第七十一話「監禁」
気がつくと、俺は見知らぬ部屋にいた。
石造りの壁に囲まれた、窓のない部屋。
魔法のランプが薄明かりを投げかけている。
ベッドや椅子などの家具は一通り揃っているが、明らかに監禁用の部屋だった。
そして、壁一面に俺の似顔絵が貼られている。
子供の頃から最近まで、ありとあらゆる俺の似顔絵。まるで狂気的なストーカーの証拠品展示室のようだった。
「起きましたね♡」
雪菜の声が聞こえる。
振り返ると、彼女が椅子に座って俺を見つめていた。その表情は、愛情に満ちているようでいて、どこか狂気を感じさせる。
いや、狂気しか感じさせない。
雪菜の膝の上には、俺のシャツが抱きしめられている。いつの間に盗んだものだろうか。
「ここは…どこだ?」
俺が尋ねる。
「私たちの愛の巣です♡」
雪菜が嬉しそうに答える。その瞳が異常に輝いている。
「ずっと昔から、拓也くんとの生活を夢見て準備していた特別な場所♡」
「一年もかけて、完璧に作り上げました♡」
俺は部屋を見回した。確かに、生活に必要なものは全て揃っている。
しかし、よく見ると恐ろしい光景だった。
ベッドには俺が昔使っていたエリカの枕がある。
机には俺の返り血のついた服が並んでいる。
地面には俺が使っていた筋トレの道具が置かれている。
まるで俺の部屋を完全に再現したかのように。
そして、扉には複数の鍵がかかっているようだし、窓もない。完全な監禁部屋だ。
「拓也くん♡」
雪菜が俺に近づいてくる。
その歩き方が、まるで獲物に近づく捕食者のようだった。
「やっと二人きりになれました♡」
「これからはずっと一緒ですね♡」
雪菜の手が震えている。
興奮のせいだろうか。
それとも、何かを我慢しているのだろうか。
「毎日毎日、拓也くんを見つめていられます♡」
「拓也くんが眠っている時も、起きている時も、食事している時も、お風呂に入っている時も♡」
雪菜が俺の前で立ち止まる。その距離があまりにも近い。
「特に、拓也くんが眠っている時の顔が大好きです♡」
「無防備で、純真で、まるで天使のような♡」
雪菜の呼吸が荒くなってきた。
「今すぐにでも、拓也くんを——」
雪菜が急に口を閉じた。何かを我慢するように、唇を噛んでいる。
「雪菜、俺を解放してくれ」
俺が懇願する。
「俺には帰らなければならない場所がある」
「帰る場所?」
雪菜の表情が一瞬で変わった。愛情から、冷たい殺意に。
「拓也くんの帰る場所は、ここです♡」
「私の隣です♡」
「私の腕の中です♡」
雪菜が俺の手を握ろうとするが、俺は身を引いた。
雪菜の顔が、一瞬悲しそうな表情を見せる。
でも、すぐにいつもの狂気的な笑顔に戻った。
「そうそう、聞きたいことがあるんです♡」
雪菜が俺の前に座る。
その時、彼女のスカートが少し捲れた。
雪菜は全く気にしていない。いや、わざとやっているのかもしれない。
「あの桃髪の虫と、どこまでしたんですか?♡」
「桃髪の虫?」
「ミアっていう子♡」
雪菜の目が少し危険に光る。いや、危険どころではない。完全に殺気を帯びている。
「あの女、自分があなたの恋人だって言ってましたけど♡」
「キスはしたんですか?それとも、もっと?♡」
雪菜の手が、自分の太ももを爪で掻いている。
血が滲んでいるが、彼女は全く痛がっていない。
「もしもキス以上のことをしたなら♡」
雪菜の声が低くなる。
「私、あの女を生きたまま皮を剥いで、拓也くんの前で食べてあげます♡」
俺は答えに困った。
