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第七十二話「変態と帰還」


 翌日の夕方、ついに脱出の時がやってきた。

 俺は監禁部屋で透の合図を待っていた。


 心臓がバクバクと鳴っている。

 この絶望的な監禁状態から本当に抜け出せるのだろうか。

 もしも計画が失敗したら、雪菜の怒りを買うことになる。

 そうなれば、今度こそ逃げ場はなくなるだろう。永遠にこの暗い部屋で、狂気の愛情に囲まれ続けることになる。


 俺は震える手で壁にもたれ、絶望の淵で最後の希望にすがっていた。


 しばらくして、扉を開く音が聞こえた。

 透が入ってくる。


「準備はいいですか?」


 透が小声で尋ねる。


「ああ」


 俺が頷く。心の奥底から希望の光が差し込み始める。


「雪菜の様子はどうだ?」

「薬を飲ませました」


 透が報告する。


「夕食後のお茶に混ぜたんです」

「効果はあったのか?」

「はい」


 透が頷く。


「雪菜様は、お茶を飲んだ後すぐに眠くなったようで」

「今は自分の部屋で、すうすうと眠っています」


 俺はほっと息をついた。

 絶望の底から這い上がる第一歩だ。

 計画の第一段階は成功したようだ。


「それじゃあ、行こう」


 俺が立ち上がる。

 久しぶりに感じる希望の重みで、足が震える。


「でも、急がないと」

「薬の効果は三十分程度ですから」


 透が急かす。


「その間に、できるだけ遠くまで逃げましょう」


 俺たちは監禁部屋を出て、廊下を歩いた。


 自由への一歩一歩が、俺の心を軽くしていく。

 ここがどこなのか、俺にはよくわからない。

 古い城のような建物で、薄暗い廊下が続いている。


「この建物は何なんだ?」


 俺が透に尋ねる。


「雪菜様が用意した隠れ家です」


 透が答える。


「セリア大陸の山奥にあります」

「人里から離れた、秘密の場所です」


 なるほど、だから誰にも見つからなかったのか。


 俺たちは慎重に廊下を進んだ。

 途中、雪菜の部屋の前を通りかかった時、中から寝息が聞こえてきた。


 本当に眠っているようだ。

 俺は少し複雑な気持ちになった。


 雪菜の狂気的な愛情は恐ろしいが、眠っている時の彼女は無邪気に見える。

 昔、まだ普通の従姉だった頃の雪菜を思い出してしまう。


 俺は立ち止まって、髪の毛を一本抜いた。


「何をしているんですか?」


 透が困惑する。


「急がないと」

「ちょっと待ってくれ」


 俺が雪菜の部屋の机の上に、自分の髪の毛を置く。


 せめてもの情けだった。

 絶望に沈む彼女への、最後の優しさ。

 雪菜が目を覚ました時、俺の髪の毛があれば少しは慰めになるかもしれない。


「拓也さん、優しいんですね」


 透が呟く。


「あれだけ酷い目に遭わされたのに」

「雪菜だって、昔は普通の女の子だったんだ」


 俺が答える。


「こんな風になったのも、俺に原因があるのかもしれない」

「でも、今の雪菜様は危険です」


 透が警告する。


「情けをかけすぎると、また捕まってしまいます」

「わかってる」


 俺が頷く。


「行こう」


 俺たちは建物から脱出して、外に出た。


 新鮮な空気が肺に流れ込む。自由の味だ。

 絶望の監禁から解放される瞬間、俺の心は希望で満たされた。

 夜の山道を、必死に走った。


 雪菜が目を覚ます前に、できるだけ遠くまで逃げなければならない。


 三十分後、俺たちは山の麓まで辿り着いていた。

 そこで馬車を調達して、王都に向かった。




◇◇◇




 朝方、ようやく王都に到着した時、俺たちは疲れ果てていた。

 しかし、その疲労感さえも自由の証だった。


「何とか逃げ切れたな」


 俺がほっと息をつく。

 希望の光が心を照らしている。


「でも、雪菜はすぐに追ってくるかもしれません」


 透が心配そうに言う。


「急いで、ここからも離れましょう」


 俺は悩んだ。


 ルナとミアは、もうヴェリア大陸に向かっているだろう。

 クロエの母親の治療を急がなければならないからだ。


 俺もヴェリア大陸に行かなければならないが、問題は移動手段だった。

 瞬間移動はあと六日間使えない。


 通常の船だと、1ヶ月はかかる。

 どちらにしても時間がかかる。


 俺が街中で悩んでいると、見知った顔が現れた。


「おお、タクヤじゃないか!」


 声をかけてきたのは、王国騎士団のアレンだった。

 俺が最初にカレン村にいた頃、雪菜を逮捕してくれた騎士だ。

 俺じゃない、真の英雄だ。


