第七十九話「プロポーズと新たな波紋」
エリカの妊娠が確認されてから一週間後、俺は魔法大学に戻った。
家族からの承諾を得て、いよいよクロエに返事をする時が来た。
エリカの条件はクリアした。
彼女が妊娠して、安定した立場を手に入れた今なら、クロエを三人目の妻として迎えることができる。
俺は緊張しながら、クロエを探した。
いつものように、彼女は図書館で魔法理論の本を読んでいた。
一人で静かに勉強している姿は、相変わらず地味で控えめだ。
でも、俺にはその姿がとても愛おしく見えた。
集中して本を読む彼女の横顔、時折見せる真剣な表情、そして無意識にぴょこぴょこ動くアホ毛。
全てが愛しくて、胸が締め付けられるような思いだった。
「クロエ」
俺が声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げる。
その瞬間、夕日が差し込む図書館の窓から光が差し、クロエの頬を薄っすらと照らした。
「あ、タクヤくん」
クロエが慌てて本を閉じる。
「おかえりなさい」
「エルフの村から戻られたんですね」
彼女の頬がほんのり赤くなっているのが分かった。
俺がいることに気づいて、恥ずかしがっているのだろう。
その仕草が、たまらなく可愛かった。
「ああ」
俺が頷く。
「君と話したいことがある」
「人の少ないところで話せるか?」
クロエの表情が少し不安そうになる。
きっと、俺の答えを聞くのが怖いのだろう。
でも、今度は良い知らせだ。
俺たちは図書館を出て、中庭のベンチに座った。
夕方の静かな時間で、周りに人はいない。
薔薇の花壇から甘い香りが漂ってきて、ロマンチックな雰囲気を演出していた。
「それで、お話というのは?」
クロエがもじもじしながら聞く。
俺は一度深呼吸してから、彼女の目を見つめた。
クロエの大きな瞳が、不安と期待で揺れているのが分かった。
「クロエ」
俺が真剣に言う。
「俺と結婚してくれるか?」
クロエの目が大きく見開かれた。
しばらく、彼女は言葉を失っていた。
そして、次の瞬間。
「え…えええ?」
クロエが混乱したような声を上げる。
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
俺が頷く。
「君を、俺の三人目の妻として迎えたい」
「でも、ボクなんて」
クロエが涙を流し始める。
「こんなインキャ底辺ゴミ女と結婚してくれるなんて」
「信じられないです」
「そんな風に自分を卑下するな」
俺がクロエの頬に触れて、涙を拭い取る。
その瞬間、クロエの体がビクッと震えた。
「君は素晴らしい女性だ」
「優しくて、賢くて、努力家で」
「そして、とても可愛い」
俺がクロエの手を取ると、彼女の手が小さく震えているのが分かった。
「俺の方こそ、君に釣り合わない」
「そんなことありません」
クロエが首を振る。
「タクヤくんは、ボクにとって憧れの人です」
「優しくて、強くて、みんなから慕われて」
クロエがさらに涙を流す。
「でも、めちゃくちゃ嬉しいです」
「本当に、本当に嬉しいです」
クロエのアホ毛が、激しくぴょこぴょこと跳ねている。
彼女の喜びが、全身から溢れ出ているようだった。
「ありがとうございます」
クロエが深々と頭を下げる。
その時、俺は思わずクロエを抱きしめた。
「うわあっ」
クロエが驚いたような声を上げるが、抵抗はしない。
むしろ、俺の胸に顔を埋めるように身を寄せてくる。
「ボク、精一杯頑張ります」
クロエが俺の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で言う。
「エリカさんやルナさんに負けないような、良い奥さんになります」
「無理はしなくていい」
俺がクロエの髪を優しく撫でる。
彼女の髪は、思っていた以上に柔らかくて、いい香りがした。
「君は君らしくいればいい」
「それが、俺の望むことだ」
俺がクロエに事情を説明する。
エリカの妊娠のこと、彼女が出した条件のこと。
そして、家族みんながクロエを迎えることを承諾してくれたこと。
「エリカさんが妊娠されたんですね」
クロエが嬉しそうに言う。
「おめでとうございます」
「ボクも、早くお会いしたいです」
「きっと機会を作る」
俺が答える。
「エリカもルナも、君に会いたがってる」
「家族として迎えたいって」
クロエの目に、新たな涙が浮かぶ。
「家族…」
「ボクに、本当の家族ができるんですね」
クロエの孤独感が、俺の胸に響いた。
彼女は今まで、一人で頑張ってきた。
母親の病気を看病しながら、勉強も続けて。
でも、これからは違う。
俺たちが、彼女の家族になる。
「ああ」
俺が優しく答える。
「これからは、君も俺たちの家族だ」
俺たちはその夜、婚約を祝って二人だけで食事をした。
クロエは恥ずかしそうにしながらも、とても幸せそうだった。
食事中、彼女は何度も俺の顔を見ては、照れ笑いを浮かべた。
「あの、タクヤくん」
クロエが遠慮がちに言う。
