第三話「臆病者でも冒険者になろうか」
雪菜が連行されてから1週間が経った。
俺は相変わらず、夜中に目が覚めるたびに窓の外を確認する生活を送っていた。
そんなある日の午後、エリカが俺の元を訪れた。
「タクヤ、お疲れ様!」
いつものように人懐っこい笑顔で声をかけてくる。
俺はぼんやりと手を振って応える。
「調子はどう? だいぶ良くなった?」
「ああ、おかげさまで…」
嘘だった。全然良くなってない。
でも、エリカに心配をかけたくなかった。
「それなら良かった! 実は、相談があるんだけど…」
エリカがもじもじと手をいじりながら切り出す。
「相談?」
「タクヤと一緒に、冒険者になりたいの」
俺は思わず聞き返した。
「冒険者?」
「うん! 私もタクヤのように、村を守れる勇者になりたいの」
エリカの目がキラキラと輝いている。
本気だった。
「で、でも…」
「隣町のクレアタウンに冒険者ギルドがあるの。そこで登録すれば正式な冒険者になれるのよ」
クレアタウン…隣町ということは、この村から出なければならない。
「ちょ、ちょっと待って…」
「タクヤならきっと、ギルドでも有名になれると思うわ。ブラックウルフの群れを一人で倒したって聞いたら、みんな驚くと思う」
勇者、勇者って…俺は勇者じゃない。
魔獣を倒したのだって偶然だ。
でも、それ以上に問題なのは…
「村の外は…危険じゃないか?」
「大丈夫よ。クレアタウンまでは街道が整備されているから、魔物もそんなに出ないし」
魔物の問題じゃない。
雪菜の問題だ。
雪菜は王都に投獄されているはずだが…もし脱獄していたら?
もし仲間がいて、俺を探しているとしたら?
考えただけで手が震える。
「タクヤ?」
エリカが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「あ、ああ…でも俺になんか…」
「何言ってるの! タクヤは私たちの村を救ってくれたヒーローよ」
ヒーロー…
そんな大層なものじゃない。俺はただ、雪菜から逃げていただけだ。
「それに…」
エリカが頬を赤くする。
「タクヤと一緒なら、どんな危険も乗り越えられる気がするの」
その言葉に、俺の心臓が飛び上がる。
エリカは俺のことを信頼してくれている。
断りたい。この村から出たくない。
でも、エリカの期待に満ちた表情を見ると、断れなかった。
「わ、わかった…一緒に行こう」
「本当!? やったあ!」
エリカが飛び跳ねて喜ぶ。
その笑顔を見ていると、少しだけ勇気が湧いてくる。
…少しだけ。
◇◇◇
翌日、俺たちは村を出発した。
村人たちが見送りに来てくれる。
「タクヤ殿、どうかお気をつけて」
「勇者様、頑張ってくださいね」
勇者、勇者って…
俺は愛想笑いを浮かべながら手を振る。
「さあ、出発よ!」
エリカが元気よく歩き始める。
俺も重い足取りでその後に続いた。
森の中の街道を歩きながら、俺は何度も振り返る。
雪菜が追いかけてきてないか、確認してしまうのだ。
「タクヤ、大丈夫? さっきから何度も後ろを見てるけど」
「あ、ああ…魔物が出てないか心配で」
「そっか。さすが勇者ね、警戒を怠らないのね」
違う。警戒しているのは魔物じゃなくて雪菜だ。
歩きながら、俺は考える。
瞬間移動を使えば、一瞬でクレアタウンに着けるはずだ。
ポケットから地図を取り出す。
村長が持たせてくれた、この辺りの詳細な地図だった。
クレアタウンの位置を確認。距離的には、瞬間移動で行ける範囲だ。
でも…
「エリカ、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「実は、俺には特殊な能力があるんだ」
「特殊な能力?」
「瞬間移動だ。一瞬で遠くに移動ができる」
エリカの目が丸くなる。
