第六十話「なんで忘れていたんだ…」
脱獄決行まで、あと数時間。
俺は穴の開いた壁を見つめながら、最終確認をしていた。
ノエル、ローザ、リュミナの三人は体力を温存するために眠っている。
明け方まで壁を削る作業をしていたから、疲れ切っているのだろう。
俺も眠った方がいいのかもしれないが、緊張で眠れない。
今夜、うまくいくだろうか。
四人全員で無事に脱獄できるだろうか。
そんなことを考えていた時、俺は重要なことに気づいた。
「あれ…?」
俺が呟く。
瞬間移動だ。
俺には瞬間移動の能力がある。
魔法とは違う、俺だけの特殊な能力。
この牢獄には魔法を封じる結界が張られているが、瞬間移動は魔法ではない。
以前、魔法協会で調べてもらった時、「これは魔法の類ではない」と言われたことを思い出した。
だとすれば…
「使えるはずだ」
俺が立ち上がる。
試しに、牢獄の反対側に瞬間移動してみる。
シュン。
体が一瞬でワープした。
「やった!」
俺が小さく喜ぶ。
瞬間移動は使える。
魔法封じの結界は、俺の能力には影響しない。
だとすれば、壁に穴を開ける必要はなかった。
俺は瞬間移動で、直接外に出ることができる。
でも、問題がある。
俺一人なら簡単だが、三人も一緒に連れて行くことができるだろうか?
以前、エリカやルナを連れて瞬間移動したことはある。
でも、四人同時は初めてだ。
相当な体力を消耗するかもしれない。
それでも、やってみる価値はある。
壁を削って脱獄するよりも、はるかに確実で安全だ。
俺は三人を起こそうかと思ったが、やめた。
説明している時間はない。
看守の見回りもある。
今すぐ決行した方がいい。
俺は眠っている三人の側に近づいた。
ノエルは俺の左側で、安らかな寝息を立てている。
ローザは俺の右側で、少し寝返りを打ちながら眠っている。
リュミナは俺の正面で、うつ伏せになって眠っている。
俺は慎重に、三人の手を取った。
そして、輪を作るように手を繋がせる。
ノエルの右手と、ローザの左手。
ローザの右手と、リュミナの左手。
リュミナの右手と、ノエルの左手。
そして俺は、その輪の中央に座る。
三人全員に触れている状態だ。
「頼む、うまくいってくれ」
俺が心の中で祈る。
行き先は、エルフの村。
ルナの実家、ムーンライト家の屋敷の庭だ。
俺はその場所を頭に思い浮かべる。
美しいエルフの村。
緑豊かな庭園。
そして、俺を待ってくれているはずの家族たち。
「瞬間移動!」
俺が能力を発動する。
瞬間、世界が歪んだ。
空間が捻じ曲がり、光が踊る。
そして―
シュン。
俺たちの体が、一瞬で別の場所に移動した。
外の空気。
草の匂い。
鳥のさえずり。
確かに、牢獄から出ることができた。
でも、俺の体力は限界だった。
三人を同時に運ぶのは、想像以上にきつい。
それに加えて、ここ数日の粗末な食事のせいで栄養不足になっている。
普段なら耐えられる疲労も、今の俺には重すぎた。
「みんな…無事に…」
俺が三人の安否を確認しようとした瞬間、意識が飛んだ。
体が地面に倒れ込む。
そして、俺の意識は暗闇の中に沈んでいった。
◇◇◇
三日後。
俺の意識がゆっくりと戻ってきた。
まず感じたのは、柔らかいベッドの感触だった。
石の床ではない。
清潔なシーツと、ふかふかの枕。
「ん…」
俺が小さくうめく。
そして、耳に感じる小さな痛み。
何かが俺の耳を掴んでいる。
「タクヤにぃ!」
聞き慣れた、可愛い声。
「起きた!起きたよ!」
俺が目を開けると、ミミの顔があった。
心配そうで、でも嬉しそうな表情。
そして、俺の耳をしっかりと掴んでいる。
「ミミ…?」
俺が呟く。
「なんで君がここに…」
「タクヤにぃ、ばか!」
ミミが俺の耳を引っ張る。
「いなくなって、みんな心配したの!」
「痛い、痛い…」
俺がミミの手を外そうとする。
「タクヤ!」
別の声が聞こえた。
振り返ると、エリカが部屋に駆け込んできた。
その顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「本当に…本当に目を覚ましてくれたのね」
エリカが俺に抱きついてくる。
「心配したのよ、すごく心配したのよ」
「エリカ…」
俺がエリカを抱き返そうとした時、手に柔らかい感触が。
俺の右手が、誰かの胸に当たっていた。
振り返ると、そこにはノエルがいる。
俺の手は、完全にノエルの胸を掴んでしまっていた。
「きゃあ!」
ノエルが悲鳴を上げる。
「お、お兄さん!何してるのよ!」
「あ、あ、あ…」
俺が慌てて手を離す。
「ごめん!故意じゃない!」
でも、ノエルの表情は厳しい。
「最低」
ノエルが冷たく言い放つ。
「三日間も看病してあげたのに」
「恩を仇で返すなんて」
「待って、ノエル」
ローザが割って入る。
「故意じゃないのは見ればわかるでしょう」
「でも許せない」
ノエルが頬を膨らませる。
「私の初めてが…」
「初めて?」
俺が困惑する。
「何の初めて?」
「胸を触られた初めてよ」
ノエルが真っ赤になって言う。
俺も真っ赤になった。
「本当にすみません」
「もう知らない」
ノエルが俺に背を向ける。
雰囲気が微妙になった時、リュミナが現れた。
「あら、起きたのね」
リュミナが俺を見つめる。
