表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/152

第七十話「雪菜の再来」


 生命の花を無事に採取できた俺たちは、王都への帰路についていた。


 ミアが手配してくれた馬車で、のんびりとした旅路を楽しんでいる。

 馬車の中では、三人で他愛もない話をしていた。


「それにしても、無事に花を見つけることができて良かったわね」


 ミアが安堵の表情を見せる。


「これで、クロエさんのお母さんも助かるでしょう」

「本当にありがとうございました」


 ルナがミアに深く頭を下げる。


 俺は心から満足していた。人を救えた喜び、仲間と過ごす穏やかな時間、すべてが完璧だった。


「ミアさんがいなければ、私たちだけでは無理でした」

「気にしないで」


 ミアが手を振る。


「困った人を助けるのは当然のことよ」


 暖かい午後の日差しが馬車を包み、俺は久しぶりに心の底からリラックスしていた。

 雪菜の恐怖から逃れ、新しい仲間と築いた友情、そして愛する家族との未来への希望。

 

 すべてが順風満帆だった。


「ミア」


 俺が話しかける。


「君はなぜ王国騎士団になったんだ?」

「なぜって?」


 ミアが少し考える表情を見せる。


「そうね、話したことなかったかしら」


 ミアが馬車の窓の外を見つめながら話し始めた。

 美しい草原が流れていく。平和そのものの風景だった。


「私の父は、昔王国騎士団の団長だったの」

「団長?」


 俺が驚く。


「それはすごい地位だな」

「ええ、とても立派な騎士だった」


 ミアの表情が少し暗くなる。


「でも、五年前に魔王軍の襲撃で戦死したの」

「そんな…」


 ルナが同情する。


「それは辛い経験でしたね」

「父を殺したのは、魔王軍の幹部の一人よ」


 ミアが拳を握りしめる。


「いつか必ず、父の敵を討つ」

「それが、私が騎士になった理由」


 俺たちの会話は続いた。

 過去の話、未来の夢、ささやかな日常の出来事。

 こんな平凡で温かい時間が、俺にとっては何よりも大切だった。


 馬車は順調に王都に向かって進んでいた。

 御者も慣れた様子で馬を操っている。

 平和で穏やかな時間だった。


 俺は久しぶりに、心からリラックスしていた。

 雪菜の脅威から逃れて、仲間と一緒に人助けをして、新しい友情も深まった。


 こんな日常が、いつまでも続けばいいのに。

 そんな幸せな想いに浸っていた時だった——


 突然、御者の男性が奇妙な声を上げた。


「あ…あああ…」


 振り返ると、御者の体が真っ赤に染まっている。

 血ではない。

 何か別の、不気味で禍々しい赤い光だった。まるで地獄の炎のような、見る者の魂を凍らせる異様な輝き。


「御者さん!」


 ルナが心配して声をかける。


 でも、御者は答えない。

 その代わりに、苦悶の表情を浮かべながら、まるで内側から焼かれているかのように身体を震わせている。


 そして、次の瞬間——御者の体が煙のように消え去った。

 まるで存在そのものを否定されたかのように、跡形もなく。


「えっ?」


 俺たちが困惑していると、馬も同じように赤い光に包まれた。

 馬たちの悲鳴が響く中、彼らもまた煙となって消滅した。


 平和だった世界が、一瞬で悪夢へと変わった。


 馬車だけが宙に浮いている。

 いや、違う。

 馬車も徐々に傾き始めている。


「危ない!」


 俺が叫ぶ。


 馬車が地面に激突する寸前、俺たちは慌てて飛び降りた。

 ガラガラと大きな音を立てて、馬車が横転する。


 幸せだった午後が、一瞬で破綻した。


「何が起こったの?」


 ミアが辺りを警戒する。


「魔法の攻撃?」

「でも、敵の姿が見えない」


 ルナが魔法の準備をする。


 俺も瞬刃ブリンクを抜いて、周囲を見回した。

 心臓が激しく鼓動している。

 まさか、いや、そんなはずは…


 その時、馬車の屋根の上に人影が現れた。

 黒い長髪をなびかせた、美しい女性。


 でも、その美しさには狂気が宿っている。

 まるで美しい花に毒があるように、見た目の麗しさとは裏腹に、その存在そのものが死と絶望を運んでくる。


 俺の血の気が引いた。世界が一瞬で色を失った。


「雪菜…」

「拓也くん♡」


 雪菜が甘い声で俺の名前を呼ぶ。