「手を、握ってもいいですか?」
「もちろんだ」
俺がクロエの手を取ると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見ていると、俺も自然と笑顔になった。
きっと、うまくいく。
クロエも、俺たちの家族の一員として、幸せになれるはずだ。
◇◇◇
翌日、俺はレオナルドとヴァルに婚約の報告をした。
彼らとは、もうすっかり親しくなっていた。
特にレオナルドは、俺の弟子として熱心に造形魔法を学んでいるし、ヴァルも魔族でありながら人間として大学生活を楽しんでいる。
「師匠、結婚おめでとうございます」
レオナルドが心から嬉しそうに言う。
「クロエさんは本当に良い方です」
「師匠にお似合いだと思います」
「ありがとう、レオナルド」
俺が答える。
「君にも、いつか良い人が見つかるといいな」
「僕は芸術の道に専念します」
レオナルドが真剣に答える。
「師匠から学んだ造形魔法で、世界一の芸術家になるのが夢です」
「余も感激したよ」
ヴァルが単純な笑顔で言う。
「タクヤが幸せそうで、余も嬉しい」
「人間の結婚式というのは、どのようなものなの?」
「とても盛大で華やかだ」
俺が説明する。
「でも、俺たちの場合はシンプルにやる予定だ」
「家族だけでささやかに」
「余も招待してくれる?」
ヴァルが期待を込めて聞く。
「魔族の余だが、友達として参加したい」
「もちろんだ」
俺が笑う。
「君も大切な友達だからな」
ヴァルが嬉しそうに笑う。
魔族でありながら、こうして人間の友達ができたことが、彼にとっても大きな喜びなのだろう。
俺たち三人は、アドバンスクラスの教室近くにある談話室で、お祝いの飲み物を飲んでいた。
度の効いた強いアルーコールだ。
魔法大学特製のフルーツカクテル。
気分は十分に盛り上がっていた。
「それにしても」
レオナルドが感慨深そうに言う。
「師匠がクロエさんと結婚されるなんて、僕も嬉しいです」
「クロエさん、いつも一人で勉強していて、寂しそうでしたから」
「これで、彼女も幸せになれますね」
「ああ」
俺が頷く。
「クロエには、たくさん世話になった」
「恩返しという意味もある」
「でも、それだけじゃない」
「俺も、彼女のことが好きになった」
その時、談話室の扉が勢いよく開いた。
バン!
扉が壁にぶつかり、大きな音が響く。
入ってきたのは、小さな女の子だった。
アドバンスクラスのクラスメイトの一人、リリーだ。
彼女はルーシーの双子の妹で、光魔法を使う。
見た目は可愛らしい少女だが、性格はかなりきつい。
そして、今の彼女は明らかに機嫌が悪かった。
全身から威圧的なオーラが漏れ出ている。
「あら、タクヤかな」
リリーが俺を見つけて近づいてくる。
彼女の声は可愛らしいが、氷のように冷たい。
小さな体から放たれる魔力の圧迫感で、談話室の空気が重くなった。
「ちょっと話があるかな」
「話?」
俺が困惑する。
「何の話だ?」
「二人だけで話したいかな」
リリーが意味深に笑う。
その笑顔には、明らかに悪意が込められていた。
レオナルドとヴァルが、リリーの放つ威圧感に押されて身を縮める。
「じゃあ、僕たちは先に失礼します」
「師匠、また後で」
レオナルドが慌てたように言って、ヴァルと一緒に退散していく。
二人が去った後、リリーが俺の向かいに座る。
小さな体なのに、なぜか迫力がある。
まるで、小さな肉食動物が獲物を狙っているような雰囲気だ。
「それで、何の話だ?」
俺が聞く。
「あなた、ちょっと調子に乗りすぎかな」
リリーがにこりと笑いながら言った。
でも、その笑顔には冷たさが混じっている。
そして、彼女の周りに薄っすらと光の魔力が漂い始めた。
「調子に乗る?」
「何のことだ?」
「とぼけなくてもいいかな」
リリーが続ける。
「最近、やたらと目立ってるじゃないかな」
「フィギュア販売で大儲けして」
「クロエと婚約して」
「みんなから注目されて」
リリーの目が、少し険しくなる。
「わたしたちの縄張りを荒らさない方がいいかな」
「縄張り?」
俺が困惑する。
「一体、何のことだ?」
「アドバンスクラスのことかな」
リリーがはっきりと言う。
「ここは、わたしたち天才の場所なのかな」
「あなたみたいな普通の人が、でしゃばるところじゃないかな」
俺は、リリーの言葉に驚いた。
確かに、俺はアドバンスクラスの中では魔力も低いし、特別な才能があるわけでもない。
でも、だからといって、ここにいてはいけないということはないはずだ。
「俺は別に、誰かの邪魔をしているつもりはない」
俺が答える。
「ただ、自分なりに頑張っているだけだ」
「そのせいで、バランスが崩れてるかな」
リリーが冷たく言う。
彼女の周りの光魔力がさらに強くなり、談話室全体が薄っすらと光に包まれる。
「クロエなんて、もともと地味で目立たない子だったのに」
「あなたと付き合うようになってから、調子に乗ってるかな」
「それは」
俺が反論しようとした時、突然リリーの頭に拳が落ちた。
ゴン!