「アレン?」


 俺が驚く。

 まさかこんなところで。希望の神が導いてくれたのかもしれない。


「なんでここに?」

「王都勤務が多くてな」


 アレンが説明する。


「昇進したはいいものの、雑務がほとんどだ」

「それよりも、タクヤ殿は元気そうだな」


 俺はアレンに事情を説明した。

 雪菜に捕まっていたこと、透に助けられたこと、ヴェリア大陸に急いで行かなければならないこと。


「なるほど」


 アレンが理解を示す。


「それは大変だったな」

「でも、ヴェリア大陸まで急ぐとなると…」

「何かいい方法はないか?」


 俺がお願いする。


「君は王国騎士団の幹部だろう?」

「そうだな」


 アレンが考える。


「タクヤは勇者だから」

「王国騎士団として、協力するのは当然だ」


 俺は苦笑いした。

 この人は、まだ俺のことを勇者だと思っているのか。

 俺なんて、ただの偶然で魔王軍の幹部を倒しただけなのに。


「高速船を手配しよう」


 アレンが提案してくれる。


「王国騎士団の権限で、特別便を出すことができる」

「通常1ヶ月のところを、一週間でヴェリア大陸まで行けるんだ」

「本当か?」


 俺が喜ぶ。希望の扉がついに開かれた。


「それは助かる」

「ただし」


 アレンが条件を出す。


「私も同行させてもらう」

「久しぶりに実戦から離れていたので、外の世界を見たいんだ」

「もちろんだ」


 俺が即答する。


 アレンの協力は非常に心強い。

 こうして、俺たちは王国騎士団の高速船でヴェリア大陸に向かうことになった。


 一週間の船旅は、思った以上に快適だった。

 高速船は最新の魔法技術で推進されており、普通の帆船とは比べ物にならない速さだった。


 船の中で、俺は透ともう少し詳しく話をした。


「透、君は本当になぜ俺を助けてくれたんだ?」


 俺が改めて尋ねる。


「エリカの罵倒が欲しいというのは本当なのか?」

「はい」


 透が恥ずかしそうに答える。

 その表情は明らかに変態のそれだった。


「僕は変態ですから」


 透の目が異常にギラギラと光る。

 まるで獲物を見つけた獣のように。


「雪菜様の冷たい扱いより、エリカさんの熱い罵倒の方が興奮するんです」

「エリカさんの罵倒を想像するだけで、もう…」


 透の頬が不気味に赤く染まり、よだれを垂らしそうになっている。

 その気持ち悪さは見ているだけで鳥肌が立つ。


 俺は首を振った。

 この男の性癖は、本当に理解できない。

 でも、結果的に俺を助けてくれたのだから、文句は言えない。


「わかった」


 俺が約束する。


「エリカに頼んで、君を罵倒してもらう」

「ありがとうございます!」


 透が涙を流して喜ぶ。

 その表情がますます気持ち悪い。




◇◇◇




 一週間後、俺たちはヴェリア大陸の港に到着した。


「ここでお別れだな」


 アレンが別れの挨拶をする。


「私は王都に戻らないといけない」

「本当にありがとうございました」


 俺が深く頭を下げる。


「アレンさんのおかげで、間に合いました」

「感謝はよしてくれ」


 アレンが微笑む。


「勇者の手助けができて光栄だからな」


 アレンと別れた俺たちは、急いでエルフの村に向かった。


 村に到着すると、いつもの平和な風景が広がっていた。


 でも、俺の心は不安でいっぱいだった。

 クロエの母親は、まだ生きているだろうか。

 生命の花の治療は成功しただろうか。


 ムーンライト家の屋敷に着くと、すぐに異変に気づいた。

 庭で透がいきなり殴り飛ばされたのだ。


「痛っ!」


 透が地面に倒れる。


 殴ったのは、フェリス・コレット先生だった。

 猫獣人の家庭教師で、普段は優しい彼女が、明らかに怒っている。


「よくも帰ってこられたものニャ」


 フェリス先生が透を睨みつける。

 その瞳には、愛する人を殺されかけた者の怒りが燃えている。


「ガルドを殺しかけたくせに」


 フェリス先生が透の腹に渾身の蹴りを叩き込む。


「うぐっ」


 透が苦しそうにうめく。


「このクソ野郎ニャ!」


 フェリス先生が透の顔面を拳で殴りつける。

 血が飛び散る。


「ガルドがどんなに苦しんだと思ってるニャ!」


 続けざまに腹部に膝蹴りを叩き込む。

 透の顔が青ざめる。


「フェリス先生、待って」


 俺が止めに入ろうとしたが、他の人たちは止めなかった。

 ガルド、グロム、ミミ、みんな透を睨んでいる。


 確かに、透は銃でガルドを撃った。

 みんなにとって、彼は裏切り者なのだ。