 その声は蜜のように甘いが、同時に毒蛇の舌先のように冷たい。


「久しぶりですね♡」


 雪菜が馬車から優雅に飛び降りる。

 その動きには、人間離れした軽やかさがあった。

 まるで舞い踊る死神のように。


「ずっと、ずぅっと会いたかったです♡」


 雪菜の目が、異常な愛情で輝いている。

 いや、愛情というより執着、いや、それよりもさらに歪んだ何か。

 所有欲が狂気に変質したもの。


「毎日毎日、拓也くんのことばかり考えていました♡」


 雪菜がゆっくりと歩いてくる。

 一歩一歩が、俺の心臓を締め付ける。


「朝起きた瞬間から、夜眠りにつくその瞬間まで♡」


 雪菜の笑顔が、段々と狂気を帯びてくる。


「食事の時も、拓也くんと一緒にいることを想像して♡ お風呂の時も、拓也くんの肌の温もりを思い出して♡ 夜は拓也くんの名前を呼びながら…」

「やめろ!」


 俺が叫ぶ。


「どうして、私から逃げるんですか?」


 雪菜の表情が一瞬で変わった。

 愛情から、深い悲しみに。

 そしてその悲しみが、瞬く間に殺意に変質する。


「私がどれだけ拓也くんを愛しているか、わからないんですか?♡」


 俺は絶望した。

 せっかく築き上げた平和な日常が、一瞬で崩れ去った。

 こんな場所で、こんなタイミングで、よりによって仲間たちがいる時に…


「雪菜、なんでここに…」


 俺が震え声で尋ねる。


「決まってるじゃないですか♡」


 雪菜が微笑む。

 でも、その笑顔は恐ろしく冷たい。まるで氷の女王のように、美しいが触れれば凍死するような。


「拓也くんを迎えに来たんです♡」


 雪菜が両手を広げる。


「私が用意した愛の巣で、ずっと一緒にいましょう♡ 誰にも邪魔されない、私たちだけの世界で♡」


「私が拓也くんのすべてになって、拓也くんが私のすべてになるの♡」

「誰よ、あの女」


 ミアが警戒する。


「知り合い?」

「俺の…従姉だ」


 俺が苦しそうに答える。


「でも、もう関係ない」

「関係ない?」


 雪菜の表情が一瞬で変わった。

 愛情から、殺意に。その変化があまりにも急激で、まるで別人のようだった。


「拓也くんは私のものです♡」


 雪菜の声が低くなる。


「生まれた時から、死ぬ時まで、永遠に、絶対に♡」

「拓也くんの髪の毛一本一本、爪の欠片一つまで、すべて私のもの♡」

「拓也くんの心臓の鼓動も、呼吸も、考えることも、すべて私だけのため♡」


 雪菜が俺を見つめる。

 その視線は、まるで獲物を狙う捕食者のようだった。いや、それよりもさらに恐ろしい。

 愛する者を完全に支配したい、狂った所有者の眼差し。


「ところで」


 雪菜がゆっくりとミアとルナを見る。

 その瞬間、辺りの気温が急激に下がったような気がした。


「拓也くんの純潔を奪った汚らわしい雌豚は、どちらですか?♡」


 雪菜の声には、氷のような冷たさがあった。


「私の拓也くんを汚した害虫は♡」


 雪菜の手が、ゆっくりと光り始める。

 殺意に満ちた魔力が集中している。


「純潔って…」


 ミアが困惑する。


「この女、頭がおかしいんじゃない?」

「おかしいのは、私の拓也くんに汚い手で触れたお前です♡」


 雪菜がミアを睨みつける。

 その瞬間、殺気が辺りに満ちた。草花が枯れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。


「私の拓也くんは完璧でした♡ 美しくて、純粋で、穢れを知らない天使のような存在でした♡ あとは、私と繋がれば… 」

「それなのに、お前のような下等生物が——」


 雪菜の魔力がさらに膨らむ。


「許さない♡ 絶対に許さない♡」

「逃げるぞ!」


 俺が叫んで、三人で走り出す。


 でも、雪菜の方が速い。

 瞬間移動のような速さで、一瞬で俺たちの前に回り込んできた。


「逃がしません♡」


 雪菜が俺たちを睨む。

 その眼光には、地獄の業火のような憎悪が宿っている。


「私の拓也くんを汚した害虫は、必ず殺します♡」

「ゆっくりと、苦痛を与えながら♡」

「内臓を一つずつ取り出して、拓也くんの前で食べてあげます♡」

「どっちですか?」


 雪菜が再び尋ねる。


「教えてくれれば、もう一人は少しだけ楽に死なせてあげます♡」


 俺とルナが顔を見合わせる。

 雪菜は俺とルナが夫婦だということを知らないのか? 