「痛っ!」
リリーが頭を押さえる。
振り返ると、そこには彼女の双子の兄、ルーシーが立っていた。
リリーと同じ顔だが、男性版といった感じだ。
ルーシーの拳から、まだ土魔法の魔力が漂っている。
「うちの妹がすまないじゃん」
ルーシーが俺に頭を下げる。
「もう二度と、こんなことはさせないじゃん」
「お兄ちゃん、何するかな」
リリーが抗議する。
「わたしは正当なことを言っただけかな」
しかし、リリーは単に抗議するだけでは終わらなかった。
彼女が立ち上がると同時に、強烈な光魔力が爆発的に放出される。
シャキーン!
談話室全体が眩い光に包まれる。
「わたしの話を邪魔するなんて、許さないかな」
リリーの小さな手に、鋭い光の刃が形成される。
それは、まるで本物の剣のような威力を持っていた。
ルーシーに向かって光の刃を振り下ろそうとする。
「危ないじゃん!」
ルーシーが慌てて土の壁を作り、リリーの攻撃を防ぐ。
ガシャーン!
光の刃が土の壁に激突し、大きな音を立てて砕け散る。
談話室の床に、深い切れ込みが残った。
「正当じゃないじゃん」
ルーシーがリリーを睨む。
「タクヤは何も悪いことしてないじゃん」
「それに、クロエちゃんが幸せになるのは良いことじゃん」
「でも」
リリーがまだ不満そうにする。
今度は両手に光の球を作り出す。
その光球は、まるで小さな太陽のような熱量を放っていた。
「アドバンスクラスの秩序を乱す者は、排除されるべきかな」
リリーが光球を俺に向けて構える。
その瞬間、俺は本気で身の危険を感じた。
リリーの魔力は、想像以上に強大だった。
光魔法の天才と呼ばれるだけのことはある。
「もういいじゃん」
ルーシーが慌ててリリーの腕を掴む。
「タクヤに謝るじゃん」
「やだかな」
リリーが頑なに拒否する。
「わたしは間違ったことは言ってないかな」
ルーシーとリリーの間で激しい魔力のぶつかり合いが始まる。
土魔法と光魔法が談話室の中で激突し、家具が吹き飛ばされていく。
「あなたたち、何をしているんですか!」
突然、教授の声が響いた。
扉から、マリア教授が入ってくる。
リリーとルーシーは慌てて魔法を解除し、何事もなかったかのように立ち尽くす。
「談話室で魔法の練習は禁止されていますよ?」
教授が厳しい目で二人を見る。
「すみませんじゃん」
ルーシーが頭を下げる。
「ちょっと興奮しちゃったじゃん」
リリーは黙ったまま、俺を睨み続けている。
その視線には、明らかな敵意が込められていた。
「今度やったら、厳重な処分を下しますからね」
教授が警告してから、談話室を去っていく。
「帰るじゃん」
ルーシーがリリーの手を引っ張る。
でも、去り際に、リリーが振り返って俺に舌を出した。
明らかに、挑発的な仕草だった。
そして、小さく口の形で言った。
「覚えてなさいかな」
俺は、リリーの本気の殺気を感じ取った。
これは、単なる子供の嫉妬ではない。
彼女は本気で、俺を敵視している。
俺は、少しムカついた。
別に、俺は何も悪いことをしていない。
それなのに、なぜあんな風に言われなければならないのか。
確かに、俺はアドバンスクラスの中では目立つ存在になった。
フィギュア販売の成功もあるし、クロエとの婚約もある。
でも、それは俺が努力した結果だ。
誰かの邪魔をしているつもりはない。
「大丈夫か、タクヤ?」
レオナルドとヴァルが恐る恐る戻ってきた。
「リリーちゃんと何か揉めたのか?」
「ちょっとね」
俺が苦笑いする。
「俺が調子に乗りすぎだって言われた」
「そんなことないじゃん」
ヴァルが首を振る。
「タクヤは、いつも謙虚だよ」
「自分の実力を過大評価したりしない」
「リリーちゃんは、ちょっと気が強いからな」
レオナルドが苦笑いする。
「でも、悪い子じゃないんだ」
「ただ、プライドが高いだけで」
「そうか」
俺が答える。
でも、正直なところ、さっきの殺気は本物だった。
リリーは、俺を本気で敵視している。
そして、彼女の魔力は、俺よりもはるかに強大だ。
