第八十八話「恋愛経験ゼロ」
エルフの村での素晴らしい時間が終わり、俺とクロエは魔法大学に戻ってきた。
三人の妻による初めての女子会、そして心のこもったサプライズ。
俺の心は温かい気持ちでいっぱいだった。
家族が一つになったという実感が、強く胸に残っている。
「タクヤくん、ボクは一度実家に帰らせていただきます」
クロエが申し出る。
「お母さんに、家族のことを報告したくて」
「もちろんだ」
俺が答える。
「家族になったこと、お母さんにも知らせてあげてくれ」
「はい」
クロエが嬉しそうに微笑む。
「お母さんも、きっと喜んでくれると思います」
クロエが実家に向かった後、俺は一人で魔法大学の中庭に向かった。
久しぶりに一人になって、今日の出来事を振り返りたかった。
中庭のベンチに座って、空を見上げる。
雲が穏やかに流れている。
平和な午後の時間だった。
エリカ、ルナ、クロエ。
三人とも、それぞれ違う魅力を持った素晴らしい女性だ。
俺は本当に幸せ者だと思う。
でも、同時に責任も感じている。
三人を幸せにする責任。
生まれてくる子供たちを守る責任。
俺は、もっと強くならなければならない。
「タクヤ」
突然、声をかけられた。
振り返ると、アリシアが立っていた。
16歳の天才少女、魔法理論のエキスパート。
いつものように上品な笑顔を浮かべているが、何となく興奮しているようにも見える。
その瞳が、まるで新しい魔法理論を発見した時のように輝いている。
「アリシア、どうした?」
俺が聞く。
「何か用事か?」
「はい」
アリシアが目を輝かせる。
その表情は、まるで子供が新しいおもちゃを見つけた時のようだ。
天才と呼ばれる彼女だが、こういう時は年相応の少女に見える。
「実は、タクヤにお願いがあるんです」
「お願い?」
俺が首を傾げる。
「どんなことだ?」
「魔法バトルをしてください」
アリシアがはっきりと言った。
その声には、抑えきれない期待が込められている。
俺の顔が、この世の終わりのような表情になった。
「魔法バトル?」
俺が呻くような声を出す。
「アリシア、それは」
「私、ずっと考えていたんです」
アリシアが興奮気味に続ける。
「タクヤの造形魔法は、理論的に非常に興味深い」
「あの複雑な構造体を瞬時に構築する魔力制御」
「魔力循環の効率性」
「そして、実戦での応用可能性」
アリシアの瞳が、さらに輝きを増す。
完全に、研究者のモードに入っている。
「私の理論と、タクヤの実践」
「それをぶつけ合ったら、どんな結果になるのか」
「ぜひ、検証してみたいんです」
「ダメですか?」
アリシアが少し不安そうになる。
「私、ずっとやってみたかったんです」
「タクヤと本気で戦ってみたくて」
「魔法理論の実証実験として、これ以上の機会はないと思うんです」
俺は頭を抱えた。
アリシアの魔力は、Sクラス相当だ。
初級水魔法で部屋を水没させるレベルの圧倒的な力を持っている。
魔法理論に関する知識は、教授陣をも凌駕するほど。
一方、俺の魔力はCクラス程度。
造形魔法以外は、大したことができない。
もしアリシアと本気で戦ったら、俺は物理的に粉々になってしまうだろう。
文字通り、分子レベルで分解されてしまうかもしれない。
「アリシア、俺は君と戦えるような実力じゃない」
俺が必死に説得する。
「君の魔力は俺の何十倍もある」
「戦ったら、俺が死んでしまう」
「大丈夫です」
アリシアが無邪気に言う。
その表情は、本当に純粋で、危険性を全く理解していないようだった。
「手加減しますから」
「魔力出力を通常の10%に制限して」
「攻撃範囲も限定的にして」
「致命的な部位は狙わないように計算済みです」
「手加減って」
俺が冷や汗をかく。
「君の10%でも、俺には致命的だと思う」
