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第八十三話「理不尽な暴力を防ぐための腕輪」

 

 クロエとの関係が深まってから数日後。


 俺は魔法大学の商店街で、日用品の買い物をしていた。

 石鹸、本、筆記用具など、学生生活に必要なものを揃える。


 商店街は午後の陽光に照らされて、平和な雰囲気だった。

 学生たちが行き交い、店主たちが客引きの声をかけている。

 いつもの、変わらない日常。


 でも、その平和は突然終わった。


「あら、タクヤ」


 後ろから、甘ったるい声が聞こえた。

 その声色に、嫌な予感がする。


 振り返ると、リリーが立っていた。

 小さな体に光魔法使いの制服を着た、可愛らしい少女。


 でも、その表情は氷のように冷たかった。

 そして、その瞳には明確な殺意が宿っている。


「リリー?」


 俺が困惑する。


「どうした?」

「どうしたじゃないかな」


 リリーがにこりと笑う。

 でも、その笑顔には悪意が溢れていた。

 まるで、獲物を見つけた捕食者のような笑みだ。


「あなた、クロエと関係を持ったのかな?」


 俺は一瞬、言葉を失った。


 なぜリリーが、俺とクロエのことを知っているのか。

 そもそも、それがなぜ彼女に関係があるのか。


「それは、俺とクロエの」


 俺が答えようとした瞬間。

 視界が歪んだ。

 何が起こったのか理解する前に、激痛が腹部を襲った。


「うぐっ」


 俺がうめき声を上げる。


 リリーの小さな拳が、俺の腹部に深々と埋まっていた。

 小さな女の子の拳とは思えないほど、威力が強い。

 まるで、全速力で走ってきた馬に蹴られたような衝撃だった。


 内臓が、ぐちゃぐちゃに潰されたような感覚。

 呼吸ができない。

 膝が崩れる。


「調子に乗りすぎかな」


 リリーが冷たい声で言う。

 その声には、一片の慈悲もなかった。


「あなたみたいな普通の人間が、人を娶るなんてかな」


 俺が膝をついた瞬間。

 リリーの蹴りが、俺の脇腹を襲った。

 ドゴッ、という鈍い音が響く。


「がはっ」


 俺の口から、血が飛び出た。

 吐血だった。

 肋骨が、何本か折れたかもしれない。

 激痛が全身を駆け巡る。


 地面に倒れ込む俺を見下ろして、リリーは楽しそうに笑った。


「痛いかな?」


 リリーが俺の髪を掴んで、顔を持ち上げる。


「これは、序の口かな」


 周りの学生たちが騒ぎ始める。


「何事だ?」

「リリーちゃんが誰かを殴ってる?」

「うわ、血だ」


 でも、誰も止めに入ろうとしない。

 みんな、遠巻きに見ているだけだ。


 リリーの実力を知っているからだろう。

 彼女に逆らえば、自分も同じ目に遭う。


「みんな、見てるかな」


 リリーが周囲に聞こえるように言う。


「これが、調子に乗った男の末路かな」


 リリーが再び、俺の顔面に拳を叩き込もうとする。


 俺は咄嗟に、瞬間移動で距離を取った。

 数メートル離れた場所に移動して、なんとか立ち上がる。


 口の中は血の味でいっぱいだ。

 視界が、ぼやけている。


「逃げたかな」


 リリーが舌を出して、楽しそうに言う。


「でも、逃がさないかな」


 リリーが魔法を発動する。

 その速度は、俺の目では追えないほど速い。


「『光魔法:光の鎖』」


 眩い光の鎖が、俺の体を捕らえる。

 両手、両足、そして首。

 五本の光の鎖が、俺の自由を完全に奪った。


 身動きが取れない。

 息も、苦しい。


「これで、もう逃げられないかな」


 リリーがゆっくりと近づいてくる。

 小さな体なのに、圧倒的な威圧感がある。

 まるで、死神が近づいてくるような恐怖を覚えた。


「今日はお兄ちゃんがいないから、好きなだけボコれるかな」


 リリーが楽しそうに言う。

 その目は、完全に狂気を帯びていた。


 俺は必死に光の鎖を振り払おうとした。

 全身の魔力を込めて、瞬間移動を発動する。

 光の鎖が、一瞬だけ緩んだ。

 その隙に、俺は拘束を解いて再び逃げ出した。


「しつこいかな」


 リリーが苛立った声を上げる。


「もう一回捕まえたら、今度こそ殺すかな」


 その言葉に、背筋が凍った。

 彼女は本気だ。

 本当に、俺を殺すつもりだ。


 俺は商店街を駆け抜けて逃げた。

 全力で走る。

 後ろから、リリーの足音が追いかけてくる。

 小さな体なのに、その足音は重く、速い。


「待つかな」


 リリーの声が背中に迫る。

 さらに、魔法の気配を感じた。


「『光魔法:ライトランス』」


 光の槍が、俺の背中に向かって飛んでくる。

 俺は咄嗟に横に飛び、なんとか回避した。

 でも、光の槍は地面に激突して、石畳に大穴を開けた。

