第三十二話「エリカの嫉妬」
―エリカ視点―
私の名前はエリカ。エリカ・ローゼン。
そして今、私の心は完全に壊れていた。
薬のおかげで生気も感情も戻ったけれど、戻ってきたからこそ、現実がより残酷に感じられる。
タクヤが…タクヤがルナちゃんと結婚した。
私が廃人状態になっている間に。
わかってる。ルナちゃんが薬を手に入れるための条件だったって。
タクヤは私を救うために仕方なく結婚したんだって。
でも…でも…
「なんで私じゃダメだったの…」
部屋で一人呟く。
みんなは私が回復したことを喜んでくれている。特にタクヤは、優しく接してくれる。
でも、彼の左手には結婚指輪が光っている。
それを見るたびに、胸がキリキリと痛む。
「私の方が先だったのに…」
確かにそうだ。
タクヤと最初に出会ったのは私。一緒に冒険を始めたのも私。
ルナちゃんがパーティーに加わったのは、ずっと後のこと。
なのに、結婚したのはルナちゃん。
「おかしいわ…おかしすぎる」
私は部屋から出て、宿のロビーに向かった。
みんなが楽しそうに夕食を取っている。
新しく加わったルビーとガルドも、すっかり仲間として溶け込んでいる。
「エリカ、調子はどう?」
タクヤが心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫よ」
私は作り笑いを浮かべる。
「もうすっかり元気になったわ」
「そうか、良かった」
タクヤがほっとした表情を見せる。
その時、ルナちゃんがタクヤの隣に座った。
「タクヤさん、お疲れ様でした」
ルナちゃんがタクヤに微笑みかける。
その笑顔は、以前より輝いて見えた。結婚の幸せに満ちている。
「ああ、ルナもお疲れ様」
タクヤがルナちゃんの頭を優しく撫でる。
その仕草を見て、私の心は千切れそうになった。
「私、少し外の空気を吸ってくるわ」
私は席を立った。
「エリカ、大丈夫か?」
タクヤが心配してくれるが、今はその優しさが辛い。
「大丈夫よ。すぐ戻るから」
私は宿を出た。
夜風が頬に当たって冷たい。
でも、心の熱さは冷めない。
嫉妬と悲しみと怒りが、ぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
「酒でも飲まなきゃやってられない」
私は王都の繁華街にある酒場『金の麦』に向かった。
ここなら一人で飲んでも怪しまれない。
酒場は夜の客で賑わっていた。
私はカウンターの端の席に座り、ウイスキーをストレートで注文した。
「お嬢さん、一人かい?」
隣に座った中年の商人が声をかけてくるが、私は無視する。
今は誰とも話したくない。
グラスを一気に空にする。
喉が焼けるような感覚。でも、心の痛みには及ばない。
「もう一杯」
私はバーテンダーに追加を頼む。
「お客さん、飲みすぎじゃありませんか?」
バーテンダーが心配そうに言うが、私は首を振る。
「大丈夫よ。まだまだいけるわ」
二杯目、三杯目…
だんだん頭がぼんやりしてくる。
でも、タクヤのことを考えると、また胸が痛くなる。
「なんで…なんでルナちゃんなのよ」
私は小声で呟く。
「私の方が…私の方が…」
その時、隣の席に誰かが座った。
「エリカか」
聞き覚えのある低い声。
振り返ると、グロムがいた。
「グロム? どうしてここに?」
「お前と同じさ。一人で飲みたくなった」
グロムがウイスキーを注文する。
「でも、お前ほど荒れた飲み方はしないがな」
グロムが私のグラスを見て苦笑いする。
「ほっといて」
私はまた一口飲む。
「そう荒れるな。体に悪い」
「体なんてどうでもいいのよ」
私が乱暴に答えると、グロムがため息をついた。
「タクヤのことか?」
図星だった。
私は何も言わずにまた飲む。
「悔しいのよ」
私は本音を口にした。
「タクヤのバカ。私がどんなに辛い思いをしてたか、わかってるの?」
グロムは黙って聞いている。
「両親を殺されて、一人ぼっちになって…それなのにタクヤまでいなくなって」
涙が頬を伝う。
「やっと戻ってきたと思ったら、結婚してるなんて」
「そうだな」
グロムが静かに相槌を打つ。
「辛かっただろう」
「そうよ、辛かったわ」
私はグロムに向かって不満をぶちまける。
「ルナちゃんだって、条件なんて付けなければよかったのよ。『エリカを助けたいから一緒に薬を取りに行きましょう』って言えば済んだじゃない」
「…」
「なのに結婚が条件だなんて。ずるいわ」
私の声がだんだん大きくなる。
「それにタクヤも、なんであんなに簡単に承諾するのよ」
グロムは黙って私の愚痴を聞いている。
「私のこと、どう思ってるのかしら。仲間? 友達? それとも妹みたいなもの?」
