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第七十七話「クロエの勇気」


 フィギュアの大成功から数日後、俺はレオナルドと一緒に寮の部屋で新作の制作に取りかかっていた。

 前回の成功を受けて、さらに精度を上げた小型銅像を作ろうと考えていたのだ。


「師匠、今度はどんなデザインにしますか?」


 レオナルドが興奮気味に聞いてくる。


「前回は大人の女性でしたが、今度は少し若い感じはどうでしょう?」

「そうだな」


 俺が頷きながら、粘土をこねる。


「学生らしい初々しさを表現してみるか」


 俺たちが集中して作業していると、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。


「はい、どうぞ」

 

 レオナルドが返事をする。


 ドアが静かに開いて、クロエが顔を覗かせた。

 いつもより緊張した様子で、頬がほんのり赤くなっている。


「あの、お邪魔でしょうか?」


 クロエが小さな声で聞く。息が少し荒く、まるで走ってきたかのようだった。


 実際、彼女は何度も部屋の前を往復し、勇気を振り絞ってノックしたのだ。


「いえいえ、どうぞ入ってください」


 俺が手を止めて答える。


「何か用事ですか?」


 クロエは部屋に入ってくると、もじもじと手をいじりながら立っていた。

 普段の彼女にしては珍しく、落ち着きがない。

 手の平は汗で湿っていて、心臓が今にも飛び出しそうなほど激しく鼓動している。



 この瞬間のために、クロエは三日間も鏡の前で練習していた。

 何度も何度も「デートしませんか」という言葉を繰り返し、その度に顔が真っ赤になって諦めかけた。

 でも、銅像の拓也を見つめるたび、勇気を奮い起こした。



「あの…タクヤくん」


 クロエが恥ずかしそうに口を開く。声が震えている。


「この後、お時間ありますか?」


 俺は作業中の手を止めて考えた。

 確かに、今日の分の作業はもうほぼ終わっている。


「そうだな、作業をレオナルドに押し付ければ大丈夫だ」


 俺が答える。


「…え?」


 レオナルドが抗議しようとしたが、クロエの表情を見て何かを察したらしい。

 彼女の必死さ、震える手、潤んだ瞳を見て、すぐに空気を読んだ。


「あ、そうですね」


 レオナルドが急に立ち上がる。


「僕、ちょっと図書館に行ってきます」

「参考資料を調べないといけませんから」


 彼は意味深な微笑みを浮かべながら、部屋を出て行った。

 空気を読むのが上手い男だった。


 部屋には俺とクロエだけが残された。

 静寂が流れる中、クロエはますます緊張しているようだった。

 アホ毛がぴょこぴょこと激しく跳ねている。


「それで、何の用事だ?」


 俺が優しく聞く。



 クロエは深呼吸をすると、意を決したような表情になった。

 心の中で、昨夜から何度も繰り返した言葉を唱える。「ボクにはこの機会しかない。今しかない」と。



「あの…その…」


 クロエが顔を真っ赤にして、震える声で言う。


「デート、してもらえませんか?」



 その言葉を言い終えた瞬間、クロエの目に涙が浮かんだ。

 何日も、何ヶ月も、心の奥で温めてきた想いをついに口にしたのだ。



 俺の頭が真っ白になった。

 デート?

 クロエが俺を?

 部屋の空気が、一瞬で重くなった。

 俺の顔も、きっと真っ赤になっているだろう。


 しばらく沈黙が続いた。

 俺は何て答えればいいのか分からず、ただクロエを見つめていた。

 クロエも俺を見つめ返していたが、沈黙が長くなるにつれて、その表情が絶望的に暗くなっていく。



 心の中で「やっぱり無理だった」「ボクなんかが」という声がこだましている。



「やっぱり…」


 クロエが震え声で呟く。涙が頬をつたい始めた。


「こんなインキャ底辺ゴミ女とデートなんて、嫌ですよね」

「ボクなんかが、そんなこと言っちゃいけませんでした」


 クロエの心が砕ける音が聞こえそうだった。

 彼女にとって、この告白は人生をかけた一世一代の勇気だったのだ。


 クロエが慌てて部屋から出ようとする。


「すみませんでした」


 その瞬間、俺は反射的にクロエの腕を掴んだ。


「待てよ」


 俺が声をかける。


 クロエが振り返ると、涙でぐしゃぐしゃになった顔が見えた。


「俺で…よかったら」


 俺が言葉を絞り出す。


「喜んで」


 クロエの目が見開かれた。

 そして、ポロポロと涙が溢れ出す。今度は喜びの涙だった。


「本当ですか?」


 クロエが震え声で聞く。まだ夢を見ているような気分だった。


「ああ」


 俺が頷く。


「君となら、楽しいデートになると思う」


 クロエが嬉しそうに泣き笑いの表情を見せた。

 アホ毛が激しくぴょこぴょこと跳ねている。


「ありがとうございます」

 

