第三十三話「ルナの秘密」
エリカとの結婚式も無事に終わり、俺は今度はルナと一緒にヴェリア大陸に向かっていた。
「本当にいいのか? 君の故郷まで一緒に行って」
俺がルナに尋ねると、彼女が嬉しそうに頷いた。
「はい。両親にタクヤさんを紹介したいんです」
ルナの表情は明るいが、時々不安そうな影が差すのを俺は見逃さなかった。
セリア大陸とヴェリア大陸は意外に近く、船で二ヶ月程度の距離だった。イラリア大陸への旅に比べれば、随分楽な移動だ。
「ヴェリア大陸って、どんなところなんだ?」
「とても美しいところですよ」
ルナが船の甲板から海を眺めながら答える。
「森が多くて、エルフたちが自然と調和して暮らしています」
でも、その声には微かな震えがあった。
「大丈夫か?」
「はい…少し緊張しているだけです」
ルナが作り笑いを浮かべる。
俺には分かった。彼女は何かを隠している。
一か月後、俺たちはヴェリア大陸の港町に到着した。
確かにルナの言う通り、美しい場所だった。緑豊かな森に囲まれ、空気も澄んでいる。
「ルナの村はどこにあるんだ?」
「森の奥です。歩いて一日くらいかかります」
俺たちは森の中の道を歩き始めた。
途中、何人かのエルフとすれ違ったが、彼らがルナを見る目が冷たいことに俺は気づいた。
「知り合いか?」
「昔の…村の人たちです」
ルナが小声で答える。
だが、誰一人として挨拶を交わそうとしない。むしろ、露骨に避けているようにさえ見えた。
「おかしいな…」
俺が呟くと、ルナが俺の腕を握った。
「気にしないでください」
でも、ルナの手は震えていた。
村に近づくにつれて、ルナの様子はさらに不安定になっていく。
足取りも重くなり、時々立ち止まってしまう。
「本当に大丈夫か?」
「はい…大丈夫です」
だが、その声は震えていた。
ついに村が見えてきた。
美しいエルフの村で、木々と調和した家々が立ち並んでいる。
だが、俺たちが村に足を踏み入れた瞬間、周りの視線が集中した。
そして、一人の若いエルフの女性が俺たちに近づいてきた。
「あら、ルナじゃない」
その女性が冷たい笑みを浮かべる。
「久しぶりね。まだ生きてたのね」
「こ、こんにちは、シルヴィア」
ルナが震え声で答える。
「元気にしていました」
「そう。で、その人間は誰?」
シルヴィアが俺を見る。
「もしかして、騙して連れてきたの?」
「騙してなんて…この人は私の夫です」
ルナが勇気を振り絞って答える。
「夫?」
シルヴィアが驚く。
「あなたみたいな子が結婚? 嘘でしょう?」
「本当です」
ルナが結婚指輪を見せる。
「信じられない」
シルヴィアが嘲笑する。
「あの忌み子が結婚だなんて」
忌み子…その言葉に、俺の怒りが沸き上がった。
そして、シルヴィアが突然、手に持っていた水差しの水をルナにかけた。
「きゃあ!」
ルナが濡れ鼠になる。
「おい、何するんだ!」
俺が怒鳴ると、シルヴィアが俺を見た。
「清めてあげたのよ。この子は穢れてるから」
「穢れてるって何だ!」
俺がさらに怒ると、ルナが俺の袖を引っ張った。
「タクヤさん、やめてください」
「でも…」
「気にしないで…いつものことですから」
ルナの顔は水で濡れているが、涙も混じっているのがわかった。
シルヴィアは満足そうに去っていく。
「いつものことって…」
俺が尋ねると、ルナが首を振った。
「後で説明します。今は…家に帰りましょう」
俺たちは村の奥にある小さな家に向かった。
他の家より少し離れた場所にある、質素な造りの家だった。
「お母さん、お父さん、ただいま帰りました」
ルナが扉を開けると、中から優しそうな中年のエルフの夫婦が出てきた。
「あら、ルナ! おかえりなさい」
母親がルナを抱きしめる。
「元気にしてた?」
「はい。そして…」
ルナが俺を紹介する。
「こちらが私の夫、タクヤさんです」
「夫?」
両親が驚く。
「本当に?」
「本当です」
ルナが結婚指輪を見せると、両親の顔がパッと明るくなった。
「まあ、素敵」
母親が俺の手を握る。
「ようこそ、息子さん」
「よろしくお願いします」
俺が挨拶すると、父親も握手してくれる。
「娘がお世話になってます」
「こちらこそ」
家の中で、俺たちは結婚の経緯を説明した。
両親は本当に喜んでくれたが、時々複雑な表情も見せた。
「でも…こんな子で大丈夫かしら」
母親が心配そうに言う。
「この子、変わった子だから…」
「変わったって?」
俺が尋ねると、両親が顔を見合わせた。
「その…色々と…」
父親が言いよどむ。
「でも、タクヤさんが愛してくださってるなら、きっと大丈夫ね」
母親がほっとしたような表情を見せる。
夕食の時間になり、俺たちは家族で食事を取った。
両親は俺に対してとても親切だったが、ルナに対する態度は少し距離があるように感じられた。
「ルナ、もっと食べなさい」
母親が言うが、その声にはどこか義務的な響きがあった。
「はい…」
ルナも元気がない。
食事の後、俺たちは客間で休むことになった。
「疲れただろう? 早く休もう」
俺がルナに言うと、彼女が小さく頷いた。
「はい…」
でも、その表情は暗かった。
ルナが眠った後、俺はそっと部屋を出た。