 直撃していたら、間違いなく死んでいた。


 俺は必死に走り続けた。

 商店街を抜けて、路地裏へと逃げ込む。

 でも、路地裏は迷路のようになっていた。


 どこに逃げればいいのか分からない。

 しかも、だんだん暗くなってくる。

 路地の奥は、真っ黒で何も見えない。


 でも、逃げるしかない。

 背後から、リリーの笑い声が聞こえる。


「楽しいかな、この鬼ごっこ」


 リリーが言う。


「でも、もうすぐ終わりかな」


 俺は暗闇の中を手探りで進んだ。

 息が切れる。

 体中が痛い。

 でも、止まるわけにはいかない。


 その時、微かに紫色の光が見えた。


「あれは?」


 俺がその光に向かって進む。

 そこには、小さな雑貨店があった。

 薄紫色に光る看板に「ミステリアス・アイテム」と書かれている。


 いかにも怪しい店だが、リリーから逃げるには仕方ない。

 俺は店の扉を開けた。

 鐘の音が、静かに響く。


「いらっしゃいませ」


 店の奥から、老人の声が聞こえてきた。

 薄暗い店内には、様々な奇妙な商品が並んでいる。


 水晶玉、不思議な薬草、古い書物、魔法のアイテム。

 どれも、普通の店では見かけないものばかりだった。


 店主は年老いた男性で、長い白髭を生やしている。

 ローブを着て、いかにも魔法使いらしい風貌だった。


「お客さん、大変お困りのようですね」


 老人が俺を見て言う。

 鋭い目つきで、俺の状況を完全に見抜いているようだった。


「どうして分かるんですか?」


 俺が驚く。


「息が荒く、顔色も悪い」


 老人が説明する。


「服も汚れて、血も流れています」

「それに、殺気立った小さな光魔法使いに追われているのでしょう?」


 老人の洞察力に、俺は驚愕した。

 まるで、全てを見透かしているようだ。


「実は」


 俺が事情を説明し始める。

 リリーに突然殴られたこと。

 理不尽に暴力を振るわれたこと。

 相手が強すぎて、抵抗できないこと。


 そして、今も命を狙われていること。


「なるほど」


 老人が頷く。


「それは、非常に困った状況ですね」

「何か、良い解決策はありませんか?」


 俺が必死に頼む。


「あの子が相手では、正面から戦っても勝ち目がない」

「このままでは、本当に殺されてしまう」

「ふむ」


 老人が考える素振りを見せた。

 そして、店の奥から何かを取り出してきた。


 二つの腕輪だった。

 一つはピンク色、もう一つは黒色。

 どちらも、不思議な光を放っている。

 魔力の波動が、腕輪から感じられる。


「これは、『無暴力の腕輪』という非常に珍しいアイテムです」


 老人が説明する。


「古代魔法で作られた、伝説の拘束具です」

「どんな効果ですか?」


 俺が興味深そうに聞く。


「黒い腕輪をつけた人が、ピンクの腕輪を相手に装着させると」


 老人が続ける。


「ピンクの腕輪をつけた人は、黒い腕輪の人に一切の暴力を振るえなくなります」

「物理攻撃も、魔法攻撃も、全て無効化されます」

「本当ですか?」


 俺が驚く。


「それなら、リリーに暴力を振るわれずに済む」

「ただし」


 老人が真剣な表情で警告する。


「重大なデメリットもあります」

「一度腕輪をつけたら、その効果は永続的です」

「二度と、効果を取り外すことはできません」

「いかなる魔法を使っても、物理的な力を使っても、です」


 俺は少し躊躇した。


 永続的というのは、かなり重い条件だ。

 でも、今のリリーの暴力から逃れるためには、仕方がないかもしれない。

 命の危険と比べれば、この選択肢しかない。


「どうしましょうか?」


 俺が悩んでいると、老人が突然動いた。

 その動きは、年齢を感じさせないほど素早かった。


 黒い腕輪を、俺の左手首にはめ込んだ。

 カチッ、という音と共に、腕輪が固定される。

 そして、腕輪から魔力が溢れ出して、俺の体に馴染んでいく。


「ちょっと、勝手に」


 俺が抗議する。

 でも、腕輪は既にしっかりと装着されていた。

 引っ張っても、魔力で外そうとしても、びくともしない。


「お代は100金貨です」


 老人がにこりと笑う。

 商売上手な笑顔だった。


「100金貨?」


 俺が驚く。

 かなり高額だが、命に関わることを考えれば仕方ない。

 それに、もう装着されてしまった以上、払うしかない。

 俺は財布から100金貨を取り出して、老人に渡した。


「毎度ありがとうございます」


 老人が丁寧にお辞儀する。


「ピンクの腕輪は、サービスです」

「これを相手の手首にはめれば、効果が発動します」

「頑張ってくださいね」


 俺はピンクの腕輪を受け取った。

 これを、リリーに装着させればいいのか。


 でも、どうやって?