 クロエが深々と頭を下げる。声が感謝と感動で震えている。


「では、準備してきますね」


 クロエが急いで部屋を出て行く。廊下を走りながら、彼女の心は歓喜で満ちていた。


 俺は一人残されて、まだ状況を整理できずにいた。

 デート。

 クロエとのデート。

 なんだか、不思議な展開になったものだ。




◇◇◇




 その後のクロエの部屋では、まさに戦争状態だった。


「どの服がいいかな…」


 クロエが鏡の前で何度も着替えている。

 部屋中に服が散らばり、まるで竜巻が通り過ぎたかのようだ。


 普段着ている地味な服では絶対にダメ。

 でも、派手すぎてもタクヤくんに引かれてしまう。クロエは涙目になりながら、持っている数少ない服を総動員した。


「これじゃ地味すぎる…これは逆に派手すぎる…」


 最終的に、薄いピンク色のワンピースに決めた。これは、母親から「いつか素敵な人とのデートの時に着なさい」と言われてもらった、クロエにとって特別な一着だった。


 髪型にも必死になった。普段は適当に後ろで結んでいるだけだったが、今日は違う。魔法を使って髪を丁寧にセットし、少しでも可愛く見えるよう努力した。


「頑張って、クロエ」

 彼女は鏡に向かって自分を励ます。

「今日はボクの人生で一番大切な日なんだから」




◇◇◇




 30分後、俺たちは魔法大学の敷地内を歩いていた。

 クロエはいつもの地味な服装ではなく、薄いピンク色のワンピースを着ている。

 髪も普段より丁寧にセットしていて、とても可愛らしく見えた。


「あの、どこに行きましょうか?」


 クロエが恥ずかしそうに聞く。

 実は、彼女は図書館でデートスポットを必死に調べていたのだ。


「魔法大学の敷地内にも、色々な施設があるんですよ」


「そうだな」


 俺が考える。


「まずは商店街を回ってみるか」

「はい」



 クロエの心が躍る。

 タクヤくんと一緒に歩ける。それだけで十分に幸せだった。



 俺たちはゆっくりと商店街を歩いた。

 普段は材料を買いに行くだけの場所だったが、こうしてクロエと一緒に歩くと違って見える。


 本屋では、クロエが魔法理論の専門書を熱心に読んでいた。


「この本、とても面白いんです」


 クロエが目を輝かせて説明してくれる。タクヤくんと共通の話題を見つけられて、心が弾んでいる。


「造形魔法の新しい応用について書いてあるんです」

「へぇ」


 俺が興味深そうに聞く。


「どんな応用だ?」


「生物の動きを再現する技術です」


  クロエが嬉しそうに話す。



 タクヤくんが自分の話に興味を持ってくれることが、何より嬉しかった。



「銅像に簡単な動作をさせることができるかもしれません」


 クロエの知識の深さに、改めて感心した。

 彼女は本当に優秀な魔法使いなのだ。


 次に、雑貨屋で小さなアクセサリーを見た。

 クロエが可愛らしいヘアピンに目を留める。


「これ、綺麗ですね」

「買ってあげよう」


 俺が提案すると、クロエが慌てて手を振る。


「い、いえ、そんな」



 心の中では、タクヤくんからのプレゼントが欲しくてたまらなかった。でも、遠慮してしまう。



「大丈夫だ」


 俺がヘアピンを購入して、クロエに渡す。


「君に似合うと思う」


 クロエが嬉しそうにヘアピンを受け取る。


「ありがとうございます」


 

