第五十八話「帝都の地下牢」
俺は今、石造りの薄暗い牢獄にいた。
ヴェリア大陸の中心都市、ヴェルダント帝国の地下牢だ。
なぜこんなところにいるのかというと、それは本当にバカバカしい理由だった。
三日前のことだ。
俺はエリカと一緒にヴェルダント帝国の中央市場で買い物をしていた。
ヴェリア大陸の特産品を見て回るのが楽しくて、つい時間を忘れてしまう。
「タクヤ、これ見て」
エリカが珍しい魔法の道具を指差す。
「面白い形をしてるわね」
「本当だ」
俺がその道具を手に取ろうとした時、バランスを崩した商品が俺の頭上に落ちてきた。
反射的に俺は両手を上に挙げて身を守った。
ただそれだけのことだった。
しかし―
「おい、貴様!」
突然、帝国の兵士が俺に向かって剣を抜いた。
「今の動作は何だ!」
「え?」
俺が困惑する。
「動作って、ただ物が落ちてきたから…」
「両手を挙げる動作は、帝国に対する反逆の意思表示だ!」
兵士が怒鳴る。
「知らなかったでは済まされん!」
「は?」
俺とエリカが同時に困惑した。
「反逆って何ですか?」
エリカが慌てて説明を求める。
「私たちは旅行者で、そんなつもりは…」
「黙れ!」
兵士がエリカにも剣を向ける。
「共犯者か?」
「待ってください」
俺が必死に弁明する。
「俺は本当に知らなかったんです」
「物が落ちてきたから、反射的に手を上げただけで…」
「言い訳は聞かん」
兵士が他の兵士たちを呼ぶ。
「反逆者を拘束しろ」
そして俺は、あっという間に捕まってしまった。
エリカが「待って!」と叫んだが、俺はそのまま連行されてしまう。
それから三日間、俺はこの地下牢で過ごしている。
調べによると、ヴェルダント帝国では昔から両手を挙げる動作が反逆者のサインとされているらしい。
そんなバカな法律があるなんて、誰が知るというのだ。
しかも、この罪の刑罰は極刑。
つまり死刑だ。
「知らなかったでは済まない」と言われても、本当に知らなかったのだから仕方がない。
それに、連絡手段がないのが一番の問題だった。
エリカやルナ、仲間たちに俺の状況を知らせることができない。
彼らは俺がどこにいるのかもわからないだろう。
絶望的だった。
ただし、一つだけ救いがあるとすれば、この牢獄は一人部屋ではなかった。
四人部屋になっていて、話し相手には困らない。
少なくとも、一人で絶望に浸ることはないだろう。
そう思っていたのだが…
「おはよう、お兄さん」
甘い声で俺に話しかけてきたのは、十代後半くらいの美少女だった。
金髪で青い目をした、人間の女の子だ。
名前はノエル。窃盗罪で捕まったらしい。
「あ、おはよう」
俺が挨拶を返すと、ノエルの目が輝いた。
「やっぱり、お兄さんっていい人そう」
「昨日からずっと話しかけたかったの」
牢の奥から、もう一人の女の子が現れる。
こちらは黒髪の美少女で、名前はローザ。
詐欺罪で捕まったらしい。
「ノエル、独り占めは駄目よ」
ローザがノエルを押しのける。
「お兄さん、私とも話しましょう」
「え、ああ…」
俺が戸惑っていると、三人目の女の子も現れた。
赤髪の活発そうな美少女で、名前はリュミナ。
暴行罪で捕まったらしいが、見た目はとても優しそうだ。
「あんたたち、ずるいわよ」
リュミナが他の二人を睨む。
「私だって、お兄さんと話したいのに」
「順番よ、順番」
ノエルが俺の隣に座る。
「私が一番最初に話しかけたんだから」
「でも、私の方がお兄さんのタイプかもしれないわ」
ローザが俺の反対側に座る。
「え?」
俺が困惑する。
「タイプって何の話ですか?」
「決まってるじゃない」
リュミナが俺の前にしゃがみ込む。
「恋人の話よ」
俺の顔が真っ青になった。
「ちょっと待ってください」
「俺には妻が二人もいるんです」
「妻?」
三人が同時に首を傾げる。
「二人も?」
「はい」
俺が必死に説明する。
「ルナとエリカという女性と結婚してるんです」