ミアと俺の間には、恋愛関係など何もない。
でも、それを言えばルナが危険にさらされる。
「それは…」
俺が曖昧に答えようとすると、雪菜が首を傾げた。
「拓也くん、なんだか歯切れが悪いですね♡」
「でも、そういえば気になることがあるんです♡」
雪菜が俺に鼻を近づける。
その距離が異常に近い。雪菜の吐息が俺の肌に触れる。
「あの銀髪の虫から、拓也くんの匂いがぷんぷんしてましたよ♡」
俺の血の気が引いた。
雪菜の嗅覚は、異常に発達している。
それをすっかり忘れていた。
「まるで、一緒に寝たみたいに濃厚な匂いでした♡」
雪菜が俺を見つめる。
その瞳に狂気と嫉妬が渦巻いている。
「体液の匂いも混じってました♡」
「あの銀髪の虫とも関係があるんですか?♡」
雪菜の手が再び震え始めた。
今度は明らかに怒りのせいだ。
「もしもそうなら♡」
雪菜が立ち上がる。
「もしも拓也くんがあの虫どもと汚いことをしたなら♡」
雪菜の魔力が暴走し始めた。
部屋の温度が急激に下がる。
「私、拓也くんを清めてあげなくちゃいけませんね♡」
雪菜が俺に近づいてくる。
その歩き方がゆらゆらとしている。
「舌で、全身を舐めて清めてあげます♡」
俺は口を開こうとして、やめた。
何を言っても、雪菜には見抜かれてしまう。
「あら、お返事してくれないんですね♡」
雪菜が微笑む。
「はぁ♡拓也くんってシャイなんだから♡」
雪菜が勝手に納得している。
「でも、私にはわかるんです♡」
雪菜が立ち上がって、部屋の中を歩き回る。
その時、彼女は俺の似顔絵を一枚一枚愛おしそうに撫でている。
「あの銀髪の虫と、茶髪の虫♡」
「拓也くんは、あの二匹と結婚してるんでしょう?♡」
俺が驚いて雪菜を見ると、彼女はにっこりと笑っていた。
でも、その瞬間、近くにあった花瓶が突然ひび割れて粉々になった。
雪菜から発せられる殺気のせいだろう。
「私、怒ってませんよ♡」
雪菜が優しく言う。
しかし、彼女の足元で床が割れ始めている。
「だって、拓也くんは優しいから♡」
雪菜が続ける。
「きっと、あの虫どもに騙されたんですよね♡」
「薬を盛られたり、脅されたりして♡」
「可哀想な拓也くん♡」
雪菜の解釈は完全に間違っている。
でも、訂正しても意味がないだろう。都合よく解釈されてしまう。
「でも、もう大丈夫です♡」
雪菜が俺の前にしゃがみ込む。
その時、雪菜の手が俺の太ももに触れた。
「私がいい解決策を考えました♡」
雪菜の手が、ゆっくりと俺の太ももを撫でている。
「解決策?」
俺が恐る恐る尋ねる。
「はい♡」
雪菜が嬉しそうに答える。
「私と結婚するんです♡」
「そうすれば、あの虫どもとの偽りの結婚は無効になります♡」
雪菜の手が、さらに上に向かって動く。
「そして、ここで永遠に二人きりで暮らすんです♡」
雪菜が夢見るような表情を見せる。
「毎日、愛し合って♡」
「私に大量に子供を産ませてくださいね♡」
「十人でも二十人でも♡」
雪菜の手が俺の股間に近づいてくる。
「今すぐにでも、拓也くんと一つになりたいです♡」
雪菜の呼吸が荒くなる。
「でも、我慢します♡」
「結婚式を挙げてから♡」
雪菜が自分の唇を噛んで、何かを必死に我慢している。
俺は身震いした。
雪菜の狂った愛情表現に、恐怖すら感じる。
「嫌だ」
俺がはっきりと拒絶する。
「俺は君と結婚する気はない」
「そんな生活も望んでいない」
雪菜の表情が一瞬凍りついた。
そして、次の瞬間——
バキン!