 タクヤくんからの初めてのプレゼント。

 クロエにとって、これは何よりも大切な宝物になった。



 すぐにそのヘアピンを付けると、クロエの印象がさらに可愛らしくなった。

 普段の地味な印象とは全然違う。


 その後、魔法大学内の娯楽施設も回った。

 小さな公園では、魔法で作られた美しい花々が咲いている。

 クロエがそれらの花を見ながら、幸せそうに微笑んでいる。


「タクヤくん」


 クロエが振り返る。


「今日は、本当にありがとうございます」

「俺も楽しいよ」


 俺が正直に答える。


 実際、クロエと過ごす時間は思っていた以上に楽しかった。

 彼女の知識の豊富さ、優しい性格、そして時々見せる可愛らしい表情。

 普段は気づかなかった魅力を、たくさん発見できた。


 クロエの心は歓喜で満ちていた。タクヤくんが楽しんでくれている。これ以上の幸せがあるだろうか。




◇◇◇




 夕方になって、俺たちは魔法大学敷地内で一番高級なレストランに入った。

 『ムーンライト・テラス』という名前の、夜景が美しいレストランだ。

 学生には少し高級すぎる店だったが、フィギュア販売で稼いだ金貨があるので問題ない。


「こんな素敵なお店に来たの、初めてです」



 クロエが感動している。実は、彼女は高級レストランなど一度も入ったことがなかった。



「料理もすごく美味しそう」


 俺たちは窓際の席に座った。

 夕日が魔法大学の建物を美しく照らしている。


「夜景も綺麗だな」


 俺が窓の外を眺める。


「ああ」


 クロエが頷く。


「とても綺麗です」



 でも、クロエにとって一番美しいのは、目の前にいるタクヤくんだった。



 料理が運ばれてきて、俺たちはゆっくりと食事を楽しんだ。

 クロエは最初緊張していたが、だんだんリラックスしてきたようだった。

 魔法の話から、最近読んだ本の話まで、色々なことを話した。


 クロエの知識の深さと、純粋な人柄に、俺は改めて感心していた。


 やがて日が暮れて、窓の外には美しい夜景が広がった。

 魔法で作られた街灯が、幻想的な光を放っている。


「綺麗ですね」


 クロエが窓にもたれながら呟く。


「まるで夢みたい」


「ああ」


 俺も同意する。


「こんなに美しい夜景は初めて見た」


 そのとき、クロエがこちらを向いた。

 顔が真っ赤になっている。

 アホ毛も激しく跳ねている。

 何か重要なことを言おうとしているようだった。



 クロエの心の中では、最後の勇気を振り絞っていた。この機会を逃せば、きっと二度とこんなチャンスは来ない。今しかない。



「あの…タクヤくん」


 クロエが震え声で切り出す。


「3人目の奥さんって…興味ありますか?」



 その言葉は、クロエが何日も何夜も考え抜いた末の、命がけの告白だった。



 俺は最初、クロエが何を言っているのか理解できなかった。

 3人目の奥さん?