俺は、今後リリーとの関係に気を付けようと思った。
アドバンスクラス内での人間関係も、思っているより複雑なようだ。
でも、それで俺の気持ちが変わることはない。
俺は俺なりに、ここで頑張っていく。
クロエとの婚約も、後悔はしていない。
彼女を幸せにするのが、俺の責任だ。
◇◇◇
その夜、俺はクロエに会いに行った。
彼女の部屋を訪ねると、例の銅像が大切に飾られているのが見えた。
ウェディングドレスを着た彼女の銅像と、隣に置かれた…
「クロエ、これは?」
俺が隣の銅像を指差す。
タキシードを着た男性の銅像だった。
顔は、なんとなく俺に似ている。
「あ、あれは」
クロエが真っ赤になる。
「その、タクヤくんの銅像です」
「ボクが勝手に作ったんです」
「結婚式の様子を想像して」
俺は、クロエの気持ちを理解した。
彼女は、俺との結婚を夢見て、こんな銅像まで作っていたのか。
その健気さに、俺の心が温かくなった。
「ありがとう、クロエ」
俺がクロエを抱きしめる。
「君の気持ち、とても嬉しい」
クロエの体が俺の胸の中で小刻みに震えている。
照れているのか、緊張しているのか、それとも両方なのか。
「はい」
クロエが俺の胸に顔を埋める。
「これから、よろしくお願いします」
俺はクロエの髪の匂いを深く吸い込む。
ほのかに甘い、花のような香りがした。
「こちらこそ」
俺が答える。
「俺たちの結婚式、きっと素晴らしいものにしよう」
「あの」
クロエが遠慮がちに言う。
「もう少し、こうしていてもいいですか?」
「もちろんだ」
俺がクロエをより強く抱きしめる。
彼女の温もりが、俺の心を癒してくれた。
リリーのような反対者がいても関係ない。
俺とクロエの愛情は、どんな困難も乗り越えられるはずだ。
クロエが嬉しそうに頷く。
アホ毛が、ぴょこぴょこと跳ねている。
俺は、この瞬間の幸せを大切に思った。
そして、俺たちの愛情は、どんな困難も乗り越えられるはずだ。
俺は、そう信じている。
◇◇◇
数日後、クロエとの婚約は正式にアドバンスクラス内でも知れ渡った。
多くのクラスメイトが祝福してくれたが、中には複雑な表情を見せる者もいた。
リリーだけだが。
彼女は相変わらず俺を敵視し続けている。
彼女が俺を見る度に、小さく舌打ちをするのが聞こえた。
俺は、これからもこういうことが起こるかもしれないと覚悟した。
でも、俺の気持ちは変わらない。
クロエを守り、彼女と幸せな家庭を築く。
それが、俺の新しい目標だった。
アリシアも、祝福の言葉をかけてくれた。
「お、おめでとうございます、タクヤ」
アリシアが顔を赤らめながら言う。視線は明後日の方向を向いていた。
「クロエさんは、とても良い方です」
そう言いながらも、アリシアの視線はちらちらと俺とクロエの方を向く。
クロエが俺の腕に軽く触れた瞬間、アリシアの顔がさらに赤くなった。
「お、お幸せに……その、夜は……い、いえ!何でもありません!」
アリシアが慌てて口を押さえる。
「ありがとう、アリシア」
俺が答える。
「君も、きっと良い人が見つかる」
「わ、私は、まだ16歳ですから!」
アリシアが少しうろたえたように答える。
「け、結婚なんて、まだまだ先の話です……その、キスとか、そういうのも……あ、いえ!」
またも慌てて口を押さえるアリシア。
「べ、勉強を頑張りたいと思います!恋愛よりも魔法の研究を……!」
彼女の耳まで真っ赤になっているのが見えた。
アリシアの初心な反応に、俺は微笑ましく思った。
彼女は本当に、勉強熱心で真面目な少女だ。
恋愛経験がないからこそ、こういう場面では戸惑ってしまうのだろう。
きっと、将来は素晴らしい魔法使いになるだろう。
俺は、クラスメイトたちとの関係を大切にしながら、クロエとの結婚準備を進めていくことにした。
まだ正式な結婚式の日取りは決まっていないが、きっと素晴らしい式になるはずだ。
そして、俺とクロエの愛情は、きっとずっと続いていく。
俺は、そう信じて、毎日を大切に過ごしていた。