俺の頬に強烈な平手打ちが飛んだ。
「っ!」
俺が床に倒れる。
雪菜の力は異常に強い。
人間離れしている。
「拓也くん♡」
雪菜が俺の上に覆いかぶさってくる。
「そんなこと言っちゃダメです♡」
雪菜の目が完全に狂っている。
愛情と憎悪が入り混じった、恐ろしい表情。
「私がどれだけ拓也くんを愛しているか、わからないんですか?♡」
雪菜が俺の首を掴む。
「この七年間、毎日毎日拓也くんのことばかり考えてたんです♡」
「拓也くんの似顔絵を書いて、抱きしめて眠って♡」
「拓也くんの声を想像して、毎日聞いて♡」
「拓也くんの髪の毛を集めて、枕の中に入れて♡」
雪菜の告白が続く。
その一つ一つが、俺の絶望を深くしていく。
「でも、今はまだそう思ってるかもしれません♡」
雪菜が俺から離れて立ち上がる。
「でも、時間が経てばわかりますよ♡」
「私がどれほど拓也くんを愛しているか♡」
雪菜の手が、再び震えている。
我慢の限界が近づいているようだ。
「でも、私は優しいんです♡」
「拓也くんに考える時間をあげますね♡」
「二日間、ゆっくり考えてください♡」
雪菜が扉に向かう。
「二日後に、お返事を聞かせてくださいね♡」
「もし断ったら?」
俺が尋ねる。
雪菜が振り返って、今まで見たこともないような冷たい笑顔を見せた。
「そんなこと、考えたくありません♡」
雪菜が一歩俺に近づく。
「でも、もしも拓也くんが私を拒絶するなら♡」
「私、この世界のすべてを破壊します♡」
「拓也くんを愛する人たち、全員殺します♡」
「そして、拓也くんも私も一緒に死にます♡」
雪菜の言葉に、俺は絶望した。
「でも、きっと拓也くんは私を選んでくれますよね♡」
雪菜が再び甘い笑顔に戻る。
「だって、私たちは運命の相手なんですから♡」
雪菜が部屋を出て行く。
複数の鍵をかける音が聞こえる。
俺は一人、監禁部屋に取り残された。
どうすればいいんだ。
このままでは、本当に雪菜の狂気に付き合わされることになる。
でも、逃げる方法が思い浮かばない。
瞬間移動も使えない。
強制転移を使った反動で、一週間は能力が封印されている。
物理的に脱出しようにも、俺の力では雪菜には敵わない。完全に詰んでいる。
俺はベッドに座り込んで、頭を抱えた。
ルナとエリカ、リオネル、みんなに会いたい。でも、もう会えないかもしれない。
それどころか、雪菜の脅しが本当なら、みんなが危険にさらされる。
俺が拒絶すれば、雪菜は本当に世界を破壊するかもしれない。
そんな絶望的なことを考えていると、扉を開く音が聞こえた。
まだ二日も経っていない。雪菜が戻ってきたのか?
でも、入ってきたのは別の人物だった。
「透…」
俺の元仲間だった男が、部屋に入ってくる。
以前と変わらない外見だが、その表情には何か違うものがあった。
「久しぶりですね、拓也さん」
透が丁寧に挨拶する。
「裏切り者」
俺が怒りを込めて呟く。
「なんの用だ」
「そんな言い方は酷いですね」
透が苦笑いする。
その瞬間、透の足が俺の顔面を蹴り飛ばした。
「うっ」
俺が床に倒れる。透の蹴りは、予想以上に強烈だった。
「でも、今は雪菜様がいないので」
透が俺の耳元に近づいてくる。
「本当のことを話させてもらいます」
「僕は、あなたの味方です」
俺が驚いて透を見上げる。
「何だって?」
「信じられないかもしれませんが」
透が小声で話す。
「僕は雪菜様に飽きたんです」
「飽きた?」
俺が困惑する。
「確かに、僕はドMです」
透が恥ずかしそうに告白する。
初めて知った。
今までそんなそぶりを見せたことがなかったはずだ。
「雪菜様に罵倒されたくて、ついてきたんです」
「でも、雪菜様は僕に興味がありません」
「全く罵倒してくれないんです」
透の表情が不満そうになる。
「それどころか、僕のことを虫けら扱いです」
「罵倒というより、完全に無視なんです」
「雪菜様は拓也さんのことしか考えていませんから」
「僕の存在なんて、塵芥同然です」
俺は透の話についていけなかった。こいつは何を言っているんだ?
