第七十五話「魔王の実子!?」
クロエの銅像を完成させてから数日後、俺は魔法大学の図書館で勉強していた。
造形魔法の理論書を読んでいると、隣の席にアリシア・ノーマンが座った。
16歳の天才美少女で、魔法理論に関しては同じアドバンスクラスでも群を抜いている。
「お疲れ様です、タクヤ」
アリシアが丁寧に挨拶する。
彼女はいつも礼儀正しいが、どこか人との距離を保っているような印象もある。
恋愛経験どころか、友人関係すら限定的なのかもしれない。
「ああ、お疲れ様」
俺が答える。
「今日も勉強か?」
「はい」
アリシアが魔法理論の専門書を開く。
その本は俺には理解不能なレベルの高度な内容だった。
「でも、理論ばかりで実践が少ないのが悩みです」
「実践?」
「魔力測定の検査員では数値は分かるのですが」
アリシアが困った顔をする。
その表情には、16歳らしい純真さが残っていた。
「実際に魔法を使った時の威力が、どの程度なのかよく分からないんです」
「恋愛とか、そういうものと同じで、理論だけでは分からない部分があるということでしょうか」
その比喩を聞いて、俺は思わず苦笑した。
この子は本当に恋愛経験が皆無なんだな、と理解できた。
確かに、魔法大学では安全のため、威力の高い魔法の実践練習は制限されている。
基礎的な魔法しか使えないから、本当の実力が分からないのも当然だ。
「それなら、一度試してみるか?」
俺が提案する。
「空いている部屋で、実際に魔法を使ってみよう」
「本当ですか?」
アリシアが目を輝かせる。
その反応は、まるで初めてデートに誘われた少女のようだった。
彼女にとって、これは貴重な体験なのだろう。
「でも、危険じゃないでしょうか」
「大丈夫だ」
俺が答える。
「俺がついてるから」
その言葉を聞いて、アリシアの頬が微かに赤らんだ。
男性からの「守ってあげる」という言葉に、慣れていない反応を示している。
俺たちは使われていない実技室を借りた。
比較的広い部屋で、魔法の練習用に防護魔法がかけられている。
「何の魔法を試したい?」
俺が聞く。
「水魔法でお願いします」
アリシアが答える。
「一番得意な魔法なんです」
「分かった」
俺が頷く。
「じゃあ、適当に水魔法を使ってみて」
「はい」
アリシアが部屋の中央に立つ。
俺は安全のため、部屋の隅に下がった。
「それでは、初級水魔法から」
アリシアが詠唱を始める。
その瞬間、部屋の空気が変わった。
彼女の魔力が解放され始めたのだ。
その圧迫感は、まるで嵐の前触れのようだった。
「『水魔法:ウォーターボール』」
初級魔法の中でも、最も基礎的な術だ。
普通なら、バスケットボール程度の水球ができる。
ところが。
ゴオオオオオッ!
部屋全体が、巨大な水の塊で満たされた。
床から天井まで、すべてが水で覆い尽くされる。
その水の量は、まるで湖が突然現れたかのような規模だった。
水圧で家具が押し流され、魔力の余波で空気が震える。
バリバリッ!
部屋の窓ガラスが水圧で割れて、水が外に溢れ出す。
建物全体が軋むような音を立てている。
「うわああああっ!」
俺が叫びながら、瞬間移動で部屋の外に逃げる。
部屋の中は完全に水没状態だった。
廊下にも水が流れ出し、他の部屋の学生たちが何事かと顔を出している。
「これは一体何が起こったんだ?」
教師たちが慌てて駆けつけてくる。
数分後、魔法の効果が切れて水が引いていく。
ずぶ濡れになったアリシアが、申し訳なさそうに立っていた。
彼女の周りには、水魔法の残滓がキラキラと光っている。
「ご、ごめんなさい」
アリシアが慌てて謝る。
その表情は、まるで初めて失敗を犯した子供のように純真だった。
「初級魔法のつもりだったんですが」
「いや、大丈夫だ」
俺が震え声で答える。
内心では、とんでもない魔力量に驚愕していた。
あれが初級魔法だって?