「え? それって…魔法?」
「詳しくはわからないけど…でも、一人でしか移動できないと思うんだ」
「そっか…じゃあ、私は歩いて行くしかないのね」
エリカが少し寂しそうな顔をする。
俺は慌てて付け加えた。
「もしかしたら…手を繋げば一緒に行けるかもしれない」
「手を…繋ぐ?」
エリカの頬が赤くなる。
「た、試しにやってみない?」
「う、うん…」
エリカが恥ずかしそうに手を差し出す。
俺も震える手で、その手を取った。
柔らかくて、温かい。
雪菜の手とは全然違う。
心臓がドクドクと鳴る。
でも、雪菜への恐怖とは違う、別の理由で。
「それで…どうすれば?」
「目を閉じて…クレアタウンを想像して」
俺は地図で確認したクレアタウンの位置に意識を集中する。
街の入り口、ギルドの建物…
その瞬間、体が浮き上がる感覚。
気がつくと、俺たちは見知らぬ街の入り口に立っていた。
「え…え? 私たち、一瞬でここに…?」
エリカが辺りを見回す。
「ああ…成功したみたいだ」
でも、代償は大きかった。
いつもの何十倍もの疲労が俺を襲う。
膝がガクガクと震え、視界がぼやける。
「タクヤ! 大丈夫?」
エリカが慌てて俺を支える。
「ちょっと…疲れただけ」
「無理しちゃダメよ。どこかで休みましょう」
エリカに支えられながら、俺たちは街の中に入った。
クレアタウンは小さな商業都市だった。
人通りも多く、活気に満ちている。
「あ、あそこにギルドがあるわ」
エリカが指差す先に、大きな看板を掲げた建物があった。
『冒険者ギルド・クレアタウン支部』と書かれている。
「でも、タクヤの体調が心配…」
「大丈夫だ。少し休めば回復する」
嘘だった。まだフラフラする。
でも、エリカを心配させたくない。
「それなら…入りましょうか」
俺たちはギルドの扉を開けた。
中は思ったより広く、多くの冒険者たちが思い思いに過ごしている。
受付には美人の女性が座っていた。
「いらっしゃいませ。冒険者の登録ですか?」
「はいっ」
エリカが元気よく答える。
「承知いたしました。こちらの用紙にご記入を…あら?」
受付嬢が俺の顔を見て、首を傾げる。
「どこかでお見かけしたような…」
まずい。
雪菜の手配書でも出回っているのか?
「いえ…初めてお会いします」
「そうですか…でも、お客様の顔、どこかで…」
その時、ギルドの奥から男性の声が聞こえた。
「おお、君は!」
振り返ると、見覚えのある金髪の青年が立っていた。
アレンだ。雪菜を捕らえた英雄。
「君はカレン村の勇者だな。確か…タクヤと言ったか」
ギルドの中がざわめく。
「勇者?」
「カレン村の?」
「ブラックウルフの群れを一人で倒したという…」
俺は冷や汗をかく。
注目を浴びるのは苦手だった。
「あ、あのアレンさん、どうしてここに?」
「任務で立ち寄ったのだ。それより、君がここに来るとは」
アレンが俺に近づく。
「もしかして、冒険者登録を?」
「え、ええ…まあ」
「それは素晴らしい。君ほどの実力者がギルドに加われば、心強い」
実力者って…
俺はただの臆病者だ。
「ところで…」
アレンの表情が少し真剣になる。
「例の女性の件だが…」
雪菜のことだ。俺の心臓が跳ね上がる。
「彼女は現在、王都の地下牢に収監されている。しかし…」
「しかし?」
「脱獄の可能性も考えて、警戒を怠らない方がいい」
やっぱりだ。
俺の恐怖は正しかった。
「特に君は、彼女の標的だからな」
アレンの言葉に、俺の震えが止まらなくなる。
「タクヤ? 顔が真っ青よ?」
エリカが心配そうに俺を見る。
「だ、大丈夫…」
大丈夫じゃない。
全然大丈夫じゃない。
雪菜はまだ俺を狙っている。
そして、俺はエリカまで危険を巻き込んでしまった。
俺の震えは、ギルドに入ってからも止まることはなかった。




