第六十九話「治癒の花を求めて」
クロエの母―アンナの病状を確認した俺は、一刻も早くルナに相談しなければならないと思った。
魔力枯渇症候群という病気について、俺の知識では限界がある。
Aランクの治癒魔法使いであるルナなら、何か解決策を知っているかもしれない。
「クロエ、少し時間をもらえるか?」
俺がクロエに提案する。
「専門家に相談してくるから」
「専門家?」
クロエが首を傾げる。
「俺の妻で、治癒魔法の専門家がいるんだ」
俺が説明する。
「彼女なら、魔力枯渇症候群について詳しいかもしれない」
「本当ですか?」
クロエの目に希望の光が宿る。
「はい」
俺が頷く。
「でも、少し遠いところにいるから、迎えに行く時間が必要だ」
「どのくらい?」
レオナルドが尋ねる。
「二、三日かな」
俺が答える。
実際には瞬間移動を使えば数分で行けるが、それを説明するわけにはいかない。
「わかりました」
クロエが頷く。
「お待ちしています」
俺はその夜、誰にも見られないよう慎重に魔法大学を抜け出した。
そして、エルフの村のムーンライト家に瞬間移動した。
深夜の突然の訪問だったが、ルナは驚きながらも快く迎えてくれた。
「タクヤさん、どうされたんですか?」
ルナが心配そうに尋ねる。
「こんな遅い時間に」
「実は、相談があるんだ」
俺が魔力枯渇症候群の患者がいることを説明する。
クロエの母アンナの症状、現在の状態、そして俺たちができることがないか。
「魔力枯渇症候群…」
ルナが深刻な表情を見せる。
「確かに難しい病気ですね」
「君は詳しいのか?」
「実は、私も一度経験したことがあるんです」
ルナが告白する。
「えっ?」
俺が驚く。
「いつの話だ?」
「タクヤさんと出会う前です」
ルナが説明し始める。
「当時、私は魔法の研究に没頭していて」
「日夜を問わず実験を続けていました」
「そして、ある日突然倒れて」
「魔力枯渇症候群と診断されました」
俺はルナがそんな経験をしていたとは知らなかった。
確かに、ルナは研究熱心だから、そういうことが起こってもおかしくない。
「でも、君は完治したんだろう?」
「はい」
ルナが頷く。
「特別な薬草のおかげです」
「薬草?」
「『生命の花』と呼ばれる花です」
ルナが詳しく説明してくれる。
「正式名称は『ヴァイタリス・フロラ』」
「この花のエキスを抽出して服用すると、枯渇した魔力を回復させることができるんです」
「それは素晴らしい」
俺が興奮する。
「その花はどこで手に入るんだ?」
「セリア大陸にしか自生していません」
ルナが申し訳なさそうに言う。
「しかも、標高の高い山地の限られた場所でしか育たない、とても希少な花なんです」
「セリア大陸か…」
俺が考え込む。
確かに遠い。
魔法大学からセリア大陸まで、通常なら二ヶ月はかかるだろう。
でも、俺には瞬間移動がある。
「タクヤさん」
ルナが心配そうに俺を見つめる。
「瞬間移動で行くつもりですか?」
「それしか方法がない」
俺が答える。
「でも、そんな長距離の瞬間移動は危険です」
ルナが反対する。
「体力的に限界を超えてしまいます」
「大丈夫だ」
俺がルナを安心させる。
「少し休んでから行くよ」
「それに、君も一緒に来てもらいたい」
「私が?」
「ああ」
俺が頷く。
「生命の花の見分け方とか、エキスの抽出方法とか、専門知識が必要だろう」
「それは…そうですね」
ルナが考える。
「でも、リオネルが」
「エリカやミミ、みんながいるから大丈夫だ」
俺がルナを説得する。
「二、三日の留守なら何とかなる」
「わかりました」
ルナが決断する。
「人の命がかかっているなら、私も協力します」
俺はルナと相談して、一週間後に出発することにした。
長距離瞬間移動の準備として、体力を回復させる必要があったからだ。
その間、ルナは生命の花について詳しく調べ直してくれた。
俺は魔法大学に戻り、クロエとレオナルドに状況を報告した。
「一週間後に、専門家と一緒に薬草を取りに行く」
俺が説明する。
「もう少し待ってもらえるか?」
「はい」
クロエが涙ぐみながら答える。
「お母さんも、きっと頑張ってくれます」
その一週間の間、俺とレオナルドはクロエから軽く造形魔法の応用を教えてもらいながら、体力回復に努めた。
規則正しい食事、十分な睡眠、軽い運動。
すべてを瞬間移動のための準備として行った。
レオナルドも俺の体調を気遣ってくれて、一緒に散歩をしたり、栄養のある食事を取ったりした。
「師匠、本当に大丈夫ですか?」
レオナルドが心配そうに尋ねる。
「そんなに遠くまで瞬間移動して」
「心配してくれてありがとう」
俺がレオナルドの肩を叩く。
「でも、やらなければならないことだ」