「それに、戦闘中に完璧な出力制御なんて、理論通りにいくわけが」
「そんなことありません」
アリシアが自信満々に言う。
天才としてのプライドが、その言葉に表れている。
「私、魔力制御の理論は完璧に理解していますから」
「計算上、タクヤが致命傷を負う確率は0.3%以下です」
「0.3%もあるのか」
俺が思わず突っ込む。
「それは十分危険だろ」
「でも、99.7%は安全です」
アリシアが屈託なく言う。
確かに、アリシアは天才だ。
魔力制御も、理論的には完璧にできるはずだ。
でも、実際に戦闘で手加減するのは、理論とは違う。
一瞬でも気を抜いたら、俺は消し炭になってしまう。
いや、消し炭も残らないかもしれない。
「やりたいです、やりたいです」
アリシアがしつこく言う。
その様子は、まるで欲しいものをねだる子供のようだ。
でも、そのねだっているものが「魔法バトル」というのが恐ろしい。
「お願いします、タクヤ」
「私、タクヤの造形魔法を間近で観察したいんです」
「魔力の流れ、構造体の形成過程、全てをデータとして記録したいんです」
「でも」
俺が困り果てていると、突然後ろから誰かが抱きついてきた。
「ぎゅー」
聞き覚えのある声。
そして、尋常じゃない力。
リリーだった。
いつものように、後ろから俺を抱きしめている。
でも、その力が、尋常じゃない。
「ぐえっ」
俺が変な声を上げる。
肋骨が、軋む音がした。
呼吸が、できない。
視界が、暗くなってくる。
「リ、リリー」
俺が必死に声を絞り出す。
「ちょ、苦しい、死ぬ」
「あ、ごめんなさいかな」
リリーが慌てて少し力を緩める。
でも、完全には離してくれない。
まだ、抱きしめられたままだ。
俺は大きく息を吸い込んだ。
生き返った気がする。
でも、まだリリーの腕の中だ。
彼女の愛情は、文字通り命に関わるレベルだった。
「リリー、もう少し力を」
俺が言いかける前に、リリーがさらに抱きしめる力を強めた。
「タクヤ、大好きかな」
リリーが幸せそうに言う。
でも、俺にとっては拷問だった。
「ぐ、ぐぅ」
俺がうめく。
内臓が、圧迫されている。
骨が、折れそうだ。
これは、愛情という名の暴力だ。
悪意はない。
純粋な愛情だ。
でも、結果的に俺は苦しんでいる。
「リリー、本当に、死ぬ」
俺が必死に訴える。
「え、そうかな?」
リリーがようやく気づいて、力を緩めてくれた。
でも、まだ抱きついたままだ。
俺は荒い息をする。
命拾いした。
リリーの愛情は、本当に危険だ。
彼女に悪気はない。
ただ、愛情表現が激しすぎるだけだ。
でも、受ける側としては、命がいくつあっても足りない。
その時、アリシアの反応が異常だった。
「あわわわわわ」
アリシアが激しく動揺している。
顔が真っ赤になって、両手で口を覆っている。
目は見開かれて、完全にパニック状態だ。
「な、な、何ですか、これは」
アリシアが震える声で言う。
「お、女の子が、男の人に、後ろから」
「あんなに密着して」
「え?」
俺が困惑する。
まだリリーに抱きしめられたままだが。
「リリーが抱きついてるだけだが」
「そ、そんな」
アリシアがさらに顔を赤くする。
その赤さは、もはや異常なレベルだった。
耳まで真っ赤になっている。
「いけません、そんなことしたら」
「身体が触れ合って」
「その、胸とか、お尻とか」
アリシアが小さな声でぶつぶつ言っている。
何やら、自分の世界に入り込んでいるようだ。
「えっちなのは悪いことですよ」
アリシアが突然叫んだ。
「えっち?」
俺がさらに困惑する。
「別にえっちなことなんて」
「嘘です」
アリシアが涙目になる。
「だって、あんなに密着して」
「タクヤの背中に、リリーさんの身体が」
「それって、その」
アリシアが言葉を失う。
そして、顔を両手で覆った。
「本に書いてありました」