どう見ても災害レベルの威力だった。
「もしかして、君の魔力って相当高いのか?」
「測定では、Sクラス相当と言われました」
アリシアがさらっと答える。
まるで「身長は160センチです」と言うのと同じ調子で。
Sクラス。
魔王軍幹部と同等の魔力量じゃないか。
それも、16歳で未完成の状態での数値だ。
完全に覚醒したら、どれほどの力を持つことになるのか。
俺は心の中で固く誓った。
絶対にアリシアには喧嘩を売らない、と。
下手すると、一瞬で蒸発させられる。
16歳の美少女が、実は最強クラスの魔法使いだったなんて。
しかも、その力を本人が完全に理解していない。
恋愛経験がないのと同じように、自分の真の力も把握できていないのだ。
魔法大学、恐るべし。
◇◇◇
翌日、俺はレオナルドと一緒に買い物に出かけた。
魔法大学の敷地内には、小さな商店街があるのだ。
学生向けの本屋や雑貨店、食堂などが並んでいる。
「師匠、何を買いに?」
レオナルドが聞いてくる。
「造形魔法の材料だ」
俺が答える。
「新しい作品を作ろうと思ってる」
「どんな作品ですか?」
「まだ秘密だ」
俺が微笑む。
実は、ルナの銅像を作ろうと考えていた。
家族の記念品として、きっと喜んでもらえるだろう。
「それでは、粘土を買いに行きましょう」
レオナルドが提案する。
俺たちは商店街の中ほどにある画材店に向かった。
その途中、俺は妙な違和感を覚えた。
誰かに見られているような気がする。
振り返ると、商店街の角に怪しい影があった。
フードを深くかぶった人物が、こちらを見ている。
魔法大学の制服を着ていて、胸にはアドバンスクラスの勲章が付いていた。
同じクラスの学生のようだが、誰だろう?
フードのせいで顔が見えない。
それに、なんだか人間らしからぬ雰囲気がある。
「レオナルド、ちょっと待ってくれ」
俺がレオナルドを制止する。
「あそこの人物、気になる」
「どちらですか?」
レオナルドが視線を向けるが、その人物は路地裏に消えていた。
「追いかけよう」
俺が決断する。
何か嫌な予感がしていた。
俺たちは急いで路地裏に向かった。
狭い道の奥で、フードの人物が立ち止まっている。
近づくと、やはり普通の人間ではない気配がした。
俺はルナから教わった身体検査の魔法を使ってみる。
「精霊よ、隠された真実を我に示せ」
魔法の光が、フードの人物を包んだ。
すると、その正体が明らかになった。
人間ではない。
魔族だった。
しかも、かなり強力な魔力を持っている。
魔王軍幹部クラスの気配だ。
「やばい」
俺が慌てて瞬刃ブリンクを抜く。
「レオナルド、下がってろ」
「は、はい」
レオナルドも異常事態を察して身構える。
彼の拳が、わずかに光っている。
戦闘態勢だ。
ところが、魔族の反応は予想外だった。
「あ、あわわわ」
フードの中から、オドオドした声が聞こえる。
その声は、まるで迷子になった子供のようだった。
「バレちゃった」
魔族がフードを取ると、意外にも若い男性の顔が現れた。
青白い肌に、頭に小さな角が生えている。
確かに魔族の特徴だが、どこか頼りない印象だった。
その表情は純真そのもので、悪意のかけらも感じられない。
「待って待って」
魔族が慌てて両手を上げる。
その仕草は、まるで子供が「ごめんなさい」をしているようだった。
「余は悪い魔族じゃないよ」
「悪い魔族じゃない?」
俺が困惑する。
「魔族は全部悪だろ」
今まで戦った魔王軍幹部は、みんな残虐で冷酷だった。
人間を殺すことを何とも思わない連中ばかりだった。
「それは偏見だよ」
魔族が抗議する。
その口調は、まるで不当な扱いを受けた子供のようだった。
「余は一度も人を殺したことがない」
「蟻も踏まないように歩いてるんだ」
その発言を聞いて、俺は思わず拍子抜けした。
蟻を踏まないように歩く魔族なんて、聞いたことがない。
「本当か?」
「本当だよ」
魔族が必死に訴える。
その目は、嘘をついているようには見えない。
むしろ、純粋すぎるほど澄んでいる。
「余の名前はヴァル」
「魔王の実子なんだけど、人殺しは嫌いなんだ」
「血を見るのも苦手だし、誰かが泣いてるのを見ると悲しくなっちゃう」
魔王の実子?
それは大変な事実だった。
でも、本人の性格を見る限り、とても魔王の息子には見えない。
「それで、何でここにいる?」
俺が警戒しながら聞く。
「実は」
ヴァルが困った顔をする。
その表情は、まるで宿題を忘れた小学生のようだった。
「お父様に命令されて来たんだ」
「この魔法大学の人間を、皆殺しにしろって」
俺とレオナルドが身構える。
やはり危険な存在だったのか。
「でも、やりたくないんだ」
ヴァルが続ける。
その声には、心からの嫌悪が込められていた。
「人間と仲良くなりたいって気持ちがあるから」
「みんな殺せなんて、できるわけない」
「この前、魔法大学の人族が杖を無くして探してたから見つけてあげたんだ」
「そしたら『ありがとう』って笑顔で言ってくれて」
「そんな人たちを殺すなんて、絶対に嫌だよ」
ヴァルの表情は、本当に困り果てているように見えた。
魔族なのに、人間に害を与えたくないなんて。
しかも、その理由が純粋すぎるほど善良だった。
「嫌ならやらなきゃいいじゃん」
俺が軽い調子で答える。
「誰も強制はできないだろ」
「そっか」
ヴァルが目を輝かせる。
まるで新しい遊びを教えてもらった子供のような表情だった。
「そうだよね」
「余がやりたくなければ、やらなくていいんだ」
「お父様には『みんな仲良くしてるから殺せませんでした』って言おう」
なんだか、すごく単純な思考回路のようだ。
本当に危険な魔族なのか疑わしくなってきた。
「もしかすると、魔族とも分かり合えるかもしれないな」
俺が思いつきで言う。
「友好の証として、握手でもしてみるか?」
「本当?」
ヴァルが嬉しそうになる。
その表情は、まるで初めて友達ができた子供のようだった。
「人間と握手なんて、初めてだよ」
「お父様に『人間と握手した』って自慢しちゃおう」
俺が右手を差し出すと、ヴァルも手を伸ばしてきた。
握手を交わそうとした瞬間。
バキバキバキッ!
