第五十三話「裏切りの銃声」
一週間の旅路を終えて、俺は獣人の国の王都に戻ってきた。
莉央との会話で得た安心感と、転移者同士の絆を感じながら、俺は家族の待つ王宮に向かった。
「ただいま」
俺が王宮の扉を開けると、いつもなら真っ先に駆け寄ってくるミミの姿が見えない。
エリカやルナの声も聞こえない。
妙だな、と思いながら奥に進むと、一つの部屋から複数の声が聞こえてきた。
いつもみんなが集まるリビングではなく、客室の一つからだ。
俺は足音を立てないように近づき、扉をそっと開けた。
「タクヤにぃ!」
ミミが俺を見つけて駆け寄ってくる。
でも、その表情はいつものように明るくない。
心配そうで、少し怯えているようにも見える。
「どうしたんだ?」
俺がミミを抱き上げながら部屋を見渡すと、そこには信じられない光景があった。
ガルドがベッドに横たわり、全身に包帯を巻かれている。
顔は青白く、呼吸も浅い。
エリカとルナが心配そうにベッドの傍らに座り、グロムは壁にもたれかかって険しい表情をしている。
そして、フェリス先生が―
「あんた!」
突然、フェリス先生が俺に向かって駆け寄ってきた。
そして、俺の胸ぐらを両手で掴む。
「なんで、なんでいなかったニャ!」
フェリス先生の目には涙が浮かんでいる。
いつもの不良っぽい口調ではなく、必死で感情的な声だった。
「フェリス先生…」
「もし、もしガルドが死んでたらどうするつもりニャン!」
フェリス先生の声が震えている。
俺は初めて気づいた。
フェリス先生が、ガルドに対して抱いている感情を。
ただの仲間以上の、深い想いがそこにあることを。
「落ち着いてくれ」
俺がフェリス先生の肩に手を置く。
「まず、何があったか教えてくれ」
「タクヤ…」
エリカが震え声で俺を呼ぶ。
「トオルが…トオルが戻ってきたの」
「透が?」
俺が驚く。
「それは良かった…」
「違います」
ルナが俺の言葉を遮る。
「トオルさんは…私たちを殺そうとしたんです」
俺の頭の中が真っ白になった。
「何だって?」
「本当なんだ」
グロムが重い口調で説明を始める。
「…あれは三日前のことだった」
◇◇◇
―フェリス視点―
アタシは王宮の庭で、ミミに文字の読み書きを教えてた。
「この単語は『ねこ』だニャン」
「ねこ!」
ミミがちっちゃな声で一生懸命に復唱する。
指先で文字を追いながら、必死に覚えようとしてる姿が可愛い。
「タクヤにぃの『ひとぞく』はどれかニャ?」
ミミが文字表を見つめて、ちょこんと指差す。
「これ!」
「正解だニャン!」
アタシがミミの頭を撫でる。
平和な午後のひとときだった。
エリカとルナは部屋で妊娠についての本を読んでいて、グロムは武器の手入れをしてる。
ガルドは港から届いた荷物の整理をしていた。
そんな時、王宮の門番が慌てた様子で駆け込んできた。
「エリカ女王陛下!」
「どうしたの?」
エリカが本を閉じて立ち上がる。
「転移者の方がお見えです」
「転移者?」
ルナが驚く。
「もしかして、タクヤさんが帰ってきたの?」
「いえ、トオル様という方が…」
門番の言葉に、エリカとルナの表情が明るくなった。
「トオル!」
二人は手を取り合って喜ぶ。
「無事だったのね」
「急いで迎えに行きましょう」
エリカとルナは急いで玄関に向かった。
グロムも武器を置いて、後を追う。
庭にいたアタシとミミも、騒ぎを聞いて駆けつけた。
そして、玄関でアタシたちが見たのは―
確かにトオルだった。
でも、以前のトオルとは何かが違う。
目つきが冷たく、口元に不気味な笑みを浮かべてる。
「トオル!」
エリカが嬉しそうに駆け寄る。
「心配してたのよ」
「無事で良かったです」
ルナも安堵の表情を見せる。
「どこに行ってたんですか?」
でも、トオルの反応は冷淡だった。