アリシアが震える声で続ける。
「男女が身体を密着させるのは、特別な関係の人だけだって」
「それを人前でするのは、はしたないって」
「えっちで、変態だって」
「え、そうなの?」
俺が驚く。
リリーの抱擁は、確かに密着度が高い。
でも、それは彼女の愛情表現であって、そういう意味じゃないと思うのだが。
「えっち、変態」
アリシアが再度叫ぶ。
「私、見てはいけないものを見てしまいました」
「本に書いてありました」
「こういう時は、その場を離れるべきだって」
「待って、アリシア」
俺が呼び止めようとするが。
「すみません、すみません」
アリシアが謝りながら駆け去ってしまった。
その背中は、完全にパニック状態だった。
俺は、その場に残されてぽかんとしていた。
「あれ?」
リリーも困惑している。
ようやく俺から離れてくれた。
「アリシア、どうしたのかな?」
「さあ」
俺が首を振る。
呼吸が、やっと楽になった。
リリーから解放されて、生き返った気分だ。
「よく分からない」
「でも、アリシア、すごく動揺してたかな」
リリーが不思議そうに言う。
「あんなに顔を赤くして」
リリーが少し考え込んでから、ぱっと顔を明るくした。
「もしかして、タクヤを助けたのかな?」
「助けた?」
「魔法バトルから逃がしてあげたのかな」
リリーが得意げに言う。
「わたしの愛情で、アリシアちゃんを追い払ったかな」
「タクヤ、私すごいかな?」
確かに、結果的にはそうなった。
アリシアの魔法バトルの提案から、俺は逃れることができた。
命の危険から救われたのだ。
でも、その過程で俺の肋骨は危うく折れるところだったが。
「リリー、ありがとう」
俺が心から感謝する。
肋骨の痛みを我慢しながら。
「君のおかげで助かった」
「えへへ」
リリーが嬉しそうに笑う。
「役に立てて良かったかな」
「タクヤの役に立つの、嬉しいかな」
俺は、リリーへの感謝の気持ちを表したくて、今度は俺の方から彼女を抱きしめた。
もちろん、彼女の怪力ほどは強くない、優しい抱擁だ。
命に関わらないレベルの、普通の抱擁だ。
「リリー、本当にありがとう」
俺がリリーの頭を撫でる。
「君がいてくれて良かった」
「嬉しいかな」
リリーが俺の胸に顔を埋める。
「もっとしたいかな」
「タクヤの温かさが気持ちいいかな」
でも、リリーがまた力を込めてきた。
「ちょっと、リリー、また力が」
俺が慌てる。
「あ、ごめんなさいかな」
リリーが力を緩める。
彼女の愛情表現は、本当に命がけだ。
リリーの満足そうな表情を見て、俺も自然と笑顔になった。
確かに、彼女の愛情表現は時として命に関わるほど激しい。
でも、その純粋な気持ちは嬉しいものだ。
そして、今回は結果的に俺の命を救ってくれた。
肋骨の痛みは、小さな代償だと思うべきだろう。
「でも」
俺がふと思い出す。
「アリシアはどうして、あんなに動揺したんだろう?」
「恋愛経験がないのかな?」
リリーが分析する。
「アリシアちゃん、天才だけど、そういうことは知らないのかも」
「本でしか知識がないのかな」
「そうか」
俺が納得する。
確かに、アリシアは16歳だが、勉強ばかりしていて恋愛には無縁そうだ。
魔法理論には精通しているが、男女の関係については完全に無知なのかもしれない。
俺とリリーの親密な様子を見て、過剰に反応してしまったのだろう。
本で読んだ知識だけで判断して、パニックになってしまった。
「ちょっと可哀想だったかな」
リリーが反省する。
「でも、タクヤを助けたかったから」
「アリシア、本当に戦う気だったし」
「気にしなくていい」
俺がリリーを慰める。
「アリシアも、いつか理解してくれる」
「それに、魔法バトルから救ってくれたのは事実だ」
俺たちは、しばらくそのまま抱き合っていた。