 それがどういう意味なのか、すぐには分からなかった。


 でも、少し時間を置いて、その意味に気づいた時、俺の目は見開かれた。

 まさか。

 クロエが。

 俺の3番目の妻になりたいと。

 そういう意味なのか。


「君が…」


 俺が震え声で聞く。


「俺の3人目の妻に?」


 クロエが小さく頷いた。

 顔は真っ赤で、今にも泣き出しそうな表情だった。

 でも、その目は真剣だった。人生をかけた真剣さがそこにあった。


「ボクなんかじゃ、ダメでしょうか」


 クロエが小さな声で聞く。自分を卑下しながらも、最後の希望にすがりついていた。


「インキャ底辺ゴミ女のボクなんて」


「そんなことない」


 俺が慌てて否定する。


「君は素晴らしい女性だ」

「優秀で、優しくて、とても可愛らしい」

「君なら…」


 俺が深呼吸をする。


「嬉しいな」



 クロエの目から、大粒の涙がこぼれた。

 でも、それは悲しみの涙ではなく、喜びの涙だった。

 想いが、ついに報われた瞬間だった。



「本当ですか?」


「ああ」


 俺が頷く。


「でも、すぐには決められない」

「エリカとルナにも相談しないといけないし」


「分かってます」


 クロエが涙を拭きながら答える。


「お返事は、いつでもいいです」

「でも、今日は夢みたいに幸せでした」


 クロエが微笑む。

 その笑顔は、今まで見た中で一番美しかった。心からの幸福に満ちた、天使のような笑顔だった。


 レストランを出た後、俺たちは魔法大学の美しい庭園を歩いた。

 月明かりが二人の道を照らしている。


「今日は、本当にありがとうございました」


 クロエが俺の隣を歩きながら言う。


「ボクの人生で、一番幸せな一日でした」


「俺も楽しかった」


 俺が答える。


「君といると、心が穏やかになる」


「そんな風に言ってもらえて、嬉しいです」


 クロエが幸せそうに微笑む。


 俺たちは寮の前まで戻ってきた。

 もうすぐお別れの時間だ。


「今日は、本当にありがとうございました」


 クロエが深々と頭を下げる。


「こんなボクとデートしてくださって」


「こちらこそ」


 俺が答える。


「素敵な時間をありがとう」


 クロエが顔を上げると、その頬は夕日のように美しく染まっていた。


「おやすみなさい、タクヤくん」

「ああ、おやすみ」


 クロエが自分の部屋に向かって歩いて行く。

 その後ろ姿を見送りながら、俺は今日のことを振り返っていた。


 まさか、こんな展開になるとは思わなかった。

 クロエが俺の3番目の妻になりたいなんて。

 エリカとルナは、どう思うだろうか。


 でも、クロエは本当に素晴らしい女性だった。

 今日のデートで、それがよく分かった。


 俺は自分の部屋に戻ると、ベッドに横になった。

 今日のクロエの笑顔が、まぶたに焼き付いている。

 彼女の純粋な想い、優しい性格、そして可愛らしい魅力。

 すべてが俺の心に深く刻まれた。


 窓の外では、満月が美しく輝いている。

 まるで、今日の俺たちを祝福してくれているかのように。

 俺は幸せな気持ちで眠りについた。

 クロエとの未来について、美しい夢を見ながら。




◇◇◇




 一方、クロエの部屋では、彼女がウェディングドレス姿の自分の銅像と、タキシード姿の拓也の銅像を見つめていた。


「今日、本当に夢みたいでした」


 クロエが銅像に向かって話しかける。涙が止まらない。嬉しさの涙が。


「タクヤくんが、ボクの気持ちを受け入れてくださって」


 彼女はデートで身に着けていたヘアピンを大切に手に取る。タクヤくんからの初めてのプレゼント。


「きっと、いつか本当にこんな日が来ますよね」


 クロエが銅像の拓也の手を、そっと握る。

 冷たい銅の感触だったが、彼女にはとても温かく感じられた。


 クロエは机に向かい、日記を書き始める。今日という日を、決して忘れたくなかったから。


『今日、ボクは人生で一番勇気を出しました。タクヤくんにデートを申し込んで、そして告白まで。

震えながら、泣きながらでしたが、ボクの想いを伝えることができました。

タクヤくんは優しく受け入れてくださいました。

今日のことは、一生忘れません。

タクヤくん、本当にありがとうございました。』


 日記を書き終えると、クロエは銅像の二人を見つめる。


「おやすみなさい、タクヤくん」


 クロエが幸せそうに微笑みながら、ベッドに横になる。


 今日のデートの思い出が、彼女の心を暖かく包んでいた。

 拓也と手を繋いだ感触、一緒に見た夜景、そして最後の告白。

 すべてが宝物のような記憶だった。


 月明かりが、部屋の中の二つの銅像を優しく照らしている。

 まるで、クロエの恋心を応援してくれているかのように。


 その夜、クロエは人生で一番幸せな夢を見た。

 拓也と一緒に歩く、美しい未来の夢を。

 白いウェディングドレスを着た自分と、タキシードの拓也。

 そして、二人を祝福する人々。


 夢の中で、拓也がクロエに言う。


「君と結婚できて、本当に幸せだ」


 クロエが答える。


「ボクこそ、あなたに愛していただけて、この世で一番幸せです」


 魔法大学での日々は、新しい恋の物語と共に続いていく。

 クロエの純粋で必死な想いが、どんな結末を迎えるのか。

 それは、まだ誰にも分からなかった。


 でも一つだけ確かなことがある。

 クロエは今日、人生で最も勇敢だった。

 そして、その勇気が、小さな奇跡を起こしたのだ。

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