「ああ、エリカさんにルナさんですか」
トオルが二人を見つめる。
「元気そうですね」
「あなたこそ」
エリカが心配そうにトオルを見つめる。
「痩せたんじゃない?」
「大丈夫ですよ」
ルナが優しく声をかける。
「今、お食事を用意しますから」
「そうだニャ」
アタシも歩み寄る。
「久しぶりだニャン」
しかし、アタシの表情は次第に険しくなっていく。
猫獣人の勘が、何か危険なものを感じ取ってる。
「そうですか、きみたちは本当に幸せそうですよね」
「え?」
エリカが戸惑う。
「何か変よ、トオル」
「変ですか?」
トオルが笑う。
でも、その笑いには温かさが全くない。
「確かに変わったかもしれません」
「トオル…」
グロムが警戒するように一歩前に出る。
「何があったんだ?」
「何があったかですって?」
トオルがグロムを見る。
「素晴らしいことがあったんですよ」
トオルが懐に手を入れる。
その時、ガルドが荷物整理から戻ってきた。
「おお、トオルじゃないか」
ガルドが人懐っこい笑顔で近づく。
アタシの心臓がドキッと跳ねる。いつものことだけど、ガルドの笑顔を見ると胸が温かくなる。
「元気だったかい?」
「ガルドさん…」
トオルがガルドを見つめる。
「きみもここにいますか」
「当然だ」
ガルドが胸を張る。
「俺たちは仲間だからな」
その力強い言葉に、アタシの胸がキュンとする。ガルドって本当に仲間想いで…アタシもその仲間の一員として大切にしてもらってる。
「仲間ですか…」
トオルが呟く。
「そうですね、以前はそう思っていました」
「以前は?」
ガルドが眉をひそめる。
「何を言ってるんだ?」
その時、トオルが懐から何かを取り出した。
黒い、見慣れない物体。
金属でできているようで、L字型をしてる。
「これを知っていますか?」
トオルがその物体を掲げる。
「いや、知らないですよね」
「それは…何ですか?」
ルナが恐る恐る尋ねる。
「これは、銃という武器です」
トオルが説明する。
「僕の世界では一般的な武器ですね」
「ジュウ?」
エリカが首を傾げる。
「聞いたことがないわ」
「もちろんです」
トオルが不気味な笑みを浮かべる。
「この世界にはないですから」
「でも、僕が作りました」
トオルがそのジュウを二人に向ける。
その瞬間、空気が凍りついた。
アタシの猫の本能が全身の毛を逆立てる。危険だニャ!
「トオル?」
エリカが困惑する。
「何をしてるの?」
「何をしてる…ですか?」
トオルが引き金に指をかける。
「邪魔な虫を駆除するんですよ」
「邪魔な虫?」
ルナが震え声で呟く。
「私たちのことですか?」
「その通りです」
トオルがはっきりと答える。
「きみたちが拓也さんの傍にいる限り、雪菜様は幸せになれはしません」
「ユキナ!」
エリカが叫ぶ。
「あの女に何を吹き込まれたの!」
「吹き込まれた?」
トオルが激昂する。
「雪菜様は僕を救ってくれた恩人です!」
「一週間前、僕は森で死にかけていたんです」
トオルが語り始める。
「元の世界に帰る方法を探して、古い遺跡を調べていたらモンスターに襲われていた時」
「そこを雪菜様が助けてくれたんですよ」
「そして教えてくれました」
「拓也さんが本当に愛しているのは雪菜様だけだっていうことを」
「きみたちは邪魔者だってことを」
「そんなの嘘よ!」
エリカが必死に叫ぶ。
「タクヤは私たちを愛してくれてる!」
「嘘です」
トオルが冷たく言い放つ。
「雪菜様が言っていました」
「拓也さんは優しすぎるから、きみたちを捨てられずにいるだけだって」
「でも、きみたちがいなくなれば、拓也さんは雪菜様の元に帰っていきます」
トオルの指が引き金を引こうとした時―
「待て」
ガルドが前に出た。
アタシの心臓が止まりそうになった。
ダメだニャ!
危険すぎるニャ!