もちろん、リリーが力を加減してくれている範囲で。
中庭の穏やかな空気の中で、静かな時間を過ごす。
リリーの温かさを感じながら、俺は今日という日を振り返っていた。
家族との絆、仲間との友情。
俺の周りには、本当にたくさんの愛情がある。
それを大切にしながら、俺は成長していきたい。
リリーのように純粋な愛情を注いでくれる人たちのために。
たとえその愛情が、時として命に関わるレベルでも。
「タクヤ」
リリーが俺を見上げる。
「わたし、タクヤのこと大好きかな」
「本当に、本当に大好きかな」
「俺も、リリーのことが大切だ」
俺が答える。
「友達として」
「友達として」
リリーが頷く。
でも、その目には、もしかしたら友情以上の感情があるのかもしれない。
俺は、それをどう受け止めるべきか、まだ分からない。
でも、今はこの穏やかな時間を大切にしたい。
リリーとの友情を、大切に育んでいきたい。
そして、彼女の愛情表現が、もう少し命に優しいレベルになることを祈りたい。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、俺は自分の部屋に戻っていた。
今日の出来事を日記に書き留めながら、様々なことを考えていた。
肋骨がまだ少し痛む。
リリーの「愛の暴力」の後遺症だ。
治癒魔法で治したが、完全には痛みが取れていない。
アリシアの魔法バトルの提案。
あれは、確実に俺の命に関わる話だった。
彼女に悪気はないのだろうが、実力差がありすぎる。
魔法理論の天才であるアリシアにとって、魔法バトルは純粋な研究対象なのだろう。
でも、俺にとっては生死に関わる問題だ。
そして、アリシアの反応。
あの過剰な動揺ぶりは、明らかに恋愛経験がゼロの証拠だった。
本でしか知識がないから、実際の男女の親密な様子を見て、完全にパニックになってしまった。
16歳の天才魔法使いだが、恋愛に関しては完全に無知。
そのギャップが、なんだか可愛らしくも感じた。
いや、でも俺には三人の妻がいる。
アリシアのことを、そういう目で見るべきではない。
彼女は仲間であり、クラスメイトだ。
そして、リリーとの関係。
彼女の愛情表現は、時として危険なレベルだが、その純粋さは尊い。
友達として、お互いを大切にしていきたい。
でも、彼女の気持ちがもし友情を超えたものだとしたら。
俺は、どう応えるべきだろうか。
エリカ、ルナ、クロエという三人の妻がいる今、新しい関係を築くことはできるのだろうか。
難しい問題だった。
でも、今は考えすぎない方がいいかもしれない。
自然な流れに任せて、一日一日を大切に生きていこう。
仲間たちとの絆を深めながら、俺自身も成長していきたい。
そして、次にリリーに抱きしめられる時は、もっと早く「力を緩めて」と言おう。
命あっての物種だ。
そんなことを考えながら、俺はベッドに入った。
明日もまた、新しい一日が始まる。
どんな出来事が待っているか分からないが、今日のような温かい時間を大切にしていきたい。
ただし、命に関わらない範囲で。
俺は、穏やかな気持ちで眠りについた。
家族の愛情と、仲間たちの友情に包まれながら。
そして、肋骨の痛みを感じながら。
◇ ◇ ◇
翌日の朝、俺が教室に入ると、アリシアが既に席についていた。
昨日の件で、気まずい空気になるかと心配していたが、彼女の様子は予想以上に複雑だった。
俺を見ると、顔が一瞬で真っ赤になる。
そして、慌てて視線を逸らす。
本を顔の前に掲げて、隠れようとしている。
でも、その本が逆さまになっていることに、彼女は気づいていない。
「おはよう、アリシア」
俺が普通に挨拶する。
「昨日はごめん」
「ひゃっ」
アリシアが変な声を上げた。
本を落としそうになって、慌てて拾う。
その拍子に、顔がさらに赤くなる。
「お、おはようございます」
