外伝 雪菜の始まり
―雪菜視点―
私の名前は雪菜。氷川雪菜。
中学一年生の春から、私の世界は地獄になった。
理由は簡単。私が可愛かったから。
黒い長髪、整った顔立ち、色白の肌。
鏡を見れば、確かに人より恵まれた容姿をしていることはわかる。
でも、それが私にとって呪いになるなんて思わなかった。
「あの子、調子に乗ってない?」
「可愛いからって、男子にちやほやされて」
「ムカつく」
クラスの陽キャ女子グループのリーダー、田中美咲の声が聞こえる。
美咲は典型的な陽キャで、派手で明るい。
でも、容姿は私より劣る。
それが彼女のコンプレックスを刺激したようだった。
「雪菜ちゃん」
美咲が私に近づいてくる。
表面上は笑顔だが、その目は冷たい。
「今度みんなでカラオケ行くんだけど、一緒に来る?」
私は警戒した。
美咲たちが私に親切にするはずがない。
「遠慮します」
私が断ると、美咲の表情が一瞬歪んだ。
「そう。残念」
でも、それで終わるはずがなかった。
翌日、私の教科書がなくなっていた。
机の中を探しても、カバンの中を探しても見つからない。
「あれ?雪菜ちゃん、教科書は?」
美咲が知らんぷりで聞いてくる。
「忘れました」
私が答えると、先生に怒られた。
美咲たちがクスクスと笑っているのが見える。
それが、いじめの始まりだった。
教科書を隠される。
上履きを隠される。
机に悪口を書かれる。
トイレの個室にいる時、上から水をかけられる。
すべて美咲たちの仕業だった。
でも、証拠はない。
彼女たちは巧妙だった。
先生の前では普通に接し、私が訴えても「そんなことしてません」ととぼける。
クラスの他の子たちも、見て見ぬふりをしていた。
美咲たちに逆らって、自分がターゲットになるのが怖いのだろう。
私は一人ぼっちになった。
家に帰っても、両親は仕事で忙しく、私の変化に気づかない。
「今日も学校楽しかった?」
母が疲れた顔で聞いてくる。
「うん、楽しかった」
私は嘘をついた。
両親を心配させたくなかった。
それに、言ったところでどうにもならないと思っていた。
私の心は日に日に暗くなっていった。
朝起きるのが辛い。
学校に行くのが怖い。
みんな私のことを見て笑っているような気がする。
夜、一人でいると涙が止まらない。
なんで私がこんな目に遭わなければならないの。
何も悪いことをしていないのに。
ただ、人より少し可愛く生まれただけなのに。
一年生の冬頃には、私は完全に心を閉ざしていた。
誰とも話さず、誰も信じない。
ただ黙って、いじめに耐える毎日。
◇◇◇
そして二年生になった。
クラス替えで環境が変わることを期待していたが、美咲たちと同じクラスになってしまった。
いじめは継続された。
むしろ、エスカレートした。
「雪菜って、本当に暗いよね」
「可愛い顔して、中身は陰キャ」
「男子も最初は騙されるけど、話してみるとつまんないって気づくのよ」
陰湿な悪口が続く。
私の心はもうボロボロだった。
夏休みに入った時、私は決意した。
もうこの世界にいたくない。
こんな辛い思いをして生きていても意味がない。
両親には申し訳ないけれど、私はもう限界だった。
ある暑い日の午後、両親が仕事に出かけた後、私は自分の部屋で準備を始めた。
押し入れから縄を取り出し、結び方を調べた。
インターネットで検索すると、様々な方法が出てくる。
私は震える手で、縄を首にかけてみた。
怖い。
でも、この怖さも、もうすぐ終わる。
そう思うと、少し楽になった気がした。
部屋の天井を見上げて、どこに縄をかけるか考えていた時、玄関のチャイムが鳴った。
私は慌てて縄を隠した。
誰だろう。
両親は仕事で夕方まで帰らないはず。
恐る恐る玄関に向かうと、小学生の男の子が立っていた。
「あ、ゆきなねぇちゃん」
隣の家の桐谷拓也だった。
私の従弟で、小学六年生。
拓也は人懐っこい笑顔で私を見つめている。
「こんにちは。おばさんいる?」
「お母さんは仕事よ」
私がそっけなく答える。
「そっか」
拓也が少し残念そうな顔をする。
でも、すぐに笑顔になった。
「それじゃあ、ゆきなねぇちゃんと遊ぼうかな」
「遊ぶって…私は忙しいの」
私が断ろうとすると、拓也が首を傾げた。
「忙しいって、夏休みじゃん?」
「それは…」
「ねぇちゃん、最近元気ないね」
拓也が心配そうに私を見つめる。
「何か嫌なことでもあったの?」
私は驚いた。
両親ですら気づかなかった私の変化を、小学生の拓也が気づいている。
「別に、何もないわ」
私が嘘をつくと、拓也がじっと私を見つめた。
「ゆきなねぇちゃん、嘘つくの下手だね」
拓也がくすっと笑う。
「でも、言いたくないなら無理に聞かないよ」
拓也が家に上がりこんできて、私の部屋まで付いてくる。