俺の手に、激痛が走った。
「痛い痛い痛いっ!」
俺が叫ぶ。
ヴァルの握力が、想像以上に強かった。
人間の骨なんて簡単に砕けそうな力だ。
「あ、ごめん」
ヴァルが慌てて手を離す。
その表情は、まるで大切なものを壊してしまった子供のようだった。
「つい力が入っちゃった」
「嬉しくて、つい」
俺の右手は真っ赤に腫れ上がっていた。
骨は折れていないようだが、かなりのダメージを受けている。
「大丈夫ですか、師匠?」
レオナルドが心配そうに聞く。
「大丈夫じゃない」
俺が苦笑する。
「この握力、とんでもないな」
ヴァルは魔族らしい身体能力を持っているようだった。
見た目は頼りないが、実際の力は相当なものだ。
「本当にごめん」
ヴァルが申し訳なさそうにする。
その目には、本当に申し訳ないという気持ちが込められていた。
「余、力加減がよく分からないんだ」
「人間は魔族より弱いって聞いてたけど、どのくらい弱いか分からなくて」
「卵を割らないように持つのと同じ感覚なのかな?」
「今度気をつけてくれ」
俺が手を振りながら答える。
それにしても、変わった魔族だった。
人を殺したくない魔王の息子で、力加減が分からない純真な性格。
敵として現れたはずなのに、全く敵意を感じない。
「ところで、ヴァル」
俺が聞く。
「魔法大学で何をするつもりだったんだ?」
「えーっと」
ヴァルが曖昧に答える。
その表情は、まるで計画を立てずに遠足に来てしまった子供のようだった。
「とりあえず学生に混じって、様子を見ようと思って」
「でも、みんな優しそうだから、殺せそうにない」
「図書館で勉強してる人たちを見てたら、みんな一生懸命で」
「食堂でお友達と楽しそうに話してる人族たちもいて」
「そんな人たちに害を与えるなんて、絶対にできないよ」
本当に人を殺すのが嫌いなようだった。
魔族にしては珍しいどころか、人間よりも善良な性格だ。
「それなら、しばらく学生として過ごしてみたらどうだ? 同じクラスメイトだし」
俺が提案する。
「人間のことを理解できるかもしれない」
「いいの?」
ヴァルが驚く。
その反応は、まるで「本当に遊んでいいの?」と聞く子供のようだった。
「魔族の余を受け入れてくれるの?」
「まあ、人に害を与えなければ」
俺が答える。
「でも、正体がバレたら大変だぞ」
「分かった」
ヴァルが頷く。
その表情は真剣そのものだった。
「余、頑張って人間のフリをする」
「整形魔法を使えば、バレないしね」
「お友達もできるかな?」
こうして、俺たちは思いがけない形で魔族と友好関係を結ぶことになった。
ヴァルは見た目こそ魔族だが、性格は意外にも温厚だった。
というより、人間よりもはるかに純粋で善良だった。
人間を殺したくない魔王の息子。
これは、魔王軍との関係に大きな変化をもたらすかもしれない。
◇◇◇
一方、クロエの部屋では、彼女が二つの銅像を見つめていた。
ウェディングドレスの自分と、タキシードの拓也。
結婚式のワンシーンを再現した、美しい光景。
「おやすみなさい、拓也さん」
クロエが銅像に向かって呟く。
「また明日、お会いしましょう」
彼女の秘密の恋心は、まだ誰にも知られていなかった。
でも、その想いは日に日に強くなっていく。
銅像の中でだけでも、拓也と結ばれていたかった。
それが、クロエの小さな幸せだった。
月明かりが、二つの銅像を優しく照らしている。
まるで、本当の結婚式を祝福するかのように。
クロエは幸せそうな表情で、眠りについた。
夢の中でも、きっと拓也と一緒にいることだろう。
永遠に続く、美しい夢の中で。




