第五十九話「脱獄計画」
翌朝、俺は一人きりの牢獄にいた。
ノエル、ローザ、リュミナの三人は早朝から刑務作業に駆り出されている。
死刑囚である俺には刑務作業はない。ただ、処刑の日を待つだけだ。
静まり返った石の牢獄で、俺は天井を見つめていた。
昨夜、三人が脱獄を手伝ってくれると言ってくれた。
その気持ちは本当に嬉しい。
でも、具体的にどうやって脱獄するのか。
この厚い石壁に囲まれた牢獄から、どうやって出るのか。
看守の交代時間の隙を狙うと言っていたが、それだけで本当に脱獄できるのだろうか。
「くそ…」
俺が頭を抱える。
このままでは、三人を危険に巻き込むだけで終わってしまう。
俺一人が逃げても意味がない。
もし脱獄するなら、四人全員で逃げなければならない。
ノエル、ローザ、リュミナを置いて逃げるなんて、俺にはできない。
彼女たちは俺のために危険を冒そうとしてくれているのだから。
「でも、どうやって…」
俺は牢獄を見回した。
分厚い石壁、頑丈な鉄格子、高い位置にある小さな窓。
どこから見ても、脱獄は不可能に思える。
道具もない。
武器もない。
魔法も使えない。この牢獄には魔法を封じる結界が張られているのだ。
俺は自分の身なりを確認した。
囚人服と呼ぶには粗末な麻の服だけ。
靴も取り上げられて裸足だ。
それでも、完全に身ぐるみを剥がされたわけではない。
髪に結んである細い紐は、まだそのままだった。
ルナがプレゼントしてくれた、エルフの伝統的な髪飾り用の紐だ。
細いが丈夫で、長さは一メートルほどある。
「これだけか…」
俺が紐を手に取る。
そして、服のポケットを探ってみる。
買い物中に捕まったから、小銭がいくらか残っていた。
銀貨が三枚、銅貨が五枚。
合計でも大した金額ではない。
「紐一本と小銭だけで脱獄しろって言うのか」
俺が自嘲する。
こんなもので、どうやって石壁を破るというのだ。
どうやって鉄格子を切るというのだ。
俺は諦めかけた。
やはり、脱獄なんて無謀すぎる。
三人には悪いが、現実的ではない。
その時、俺は昔のことを思い出した。
異世界転移する前、まだ元の世界にいた頃のことだ。
雪菜が俺の部屋に勝手に侵入してきた時のことを。
あいつは俺の部屋の壁に穴を開けていた。
どうやって開けたのかと思ったら、硬貨を使っていたのだ。
十円玉を紐に結び付けて、振り回して壁にぶつけていた。
最初は何をやっているのかと思ったが、何度も何度も同じ場所を叩き続けることで、壁にヒビが入り、最終的には穴が開いた。
雪菜の異常な腕力があったからこそできた技だが…
「待てよ」
俺が考え込む。
確かに、雪菜の馬鹿力は異常だった。
普通の人間には真似できないレベルだ。
でも、俺一人では無理でも、四人いればどうだろう。
ノエル、ローザ、リュミナと俺の四人で交代しながら叩き続ければ…
俺は立ち上がって、牢獄の壁を詳しく調べ始めた。
石壁といっても、完璧ではない。
よく見ると、石と石の間にはモルタルが塗られている。
そのモルタルの部分は、石よりも柔らかいはずだ。
特に、長年の湿気で劣化している箇所もある。
「これなら…」
俺は希望を感じ始めた。
硬貨を紐に結び付けて、モルタルの劣化した部分を集中的に叩く。
四人で交代しながら、根気よく続ければ、穴を開けることができるかもしれない。
少なくとも、何もしないよりはマシだ。
俺は早速、銀貨の中で一番重そうなものを選んだ。
そして、ルナの紐の端に結び付ける。
簡単な即席のハンマーの完成だ。
俺は壁の一番劣化している部分を狙って、硬貨を振り下ろした。
コツン。
小さな音がする。
モルタルの欠けらが少し落ちた。
「やった」
俺が小さく喜ぶ。
効果はある。微々たるものだが、確実に壁を削れている。
俺は何度も何度も、同じ場所を叩き続けた。
コツン、コツン、コツン。
単調な音が牢獄に響く。
腕が疲れてきたが、俺は続けた。
家族に会うために。
ルナ、エリカ、リオネル、そしてみんなのために。
それに、三人の友達のためにも。
一時間ほど叩き続けると、明らかに穴が深くなっているのがわかった。
最初は表面のモルタルを削っただけだったが、今は石そのものに達している。
でも、石は硬い。
モルタルを削るのとは、段違いの大変さだ。
「このペースじゃ、何日かかるかわからないな」
俺が汗を拭う。
それでも、諦めるわけにはいかない。
俺は作業を続けた。
昼食の時間になると、看守が食事を持ってきた。
「おい、何をやっている」
看守が俺の手元を見る。
「あ、いえ…」
俺が慌てて紐を隠す。
「壁に何か付いてたので、掃除を」
「ふん」
看守が鼻で笑う。
「どうせ死刑になる身で、掃除なんて律儀なやつだ」
看守は食事を置いて去っていく。
俺はほっと息をついた。
バレなくて良かった。
午後も作業を続ける。
コツン、コツン、コツン。
単調な作業だが、着実に穴は深くなっている。
夕方になる頃には、握りこぶし大の穴が開いていた。
まだまだ人が通れるサイズではないが、確実に進歩している。
そこに、三人が刑務作業から帰ってきた。
「お疲れ様、お兄さん」
ノエルが声をかける。
「今日は退屈だったでしょう」