アリシアが小さな声で答える。
顔を上げられないようだ。
「昨日は、その」
「私が突然変なことを言って」
「申し訳ありませんでした」
アリシアの声が、どんどん小さくなっていく。
「でも、あの、本に書いてあったので」
「男女が密着するのは、その、特別な関係で」
「私、見てはいけないものを見てしまったと思って」
アリシアが必死に説明しようとするが、言葉が支離滅裂になっている。
完全に、パニック状態だ。
「気にしなくていい」
俺が答える。
「リリーは、ああいう性格だから」
「でも、魔法バトルはやっぱり危険だと思う」
「そ、そうですよね」
アリシアが恥ずかしそうに頷く。
「私、タクヤと戦いたくて」
「魔法理論の実証実験として、最高の機会だと思って」
「でも、昨日のあれを見て」
アリシアが言葉を詰まらせる。
「タクヤくんには、大切な人がいるんだって」
「私が、勝手に戦いを挑むのは」
「その、はしたないことだって」
アリシアの解釈が、完全におかしな方向に行っている。
魔法バトルの提案と、恋愛関係が、彼女の中で混ざってしまっているようだ。
「分かりました」
アリシアが真剣な表情で言う。
「もう少し、私も勉強してからにします」
「男女の関係について」
「本をもっと読んで、正しい知識を身につけてから」
アリシアの言う「勉強」が、完全に方向性を間違えている。
魔法理論ではなく、恋愛の勉強をするつもりらしい。
でも、俺はもう何も言わないことにした。
これ以上説明すると、さらに混乱させてしまいそうだ。
そして、魔法バトルの話が立ち消えになったのは確かだ。
リリーに、改めて感謝しなければならない。
肋骨の痛みも、小さな代償だったと思うべきだろう。
「おはよう、タクヤ」
リリーが教室に入ってきた。
俺を見つけると、嬉しそうに手を振ってくれる。
「おはよう、リリー」
俺も答える。
リリーは俺に近づいてきて、いつものように後ろから抱きついてきた。
俺は咄嗟に身構える。
また肋骨が危ない。
でも、今度は力を加減してくれているようだ。
命に関わるほどではない、適度な強さの抱擁だった。
まだ少し苦しいが、昨日よりはマシだ。
「昨日はありがとう」
俺がリリーに感謝する。
「君のおかげで助かった」
「どういたしましてかな」
リリーが満足そうに答える。
その時、アリシアの反応が激しかった。
「あわわわわ」
アリシアが再び顔を真っ赤にする。
「ま、また」
「人前で、あんなに密着して」
アリシアが本で顔を隠す。
でも、チラチラとこちらを見ている。
その目は、好奇心と恥じらいが混ざった、複雑な表情だった。
「本に書いてありました」
アリシアが小さな声でぶつぶつ言っている。
「こういうのを、いちゃいちゃって言うんだって」
「公共の場でするのは、はしたないって」
「でも、見ちゃダメって分かってるのに」
「目が離せないのは、なぜかしら」
アリシアが自分の世界に入り込んでいる。
俺は、彼女のことがだんだん心配になってきた。
恋愛に関して、彼女はまだ慣れていないのだろう。
というか、完全に無知なのだろう。
16歳の天才魔法使いだが、恋愛に関しては幼稚園児レベルかもしれない。
俺は、アリシアにも配慮しながら、リリーとの友情を育んでいこうと思った。
そして、アリシアがいつか、恋愛について正しい知識を身につけることを祈っている。
本だけじゃなくて、実際の経験から学んでほしい。
でも、それは俺の役目じゃないだろう。
俺には三人の妻がいるのだから。
授業が始まった。
マリア教授が、今日の魔法理論について説明を始める。
でも、俺はアリシアの様子が気になって、授業に集中できなかった。
彼女は、頻繁に俺の方をチラチラと見ている。
そして、目が合うと慌てて視線を逸らす。
顔が赤くなる。
本で顔を隠す。