 相手は俺より遥かに強い。

 簡単に腕輪をはめさせてくれるとは思えない。


 でも、やるしかない。


「ありがとうございます」


 俺が老人に礼を言う。


「いえいえ」


 老人が笑う。


「お客様の満足が、私の喜びです」


 俺は店を出て、再び路地裏に戻った。

 幸い、リリーの姿は見えない。

 一時的に見失ったのかもしれない。


 でも、油断はできない。

 俺は慎重に商店街に戻った。

 ピンクの腕輪を、服の袖の中に隠し持つ。


 そして、案の定。


「見つけたかな」


 リリーの声が、背後から聞こえた。

 振り返ると、彼女が立っていた。

 相変わらず、冷たい笑顔を浮かべている。

 でも、その目は完全に狂気を帯びていた。


「今度こそ、逃がさないかな」


 リリーが俺に向かって歩いてくる。

 その手には、光の魔力が集まっている。

 次の攻撃は、確実に致命的なものになるだろう。


 俺は、ピンクの腕輪を手に隠し持った。

 タイミングを見計らって、リリーに装着させなければならない。


 一度きりのチャンスだ。

 失敗したら、本当に殺される。


「観念するかな」


 リリーが俺の前に立つ。

 小さな体だが、威圧感は巨大だった。


「あなたみたいな雑魚が、クロエに手を出すなんて、100年早いかな」


 リリーが拳を振り上げる。


 その拳には、莫大な魔力が込められている。


 直撃したら、確実に死ぬ。

 俺は、その瞬間を待っていた。


 リリーが完全に油断した、その一瞬を。

 彼女の拳が振り下ろされる。

 その瞬間、俺は瞬間移動で彼女の背後に回った。


 そして、全速力で動く。

 リリーの右手首を掴んで、素早くピンクの腕輪をはめ込んだ。

 カチッ、という音。

 腕輪が、リリーの手首に固定される。


「何をするかな」


 リリーが振り返る。

 でも、腕輪は既に装着されていた。

 そして、腕輪から魔力が溢れ出して、リリーの体に馴染んでいく。


「これは…」


 リリーが腕輪を見て、顔色を変える。


「何をつけたかな」

「これで、君は俺に暴力を振るえない」


 俺が宣言する。

 やっと、反撃の時が来た。


「ふざけるんじゃないかな」


 リリーが激怒する。


「試してみるかな」


 リリーが拳を振り上げる。

 俺に向かって、全力で殴りかかろうとする。

 さっきまで、俺を一方的に痛めつけていた、あの拳。


 でも、俺に近づいた瞬間。

 ポン、という音と共に、リリーの体が弾き飛ばされた。

 まるで、見えない巨大な壁にぶつかったかのように。

 リリーの小さな体が、数メートル後方に吹き飛ぶ。


「何これ?」


 リリーが地面に倒れ込みながら、困惑する。


「そういうことだ」


 俺が冷たく言う。

 今度は、俺の番だ。


「もう、俺には手出しできない」

「お前の暴力は、もう通用しないんだ」


 リリーが立ち上がる。

 その顔は、屈辱と怒りで真っ赤になっていた。


「調子に乗るんじゃないかな」


 リリーが再び俺に向かってくる。

 でも、やはり同じ結果だった。

 俺の近くに来ると、見えない力で弾き返される。

 何度も、何度も。


 リリーは諦めずに挑み続けるが、全て無駄だった。


「どうした、リリー?」


 俺が挑発的に言う。

 やっと、仕返しができる。

 さっきまでの恐怖と痛みが、怒りに変わっていく。


「さっきまでの威勢はどこに行ったんだ?」

「黙るかな」


 リリーが震える声で言う。

 でも、その声には力がない。


「俺を一方的に殴って、血を吐かせて」


 俺が続ける。


「さぞ、楽しかっただろうな」

「でも、もう終わりだ」

「お前は、もう俺に何もできない」


 リリーの顔が、さらに赤くなる。


「許さないかな、絶対に許さないかな」


 リリーが魔法を発動しようとする。


「『光魔法:ライトスピア』」


 光の槍が、俺に向かって飛んでくる。


 でも、俺に当たる直前で、光の槍は霧散した。

 まるで、最初から存在しなかったかのように。