「クロエの母親を救うために」
クロエも毎日俺のところに来て、母親の様子を報告してくれた。
アンナの容体は安定しているが、改善の兆しは見えない。
時間との勝負だった。
そして、ついに出発の日がやってきた。
◇◇◇
早朝、俺は魔法大学を抜け出し、エルフの村でルナと合流した。
「準備はいい?」
俺がルナに確認する。
「はい」
ルナが薬草採取用の道具を持って答える。
「生命の花の特徴も、もう一度確認しました」
「それじゃあ、行こう」
俺がルナの手を取る。
セリア大陸のヴェリアント王国の王都を思い浮かべる。
俺が以前、王国騎士団の試験を受けた場所だ。
そこなら地形もわかるし、安全に到着できるはずだ。
「瞬間移動!」
俺が能力を発動する。
瞬間、世界が歪み、光に包まれる。
そして―
ドサッ。
俺の意識が飛んだ。
予想以上に体力を消耗してしまったのだ。
ヴェリア大陸からセリア大陸への長距離瞬間移動は、俺の限界を超えていた。
しばらくして、俺の意識がゆっくりと戻ってきた。
最初に感じたのは、柔らかい感触だった。
枕のような、でも枕にしては大きくて弾力がある。
「ん…」
俺が目を開けると、目の前に大きな膨らみがあった。
桃色の髪が見える。
そして、その髪の持ち主が俺を見下ろしていた。
「気がついた?」
聞き覚えのある声。
桃髪を結い上げた、おとなしそうな女性。
でも、髪を結んでいるから、大人しい状態の彼女だ。
「ミア?」
俺が驚く。
「なんで君がここに?」
「それはこっちの台詞よ」
ミアが呆れたような表情を見せる。
「いきなり王都の真ん中で倒れてるんだもの」
「通りがかった私が、仕方なく保護したのよ」
俺は自分の状況を把握した。
どうやら、瞬間移動で王都に到着したものの、その場で気絶してしまったらしい。
そして、偶然通りかかったミアに助けられたのだ。
「すまない」
俺が頭を下げる。
「迷惑をかけて」
「別にいいわよ」
ミアが素っ気なく答える。
「でも、あなたこんなところで何してるの?」
「実は…」
俺がルナを探すと、彼女は部屋の隅で心配そうに俺を見つめていた。
「ルナ、大丈夫か?」
「はい、私は無事です」
ルナがほっと息をつく。
「でも、タクヤさんが倒れた時は心配しました」
「この人は?」
ミアがルナを見つめる。
「俺の妻のルナだ」
俺が紹介する。
「ルナ、こちらはミア」
「以前、王国騎士団の件でお世話になった」
「よろしくお願いします」
ルナが丁寧に挨拶する。
「こちらこそ」
ミアが軽く会釈を返す。
そして、俺に向き直った。
「それで、なんで急に王都に現れたわけ?」
「実は、薬草を探しに来たんだ」
俺が事情を説明し始める。
魔法大学でクロエという少女に出会ったこと。
彼女の母親が魔力枯渇症候群で苦しんでいること。
生命の花というエキスが治療に必要なこと。
「生命の花…」
ミアが考え込む。
「聞いたことはあるけど、実物は見たことないわね」
「セリア大陸の山脈にしか自生しないって聞いてる」
「そうなんです」
ルナが詳しく説明する。
「標高の高い、限られた場所でしか育たない希少な花なんです」
「でも、魔力枯渇症候群には確実に効果があります」
「ふーん」
ミアが興味深そうに聞いている。
「それで、どこを探すつもり?」
「北の山脈だ」
俺が答える。
「王都から二日ほどの距離にある」
「一人で行くの?」
「いや、ルナと一緒に」
「危険よ」
ミアがきっぱりと言う。
「あの山脈には強いモンスターがいるし、道も険しい」
「素人が二人で行っても、遭難するのがオチよ」
確かに、ミアの言う通りかもしれない。
俺たちは戦闘には慣れているが、山岳地帯の探索は経験が少ない。
「それなら…」
俺が提案しようとすると、ミアが先に口を開いた。
「私が案内してあげる」
「えっ?」
俺が驚く。
「いいのか?」
「別に、他にやることもないし」
ミアが髪を解き始める。
「それに、人助けは嫌いじゃないからね」
髪が解かれた瞬間、ミアの雰囲気が一変した。
おとなしい表情から、活発で闘志に満ちた表情に。
「よし、それじゃあ早速準備しましょう」
ミアが立ち上がる。
「山岳用の装備を調達して、明日の朝出発よ」
「明日?」
俺が確認する。
「今日じゃダメなの?」
「あなた、さっきまで気絶してたのよ」
ミアが呆れる。
「今日は休んで体力を回復させなさい」
「山での探索は、体力勝負なんだから」
確かに、ミアの言う通りだった。
長距離瞬間移動で体力を消耗した俺には、一日の休息が必要だった。
その日は、ミアの案内で王都の宿屋に泊まった。
ミアは王国騎士として王都に詳しく、良い宿を知っていた。
「明日の準備について話しましょう」