その繰り返しだった。
完全に、挙動不審だ。
天才魔法使いとしての威厳は、どこに行ってしまったのだろう。
リリーは、俺の隣に座っている。
時々、俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
その度に、アリシアの反応が激しくなる。
「あ、あの」
アリシアが小さな声で呟く。
「腕を絡めるのは、恋人同士がすることだって」
「本に書いてあったのに」
「でも、タクヤは既婚者のはずなのに」
「リリーさんとも、そういう関係なの?」
アリシアが混乱している。
彼女の頭の中では、俺とリリーの関係が理解できないのだろう。
友達としての親密な関係と、恋人や夫婦の関係の区別がついていない。
全部、本で読んだ知識だけで判断しようとしているから、余計に混乱している。
「アリシアさん、大丈夫ですか?」
隣に座っていたレオナルドが心配そうに聞く。
「顔が真っ赤ですよ」
「だ、大丈夫です」
アリシアが慌てて答える。
「ちょっと、暑いだけで」
でも、教室の温度は適温だ。
誰も暑がっていない。
明らかに、アリシアだけが異常な状態だ。
マリア教授も、アリシアの様子に気づいたようだった。
「アリシアさん、体調が悪いなら保健室に行きなさい」
マリア教授が心配そうに言う。
「いえ、大丈夫です」
アリシアが必死に答える。
でも、その顔はまだ真っ赤だ。
授業が続く中、アリシアは何度も深呼吸をしていた。
自分を落ち着かせようとしているようだ。
でも、俺とリリーの方を見る度に、また動揺してしまう。
完全に、悪循環に陥っている。
昼休みになった。
アリシアは、俺たちから離れた場所で一人で弁当を食べている。
時々、こちらをチラチラと見ては、すぐに視線を逸らす。
その様子が、なんだか可哀想に思えた。
「アリシア、変だったかな」
リリーが俺に言う。
「ずっと顔が赤かったかな」
「ああ」
俺が答える。
「多分、昨日のことがショックだったんだろう」
「そんなにショックだったかな?」
リリーが不思議そうに首を傾げる。
「ただ抱きついただけなのかな」
「リリー、君の抱擁は普通じゃないんだ」
俺が説明する。
「それに、アリシアは恋愛経験がないから」
「男女の親密な様子を見て、過剰に反応してしまうんだろう」
「そうかな」
リリーが納得したように頷く。
「じゃあ、アリシアに優しくしてあげないとかな」
「ああ、そうだな」
俺も同意する。
授業が再開した後も、アリシアの様子は変わらなかった。
相変わらず、俺の方をチラチラ見ては、赤くなって視線を逸らす。
完全に、恋愛に対する免疫がゼロの状態だ。
授業が終わり、放課後になった。
俺は、アリシアに声をかけようと思った。
このままでは、彼女が変な方向に勘違いしてしまう。
きちんと説明して、誤解を解いておくべきだろう。
「アリシア」
俺が声をかける。
「少し、話せるか?」
「ひゃっ」
アリシアが飛び上がった。
本を抱えたまま、俺を見る。
その目は、警戒と期待が混ざった複雑な表情だった。
「な、何でしょうか」
アリシアが緊張した声で聞く。
「昨日のことだけど」
俺が説明を始める。
「リリーと俺は、ただの友達だ」
「恋人とか、そういう関係じゃない」
「そ、そうなんですか?」
アリシアが驚く。
「でも、あんなに密着して」
「本には、恋人同士がすることだって」
「リリーは、ああいう性格なんだ」
俺が説明する。
「友達にも、家族にも、みんなに抱きつく」
「愛情表現が、ちょっと激しいだけだ」
「そ、そうだったんですか」
アリシアがほっとしたような表情になる。
でも、すぐにまた混乱した表情になった。
「じゃあ、友達同士でも、あんなに密着していいんですか?」
「本には、特別な関係じゃないとダメって」
「本が全て正しいわけじゃない」