 腕輪の効果が、魔法攻撃にも完璧に適用されているようだった。


「そんな」


 リリーが愕然とする。


「魔法まで効かないなんてかな」

「残念だったな」


 俺がさらに煽る。

 もう、止まらない。

 さっきまでの屈辱を、全部晴らしてやる。


「お前の光魔法も、天才的な才能も」

「俺の前では、何の意味もない」

「お前は、ただの無力な子供だ」


 リリーが、ぐっと唇を噛みしめる。

 その目には、涙が浮かんでいた。


「どうだ、悔しいか?」


 俺が続ける。


「今度は、お前が何もできない番だ」

「さっきまで俺にしたこと、全部返してやりたいくらいだ」


 俺がゆっくりと、リリーに近づく。

 彼女は後ずさりする。

 怯えている。

 さっきまで、俺を一方的に痛めつけていた彼女が。


「俺に殴りかかったのは、お前だ」


 俺が言う。


「理不尽に暴力を振るったのも、お前だ」

「殺そうとまでしたのも、お前だ」

「なのに、腕輪をつけられた途端、その態度か」


 リリーが何か言おうとするが、言葉が出てこない。

 悔しさと屈辱で、声が震えている。


「どうした、言いたいことがあるなら言ってみろ」


 俺が挑発する。


「お前は、さっきまで好き勝手言ってたじゃないか」

「『調子に乗るな』って」

「『普通の人間が』って」

「『殺す』って」


 俺がリリーの言葉を繰り返すたび、彼女の顔が歪む。


「今度は、俺の番だ」


 俺が冷たく言う。


「お前は、もう俺に何もできない」

「俺の前では、ただの無力な女の子だ」

「どんなに天才でも、どんなに強くても」

「この腕輪がある限り、お前は俺に指一本触れられない」


 リリーが涙を流し始めた。

 でも、それは悲しみの涙ではなく、悔しさの涙だった。


「どうだ、悔しいか?」


 俺がさらに追い打ちをかける。


「俺が今まで感じてた恐怖、お前も味わえ」

「俺が吐いた血、お前も吐いてみろ」

「できないだろ?」

「お前は、もう何もできないんだから」

「やめるかな、もうやめるかな」


 リリーが泣きながら言う。

 でも、俺は止まらない。


「やめる?」


 俺が冷笑する。


「お前は、俺が『やめて』って言った時、やめたか?」

「やめるどころか、殺そうとしただろ」


「なのに、自分が不利になった途端『やめて』か」

「都合がいいな」


 リリーが地面に膝をつく。

 全身が震えている。

 怒りと屈辱と、そして恐怖で。


「もう二度と、俺に手を出すな」


 俺が最後通告する。


「この腕輪の効果は、永久に外れない」

「つまり、お前は一生、俺に暴力を振るえない」

「覚えておけ」


 俺がリリーの前に立つ。

 彼女は、俺を睨みつけている。

 でも、その目には明確な恐怖があった。


「今度お前が俺に近づいたら」


 俺が脅すように言う。


「今日のことを、みんなに言いふらしてやる」

「天才リリーちゃんが、腕輪一つで無力化されたってな」


「光魔法の天才が、何もできずに泣いてたってな」

「やめるかな、お願いだからやめるかな」


 リリーが必死に頼む。

 でも、俺は容赦しない。


「じゃあ、もう二度と俺に手を出すな」


 俺が言い放つ。


「分かったかな」


 リリーが小さく頷く。

 完全に、戦意を失っていた。


「良い返事だ」


 俺が満足そうに言う。

 やっと、溜飲が下がった。


 リリーは立ち上がると、涙を流しながら走り去っていった。


「絶対に許さないからかな」


 リリーの捨て台詞が、遠くから聞こえる。


「覚えてなさいかな」


 でも、その声はもう、力を失っていた。


 俺は、その場に一人残された。

 周りの学生たちが、俺を見ている。

 驚き、恐怖、そして少しの敬意が混ざった視線だ。

 俺は、彼らに向かって言った。


「見世物は終わりだ」


 学生たちが、散っていく。

 俺は、自分の左手首の黒い腕輪を見た。

 この腕輪のおかげで、リリーの暴力から逃れることができた。


 そして、立場を逆転させることができた。

 でも、同時に後悔もあった。

 必要以上に彼女を傷つけてしまった。


