第五十二話「転移者同士の語らい」
透とルビーが去ってから一週間が経った。
俺は一人で考え込むことが多くなった。転移者として、この世界で生きるということについて。
透が言っていた時間制限のことも気になる。本当に一年で元の世界に帰れなくなるのだろうか。
そして何より、同じ日本から来た人間として話ができる相手がいなくなったことが寂しかった。
雪菜も転移者だが、あの狂気的な女と話をするのは危険すぎる。
そこで俺は思い出した。
小鳥遊莉央という女医師がいることを。
彼女なら、転移者として様々なことを知っているかもしれない。
「一人でヒーリングポートに行ってくる」
朝食の席で、俺が家族に告げる。
「え?」
エリカが驚く。
「どうして?」
「莉央さんに会いたいんだ」
俺が説明する。
「転移者として、聞きたいことがある」
「でも、一人で行くなんて危険よ」
ルナが心配する。
「私も一緒に…」
「君は体を大事にしなくちゃ」
俺がルナのお腹を見つめる。
「赤ちゃんのためにも」
「でも…」
「大丈夫だ」
俺が微笑む。
「一週間程度で帰ってくる」
こうして、俺は一人でヒーリングポートに向かった。
前回は仲間と一緒だったから、瞬間移動はできなかったが、今回はできる。
短い時間で、エストリア大陸の奥地まで行く。
道中、様々なことを考えた。
この世界に来てとっくに一年。
最初は必死に生きることだけを考えていた。
でも今は、家族もできて、子供も生まれる予定だ。
人生がこんなに変わるなんて、転移してきた時には想像もしなかった。
瞬間移動後、ヒーリングポートに着いた、
相変わらず清潔で整然とした医療都市だった。
総合医療センターの受付で、莉央への面会を申し込む。
「タクヤ・キリタニ様ですね」
受付嬢が確認する。
「院長がお待ちしております」
どうやら、俺の来訪は予想されていたようだ。
莉央の研究室に案内されると、彼女は白衣を着たまま実験器具の整理をしていた。
「お疲れ様じゃ」
莉央が振り返って微笑む。
「また会えて嬉しいのう」
「こちらこそ」
俺が挨拶を返す。
「お忙しい中、すみません」
「なに言っとるんじゃ」
莉央が手を振る。
「転移者同士、たまには話さにゃあいかんじゃろう」
莉央が俺に椅子を勧める。
「ほいで、奥さんの調子はどうなんじゃ?」
「おかげさまで完全に治りました」
俺が報告すると、莉央の表情がわずかに綻んだ。
「そうか…そりゃあえかったのう」
でも、すぐにいつもの冷静な表情に戻る。
「まあ、うちの役目じゃからな」
莉央は素っ気なく言うが、内心では喜んでくれているのがわかる。
医師としての使命感と、人を救えた喜び。
それを表に出すのを恥ずかしがっているようだ。
「本当にありがとうございました」
俺が深く頭を下げる。
「あなたのおかげでルナが助かりました」
「もうええじゃろう」
莉央が照れたように言う。
「それより、何か聞きたいことがあったんじゃろう?」
「はい」
俺が本題に入る。
「実は、転移者の時間制限のことなんですが」
「時間制限?」
莉央が首を傾げる。
「どんな話じゃ?」
「一年以上この世界にいると、元の世界に帰れなくなるって本当ですか?」
俺が尋ねると、莉央がきっぱりと答えた。
「嘘じゃ」
「嘘?」
俺が驚く。
「でも、透がそう言って…」
「誰がそんなんを言うたんじゃ」
莉央が呆れたような表情を見せる。
「そがいな制限があるわけないじゃろう」
「本当ですか?」
「わたしはもう三年もここにおるが、別に元の世界に帰れなくなったわけじゃない」
莉央が説明する。
「ただ、帰る方法がわからんだけじゃ」
そうか、透は嘘をついていたのか。
でも、なぜ?
俺は疑問に思ったが、とりあえず忘れることにした。
今は莉央との会話を楽しみたい。
「莉央さんは三年もここにいるんですね」
「そうじゃ」
莉央が頷く。
「最初は帰る方法を探しとったが、今はもうその気はない」
「どうしてですか?」
「この世界の方が、やりがいがあるけぇのう」
莉央の目が輝く。
「現代医学で治せる病気がえっとあるし、患者さんたちもげに感謝してくれる」
「素晴らしいことですね」
俺が感心すると、莉央が少し寂しそうな表情を見せる。
「じゃが、時々思うんじゃ」
「何をですか?」
「うち、もう二十八じゃけん」
莉央が呟く。
「結婚適齢期を逃しとるんじゃないかって」
俺は莉央の意外な悩みに驚いた。
あんなに立派な医師なのに、結婚のことを気にしているのか。
「でも、莉央さんほど素晴らしい女性なら、きっと良い人が見つかりますよ」
「そうじゃろうか…」
莉央が不安そうに言う。
「うち、理想が高すぎるって言われるんじゃ」
「理想?」
「うん」
莉央が頬を赤らめる。
「うちの理想の男性は…」
莉央が夢見るような表情で話し始める。
「まず、お月様の下でプロポーズしてくれる人がいいのう」
「お月様の下で?」
「そうじゃ。ほいで、『君の瞳は星よりも美しい』言うてくれるの」
俺は内心で呆れた。
なんともロマンティックすぎる理想だ。
「それから」
莉央が続ける。
「結婚式では白馬に乗って迎えに来てくれんさって」
「白馬ですか…」
「教会では天使の合唱団が歌うてくれるのがええのう」
俺はもう何も言えなくなった。