「トオル、正気に戻れ」
「正気?」
トオルがガルドを見る。
「僕は今まで以上に正気です」
「お前だって、元の世界に帰りたいだろう?」
ガルドが必死に説得する。
「それなら、こんなことをする必要はない」
「みんなで方法を探そうじゃないか」
ガルドの優しい声に、アタシの胸が締め付けられる。こんな時でも他人を思いやれるガルド…だからこそアタシは…
「もう遅いです」
トオルが首を振る。
「僕は雪菜様に忠誠を誓いました」
「この任務を完遂するまでは帰れません」
「任務だって?」
グロムが怒りを込めて言う。
「仲間を殺すことが任務だというのか?」
「仲間?」
トオルが嘲笑う。
「俺の仲間は雪菜様だけです」
そして、トオルが引き金を引こうとした瞬間―
「やめるニャン!」
アタシが叫んだ。
同時に、ミミが怖がって泣き始める。
「タクヤにぃ…タクヤにぃ…」
その声を聞いて、一瞬トオルの手が止まった。
その隙に、ガルドが動いた。
「みんな、下がれ!」
ガルドがエリカとルナを庇うように前に出る。
そして、トオルに向かって突進した。
「ガルド!」
アタシが叫ぶ。
ダメだニャ!あんなの危険すぎるニャ!
アタシの大切な人が…!
トオルが慌てて引き金を引く。
パン!
乾いた破裂音が響く。
ガルドの肩に何かが当たって、血しぶきが上がった。
「うっ!」
ガルドが痛みでよろめく。
でも、止まらない。
「ガルド、やめて!」
アタシが必死に叫ぶ。でもガルドは止まらない。
パン! パン!
さらに二発の音が響く。
ガルドの脇腹と足に血が滲む。
それでも、ガルドはトオルに体当たりした。
「ぐっ!」
トオルがジュウを取り落とす。
「くそ!」
「逃がすか!」
グロムが片腕でトオルを捕まえようとする。
でも、トオルは素早くジュウを拾い上げると、窓に向かって走った。
「待て!」
エリカがルナライトを抜こうとする。
でも、躊躇している。
「逃がしてなるものか!」
ルナが魔法を唱えようとする。
しかし、妊娠の影響で魔力が安定しない。
トオルは窓から飛び出すと、振り返って叫んだ。
「雪菜様は最高のお方です!」
「いつか必ず邪魔な虫を消して、拓也さんと結ばせてみせます!」
そして、トオルの姿は森の向こうに消えていった。
「ガルド!」
アタシがガルドに駆け寄る。
ガルドは床に倒れ、血を流していた。
アタシの世界が崩れ落ちるような気持ちになった。
大切な人が…アタシの愛しい人が傷ついてる。
「しっかりするニャン!」
アタシの声が震える。今まで隠してた気持ちが溢れそうになる。
「大丈夫…だ」
ガルドが苦しそうに言う。
「この程度…死にやしない」
でも、明らかに重傷だった。
アタシが慌てて応急処置を施す。手が震えて上手くできない。
「すぐに治療するニャ!」
涙が頬を伝うのを感じる。こんな時に泣いちゃダメだ。アタシがしっかりしなきゃ。
「みんな、手伝って!」
そうして、ガルドの命は何とか救われた。
しかし、体に打ち込まれた鉄の塊は摘出できずにいた。
アタシはずっとガルドの傍にいた。
手を握って、無事を祈り続けた。
◇◇◇
そして今…タクヤが帰ってきて、アタシの気持ちが爆発した。
「なんで、なんでいなかったニャ!」
アタシはタクヤの胸ぐらを掴んで叫んだ。
「もし、もしガルドが死んでたらどうするつもりニャン!」
本当は、アタシ自身がどうなるか分からなかった。
ガルドを失うなんて考えられない。
アタシの心の支えが…愛しい人がいなくなるなんて…
この三日間、アタシはずっと怖かった。
ガルドが目を覚まさなかったらどうしようって。
アタシの気持ちを伝える前に、永遠にお別れになってしまったらどうしようって。
だから今、こうして気持ちを叫べて…少しだけ楽になった。
◇◇◇
それから数日後、王都の名医がタクヤの依頼で王宮に来てくれた。
さすがは腕利きの医師だけあって、あの厄介な鉄の塊をきれいに摘出してくれた。
「これで大丈夫です」
医師がガルドの包帯を巻き直しながら言う。
「しばらく安静にしていれば、完全に回復しますよ」
「ありがとうございます」
ガルドが医師に頭を下げる。
「命の恩人です」
「お礼なら、フェリス殿に言ってください」
医師がアタシを見て微笑む。
「彼女が一番心配しておられましたから」
「フェリス先生…」
ガルドがアタシを見る。