「いや、実は」
俺が振り返る。
「脱獄計画を考えてた」
「本当?」
ローザが興味を示す。
「どんな計画?」
「これを見てくれ」
俺が壁の穴を指す。
「え?」
リュミナが驚く。
「これ、お兄さんが開けたの?」
「ああ」
俺が紐と硬貨を見せる。
「これを使って、地道に削ったんだ」
「すごい…」
三人が感嘆する。
「でも、これだけじゃ小さすぎるわ」
ローザが指摘する。
「人が通れるようになるまで、どのくらいかかるの?」
「一人でやってると、一週間はかかりそうだ」
俺が正直に答える。
「でも、四人で交代すれば、二日くらいで何とかなるかもしれない」
「二日…」
ノエルが考え込む。
「お兄さんの処刑はいつなの?」
「明後日だ」
俺が重い口調で答える。
三人の顔が青ざめる。
「それじゃあ、ギリギリじゃない」
リュミナが焦る。
「間に合うかしら」
「やってみるしかない」
俺が決意を込めて言う。
「でも、一つ条件がある」
「条件?」
「俺一人で逃げるんじゃない」
俺が三人を見つめる。
「四人全員で逃げる」
「君たちを置いて逃げるなんて、俺には絶対にできない」
「お兄さん…」
ノエルが涙ぐむ。
「でも、私たちがいると足手まといになるわ」
「そんなことはない」
俺が首を振る。
「君たちは俺の友達だ」
「友達を見捨てるような奴に、家族と呼ぶ資格はない」
「それに」
俺が微笑む。
「君たちがいてくれた方が、きっと成功率は上がる」
「ノエルは社交的だから、人を騙すのが上手だろう」
「ローザは頭がいいから、計画を立てるのが得意だ」
「リュミナは度胸があるから、いざという時に頼りになる」
「俺一人じゃできないことも、四人なら何とかなる」
三人が顔を見合わせる。
そして、決意を固めたような表情になった。
「わかったわ」
ローザが代表して答える。
「四人で脱獄しましょう」
「でも、計画をもっと詳しく練る必要があるわね」
「そうね」
ノエルが頷く。
「壁に穴を開けるだけじゃ足りないもの」
「その後、どうやって帝国から逃げるかも考えないと」
「それについても考えがある」
俺が説明する。
「まず、壁の穴から外に出る」
「でも、そこは帝国の中心部だ」
「普通に歩いていたら、すぐに捕まる」
「だから、変装が必要ね」
リュミナが提案する。
「私たち、囚人服を着てるもの」
「変装用の服はどこで手に入れるの?」
ローザが尋ねる。
「それは…」
俺が考え込む。
確かに、変装は重要な問題だ。
囚人服を着たまま街を歩いていたら、一発でバレる。
「洗濯物を盗むしかないかも」
ノエルが提案する。
「民家の洗濯物なら、夜中でも干してあるでしょう」
「なるほど」
俺が頷く。
「それなら何とかなりそうだ」
「でも、帝都から出るのはどうする?」
ローザが心配する。
「城門は厳重に警備されてるはず」
「地下水道を使うのはどう?」
リュミナが提案する。
「汚いけど、見つかりにくいと思う」
「地下水道か」
俺が考える。
「確かに、それなら人に会わずに済む」
「でも、道がわかるか?」
「大体の方向はわかるわ」
ノエルが自信を見せる。
「私、昔この街で暮らしてたから」
「それなら安心ね」
ローザが安堵する。
「でも、地下水道を出た後はどうするの?」
「俺の仲間を探す」
俺が答える。
「エリカたちが、きっと俺を探してくれてるはずだ」
「でも、どこにいるかわからないでしょう」
リュミナが指摘する。
「それは…」
俺が困る。
確かに、エリカたちがどこにいるかはわからない。
もしかしたら、まだ俺を探しているかもしれない。
でも、諦めて別の場所に移動している可能性もある。
「とりあえず、帝都から出ることを最優先にしよう」
俺が決める。
「その後のことは、出てから考える」
「そうね」
三人が同意する。
「まずは脱獄よ」
俺たちは夜通し、壁を削る作業を続けた。
四人で交代しながら、休むことなく。
コツン、コツン、コツン。
単調な音が牢獄に響き続ける。
看守が見回りに来る度に、俺たちは作業を中断して寝たふりをした。
そして、看守が去ると、また作業を再開する。
地道で根気のいる作業だったが、着実に穴は大きくなっていく。
明け方になる頃には、人がやっと通れるくらいの大きさになっていた。
「やったわ」
ノエルが小さく歓声を上げる。
「本当に穴が開いた」
「お兄さんすごいわね」
ローザが感嘆する。
「こんな方法、思いつかなかった」
「俺だけの力じゃない」
俺が三人を見つめる。
「みんながいてくれたからだ」
「今夜が本番ね」
リュミナが緊張した表情を見せる。
「看守の交代は夜中の遅くよ」
「その時に決行しましょう」
「わかった」
俺が頷く。
空いた穴は、俺の囚人服で隠した。 不自然だが、気になるレベルではないだろう。
「今日一日、体力を温存しておこう」
「明日の夜には、自由になってる」
俺は心の中で家族に語りかけた。
ルナ、エリカ、リオネル。
もう少し待っていてくれ。
俺は必ず帰る。
そして、この三人の友達も一緒に連れて帰る。
俺たちの友情の証として。
脱獄という危険な計画だが、四人で力を合わせれば必ず成功する。
俺はそう信じていた。