「わあ、相変わらず綺麗な部屋だね」
拓也が私の部屋を見回す。
私は慌てて、隠した縄が見えないか確認した。
大丈夫、バレていない。
「ねぇちゃんは几帳面だから」
拓也が私のベッドに座る。
「僕の部屋なんて、お母さんに怒られるくらい散らかってるよ」
拓也の無邪気な笑顔を見ていると、私の心が少し軽くなった気がした。
この子は、私を見下したり、馬鹿にしたりしない。
ただ純粋に、お従姉ちゃんとして慕ってくれている。
「拓也くん」
私が拓也の名前を呼ぶ。
「なに?」
「私って…どんな人だと思う?」
私が尋ねると、拓也が真剣な顔で考え込んだ。
「ゆきなねぇちゃんは、すごく可愛いと思う」
拓也がはっきりと答える。
「それに、優しいし、頭もいいし」
「僕と遊んでくれるし、いつも親切にしてくれる」
拓也の言葉が、私の胸に響く。
「本当に、そう思う?」
「うん」
拓也が迷わず頷く。
「ねぇちゃんは素敵な人だよ」
「きっと今は辛いことがあるのかもしれないけど、これから幸せになれると思う」
拓也が無邪気に言う。
「いつか、ねぇちゃんが好きになる人が現れて」
「その人と結ばれて、幸せになってほしいな」
拓也の言葉を聞いた瞬間、私の心の中で何かが変わった。
私を必要としてくれる人がいる。
私のことを大切に思ってくれる人がいる。
拓也という、純粋で優しい男の子が。
「拓也くん…」
私が拓也を見つめる。
小学生だから、まだ子供っぽい顔をしているけれど、きっと将来はハンサムになるだろう。
優しくて、誠実で、私のことを理解してくれる。
理想の男性だ。
「ありがとう」
私が微笑む。
「拓也くんのおかげで、元気が出たわ」
「本当?」
拓也が嬉しそうに笑う。
「良かった。ねぇちゃんの笑顔、久しぶりに見た」
拓也はしばらく私と他愛もない話をして、夕方に帰って行った。
「また遊びに来るね」
拓也が手を振って家に帰る。
私は拓也の後ろ姿を、いつまでも見つめていた。
その夜、私は押し入れから縄を取り出した。
でも、首にかけるためではない。
捨てるためだった。
死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。
だって、私には拓也くんがいるから。
私の将来の夫になってくれる、大切な人がいるから。
私は生きよう。
拓也くんのために。
拓也くんと一緒に幸せになるために。
◇◇◇
その日から、私は変わった。
学校でいじめられても、気にならなくなった。
美咲たちがどんなに意地悪をしても、平気だった。
だって、私の頭の中には、いつも拓也くんがいたから。
拓也くんの笑顔、拓也くんの声、拓也くんの優しい言葉。
それが私を支えてくれた。
私は毎日、拓也くんのことを観察するようになった。
隣の家だから、拓也くんの生活パターンはよくわかる。
朝、何時に起きて、何時に学校に向かう。
夕方、何時に帰ってくる。
休日は何をして過ごす。
すべて記録した。
私専用の「夫日記」を作って、毎日書き込んだ。
今日の拓也くんの様子、今日話した内容、今日の拓也くんの表情。
すべてが愛おしかった。
そして、私は拓也くんのためにお弁当を作り始めた。
小学生だから、まだお弁当は必要ないけれど、いつか必要になった時のために練習するのだ。
料理の本を読んで、拓也くんの好きそうなメニューを研究した。
拓也くんは肉が好きらしいから、唐揚げやハンバーグを練習した。
野菜も食べてほしいから、彩りよく盛り付ける方法も学んだ。
私の料理の腕は、日に日に上達していった。
「雪菜、最近料理上手になったわね」
母が感心してくれる。
「将来、いいお嫁さんになれるわよ」
そうなの、私はいいお嫁さんになるの。
拓也くんのお嫁さんに。
でも、一つだけ許せないことがあった。
拓也くんが他の女の子と話していることだ。
小学生だから、まだ恋愛感情はないのだろうけれど、それでも嫌だった。
拓也くんは私だけのものなのに。
ある日、拓也くんが同級生の女の子と一緒に帰っているのを見た時、私は激しい怒りを感じた。
その女の子は平凡な顔をした、つまらない子だった。
私と比べれば、虫けら同然だ。
でも、拓也くんと笑いながら話している。
私の拓也くんと。
その瞬間、私は殺意にも似た感情を抱いた。
その女の子を、この世から消してしまいたい。
拓也の邪魔をする女は、すべて敵だ。
でも、まだ拓也くんは小学生だ。
私が中学生だ。
今、行動するのは早すぎる。
もう少し待とう。
拓也くんが成長して、私の愛に気づいてくれるまで。
私は毎晩、拓也くんのことを考えながら眠った。
拓也と結婚する日を想像した。
白いドレスを着て、拓也くんとバージンロードを歩く。