 煽りすぎた。

 追い詰めすぎた。

 正当防衛とはいえ、やりすぎだったかもしれない。


 でも、もう遅い。

 リリーとの関係は、決定的に悪化してしまった。

 いや、もともと最悪だったものが、さらに悪化したというべきか。


 俺は深く息を吐いた。

 これから、どうなるのだろう。

 リリーが復讐してくることは、間違いない。

 物理的には何もできないが、他の方法で仕返ししてくるだろう。


 俺は、その覚悟を決めなければならない。

 でも、少なくとも今日は。

 少なくとも今は。

 俺は、リリーの理不尽な暴力から解放された。


 それだけで、十分だった。

 俺は商店街を後にして、寮に向かった。

 体中が痛む。

 リリーに殴られた傷が、まだ残っている。


 でも、心は少しだけ軽くなっていた。

 やっと、反撃できた。

 やっと、言い返せた。

 それが、俺にとっては大きな一歩だった。




◇◇◇




 その夜、俺は仲間たちに事情を説明した。

 レオナルド、ヴァル、クロウ、そしてクロエ。

 みんな、俺の話を真剣に聞いてくれた。


 俺は、リリーに襲われたこと。

 腕輪を手に入れたこと。

 そして、立場を逆転させて、リリーを追い詰めたことを話した。


「それは災難でしたね」


 レオナルドが同情してくれる。


「リリーちゃんの暴力は、度を越していました」

「でも、師匠も…」


 レオナルドが言葉を濁す。


「言いたいことは分かる」


 俺が答える。


「俺も、煽りすぎたと思ってる」

「でも、その時は頭に血が上って」

「止められなかったんだ」


 レオナルドが考え込む表情をする。


「気持ちは分かります」


 レオナルドが言う。


「師匠は、理不尽な暴力を受けたわけですから」

「でも、やはり煽りすぎでは…」

「余も、そう思う」


 ヴァルが単純に言う。


「タクヤは、もっと優しくするべきだよ」

「リリーちゃんも可哀想だよ」

「可哀想?」


 俺が反論する。


「俺を殺そうとしたんだぞ、あいつは」


「…それは事実」


 クロウが短く言う。


「…でも、追い詰めすぎ」

「…復讐が激しくなる」


 クロウの指摘は、的確だった。


 確かに、俺はやりすぎた。

 リリーを必要以上に追い詰めてしまった。


「私も、少し心配です」


 クロエが優しく言う。


「リリーさんとの関係が、さらに悪化してしまうかもしれません」

「それに、タクヤさんが怪我をされたのも心配で」


 クロエが俺の体を心配そうに見る。


 確かに、まだ体中が痛む。

 リリーに殴られた傷は、簡単には治らない。


「治癒魔法を使いますか?」


 クロエが提案してくれる。


「ああ、頼む」


 俺が答える。

 クロエが治癒魔法を発動して、俺の傷を癒してくれた。

 温かい光が体を包み、痛みが和らいでいく。


「ありがとう、クロエ」


「いえ」


 クロエが微笑む。


「でも、もう無理はしないでくださいね」


 みんなの意見は一致していた。

 俺の行動は、問題があったということだ。


「分かってる」


 俺が答える。


「俺も、後で反省したんだ」

「でも、リリーの暴力は本当に理不尽だった」

「俺が何をしたっていうんだ」

「クロエと関係を持っただけで、殺されそうになるなんて」

「それは、確かに理不尽ですね」


 レオナルドが同意する。


「リリーちゃんの行動は、完全に間違っています」


「でも、これからどうしますか?」


「どうするって?」


 俺が聞き返す。


「このまま、リリーとの関係を放置するわけにはいかないでしょう」


 レオナルドが指摘する。


「同じクラスですし、毎日顔を合わせます」

「…謝罪すべき」


 クロウが言う。


「…お互いに」

「謝罪?」


 俺が首を傾げる。


「俺が?」

「そうです」


 レオナルドが真剣な表情で言う。


「師匠も、過度な挑発をしたことを謝るべきです」

「でも、リリーも先に暴力を振るったことを謝るべきです」

「お互いに謝罪すれば、少しは関係が改善するかもしれません」