居間では、ルナの両親がまだ起きていた。
「すみません、少しお話しできますか?」
俺が声をかけると、両親が驚いた顔をした。
「もちろんです。どうぞ、座ってください」
俺は両親の前に座った。
「実は、ルナのことでお聞きしたいことがあります」
「ルナのこと?」
母親が不安そうな表情を見せる。
「今日、村でルナが酷い扱いを受けました」
俺がシルヴィアのことを話すと、両親の顔が暗くなった。
「やはり…まだそんなことを」
「どういうことですか?」
俺が尋ねると、父親が重い口を開いた。
「ルナは…生まれた時から、村の人たちに嫌われているんです」
「どうしてですか?」
「背中に…特別な模様があるんです」
母親が涙ぐむ。
「黒い、蛇のような模様が」
「蛇の模様?」
「はい。それは…魔族の生まれ変わりの印だと信じられているんです」
俺の心臓が跳ね上がった。
「魔族の?」
「迷信です」
父親が慌てて付け加える。
「でも、村の人たちはそれを本気で信じている」
「だから、ルナは幼い頃からずっと…」
母親が泣き出す。
「一人ぼっちだったんです」
俺の胸が痛んだ。
「それで、ルナが村を出たんですね」
「はい…」
父親が頷く。
「私たちも…最初は必死にルナを守ろうとしました」
「最初は?」
「でも…」
母親が俯く。
「だんだん、私たちも怖くなってきて…」
俺は愕然とした。
ルナの両親ですら、娘を信じ切れなくなったのか。
「もしかして、本当に魔族なのかもしれないって…」
父親が苦しそうに呟く。
「そんなことを考えるようになってしまった」
「でも、ルナは普通の女の子ですよ」
俺が強く言うと、両親が俺を見た。
「本当に…そう思いますか?」
「もちろんです」
俺がはっきりと答えると、両親がほっとした表情を見せた。
「よかった…」
母親が泣く。
「私たち、最低な親でした」
「いえ、そんなことは…」
「いえ、最低です」
父親が自分を責める。
「自分の娘を信じられなくなるなんて」
俺は両親の苦しみも理解できた。
村全体から圧力をかけられ続ければ、心が折れてしまうのも無理はない。
「でも、今は違います」
母親が俺を見る。
「あなたがルナを愛してくださって…本当にありがとうございます」
「こちらこそ、ルナには救われています」
俺が答えると、両親が安堵の表情を見せた。
翌朝、俺は目を覚ますと、ルナがまだ眠っていた。
その寝顔は平和そうだったが、頬に涙の跡があった。
きっと夢の中でも、辛い過去を見ているのだろう。
俺はそっとルナを抱きしめた。
「ん…タクヤさん?」
ルナが目を覚ます。
「おはよう」
「おはようございます…」
ルナが寝ぼけた声で答える。
「ルナ」
俺がルナの顔を見つめる。
「もう君を一人にはしない」
「え?」
「昨夜、お母さんから聞いたよ」
ルナの表情が青ざめる。
「全部…聞いちゃったんですね」
「ああ」
俺がルナを強く抱きしめる。
「辛かっただろう」
「はい…でも、もう慣れました」
「慣れる必要はない」
俺がルナの頭を撫でる。
「君は魔族なんかじゃない。俺の大切な妻だ」
「タクヤさん…」
ルナが俺の胸で泣き始める。
「ずっと…ずっと一人でした」
「もう一人じゃない」
俺がルナを慰める。
「俺がいる。エリカもグロムもルビーもガルドもいる」
「みんな…」
「ああ。君には家族がいる」
ルナが顔を上げる。
「本当に…私を受け入れてくれるんですね」
「当然だ」
俺がルナの涙を拭う。
「君は俺の妻であり、大切な仲間だ」
「ありがとうございます…」
ルナが初めて、本当の笑顔を見せた。
長い間抱えていた孤独と不安から、ようやく解放されたのだろう。
「今日、村の人たちに挨拶回りしよう」
俺が提案すると、ルナが驚く。
「でも、村の人たちは…」
「関係ない」
俺がきっぱりと言う。
「君は俺の妻だ。堂々としていればいい」
「でも…」
「一緒に行こう」
俺がルナの手を握る。
「もう一人で戦う必要はない」
ルナが頷く。
「はい…ありがとうございます」
俺たちは村の中を歩き回り、ルナの結婚を報告して回った。
最初は冷たい反応だった村人たちも、俺がしっかりとルナを支えている姿を見て、少しずつ態度を改めてくれた。
完全に受け入れられるまでには時間がかかるだろうが、それでも第一歩は踏み出せた。
夕方、俺たちは村を出発することになった。
「もう帰るのですか?」
母親が寂しそうに言う。
「はい。セリア大陸で待ってる仲間たちがいるので」
ルナが答える。
「そうですか…」
父親も寂しそうだ。
「でも、また帰ってきてくださいね」
「はい」
ルナが頷く。
「今度はもっと長く滞在します」
俺たちは両親に別れを告げ、港町に向かった。
道中、ルナがずっと俺の手を握っていた。
「タクヤさん」
「何だ?」
「私、幸せです」
ルナが微笑む。
「初めて…本当の家族ができました」
「俺も幸せだ」
俺がルナの手を握り返す。
「君がいてくれて良かった」
俺たちはセリア大陸に向けて出発した。
ルナの過去の傷は完全に癒えたわけではないが、それでも彼女は前を向いて歩き始めた。
俺たちの絆は、さらに深くなった。
そして、セリア大陸では仲間たちが待っている。
俺たちの家族が。