私は自分でもわからなくなってきた。
「タクヤは優しいから、私にも気を遣ってくれる。でも、それだけなのかもしれない」
「そうは思わんがな」
グロムがまた口を開く。
「あいつはお前のことを本当に大切に思ってる」
「でも結婚はしてくれないじゃない」
「それは…」
グロムが言いよどむ。
「タイミングの問題だったんじゃないか?」
「タイミング?」
「ああ。お前が元気だったら、きっとお前に相談してただろう」
グロムが私を見る。
「でも、お前は廃人状態だった。相談できる状況じゃなかった」
「それは…そうかもしれないけど」
「だから、ルナが条件を出した時、他に選択肢がなかったんだろう」
確かに、私が正常だったら状況は違っていたかもしれない。
でも、それでも納得できない。
「私の方が先に好きだったのに」
私は最後の本音を漏らしてしまった。
「タクヤを好きになったのは、私の方が先なのに」
グロムが静かに頷く。
「そうだな。お前の方が先だった」
「だったら…」
「でも、愛情に先着順はないだろう」
グロムが優しく言う。
「大切なのは、今どうするかだ」
「今?」
「ああ。タクヤはルナを愛してる。でも、お前のことも愛してる」
グロムが私の目を見る。
「あいつは平等に愛してるんだ。ルナもお前も」
「本当?」
「本当だ。俺が保証する」
グロムの言葉に、少し希望が見えてきた。
「それなら…」
「一度、ちゃんと話し合ってみたらどうだ?」
グロムが提案する。
「お前の気持ちを、素直にタクヤに伝えるんだ」
「でも、ルナちゃんもいるし…」
「だからこそだろう。三人で話し合って、これからどうするかを決める」
グロムの提案に、私の心が少し軽くなった。
「そうね…逃げてても仕方ないものね」
私は立ち上がる。
まだ少しふらつくが、気持ちははっきりしていた。
「ありがとう、グロム」
「どういたしまして」
グロムが微笑む。
「頑張れ、エリカ」
私は宿に戻った。
ロビーでは、タクヤとルナちゃんが仲良く話している。
以前だったら、その光景に嫉妬していただろう。
でも、今は違う。
私には言いたいことがある。
「タクヤ」
私が声をかけると、タクヤが振り返る。
「エリカ、どこに行ってたんだ? 心配したよ」
「ちょっと考え事をしていたの」
私はタクヤとルナちゃんの前に立つ。
「二人に話があるの」
「話?」
タクヤが首を傾げる。
「重要な話よ」
私は深呼吸する。
「私とも結婚しなさい」
その場が静まり返った。
「え?」
タクヤが驚く。
「結婚って…」
「そうよ。ルナちゃんと結婚したんでしょう? だったら私とも結婚しなさい」
私ははっきりと言う。
「この国は一夫多妻制なんでしょう? だったら問題ないはずよ」
「エリカさん…」
ルナちゃんが困惑している。
「でも、急に…」
「急じゃないわ」
私はルナちゃんを見る。
「私はずっと前からタクヤを愛してた。あなたより先に」
「それは…」
「だから、私にも同じ権利があるはずよ」
私はタクヤを見つめる。
「どう? 私と結婚してくれる?」
タクヤが口をパクパクと動かしている。
明らかに困惑している。
「えっと…その…」
「返事を聞かせて」
私は一歩近づく。
「私を愛してるって、さっきグロムから聞いたわ」
「グロムが?」
「そう。平等に愛してるって」
私はタクヤの手を取る。
「だったら、平等に結婚してよ」
タクヤがルナちゃんを見る。
「ルナ、君はどう思う?」
「私は…」
ルナちゃんが悩んでいる。
「エリカさんの気持ちもわかります」
ルナちゃんが私を見る。
「もし私がエリカさんの立場だったら、同じことを言うかもしれません」
意外にも、ルナちゃんは理解を示してくれた。
「ルナちゃん…」
「でも、条件があります」
ルナちゃんが真剣な表情になる。
「三人で幸せになること。誰か一人だけが不幸になるのは嫌です」
「当然よ」
私が即答する。
「私だって、あなたが不幸になってほしいわけじゃない」
私はルナちゃんの手も握る。
「みんなで幸せになりましょう」
タクヤが深いため息をついた。
「わかった」
タクヤが私を見る。
「エリカ、俺と結婚してくれるか?」
私の心臓が跳ね上がった。
「本当?」
「ああ。俺も君を愛してる」
タクヤが私の手を握り返す。
「ずっと前から」
涙が込み上げてきた。
でも、今度は悲しみの涙じゃない。
喜びの涙だった。
「ありがとう…ありがとう、タクヤ」
私はタクヤに抱きついた。
「愛してるわ」
「俺も愛してる」
こうして、私とタクヤの結婚も決まった。
少し変わった形だけれど、これが私たちの幸せの形。
三人で支え合って、みんなで幸せになるの。
私の新しい人生が、今から始まる。