「三日間も眠り続けるなんて、心配したのよ」
「三日間?」
俺が驚く。
「俺、そんなに長い間…」
「栄養失調で倒れたのよ」
部屋の奥から、女の子の声がした。
「無茶をするからですよ」
可愛い小さな女の子が医師らしい厳しい表情で俺を見つめる。
「三人も同時に瞬間移動するなんて」
「普通なら死んでもおかしくないんですよ」
「先生さん…」
俺が恐縮する。
「すみません、心配をかけて」
「まったく」
ロリ医師がため息をつく。
「でも、無事で良かったです」
「みんな、あなたのことを心配してたんですから」
そこに、ルナが現れた。
リオネルを抱いている。
「タクヤさん」
ルナが涙ぐみながら俺を見つめる。
「本当に心配しました」
「ルナ…」
俺がルナを見つめる。
「リオネルも大きくなったな」
「はい」
ルナが微笑む。
でも、その表情には心配の色が残っている。
そこに、グロムとガルドも現れた。
「よう、拓也」
ガルドが片目を細めて笑う。
「派手にやってくれたな」
「生きててよかった」
グロムが安堵する。
「でも、もう無茶はするなよ」
「みんな…」
俺が仲間たちを見回す。
本当に心配をかけてしまった。
「ところで」
エリカが三人の囚人を見つめる。
「この方たちは?」
「あ、そうだった」
俺が慌てて紹介する。
「ノエル、ローザ、リュミナ」
「俺の友達だ」
「友達?」
エリカが首を傾げる。
「どこで知り合ったの?」
「牢獄で」
俺が説明する。
「俺と一緒に捕まってたんだ」
「牢獄?」
ルナが驚く。
「タクヤさん、なぜ牢獄に…」
俺は、ヴェルダント帝国で起きたことを説明した。
両手を上げただけで反逆罪になったこと。
死刑宣告を受けたこと。
三人が助けてくれたこと。
そして、瞬間移動で脱獄したこと。
「なんてバカな法律…」
エリカが呆れる。
「両手を上げただけで死刑なんて」
「でも、その法律のおかげで、この三人に出会えた」
俺が三人を見つめる。
「彼女たちは、俺の命の恩人だ」
「そうですね」
ルナが三人に頭を下げる。
「タクヤさんを助けてくださって、ありがとうございます」
「いえいえ」
ローザが謙遜する。
「私たちも助けてもらったんですから」
「それに」
リュミナが付け加える。
「お兄さんは、私たちの大切な友達ですから」
ただし、ノエルだけは未だに俺に背を向けている。
「ノエル」
俺がおそるおそる声をかける。
「本当にすまなかった」
「故意じゃなかったんだ」
「わかってるわよ」
ノエルが振り返らずに答える。
「でも、恥ずかしいのよ」
「みんなの前で…」
ノエルの声が小さくなる。
確かに、大勢の人がいる前であんなことになってしまったのは、彼女にとって恥ずかしいだろう。
「みんな、少し席を外してもらえるか」
俺が仲間たちにお願いする。
「ノエルと話がしたい」
「わかったわ」
エリカが立ち上がる。
「でも、変なことしちゃダメよ」
「しないよ」
俺が苦笑いする。
みんなが部屋を出て行くと、俺とノエルだけになった。
「ノエル」
俺が改めて謝る。
「本当にすまなかった」
「…」
ノエルは答えない。
「君が怒るのは当然だ」
俺が続ける。
「でも、俺は君を大切な友達だと思ってる」
「友達を不快にさせるつもりはなかった」
「友達…」
ノエルが小さく呟く。
「お兄さんは、私を友達だと思ってくれてるの?」
「もちろんだ」
俺が即答する。
「君も、ローザも、リュミナも、俺の大切な友達だ」
ノエルがゆっくりと振り返る。
その目には涙が浮かんでいる。
「私、友達って言われたの初めて」
ノエルが涙を拭う。
「今まで、誰からもそう言ってもらえたことがなかった」
「ノエル…」
「だから、嬉しくて」
ノエルが微笑む。
「でも、恥ずかしくて」
「複雑な気持ちだったのよ」
俺はノエルの気持ちが理解できた。
彼女にとって、「友達」という関係は特別なものなのだ。
「これからも、友達でいてくれるか?」
俺が尋ねる。
「もちろん」
ノエルが頷く。
「でも、今度胸を触ったら怒るからね」
「気をつける」
俺が苦笑いする。
「約束するよ」
ノエルと和解できて、俺はほっとした。
この三人は、俺にとって本当に大切な友達だ。
今度は、俺が彼女たちの力になりたい。
彼女たちの新しい人生を、応援してあげたい。
部屋にみんなが戻ってくると、俺は改めて宣言した。
「ノエル、ローザ、リュミナ」
俺が三人を見つめる。
「君たちは、俺たちの家族の一員だ」
「もしよかったら、一緒に来てくれないか?」
「本当ですか?」
ローザが驚く。
「私たち、元囚人なのに」
「そんなことは関係ない」
エリカが微笑む。
「タクヤが友達だと言うなら、私たちも友達よ」
「はい」
ルナも頷く。
「みなさんがタクヤさんを助けてくださったんですから」
「やったー!」
ミミが手を叩く。
「お友達が増えた!」
ノエル、ローザ、リュミナは涙ぐんでいた。
きっと、こんな風に受け入れてもらえるとは思わなかったのだろう。
「ありがとう」
三人が口々に感謝する。
「私たち、頑張るから」
こうして、俺たちの家族にまた新しいメンバーが加わった。
エリカの必死な想い、思いがけない出会いから始まった友情が、さらに大きな絆へと発展したのだった。