「それに、子供もいます」
「へえ」
ノエルが興味深そうに言う。
「一夫多妻制なのね」
「でも、ここにはいないじゃない」
「そうよ」
ローザが頷く。
「今、ここにいるのは私たちだけ」
「いや、だからといって…」
俺が慌てる。
「俺は妻たちを裏切るようなことはできません」
「固いのね」
リュミナが苦笑いする。
「でも、そこがいいのかも」
俺はどうしていいかわからなくなった。
確かに、三人とも美しい女性だ。
でも、俺にはルナとエリカがいる。
他の女性に心を奪われるわけにはいかない。
「あの、できれば普通に会話しませんか?」
俺が提案する。
「恋愛の話じゃなくて」
「普通の会話って?」
ノエルが首を傾げる。
「えーっと…どうしてここに入ることになったとか」
「私?」
ノエルが屈託なく笑う。
「パンを一個盗んだのよ」
「パン一個?」
俺が驚く。
「それで牢獄に?」
「帝国の法律は厳しいの」
ノエルが説明する。
「窃盗は金額に関係なく、一年の懲役よ」
「一年?」
「そうよ」
ローザが続ける。
「私は偽の宝石を本物だと偽って売ったの」
「詐欺罪で三年の懲役」
「三年…」
俺が愕然とする。
「私は喧嘩したら、相手が帝国の兵士だった」
リュミナが苦笑いする。
「暴行罪で五年の懲役よ」
「みんな、えらい目に遭ってるな」
俺が同情する。
「でも、俺の罪はもっと重いかもしれない」
「何をしたの?」
三人が興味深そうに尋ねる。
「両手を挙げた」
俺が正直に答える。
「え?」
三人が唖然とする。
「それだけ?」
「それだけです」
俺が頷く。
「物が落ちてきたから、反射的に両手で受け止めようとしただけ」
「それが反逆罪になるなんて知りませんでした」
「反逆罪…」
ノエルが青ざめる。
「それって…」
「死刑よね」
ローザが重い口調で言う。
「帝国の反逆罪は極刑が基本」
「死刑…」
俺も改めて現実を突きつけられた気分だった。
「そんな…」
リュミナが俺の手を握る。
「お兄さんが死刑なんて、絶対に嫌よ」
「私も」
ノエルが俺の腕にしがみつく。
「せっかくいい人に出会えたのに」
「何か方法があるはず」
ローザが必死に考える。
「脱獄とか…」
「脱獄は無理だ」
俺が首を振る。
「この牢獄の警備は厳重だし、仮に出られても帝国中に手配書が回る」
「そんな…」
三人が絶望的な表情を見せる。
俺はふと気づいた。
この三人は、俺に恋心を抱いているのではない。
単純に、男性との接触に飢えているだけだ。
考えてみれば、ここは女性専用の牢獄だろう。
普段は男性との接触など皆無のはずだ。
そこに俺が入ってきたから、みんな興奮しているのだ。
「あの」
俺が三人に提案する。
「みんな、俺に興味を持ってくれてるのはわかるけど」
「俺にはちゃんと愛する人たちがいるんだ」
「だから、恋愛関係になることはできない」
「でも、友達としてなら…」
「友達?」
ノエルが首を傾げる。
「男の人と友達になったことないわ」
「私も」
リュミナが苦笑いする。
「男の子と友達になったこともない」
「でも、今から学んでみないか?」
「面白そうね」
ローザが興味を示す。
「男の友達ってどんな感じなのかしら」
「きっと頼りになるのよ」
リュミナが期待を込めて言う。
「私たち、今まで男の人に頼ったことがないから」
こうして、俺と三人の奇妙な共同生活が始まった。
最初は戸惑ったが、だんだん慣れてきた。
ノエルは明るくて社交的、ローザは知的で計算高い、リュミナは活発で情に厚い。
それぞれに魅力的な女性だった。
でも、俺の心はルナとエリカにある。
この三人には申し訳ないが、恋愛感情を抱くことはできない。
「お兄さん」
二日目の夜、ノエルが俺に話しかけてきた。
「奥さんたちのこと、教えて」
「え?」
俺が驚く。
「どんな人なの?」
「ルナは…」
俺がルナのことを話し始める。
「エルフの女性で、とても優しくて美しい人だ」