完全におとぎ話の世界だ。
「新婚旅行は雲の上の城がええじゃろうか」
莉央が本気で言っている。
「雲の上の…」
「あ、でも雲の上は寒いかもしれんのう」
莉央が真剣に悩んでいる。
「それなら、虹の橋の上でもええかもしれん」
俺は心の中で思った。
叶わないな、こりゃ。
いくらなんでも理想が高すぎる。
現実的な男性なら、こんな非現実的なことはできない。
東大卒なのに、現実的ではない。
「どう思う?」
莉央が俺に意見を求める。
「素敵だと思いますが…」
俺が困りながら答える。
「少し…現実的でないかもしれませんね」
「そうじゃろうか?」
莉央が首を傾げる。
「じゃが、一生にいっぺんのことじゃけん」
確かに、莉央の言う通りだ。
でも、現実問題として、そんなロマンティックな男性がこの世界にいるだろうか。
「莉央さんは天才だから、理想も高くなるんでしょうね」
俺がフォローする。
「でも、もう少し現実的な条件も考えてみては?」
「現実的な条件?」
「例えば、優しい人とか、誠実な人とか」
「それは当然の条件じゃろう」
莉央があっさりと言う。
「その上で、ロマンティックな人がええんじゃ」
やはり、莉央の理想は変わりそうにない。
「まあ、時間はたくさんありますし」
俺が慰める。
「きっと素敵な人が現れますよ」
「そうじゃろうか」
莉央が希望を込めて言う。
「うち、まだ諦めとらんけん」
その後、俺たちは転移者としての体験について語り合った。
「最初にこの世界に来た時は、どう思いました?」
俺が尋ねる。
「死んだと思うたじゃ」
莉央が苦笑いする。
「気がついたら草原の真ん中におったけん」
「俺も同じような感じでした」
俺が共感する。
「最初は夢だと思ってましたが」
「でも、案外適応は早かったのう」
莉央が振り返る。
「元々、医学に興味があったけん」
「この世界の医学レベルはどうでした?」
「現代から見ると、まだまだじゃ」
莉央が説明する。
「じゃが、魔法があるけん、それなりに発達しとる」
「魔法医学みたいなものですか?」
「そうじゃ。魔法と現代医学を組み合わせると、すごいことができるんじゃ」
莉央の目がキラキラと輝く。
「まさに、うちの天職じゃった」
莉央は本当に医師という仕事を愛している。
それが伝わってくる。
「でも、寂しくないですか?」
俺が尋ねる。
「同じ世界から来た人がいないと」
「最初は寂しかったのう」
莉央が正直に答える。
「じゃが、患者さんたちがおるけん」
「それに、こうしてあんたみたいな人と話せるしのう」
莉央が微笑む。
「転移者の絆みたいなものを感じるじゃろう」
確かに、莉央と話していると、不思議な安心感がある。
同じ世界から来たという共通の体験があるからだろう。
「透という男性も転移者だったんですが、行方不明になりまして」
俺が話すと、莉央が心配そうな顔をする。
「それは心配じゃのう」
「元の世界に帰ろうとしてるらしいんですが」
「そうか…」
莉央が考え込む。
「気持ちはわからんでもないが、危険じゃ」
「危険?」
「元の世界に帰る方法なんて、だあれも知らんけん」
莉央が説明する。
「下手に探し回ると、命を落とすかもしれん」
俺は透のことが心配になった。
無事にやってくれればいいが。
「じゃが、あんたはもうこの世界に残る気なんじゃろう?」
莉央が俺に確認する。
「はい」
俺が頷く。
「家族もできましたし、もうすぐ子供も生まれます」
「そうか、それは素晴らしいことじゃ」
莉央が心から祝福してくれる。
「うちも見習わにゃあといけんのう」
「きっと莉央さんにも、素敵な人が現れますよ」
「そうじゃといいんじゃが…」
莉央がため息をつく。
「でも、理想を下げる気はないけん」
やはり、莉央の理想は変わらない。
まあ、それも彼女らしいと言えばらしい。
天才医師だからこそ、夢も大きいのだろう。
「それより」
莉央が俺を見つめる。
「あんたの家族に会うてみたいのう」
「ぜひいらしてください」
俺が即答する。
「みんな喜びますよ」
「でも、忙しいけん、なかなか時間が取れんのじゃ」
莉央が申し訳なさそうに言う。
「患者さんがえっとおるけん」
「無理はしないでください」
俺が心配する。
「体を壊したら元も子もありません」
「ありがとう」
莉央が微笑む。
「あんたは優しいのう」
俺たちの会話は夜遅くまで続いた。
転移者としての体験、この世界での生活、将来の夢。
様々なことを語り合った。
◇◇◇
そして一週間後、俺は莉央に別れを告げた。
「また会いに来ますね」
「いつでも歓迎じゃ」
莉央が見送ってくれる。
「今度は奥さんも一緒に来てくれんかのう」
「安定期に入ったら、考えてみます」
俺が約束する。
「それまで、お体に気をつけて」
「あんたもじゃ」
莉央が手を振る。
俺は帰路についた。
転移者同士の会話は、とても有意義だった。
同じ境遇の人間として、お互いの気持ちがよく理解できた。
そして、莉央という人間をもっと知ることができた。
素晴らしい医師でありながら、恋愛に関しては夢見がちな女性。
そのギャップが、なんとも魅力的だった。
きっと、いつか素敵な人が現れるだろう。
莉央の理想に近い人が。
俺はそう信じて、王都へと急いだ。
家族が待つ、俺の居場所に向かって。