俺が言う。
「人それぞれ、関係の築き方は違うんだ」
「リリーの場合は、ああいう愛情表現が普通なんだ」
「な、なるほど」
アリシアが真剣にメモを取り始めた。
本当に、研究者の性格だ。
「人間関係には、個人差がある」
「本の知識だけでは、判断できない」
アリシアが真面目にメモしている。
「勉強になります」
「あの、アリシア」
俺が心配そうに聞く。
「君は、恋愛について、本でしか知らないのか?」
「はい」
アリシアがあっさりと認める。
「私、魔法の研究ばかりしていたので」
「恋愛とか、そういうことに時間を使ったことがないんです」
「だから、本で勉強しようと思って」
アリシアが恥ずかしそうに続ける。
「でも、本の知識と、実際の状況が違って」
「混乱してしまいました」
「そうか」
俺が納得する。
「でも、恋愛は本で学ぶものじゃないぞ」
「実際に経験して、学んでいくものだ」
「け、経験」
アリシアが顔を真っ赤にする。
「それって、その」
「キス、とか、そういうことですか?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
俺が慌てて訂正する。
「普通に、人と接することから始めるんだ」
「友達を作ったり、色んな人と話したり」
「そういう経験を積んで、少しずつ学んでいくんだ」
「な、なるほど」
アリシアがまたメモを取る。
「友達を作る」
「色んな人と話す」
「経験を積む」
彼女の真面目さに、俺は少し笑ってしまった。
でも、その真面目さが、アリシアの魅力でもある。
天才魔法使いだが、人間関係については初心者。
そのギャップが、彼女を魅力的にしている。
「分かりました」
アリシアが決意を込めて言う。
「私、これから恋愛について、実地研究をします」
「本の知識だけじゃなくて、実際に観察して学びます」
「観察って」
俺が不安になる。
「何を観察するんだ?」
「タクヤと、リリーさんの関係です」
アリシアがきっぱりと言った。
「友達同士の親密な関係の観察」
「これは、貴重な研究対象です」
アリシアの目が、研究者のそれになっている。
まずい。
俺は、変な方向に話を持っていってしまったかもしれない。
「あの、アリシア」
俺が止めようとするが。
「大丈夫です」
アリシアが自信満々に言う。
「私、研究は得意ですから」
「しっかり観察して、データを取って、分析します」
「そうすれば、恋愛についても理解できるはずです」
完全に、学問として捉えている。
恋愛を、魔法理論と同じように研究しようとしている。
これは、予想外の展開になってしまった。
でも、もう止められない。
アリシアは、完全に研究モードに入ってしまっている。
「それでは、これから観察を開始します」
アリシアが宣言する。
「タクヤ、よろしくお願いします」
「あ、ああ」
俺が困惑しながら答える。
こうして、俺とリリーの関係は、アリシアの「恋愛研究」の対象になってしまった。
これから、どんなことになるのか。
俺は、少し不安を感じながらも、アリシアの成長を見守ることにした。
天才魔法使いが、人間関係について学んでいく。
それは、きっと貴重な経験になるだろう。
俺も、その手助けができれば嬉しい。
ただし、リリーの「愛の暴力」に巻き込まれない範囲で。
俺は、自分の肋骨をそっと触った。
まだ、少し痛む。
リリーの愛情は、本当に命がけだ。
でも、それも含めて、俺の日常なのだろう。
魔法大学での生活は、本当に波乱万丈だ。
でも、それが楽しくもある。
俺は、新しい一日に向けて、前を向いて歩き続けることにした。
仲間たちと一緒に、充実した学生生活を送っていこう。
そして、アリシアの恋愛研究が、変な方向に行かないことを祈りながら。
俺は、そんな日常に、少しずつ慣れていくのだった。