アタシは顔が真っ赤になって、慌てて目を逸らした。
「べ、別に当然のことをしただけだニャ!」
嘘だ。アタシは本当に心配で心配で、夜も眠れなかった。
ガルドが苦しそうに息をする度に、アタシの胸も苦しくなった。
でも、そんなこと言えるわけない。
「そうかい」
ガルドが優しく笑う。
「ありがとう、フェリス先生」
その笑顔に、アタシの心臓がドキドキする。
ダメだニャ、こんな時に…
「当たり前だニャ」
アタシが素っ気なく答える。
医師が治療を終えて帰った後、アタシはガルドの看病を続けた。
薬を持って行ったり、食事の世話をしたり。
でも、二人きりになる度に、アタシの胸は苦しくなる。
あの日、タクヤの前でとっさに気持ちを叫んだけれど…
改めて面と向かって伝えるなんて、とてもできない。
「フェリス先生」
ガルドが薬を飲んだ後、いつもより真剣な表情で言った。
「少し話があるんだ」
「話?」
アタシが緊張する。
「何だニャ?」
「俺のことを心配してくれてありがとう」
ガルドが優しく言う。
「でも、こんなに優しくしてもらって…俺なんかで良いのかと思ってしまうんだ」
「なんかって何ニャ!」
アタシがムッとする。
「自分を卑下するのはやめるニャン」
「でも、俺は元犯罪者で…」
「そんなの関係ないニャ!」
アタシが感情的になる。
「今のあんたを見てるのよ、アタシは」
「みんなのことを大切にして、命をかけて守ってくれる」
「そんなあんたを…」
そこまで言って、アタシは口をつぐんだ。
「そんな俺を…?」
ガルドがじっとアタシを見つめる。
アタシの心臓がドキドキする。
もう隠せない。隠すつもりもない。
「そんなあんたを…アタシは愛してるニャ」
言った瞬間、部屋が静寂に包まれた。
アタシの顔が真っ赤になる。
でも、後悔はしていない。
「愛して…る?」
ガルドが驚いたような声で呟く。
「そうよ」
アタシが開き直る。
「おかしいかニャ? アタシみたいな不良猫獣人が、あんたみたいな立派な男性を好きになるのは」
「いつからそんな風に思って…」
ガルドが戸惑っている。
「いつからって…」
アタシが恥ずかしそうに俯く。
「最初にあんたと会った時からかもしれないニャ」
「あんたの優しい笑顔を見た瞬間、胸がドキッとしたニャ」
アタシが勇気を出して続ける。
「でも、アタシなんて相手にされないと思ってたニャ」
「だから、ずっと隠してたの」
「でも、あんたが傷ついて…もしかしたら死んじゃうかもしれないって思った時」
アタシの声が震える。
「もう隠してる場合じゃないって思ったニャ」
「後悔したくなかったの」
「フェリス…」
ガルドが優しい声で呼ぶ。
「俺も君のことが好きだ」
アタシの心臓が止まりそうになった。
「え?」
「ずっと前から好きだった」
ガルドが照れたように言う。
「でも、俺みたいな男が君を愛していいものか分からなくて」
「君はもっと良い男性を見つけるべきだと思っていたんだ」
「バカニャン」
アタシが涙目になる。
「アタシにとって、あんたより良い男性なんているわけないニャ」
「フェリス…」
「アタシは、あんたの全部が好きニャ」
アタシが必死に気持ちを伝える。
「優しいところも、強いところも、仲間想いなところも」
「過去のことなんて関係ないニャ」
「今のあんたが大好きニャのよ」
ガルドの目に涙が浮かぶ。
「ありがとう」
ガルドが手を差し出す。
「俺と一緒にいてくれるかい?」
「いや、ずっとそばにいてくれ」
アタシはその手を握った。
「当然ニャン」
アタシが涙声で言う。
「アタシはもうずっと、あんたのそばにいるつもりだったニャ」
ガルドが嬉しそうに微笑む。
「愛してるよ、フェリス」
そして、ガルドがアタシの手を唇に当てて軽くキスした。
アタシの心が温かくなる。
外ではトオルや雪菜の脅威がまだ続いているけれど、この瞬間だけは全て忘れられた。
アタシはついに、愛する人と想いを通わせることができた。
「でも、一つだけ約束してニャ」
アタシがガルドを見つめる。
「もう無茶はしないで」
「アタシを一人にしないで」
「約束するよ」
ガルドが優しく答える。
「君を悲しませるようなことはもうしない」
アタシは満足そうに頷いた。
これからどんな困難が待っていても、アタシたちは一緒に乗り越えていける。
愛する人と結ばれたアタシは、もう何も怖くない。