「ふざけるなニャ!」


 フェリス先生が透の髪を掴んで顔を上げさせ、思い切り平手打ちを食らわせる。

 パンという音が響く。


「許さないニャ、絶対に許さないニャ!」


 今度は足で透の脇腹を蹴り上げる。透の体が宙に浮く。


「でも」


 俺が説明しようとする。


「透は俺を助けてくれたんだ」

「そんなの関係ないニャ」


 フェリス先生が怒る。透の胸ぐらを掴んで揺さぶる。


「ガルドを傷つけた罪は消えないニャ」


 フェリス先生は透の顔面にもう一度拳を叩き込む。鼻血が噴き出す。


「うあああ」


 透が鼻を押さえて呻く。


「まだまだ足りないニャ!」


 フェリス先生が透の胃のあたりに膝蹴りを食らわせる。透が胃液を吐く。

 透は反撃しようとしなかった。

 自分の罪を受け入れているようだった。


 そんな混乱の中、エリカが俺に気づいた。


「タクヤ!」


 エリカが俺に駆け寄って抱きついてくる。

 絶望の淵から希望の光へと導かれた俺を、温かく迎えてくれる。


「本当に無事だったのね」


 エリカが泣きながら俺を抱きしめる。


「心配したのよ、すごく心配したの」

「もう二度と、いなくならないで」


 俺はエリカの温もりを感じて、やっと家に帰ってきた実感がわいた。

 絶望から希望へと変わったこの瞬間を、心に刻み込む。


「ただいま」


 俺がエリカを抱きしめ返す。


「心配をかけて、すまなかった」

「でも、もう大丈夫だ」

「本当に?」


 エリカが俺の顔を見つめる。


「ユキナは?」

「しばらくは大丈夫だと思う」


 俺が答える。


「それより、みんなに説明したいことがある」


 俺は集まった仲間たちに、雪菜に捕まっていた間のことを説明した。

 透が実は俺を助けてくれたこと。

 彼なりの理由があったこと。


「そんなことがあったのニャ」


 フェリス先生が透への攻撃を止める。

 透は既にボロボロで、顔は腫れ上がり、服は血まみれになっている。


「でも、まだ許さないニャ」


 みんなも複雑な表情を見せている。

 透が俺を助けたのは事実だが、ガルドを傷つけた事実も変わらない。


「お疲れ様」


 グロムが俺に歩み寄る。


「大変だったな」

「グロム」


 俺がグロムを見つめる。


「みんな、無事だったか?」

「ああ」


 グロムが頷く。


「ルナとミアは、クロエの母親の治療に向かっている」

「うまくいってるといいが」


 俺はほっとした。

 治療が始まっているなら、まだ間に合うかもしれない。


「それより」


 俺がエリカを見つめる。


「お願いがあるんだ」

「お願い?」

「透を罵倒してもらえないか?」


 俺が説明する。


「それが、透を助けてもらった条件なんだ」

「罵倒?」


 エリカが困惑する。


「何それ、変な趣味ね」


 エリカが透を見る。


 透はボロボロの状態でありながら、期待に満ちた表情で、エリカを見つめている。

 その目つきが異様に気持ち悪い。


「わかったわ」


 エリカがため息をつく。


「このドブネズミ以下の汚物が」


 エリカが透に向かって吐き捨てる。


「気持ち悪いのよ、存在自体が不快」

「生きてることが罪よ、あんたみたいなゴミクズは」

「社会のダニ、人間の屑、最底辺のカス」


 透の顔が異常に恍惚とした表情になる。

 よだれが垂れ始める。


「死んでも誰も悲しまないような価値のない存在」


 エリカが続ける。


「バカ丸出しの顔して、救いようのない間抜け」

「見てるだけで虫唾が走る」

「生まれてきたことを後悔しなさい」

「役立たずの穀潰し」

「あんたの両親が可哀想よ、こんな出来損ないを産んでしまって」


 透の体が小刻みに震え始める。

 完全に変態の極致に達している。


「あああああああ」


 透が興奮しすぎて、その場で白目をむいて気絶してしまった。

 口から泡を吹いている。


 みんなが呆然と透の無様な姿を見つめている。


「これで満足かしら?」


 エリカが俺に尋ねる。


「ああ、ありがとう」


 俺が苦笑いする。


「これで借りは返せた」


 こうして、俺たちの奇妙な再会は終わった。

 透の変態的な性癖には驚いたが、とりあえず約束は果たした。


 絶望の監禁から希望の帰還を果たした俺は、今はただ仲間たちと再会できた喜びに満たされていた。

 

 クロエの母親の治療結果が気になるところだった。

 生命の花の効果で、アンナが回復してくれればいいのだが。

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