 俺は、その提案を考えた。

 確かに、お互いに非がある。


 でも、リリーが素直に謝るとは思えない。

 それに、俺も彼女に謝る気になれない。

 あれだけ理不尽に殴られたのだ。


「難しいな」


 俺が正直に言う。


「リリーは、絶対に謝らないだろう」

「それに、俺も…まだ、怒りが収まってない」

「余は、みんな仲良くした方がいいと思う」


 ヴァルが無邪気に言う。


「喧嘩は良くないよ」

「ヴァル、そんな簡単な問題じゃないんだ」


 俺が説明する。


「リリーは、本気で俺を殺そうとした」

「そんな相手と、簡単に仲直りできるわけがない」

「…そう簡単にはいかない」


 クロウが現実的に言う。


「…リリーは頑固」

「…プライドも高い」

「…謝罪は期待ゼロ」


 確かに、クロウの言う通りだ。


 リリーの性格を考えると、簡単に和解できるとは思えない。

 それに、俺も彼女を追い詰めすぎた。

 もう、後戻りはできないかもしれない。


「とりあえず、しばらく様子を見ます」


 俺が結論を出す。


「リリーも、腕輪の効果で俺に手出しできない」

「物理的な危険は、もうない」

「それに、もし彼女が何か仕掛けてきたら、その時考える」

「分かりました」


 レオナルドが頷く。


「でも、師匠、本当に気をつけてください」

「リリーちゃんは、物理的な暴力以外の方法で復讐してくるかもしれません」

「例えば?」

「例えば、師匠の評判を落とすとか」


 レオナルドが説明する。


「噂を流すとか、他の学生を煽動するとか」

「リリーちゃんは人気がありますから、影響力も大きいです」


 その指摘に、俺はハッとした。

 確かに、リリーは光魔法の天才として、多くの学生から慕われている。

 彼女が俺の悪い噂を流せば、俺の立場が悪くなるかもしれない。


「それは…考えてなかった」


 俺が正直に言う。


「でも、どうすればいい?」

「今からでも、関係修復を試みるべきです」


 レオナルドが提案する。


「少なくとも、師匠から歩み寄る姿勢を見せれば」

「他の学生たちも、師匠の方が大人だと思うでしょう」


 レオナルドの言葉は、もっともだった。


 でも、俺には勇気がなかった。

 リリーに近づくことが、まだ怖かった。

 あの暴力の記憶が、まだ生々しく残っている。


「少し、時間をくれ」


 俺が頼む。


「今はまだ、リリーに会う気になれない」

「分かりました」


 レオナルドが理解を示してくれる。


 みんなで話し合った結果、俺はしばらくリリーとの距離を置くことにした。

 お互いに冷静になる時間が必要だろう。

 そして、いずれは関係修復を試みる。

 それが、一番現実的な解決策だった。


 でも、俺の心の奥底では、まだリリーへの怒りが燻っていた。

 あの理不尽な暴力。

 あの殺意。

 簡単には、忘れられない。


 俺は、この問題をどう解決するか、深く考える必要があった。


 でも、少なくとも一つ分かったことがある。


 俺は、もっと大人として振る舞わなければならない。

 感情的になって、子供を過度に追い詰めるような行動は慎むべきだ。


 でも、同時に。

 理不尽な暴力には、毅然と対応する必要もある。

 そのバランスを、俺は学ばなければならない。


 俺は、そのことを心に刻んだ。

 腕輪の効果で、物理的にはリリーから身を守ることができた。

 でも、人間関係の修復は、もっと複雑で困難な作業になりそうだった。

 俺は、これからの対応を慎重に考えていかなければならない。





◇◇◇


 翌日、俺は授業に向かった。

 アドバンスクラスの教室で、リリーと顔を合わせることになる。

 気まずい空気になることは、覚悟していた。


 教室に入ると、リリーは既に席についていた。

 俺の姿を見ると、明らかに敵意のこもった視線を向けてくる。

 でも、昨日とは違う。


 その視線には、恐怖も混ざっていた。

 俺に近づけないという事実が、彼女を怯えさせているようだった。


「おはよう、タクヤさん」