 いや、知っていても認めたくないのかもしれない。


 その時、ミアが前に出た。


「私よ」


 ミアがはっきりと宣言する。


「私が拓也と関係を持った」

「ミア!」


 俺が驚く。


「何を言って…」

「黙って」


 ミアが俺を制止する。そして、雪菜に向き直った。


「拓也は私の恋人よ」

「文句があるなら、私にかかってきなさい」


 俺は理解した。

 ミアは、ルナを守ろうとしているのだ。

 ルナには家族がいる。リオネルという赤ちゃんがいる。

 でも、ミアには家族がいない。だから、自分が犠牲になろうとしているのだ。


「ミア、ダメだ」


 俺が止めようとする。


「君まで巻き込むわけにはいかない」

「いいのよ」


 ミアが振り返って微笑む。


「あなたたちには、守るべき家族がいるでしょう?」

「私は一人だから」


 ミアの優しさが、俺の胸に響いた。

 でも、同時に別の感情も湧き上がった。

 悪い考えが、俺の頭をよぎる。


 ルナさえ助かればいい。

 ルナと子供が無事なら、それでいい。

 ミアには申し訳ないが…


 いや、ダメだ。

 そんなことを考えちゃいけない。

 ミアも大切な仲間だ。彼女を見捨てるわけにはいかない。


「そうですか♡」


 雪菜が嬉しそうに微笑む。


「それなら、あなたから殺してあげます♡」

「でも、すぐに殺しちゃつまらないですね♡」


 雪菜が指を舐める。

 その仕草が異常に艶めかしく、同時に恐ろしい。


「まずは、手足の指を一本ずつ折ってあげましょう♡」

「その間、拓也くんにはしっかりと見ていてもらいます♡」

「私がどれだけ嫉妬しているか、理解してもらうために♡」


 雪菜がミアに向かって歩き始める。

 一歩一歩がゆっくりと、まるで死刑執行人のように。


「それから、髪の毛を一本残らず抜いてあげます♡」

「目玉もくり抜いて♡」

「最後に、心臓を——」


 その瞬間、俺は決断した。

 最後の手段を使う時が来た。


「強制転移」


 俺が叫んで、能力を発動する。

 これは、俺が持つ切り札だった。

 一度使ったら、一週間は瞬間移動が使えなくなる。そして、使った相手には使えない技。


 一年前、雪菜から逃げる時に使った。


 光が俺の周りを包み、ミアとルナが巻き込まれる。


「タクヤさん!」


 ルナが叫ぶ。


「何をするの!」


 ミアも驚いている。


「二人とも、安全な場所に逃げてくれ」


 俺が叫び返す。


「クロエの母親を、頼む」


 光が弾けて、ミアとルナが消え去った。

 恐らく、王都の安全な場所に転移されたはずだ。


 そして、その場には俺と雪菜だけが残された。

 静寂が辺りを包む。

 まるで世界に俺たち二人しかいないかのように。


「あらあら♡」


 雪菜が手を叩いて喜ぶ。

 その笑顔があまりにも純真で、狂気じみていた。


「拓也くん、やっぱり私のことを愛してるんですね♡」

「他の女を逃がして、私を選んでくれた♡」

「私たちの愛は、やっぱり本物だったんですね♡」

「違う」


 俺が否定する。


「俺は君を愛していない」

「そんなことありません♡」


 雪菜が俺に近づいてくる。その瞳が、愛情と狂気で輝いている。


「拓也くんは私のものです♡」

「ずっと昔から、ずっと♡」

「小さい頃、一緒にお風呂に入った時から♡」

「拓也くんの身体を見た瞬間から、私の心は決まっていました♡」


 俺は後ずさりするが、雪菜の方が速い。

 あっという間に捕まってしまった。


 雪菜の腕が俺の身体に回される。

 その腕の力は、異常に強い。逃れることができない。


「久しぶりの再会です♡」


 雪菜が俺を抱きしめる。


「これで、やっと二人きりになれました♡」


 雪菜が俺の耳元で囁く。その息も氷のように冷たい。


「永遠に、一緒にいましょう♡」

「私が用意した場所に行きましょう♡」

「そこには、拓也くんの似顔絵が千枚以上飾ってあります♡」

「拓也くんが使っていた物も、全部集めました♡」

「歯ブラシも、髪の毛も、爪の欠片も♡」

「拓也くんの匂いのついた服も、ベッドの上に全部並べてあります♡」


 雪菜の告白が続く。

 その一つ一つが、俺の絶望を深くしていく。


「毎晩、拓也くんの絵にキスをして、拓也くんの匂いを嗅いで、拓也くんの名前を呼んで——」

「やめてくれ」


 俺が懇願する。


「でも、もう大丈夫♡」


 雪菜が俺の頬に口づけする。

 その唇は氷のように冷たく、同時に火のように熱い。


「本物の拓也くんが、私の手の中にいます♡」

「これからは、毎日毎日、朝から晩まで一緒♡」

「拓也くんが眠っている時も、起きている時も、ずっと見つめていてあげます♡」

「拓也くんが息をするのも、まばたきするのも、すべて私だけのもの♡」


 俺の運命は、ここで決まってしまうのか。

 雪菜に捕まり、狂気の愛に囚われて。


 でも、ルナとミアは助かった。それだけは良かった。

 生命の花も、きっと二人がクロエの母親に届けてくれるだろう。


「さあ、行きましょう♡」


 雪菜が俺を抱えて歩き始める。

 俺は雪菜に連れ去られながら、最後まで仲間のことを考えていた。


 そして、自分の運命を呪った。

 平和だった午後は、永遠に戻ってこない。


 俺の自由も、もう二度と戻ってこないのかもしれない。

 雪菜の狂った愛の中で、俺は生きた屍となるのだろう。

 永遠に、絶望的に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