拓也くんと一緒に住む家を想像した。
拓也くんのために作る料理を想像した。
拓也くんとの新婚旅行を想像した。
拓也くんとの愛し合う時間を想像した。
すべてが美しい夢だった。
私の生きる理由だった。
◇◇◇
中学二年生の秋、私は美咲たちに告白した。
「私、もうあなたたちのいじめなんて気にしないから」
美咲が驚いた表情を見せる。
「何よ、急に」
「だって、私には大切な人がいるもの」
私が微笑む。
「その人のためなら、どんな辛いことでも耐えられる」
「は?大切な人って誰よ」
美咲が嘲笑する。
「あんたみたいな陰キャに、彼氏なんているわけないでしょ」
「いるわよ」
私が断言する。
「私の運命の人が」
「きっと、あなたたちには理解できないでしょうけれど」
私は背を向けて教室を出た。
美咲たちの呆然とした顔が、とても愉快だった。
その後、いじめは徐々に収まった。
私が変わったからだ。
何をされても動じない私を見て、美咲たちもつまらなくなったのだろう。
私には、もっと大切なことがあった。
拓也くんのことを考えること。
拓也くんの成長を見守ること。
拓也くんとの将来を夢見ること。
◇◇◇
中学三年生になると、拓也くんは中学一年生になった。
私と同じ中学校に通うことになった。
これは運命だった。
同じ学校にいることで、もっと拓也くんの近くにいられる。
でも、問題もあった。
中学生になった拓也くんは、女の子からモテるようになったのだ。
拓也くんは背も伸びて、顔立ちも整って、とてもハンサムになっていた。
性格も優しくて誠実だから、女の子からの人気は当然だった。
でも、私には許せなかった。
拓也くんは私だけのものなのに。
他の女が拓也くんを狙うなんて、生意気だ。
私は陰から女の子たちを威圧した。
拓也くんに近づこうとする女の子がいると、冷たい視線を送った。
時には、その子のところに直接行って警告した。
「拓也くんに近づかない方がいいわよ」
私が低い声で言うと、大抵の女の子は怯えて去って行った。
私の目には、殺意が込められていたから。
拓也くんは、私がそんなことをしているとは知らなかった。
相変わらず、優しいお従姉ちゃんとして接してくれた。
いや、もう従姉と従弟の関係を超えていた。
私たちは運命で結ばれているのだ。
◇◇◇
高校生になっても、私の拓也くんへの想いは変わらなかった。
むしろ、日に日に強くなっていった。
拓也くんはますますハンサムになり、スポーツも勉強もできる、完璧な男性に成長していった。
でも、私以外の女の子に興味を示すことはなかった。
私の努力の成果だった。
拓也くんの周りから、邪魔な女の子たちをすべて排除したのだ。
拓也くんは私だけを見ていればいい。
私だけを愛していればいい。
そして、ついにその時が来た。
高校卒業後、私を縛るものはなくなった。
学校がないから、いつでも拓也くんの部屋に居られる。
料理を作ってあげることができる。
拓也くんのすべてを知ることができる。
完璧な計画だった。
でも、大学で新たな問題が発生した。
拓也くんに近づこうとする女の子たちが、またしても現れたのだ。
今度は、私の威圧だけでは対処できなかった。
思春期ともなれば、今で以上に発情したメスが拓也くんに近寄ってくる。
すべての女の子を監視するのは不可能だった。
私はより積極的な対策を取ることにした。
拓也くんの部屋に大きな穴を開けた。
拓也くんの生活をすべて監視するために。
本当は小さな穴を開けるつもりが、力加減を間違ってしまった。
拓也くんが何時に起きて、何を食べて、誰と話すか。
すべてを記録した。
そして、拓也くんに近づこうとする女の子がいれば、様々な方法で妨害した。
その女の子の悪い噂を流したり、直接脅したり。
時には、もっと直接的な方法を取ることもあった。
でも、それはすべて拓也くんのため。
私たちの愛を守るため。
拓也はまだ、私の気持ちに気づいていないかもしれない。
でも、いつか必ず気づいてくれる。
私がどれほど拓也くんを愛しているか。
私がどれほど拓也くんのために尽くしているか。
その時が来れば、拓也くんは私を選んでくれる。
私だけを愛してくれる。
それが、私の運命だから。
私が生きる理由だから。
拓也くんは私のもの。
永遠に、絶対に。
誰にも渡さない。
もしも拓也くんを奪おうとする女がいるなら、私はどんな手段を使ってでも阻止する。
たとえ、その女を殺すことになっても。
私の愛は、それほど深くて、それほど重い。
拓也くんへの愛こそが、私のすべて。
私の人生そのもの。
そして、いつか必ず、拓也くんと結ばれる日が来る。
私はそれを信じて、今日も拓也くんを見守り続ける。
愛する拓也くんのために。
私たちの未来のために。