 クロエが普通に挨拶してくれる。

 彼女は、昨夜の話を聞いているが、いつも通りに接してくれた。


「おはよう、師匠」


 レオナルドも、変わらず接してくれる。

 ヴァルとクロウも、いつも通りだった。


 でも、リリーだけが違った。

 授業中も、俺を睨み続けている。

 その視線が、俺には痛いほど刺さった。


 でも、俺も負けずに睨み返す。

 お前が先に手を出したんだ。

 お前が、俺を殺そうとしたんだ。

 だから、俺は反撃しただけだ。

 そう、心の中で言い聞かせる。


 授業が進む中、マリア教授がリリーに質問した。


「リリーさん、光魔法の応用について説明してください」


 でも、リリーは答えない。

 ボーッとしていて、教授の質問が聞こえていないようだった。


「リリーさん?」


 マリア教授が再度呼びかける。


「あ、はいかな」


 リリーが慌てて返事をする。

 でも、その声は力がなかった。

 昨日の出来事が、彼女にも影響を与えているようだった。


 授業が終わり、昼休みになった。

 俺は、一人で中庭のベンチに座っていた。

 リリーとの関係をどうするか、考えていた。


 その時、誰かが近づいてくる気配がした。

 振り返ると、アリシアが立っていた。


「タクヤ、少しお話ししてもよろしいですか?」


 アリシアが上品に言う。


「ああ、もちろん」


 俺が答える。

 アリシアが隣に座った。

 彼女は、いつものように優雅な雰囲気を纏っている。


「リリーさんとのこと、聞きました」


 アリシアが言う。


「大変でしたね」

「ああ」


 俺が答える。


「まさか、あんなことになるとは思わなかった」

「リリーさんは、少し極端なところがありますから」


 アリシアが説明する。


「特に、見下している人のことになると」

「クロエのこと?」


 俺が聞く。


「ええ」


 アリシアが頷く。


「リリーさんは、クロエさんを嫌っています」

「根暗だから、嫌っているんです」

「だから、クロエさんが幸せになろうとするのが許せなかったんです」


 その説明で、少し理解できた。

 リリーは、クロエをバカにしたかったのかもしれない。

 でも、それでも暴力は許されない。


「でも、だからって殺そうとするのはおかしいだろ」


 俺が反論する。


「その通りです」


 アリシアが同意する。


「リリーさんの行動は、完全に間違っています」

「でも、彼女なりの理由があったということです」

「タクヤさんも、それを理解してあげてください」


 アリシアの言葉は、優しかった。

 彼女は、俺とリリーの両方を理解しようとしている。


「分かった」


 俺が答える。


「でも、俺も過度に煽ってしまった」

「それも、反省してる」

「それは、良いことです」


 アリシアが微笑む。


「お互いに反省すれば、いつか和解できるかもしれません」

「時間はかかるかもしれませんが」


 アリシアの言葉に、俺は少し希望を持った。

 いつか、リリーと和解できる日が来るかもしれない。


 でも、それはまだ遠い未来のことだろう。

 今は、お互いに距離を置く。

 それが、一番良い選択だ。


 俺は、そう心に決めた。

 そして、左手首の黒い腕輪を見た。

 この腕輪が、俺を守ってくれている。


 でも、同時に。

 この腕輪が、俺とリリーの関係を決定的に変えてしまった。

 永久に効果が外れない、この腕輪。

 それは、俺とリリーの関係が、もう元には戻らないことを象徴しているようだった。


 俺は深く息を吐いた。

 これから、どうなるのだろう。


 でも、少なくとも今は。

 俺は、リリーの暴力から解放された。

 それだけで、十分だった。


 俺は、新しい日常を歩み始める。

 リリーとの関係は、まだ修復されていない。

 でも、いつか。

 いつか、お互いに理解し合える日が来るかもしれない。


 そう信じて、俺は前を向いて歩き続けることにした。


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