「魔法が得意で、いつも俺を支えてくれる」
「エルフ!」
三人が驚く。
「本物のエルフと結婚してるの?」
「ああ」
俺が頷く。
「それに、俺たちの間には息子もいる」
「リオネルっていうんだ」
「赤ちゃん…」
リュミナが憧れるような表情を見せる。
「いいなあ」
「エリカは人間の女性で、元騎士なんだ」
俺が続ける。
「とても強くて美しくて、俺なんかには勿体ない人だ」
「でも、俺を愛してくれてる」
「素敵ね」
ローザが感嘆する。
「二人ともお兄さんを愛してるのね」
「ああ」
俺が幸せそうに微笑む。
「俺は本当に幸せ者だ」
その表情を見て、三人は何かを悟ったようだった。
「お兄さんって」
ノエルが静かに言う。
「本当に奥さんたちを愛してるのね」
「当然だ」
俺が即答する。
「あの二人は俺の人生そのものだ」
「あの人たちがいなければ、俺は生きていけない」
三人が顔を見合わせる。
そして、何かを決めたような表情になった。
「わかったわ」
ローザが代表して言う。
「私たち、お兄さんを諦める」
「え?」
俺が驚く。
「でも、その代わり」
リュミナが続ける。
「お兄さんが奥さんたちのところに帰れるよう、協力するわ」
「協力って?」
「脱獄よ」
ノエルがきっぱりと言う。
「私たちで、お兄さんを外に出してあげる」
「でも、危険すぎる」
俺が反対する。
「君たちの刑期が延びてしまう」
「いいのよ」
ローザが微笑む。
「お兄さんの話を聞いて、わかったもの」
「本当の愛がどういうものか」
「私たちは、お兄さんに恋してたわけじゃない」
リュミナが説明する。
「ただ寂しかっただけ」
「でも、お兄さんの愛は違う」
「本物の愛よ」
「だから」
ノエルが決意を込めて言う。
「その愛を守りたいの」
「お兄さんを奥さんたちのところに帰してあげたい」
俺の胸が熱くなった。
この三人は、最初は俺に恋心を抱いているように見えた。
でも、それは違った。
彼女たちは、本当の愛がどういうものかを知りたかっただけだ。
そして今、俺の話を聞いて理解してくれた。
「ありがとう」
俺が心から感謝する。
「でも、君たちを巻き込むわけにはいかない」
「もう遅いわよ」
ローザがいたずらっぽく笑う。
「私たちはもう計画を立て始めてる」
「計画?」
「明日の夜」
ノエルが小声で説明する。
「看守が交代する時間があるの」
「その隙に、お兄さんを外に出すのよ」
「でも…」
「心配しないで」
リュミナが俺の肩を叩く。
「私たちは元々、悪いことのプロなのよ」
「脱獄くらい朝飯前よ」
俺は迷った。
確かに、ここにいては死刑になってしまう。
ルナやエリカ、リオネル、みんなに会えなくなってしまう。
でも、この三人を危険にさらすのは…
「お兄さん」
ノエルが俺の手を握る。
「私たちにとって、これは恋じゃないの」
「友情よ」
「友達を助けるのは当然でしょう?」
「そうよ」
ローザとリュミナも頷く。
「私たち、お兄さんの友達になったんだから」
「友達は困った時に助け合うものよ」
俺は涙が出そうになった。
この三人の優しさが、身に染みる。
最初は面食らったが、彼女たちは本当にいい人たちだった。
「わかった」
俺が決断する。
「お願いします」
「任せて」
三人が自信に満ちた表情を見せる。
「明日の夜には、お兄さんを奥さんたちのところに帰してあげるから」
その夜、俺は久しぶりに希望を感じながら眠りについた。
ノエル、ローザ、リュミナ。
三人の新しい友達のおかげで、俺は再び家族に会えるかもしれない。
これからの時間が、俺の運命を決める夜になる。
脱獄。
俺の人生で、こんな体験をすることになるとは思わなかった。
でも、家族のためなら、どんな危険も冒す価値がある。
ルナ、エリカ、リオネル。
みんなに会いたい。
みんなに、俺が無事だと伝えたい。
そして、この三人の友情を、一生忘れないでいたい。