夕食後、ミアが地図を広げる。
「目指すのは北の『アルカディア山脈』」
「生命の花が自生する可能性が高い場所を、三つマークしてあるわ」
「ここと、ここと、ここ」
ミアが地図の三箇所を指差す。
「まず一番近い場所から探して、なければ次の場所に移動する」
「順調にいけば、三日で全部回れるはず」
「ありがとう」
俺が感謝する。
「君がいてくれて本当に助かる」
「気にしないで」
ミアが手を振る。
「でも、一つ条件があるわ」
「条件?」
「見つけた花は、全部持ち帰らないこと」
ミアが真剣な表情で言う。
「必要な分だけ取って、残りは自然に残すの」
「生命の花は絶滅危惧種だから、乱獲は禁物よ」
「もちろんだ」
俺が頷く。
「俺たちも、必要最小限だけ採取するつもりだ」
「それならいいわ」
ミアが満足そうに頷く。
翌朝、俺たちはアルカディア山脈に向かって出発した。
王都で調達した登山用具を背負い、三人で街道を歩く。
「久しぶりの冒険ね」
ミアが楽しそうに言う。
「最近は王国騎士の事務仕事ばかりだったから、たまにはこういうのもいいわ」
「事務仕事?」
俺が首を傾げる。
「騎士って戦うのが仕事じゃないのか?」
「それは新人の仕事よ」
ミアが苦笑いする。
「私くらいのランクになると、後輩の指導や書類仕事が多くなるの」
「つまらないでしょうね」
ルナが同情する。
「でも、それも大切な仕事ですよね」
「まあね」
ミアが頷く。
「でも、たまには実戦もしたくなるのよ」
「今回は、ちょうどいい機会だわ」
王都から一日歩いて、俺たちは山脈の麓に到着した。
ここからが本格的な登山になる。
「気をつけて」
ミアが注意を促す。
「ここからはモンスターが出るから、常に警戒を怠らないで」
「わかった」
俺が瞬刃ブリンクの柄に手をかける。
ルナも新しい杖を構えて、魔法の準備をする。
「それじゃあ、行きましょう」
ミアが先頭に立って、山道を登り始める。
アルカディア山脈は、その名の通り霧に覆われた神秘的な山々だった。
標高が上がるにつれて、空気も薄くなり、霧も濃くなってくる。
「視界が悪いな」
俺が呟く。
「でも、これが生命の花の生息環境なのよ」
ミアが説明する。
「霧に含まれる魔力が、花の成長に必要なの」
登山を始めて二時間ほどで、最初のモンスターと遭遇した。
「霧狼よ」
ミアが警告する。
「霧に紛れて襲ってくる狼型のモンスター」
「数は三匹」
俺は瞬間移動で一匹の後ろに回り込んだ。
「剣技:霧切り」
霧を切り裂くような斬撃で、霧狼を仕留める。
ルナは全般つかえる魔法使いだが、戦闘魔法が得意らしい。
「『風の精霊よ、我が意志に従い敵を払え。風魔法:ウィンドブレード』」
風の刃が霧狼の一匹を切り裂いた。
ミアは剣を抜いて、残りの一匹と正面から戦う。
「はあっ!」
見事な剣技で、霧狼を一刀両断にした。
「お疲れ様」
ミアが髪を結い直して、大人しい状態に戻る。
「みんな、怪我はない?」
「大丈夫だ」
俺が答える。
「さすがに息の合った連携だったな」
「そうですね」
ルナも同感のようだ。
「ミアさんの剣技、とても美しかったです」
「ありがとう」
ミアが照れる。
「でも、まだまだ先は長いわよ」
「最初の探索地点まで、あと三時間は歩かないと」
俺たちは再び山道を登り続けた。
途中、何度かモンスターと遭遇したが、三人の連携で難なく撃退できた。
そして、ついに最初の探索地点に到着した。
「ここよ」
ミアが霧の中の小さな谷間を指差す。
「生命の花が自生している可能性が高い場所」
俺たちは慎重に谷間に降りて行った。
霧が濃くて視界は悪いが、確かに特別な雰囲気がある。
空気中の魔力濃度が、他の場所より高い。
「あった」
ルナが小さく叫ぶ。
「あそこに、生命の花があります」
ルナが指差す方向を見ると、確かに美しい青い花が咲いている。
花びらが淡い光を放っていて、幻想的な美しさだった。
「本当に生命の花ね」
ミアが確認する。
「間違いないわ」
「よし」
俺がほっと息をつく。
「これで、クロエの母親を救える」
ルナが慎重に花を採取し、特別な容器に保存する。
必要な分だけ取って、残りは自然に残した。
「これで十分です」
ルナが確認する。
「エキスを抽出すれば、魔力枯渇症候群の治療に使えます」
「ありがとう、ミア」
俺がミアに感謝する。
「君の協力がなければ、こんなに早く見つけることはできなかった」
「どういたしまして」
ミアが微笑む。
「でも、まだ安心はできないわよ」
「帰り道も気をつけましょう」
俺たちは生命の花を手に、山を下り始めた。
クロエの母親を救うための大切な薬草を持って。
今度こそ、アンナを助けることができるはずだ。




