたことを口にした。
「…奇跡が起きるかもしれない」
俺は、仲間たちの協力に感謝した。
一人では絶望的な状況だが、みんなで力を合わせれば、何かしら道が見えるかもしれない。
「ありがとう、みんな」
俺が改めて感謝する。
「君たちがいてくれて、本当に良かった」
「当然だよ」
ヴァルが無邪気に言う。
「友達を助けるのは、当たり前」
「そうですよね」
レオナルドも同意する。
「僕たちは、師匠の弟子であり、友達です」
「絶対に見捨てたりしません」
「一緒に戦います」
「タクヤはわたしのものかな」
リリーが俺の胸に顔を埋めたまま呟く。
「だから、誰にも渡さないかな」
「魔神にも、死にも、渡さないかな」
リリーの声には、強い決意が込められていた。
まるで、世界全体を敵に回してでも、俺を守ろうとしているかのようだった。
俺は、この仲間たちと出会えたことを、心から感謝した。
一人だったら、絶望しかない状況だ。
でも、彼らがいてくれるから、希望を持つことができる。
リリーが、俺にここまで依存してくれている。
レオナルドが、命を懸けてでも守ろうとしてくれている。
ヴァルが、無邪気に「当然」と言ってくれる。
ルーシーが、冷静に状況を分析してくれている。
クロウが、絶望的な予言をしながらも、わずかな希望を示してくれている。
これが、絆というものなのかもしれない。
「よし」
俺が決意を込めて言う。
「天使族の魔神について、徹底的に調べよう」
「そして、必ず対策を見つけ出す」
「死ぬわけにはいかない」
俺には、守るべき家族がいる。
エリカ、ルナ、クロエ、そして生まれてくる子供たち。
仲間たちもいる。
そして、俺に依存してくれているリリーがいる。
彼らのためにも、俺は生き抜かなければならない。
魔神相手でも、諦めるわけにはいかない。
必ず、勝利の道を見つけ出してみせる。
◇ ◇ ◇
その夜、俺は一人で部屋にいた。
いや、一人ではなかった。
リリーが、俺の部屋にいた。
彼女は、俺から離れようとしなかった。
談話室での会話の後も、ずっと俺にくっついていた。
「リリー」
俺が言う。
「君の部屋に戻らなくていいのか?」
「やだかな」
リリーが即座に答える。
「タクヤと一緒にいたいかな」
「タクヤから離れたくないかな」
リリーが俺の腕にしがみつく。
「もし、夜中に魔神が来たら」
「タクヤと一緒にいなかったら」
「わたし、後悔するかな」
リリーの声が震えている。
「だから、一緒にいさせてかな」
俺は、リリーの不安を理解した。
彼女は、俺が突然いなくなることを、心底恐れている。
「分かった」
俺がリリーを抱きしめる。
「一緒にいよう」
「ありがとうかな」
リリーが安心したように呟く。
「タクヤ、大好きかな」
今日のクロウの予言について、深く考えていた。
体に大きな穴が開いて死ぬ。
それが、俺の運命だというのか。
でも、俺は運命なんて信じない。
未来は、自分の手で変えることができるはずだ。
これまでも、数々の困難を乗り越えてきた。
雪菜との戦い、魔王軍幹部との遭遇、様々な試練。
すべて、仲間たちと一緒に乗り越えてきた。
今回も、きっと大丈夫だ。
そんなことを考えていると、扉がノックされた。
「タクヤくん」
クロエの声だった。
「実家から戻りました」
「入って」
俺が答える。
クロエが部屋に入ってきた。
そして、リリーが俺にしがみついているのを見て、少し驚いた様子だった。
「あら」
クロエが微笑む。
「リリーさんも一緒なんですね」
「うん」
リリーが答える。
「タクヤと一緒にいたいかな」
クロエは何となく俺の様子がおかしいことに気づいたようだった。
「どうされたんですか?」
クロエが心配そうに聞く。
「何か悩み事でも」
俺は、クロエにも事情を説明することにした。
彼女も、俺の妻の一人だ。
この危機について、知る権利がある。
「実は」
俺がクロウの予言について説明する。
天使族の魔神が俺を狙っていること、体に穴を開けられて死ぬ可能性があること。
クロウの天啓が一度も外れたことがないこと。
「そんな」
クロエが顔を青くする。
「タクヤくんが危険だなんて」
「しかも、クロウさんの天啓が絶対だなんて」
クロエの声が震える。
「それって、確定した未来ということですよね」
「ああ」
俺が頷く。
「でも、諦めるわけにはいかない」
「大丈夫だ」
俺がクロエを安心させようとする。
「みんなで対策を考えてる」
「必ず、解決方法を見つけ出す」
「ボクも手伝います」
クロエが決意を込めて言う。
「タクヤくんのためなら、何でもします」
「ボク、グレイストーン家の魔法も使えますし」
「絶対に、タクヤさんを守ります」
「ありがとう、クロエ」
俺がクロエの手を取る。
「君がいてくれて、心強い」
クロエが俺の手を握り返してくれる。
その温かさに、俺は少し心が落ち着いた。
愛する人たちがいる。
守るべき家族がいる。
そして、俺に依存してくれているリリーがいる。
だから、俺は負けるわけにはいかない。
魔神が相手でも、必ず勝利の道を見つけてみせる。
「タクヤ」
リリーが俺を見上げる。
「絶対に死なないでかな」
「約束してかな」
「約束する」
俺が力強く答える。
「必ず、生きて延びてやる」
「リリーを、悲しませたりしない」
リリーが安心したように微笑む。
でも、その目には、まだ不安が残っていた。
まるで、俺がいつ消えてしまうか分からないと、恐れているかのようだった。
俺は、そう心に誓った。
明日から、本格的な情報収集と対策立案を始めよう。
仲間たちと一緒に、この危機を乗り越えてみせる。
リリーの不安を、払拭してみせる。
クロウの予言を、覆してみせる。
俺の物語は、まだ終わらない。
絶対に、終わらせない。