「それよりも」
透の目が輝く。
「エリカさんの罵倒の方が良かったんです」
「あの人の毒舌、最高でした」
「『バカ』とか『間抜け』とか『役立たず』とか」
「心に響く素晴らしい罵倒でした」
俺は完全にドン引きした。
透の変態性は、想像以上だった。
「だから」
透が真剣な表情になる。
「僕は雪菜様を裏切って、あなたを助けます」
「そして、エリカさんのところに戻りたいんです」
「また、あの素晴らしい罵倒を浴びたいんです」
俺は透を見つめた。
こいつの動機は完全にクレイジーだが、結果的に俺を助けてくれるなら…
「本当に、俺を助けてくれるのか?」
俺が確認する。
「もちろんです」
透が頷く。
「でも、条件があります」
「条件?」
「エリカさんに、僕を罵倒してもらってください」
透が真剣にお願いする。
「できるだけ厳しく、容赦なく」
「そうすれば、僕は満足します」
俺は複雑な気持ちだった。
透の動機は理解できないが、逃げる機会ができたのは確かだ。
エリカに頼んで、透を罵倒してもらうくらいなら、何とかなるかもしれない。
「わかった」
俺が決断する。
「君が俺を逃がしてくれるなら、エリカに頼んでみる」
「本当ですか!」
透が喜ぶ。
「ありがとうございます」
「でも、どうやって逃がしてくれるんだ?」
俺が尋ねる。
「雪菜は、俺の能力のことも知ってるだろう」
「大丈夫です」
透が自信を見せる。
「僕には、秘策があります」
透が懐から小さな瓶を取り出す。
「これは、魔力抑制薬です」
「雪菜様の飲み物に混ぜれば、一時的に能力を封じることができます」
「そんなものが」
俺が驚く。
「どこで手に入れたんだ?」
「この世界には、色々な薬があるんです」
透が説明する。
「僕が密かに準備していました」
「でも、効果は短時間です」
「せいぜい三十分程度」
「三十分あれば十分だ」
俺が頷く。
「その間に逃げ出せる」
「はい」
透が計画を説明し始める。
「明日の夕食時に、雪菜様の飲み物に薬を混ぜます」
「そして、薬が効いたところで、あなたを逃がします」
「ただし、その後は僕も一緒に逃げさせてもらいます」
「当然だ」
俺が答える。
「君も雪菜に殺されるかもしれないからな」
「それで、逃げた後はどこに向かいますか?」
透が尋ねる。
「魔法大学だ」
俺が答える。
「そこに、助けを求めるべき人がいる」
クロエの母親を治療しなければならない。
それに、レオナルドも心配しているだろう。
まずは魔法大学に戻って、状況を整理する必要がある。
「わかりました」
透が頷く。
「明日の夜、決行しましょう」
透が部屋から出て行く。
俺は一人になって、明日の脱出計画について考えた。
透を信用していいものか、まだ完全には確信が持てない。
でも、今の状況では、彼に頼るしかない。
そして、もしも脱出に成功したら、必ずエリカに透を罵倒してもらおう。
こんな変態的な条件だが、命の恩人の願いなら聞いてやる。
ただし、エリカには事前に説明が必要だろう。でなければ、彼女が困惑してしまう。
俺は明日の夜を待ちながら、脱出後の計画を練っていた。
しかし、心の奥底では絶望的な考えも渦巻いていた。
もしも脱出に失敗したら?
もしも雪菜の怒りを買ったら?
彼女は本当に、世界を破壊するのだろうか。
俺の愛する人たちを、本当に殺してしまうのだろうか。
そんな恐怖に震えながら、俺は長い夜を過ごした。
監禁部屋の中で、絶望と一筋の希望を抱きながら。




